隠れ潜むのも致し方ありません、わね
わたくしも、強くあらねば…
弟という、守るべき家族。
小さな温かい弟の体をぎゅっと抱きしめながら、わたくしが決意を固めたのはそう遠い昔ではありません。
そう、まだ1ヶ月にも満たない、ほんの幾日か前のことなのです…
あの時の決意は、今もまだ。
そう、わたくしの小さなこの胸の内で、熱く滾る様に燃え続けています。
弟を守るという、わたくしの誓いを強く強く、何よりも強く。
まるで宝石のように、固く輝かせる為に。
他の階から、応援の方々が駆けつけて下さったとの報告を、耳に致しました。
念の為に設置されていた、罠の作動も確認済みのようです。
しかし、やはり対応の遅れと手薄だった警戒が痛かったのでしょう。
わたくし達が、侵入者が4階に到達したという報を聞いたのは、予想よりは早い頃合いでしたが…それでも、覚悟を固めるには十分間に合う頃で。
わたくしは弟をぎゅっと抱きしめ、『院長室』の隣に設けられた隠し部屋へと退避させられてしまいました。
………何故、『院長室』の隣に隠し部屋があるのかは、深く考えない方がよろしいのでしょうね。
わたくしとクレイは、隠し部屋に。
隠し部屋の出入り口を守る場所に、一応は職務を忘れてはいなかったらしい騎士、ロンバトル・サディアが位置取ったようです。
レナお姉様は巻き込まれさえしなければ無用な怪我を負うことはないでしょう。
騎士が1人佇んでいれば、とても怪しいことこの上ありません。
すぐ近くに貴族の子がいると自己申告しているようなもの。
そこでピートが急遽、わたくしの替え玉を用意したようです。
わたくしと同じ亜麻色の髪の女の子を、明らかにメイドと分かるお仕着せを着たレナお姉様と一緒に『院長室』の机の下に隠すということでした。
ですがそれでは、わたくしの代わりにその子が酷い目に遭うのでは…
わたくしの心配を、ピートは一笑に付しました。
自分がいる限り、そんな目には遭わせない。
ただ奴らを誘き寄せる囮として、配しておくだけだと。
「自分の守る女に、汚ぇ野郎の指なんざ一本だって触れさせやしねぇよ。
だからお前も余計な心配なんざしねぇで隠れてな!」
強気にそう片頬だけで笑うピートを、室内にいた男の子達は口々に憧れの目で讃えていらっしゃいました。
――そう、『兄貴』と。
………それは、称賛の言葉として正しいのでしょうか?
初めて聞く種類の賛辞なのですが…
わたくしにはよくわからない世界が、そこに広がっていたような気が致します。
何故か騎士のロンバトル・サディアまでが『兄貴』と讃えていたのですが…彼は、騎士としての職分を覚えておいででしょうか。
わたくしは遠い目で、心に誓いました。
無事にこの件を乗り越えたら、その勤務態度をエラル様のお耳に入れて差し上げましょう…と。
「クレイ、良いですか。決して喋ってはなりません。物音をたてるのも危険です。だからここで、姉様とぎゅっと抱きしめあって丸まっていましょうね」
「あい、ねえしゃま!」
「しぃ…ですよ、クレイ」
「あい、ごめんなしゃい…」
クレイは、今日も良い子でした。
わたくしの言葉に素直に従って、全身でわたくしに縋りついてきます。
その体をわたくしも、ぎゅっと抱きしめて。
2人、ピートの投げ渡してくれた毛布に包ります。
4階の窓の外は、ぐるりとバルコニーで囲われているのですもの。
隠し部屋のはずですのに、何故かこの部屋にも窓が設置されています。
万が一、そこから見つからないように。
わたくしとクレイは湿った臭いのする毛布を体に巻き付け、部屋の隅で身を丸めて縮こまっておりました。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「よし、ミレーゼは隠れたな」
「ミレーゼもクレイも、大丈夫かしら…」
顔を曇らせ、レナは心配そうにちらちらと隠し扉に目を走らせる。
最初は面倒だと思いつつも、世話を焼いていた。
一緒にいる内に、お姉様と呼ばれる内に。
どうやら自分もミレーゼのことを妹のように思うようになっていたらしいと、こんな時にレナは思い知る。
自分にも母性に似た何かがあったのかと、妙に感心した。
他人の面倒を見るような、余裕などない生活を送ってきたというのに。
そんなレナの様子に、ピートが片眉を跳ね上げる。
先程からチラチラと隠し扉を気にしている様を、どうやら見咎めたらしい。
「レナ、そうチラッチラそっちばっか見るんじゃねーよ。何かあるって言ってるようなもんだろうが。特に今、お前はメイドって丸わかりの格好なんだぜ? 使用人が気にする=主の所在ってすぐバレるぞ」
「そうね…アンタにそれを指摘されるのは業腹だけど、言ってる内容には頷けるもの。あたしは、今はこの子だけ見てる」
「よし、それで良い」
自分に預けられた、替え玉の少女。
小さな、ミレーゼと同じくらいの年の頃。
手入れの生き届いたミレーゼに比べると、髪も肌もぱさぱさだったけれど、幼さ故の活きのよさが女の子を愛らしく見せる。
これは軽々しく外に出したら人攫いに狙われるな、と。
レナは可愛い亜麻色の髪の女の子を抱きしめた。
「今からアンタは、貴族のお嬢様よ」
「うん、心得てます。よろしく、レナ『お姉様』」
「………随分と、行き届いてるわね」
「ミモザの仕込だよ。そいつミモザの秘蔵っ子の1人だから。演技にゃ問題ねぇ」
「それは随分と心強いわ」
4階の奥まった位置にあるとはいえ、走れば階段からそうはかからない。
廊下に道を阻もうと、何人もの『青いランタン』の子供達が出ていたけれど…
『黒』の精鋭が相手だ。
相手は、天井の高い『廃病院』の壁を伝って侵入するような子供達である。
高い身体能力と、それに裏打ちされた自信を持つ『黒』の侵入者。
何人かは3階で捕まえたと報告が来ているが…
残りの精鋭達に、廊下の守りを突破されるのは時間の問題だろう。
よりによって破壊力の高いルッコラを1階に配置した弊害が、ここで来ている。
しかしルッコラの本領を発揮できるのは、犬が走り回ることのできる広い空間…やはり1階に配置するしかなかった人員である。
ある意味、最も破壊力の高いセルカ・セルマーの双子は自爆技紙一重なので、逆に重要なポイント…この4階には配置できない。
耳から脳がやられたら、ピートだとて暫く悶絶して使い物にならなくなる。
再起不能にはならなくても、確実に暫く行動力を奪われる危険な兵器だ。
他に使えそうな者達も、軒並み他の階に分散していたのが痛い。
ここは自分がやるしかないと、ピートは精神を無理やり静める。
焦っても、動揺してもいけない。
気が昂ると、周りが見えなくなる。
今まで潜った修羅場に比べると、こんなことは何でもない。
自分に言い聞かせながら、ピートは己の武器を構えた。
それは赤朽葉色に染め抜かれた、1本の唐傘。
「………アンタ、まだその傘使ってたの」
「これが1番手に馴染むんだよ」
「壊れるわよ?」
「煩ぇな…壊れねぇよう、ちゃんと補強してある」
「そうまでして傘で殴んなくても…」
呆れ果てるレナの眼差しも、何のその。
ここで迎え撃つと定めたピートの手の中で、骨太の傘はみしりと音を立てた。
そうして、なみいる障害を掻い潜り。
『黒』い布を何所かしらにつけた少年達が、『院長室』に飛び込んできた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
この隠し部屋に押し込まれて、如何ほどの時間が経過したでしょうか。
少なくとも、退屈した3歳児がも動き出す程の時間は過ぎてしまったようです。
隣の『院長室』からは、依然として派手な物音が。
最初の頃はクレイも怯え、わたくしの胸にすがりついていたのですが…
あまりにも物音が続くものですから、順応性に富んでいたのでしょう。
すっかり慣れきってしまったクレイが、もぞもぞと動いて…正直に申しますと、擽ったくて仕方がありません。
特にふわふわとした触り心地の、クレイの柔らかな髪が首筋を擽って…
「クレイ、お願いだからじっとしていて?」
「ねえしゃまぁ…つまんにゃいぃ」
クレイは、退屈しきっているようでした。
「退屈でも、じっとしていなくてはなりませんよ? 姉様と約束したでしょう?」
「うみゅぅぅ…」
「もう…」
退屈のあまり、弟は泣きそうになっておりました。
泣くほど、退屈なのですね…
「ねえしゃま、あしょんで?」
「だ、駄目ですわよ、クレイ」
「うえぇ…にゃ、にゃ、おはにゃし、して?」
「それも駄目ですわ。わたくし達は今、かくれんぼをしていますのよ?
だから、ね? しぃ…です」
「かくれんびょ?」
「かくれんぼ、ね」
「かくれんぼー」
かくれんぼと聞いて、たちまちクレイの目が輝きました。
遊びの一環と思えば、静寂も退屈もどうということはないのでしょう。
ですがこれも、ほんの僅かな時間稼ぎにしかなりません。
根本的に、ここにじっとしているという条件を改善されないことには…また、幾許かの時間でクレイは退屈に目を潤ませてしまいますわね。
「クレイ、姉様と遊びましょう?」
「あしょぶ?」
「ええ、遊びましょう」
「…あい!」
やはり、かくれんぼと思っても無為な時間に苦痛を感じていましたのね…。
輝く笑顔で、クレイは喜びを露にぐいぐいと身を寄せてきます。
期待に満ちた眼差しには、わたくしに対する深い信頼。
それを裏切ってしまうのは、とても心苦しいのですが…
「さあ、姉様と競争ですわよ。どちらがより長く、じっとしていられるかしら?」
「きゅーしょ?」
「いえ、急所ではなく、競争」
「きょーしょ? きょうしょー!」
「クレイ…お願いだから、もう少し静かにして下さいませ」
「あい…っ」
ぱっと小さな両手で口を塞ぐ弟の姿は、とても愛らしいけれど。
ここは心を鬼にしてでも、クレイを静かにさせなくては。
そうでなくては、わたくし達を庇う為に大変な目に遭っている、ピート達に申し訳が立ちませんもの。
「それでは競争致しましょう、クレイ。先に動いた方が負け、ね」
「あい!」
「喋ってもなりません」
「あい…!」
「………喋ってはなりませんとは言いましたが、息を止めるようにとは言っておりませんよ?」
「あうー…」
わたくし達は毛布の中、互いにころころと膝を抱えて息を潜め、動かないように気をつけていたのですが…
ばりんっ
ああ、なんと世は無情…
わたくし達の耳に届いた、不吉な音。
そうして、わたくし達の目に映った光景は…
無残にも叩き割られた、硝子。
窓から侵入しようと、室内に足を踏み入れた小柄な姿。
そこには、『黒』を身に纏った3人の少年がいたのです…。
わたくしとクレイの、すぐ…目の前に。




