偶然とは天然トラップを発生させることもあるのでしょう
「ボスー!」
息せき切って、駆けよって。
『院長室』の崩壊しかけた扉が、激しく勢いよく蹴り開けられました。
大慌てといった様子で駆け込んできた子供に、ピートが呆れを向けています。
「てめぇ、蹴るなよ」
「わわ、ごめ……いやいや、それどころじゃないよボス!」
「あ?」
「『黒』の奴らに、3階に侵入されたー!」
「はあぁぁぁああああっ? 4階のすぐ下の階じゃねーか!」
素っ頓狂とは、こういう声のことでしょうか。
ピートが目を丸く開いて、頓狂な声を上げます。
寝耳に水のお話でしたものね…
ほんの数分前の伝令の言葉を信じるのであれば、それまで1階の入り口付近で…侵入すら出来ず、侵入者の方々は右往左往されていたはずですのに。
「まあ、いきなりの展開ですわね」
「ミレーゼ…アンタ余裕ね」
「そういう訳でもありませんのよ? ただ、あれだけ自信に満ち溢れていたピートが、これからどう対処なさるのか興味深く思っていますの」
「それは、確かに興味深いわね。アレだけ自信満々だったのに」
「ええ、とても自分達への深い信頼感に満ちていましたのに」
「ちょっとそこのお嬢さん方、ねっちねちと遠回しに俺の手抜かり責め立てんの止めてくんねぇ?」
ひく、と顔を引き攣らせるピート。
そんな彼にわたくしはにっこりと微笑み…
クレイの背を、軽くとんと押しました。
「お行きなさい」
「あい!」
素直なわたくしの弟は、ぴょんと手を上げてとことことピートに接近致します。
無邪気な様子に、ピートは若干の警戒心を抱いていたようですが…
クレイは無邪気だからこその裏表のない一撃を、ピートに放ちました。
「あうー……えぇとー、ななわり?」
こてん、と首を傾げながら、それでもクレイははっきりと一撃を放ちました。
流石、わたくしの弟…期待以上です。
ピートは「ぐ…っ」と呻き、その胸を片手で押さえてしまいました。
「まあ、クレイ。ちゃんと覚えていましたのね」
「ああ…そういえばピートの奴、言ってたわね…1階で七割減らすって大口を」
「実際に今、捕虜にしているのは何人でしたかしら…」
「伝令の報告通りなら18人でしょ。残り14人ね」
「あらあら…4割以上残っていますわね?」
「あーあ、根拠もなく大口叩くから…」
「後、少しでしたのに…七割を達成するには、足りませんわね」
「お前ら…俺の硝子の心臓が使い物になんなくなるから、そろそろ止めろ」
「まあ、硝子の心臓」
「厚かましいわね、アンタ。随分と丈夫なガラスがあったもんだわ」
「お前らに言われたくねぇー…」
「ボスー、指令は?」
「あっと…わりぃ」
顔を引き攣らせてわたくし達を睨むピート。
そうする間にも、時間は刻々と過ぎていきます。
すぐ側まで侵入されたのであれば、至急対策を練らねばなりません。
焦れた様子の伝令に袖を引かれ、ピートは意識を引き締めたようです。
それまでより鋭さを増した眼差しが、廃病院の見取り図に注がれていますもの。
「それで3階のどこに侵入されたって?」
「ここと、ここ。それからここ」
「いっぺんに3か所かよ…いきなり3階ってことは外壁から侵入しやがったな?」
「うん。中に配置した罠、全部無駄になっちゃったね」
「ちっ……取って置きはまだまだあったってぇのに」
「せっかく階段に大玉設置したり、絨毯の下に撒菱設置したり、色々したのにね」
「……………外壁から侵入した『黒』の方々は賢明でしたわね」
ピート達は確実に遊んでいるとしか思えない、子供の遊び心が搭載された罠が、まだまだ沢山あったのでしょうね…
わたくしでも、内部からの侵入は考えてしまいますもの。
「あいつ等、西側の残った奴らを囮にしたみたい。正面と西側で騒いでる間に、外壁から進入路を確保した奴が3人もいたんだよ」
「ん? つまり3人がそれぞれ、3階までの道筋を作ったってことか? 直接4階まで来なかったのは……ああ、バルコニーのお陰か」
わたくし達がいる、『院長室』。
この部屋は廃病院の4階に位置しております。
4階は他のフロアとは様子を異にしていたのでしょうね。
壁の外をぐるりと囲む様に、バルコニーが設置されております。
それがどうやら鼠返しのような作用を及ぼしたようです。
元々そうなるように考えて設置されたのか、それとも偶然かは存じませんが…
今回は、わたくし達に猶予を与える形で作用して下さいました。
その僅かな猶予で、対策を練らなければなりません。
まだまだ侵入者は1階近辺をうろうろしていると思っていたのですもの。
当然、対策の為の人員は下方の階に集中していましたから。
3階は、きっと手薄だったはずです。
それこそ、一気にこの4階まで押し入られても不思議ではありません。
「ピート、捕虜にした方々はどちらに?」
「あ? 侵入者に解放されることを警戒してんのか?」
「ええ…落ち着いて尋問する為に、1階からは移動させたと仰っていましたでしょう? もしや、3階の近くなのでは…」
「いや、奴等は地下だ」
「地下? まあ…地下室もありましたの?」
「おう。やたらと拘束具やら拘束ベッドやらが安置されてっからな。それを利用して捕まえてある」
「…………………拘束具に、拘束ベッド」
何でしょうか…日頃、あまり耳にしない単語を聞いてしまいましたような。
安置されていた、ということは…その、もしや?
………この廃病院が『廃』される以前の、備品…ですの?
わたくしの胡乱な眼差しに気付いたのでしょう。
ピートが、ふっと遠い目で答えともいえない答えを返して下さいました。
「………この病院な、潰れる前は神経内科だか心療内科だか精神科だか何だかも併設してたらしーから…」
「だからと拘束具を大量に使用するのは何か間違ってはいませんかしら…」
「察しろ。この病院が潰れた時点で察しろ」
「……………この病院って罪のない若者捕まえて改造手術だか人体実験だかやってんのがお上にばれてお取り潰しになったんじゃなかったの?」
「れ、レナお姉様…っ?」
な、なんだかとんでもないことを仰いましたわよ…!?
それは本当なのかと、疑いの目がまじまじとピートを見つめてしまいます。
「……そういう噂があることは否定しねぇ」
「で、では…」
「つっても、ここが潰れたのは俺らが生まれるずっと前だ。真偽はわかんねぇよ。…が、貧民街のど真ん中に設置されていた時点でなんぞ怪しいのは確かだな」
「というか、貧民街にある病院なんて普通に考えて商売あがったりなのに、わざわざこんなとこに建てる時点で疑えって言ってるようなもんよね」
「……………まあ」
わたくしは、てっきりこの病院は貧民街が『貧民街』になる以前の建物だと…
ですがそれは誤りでしたのね。
どうやら、既に『貧民街』となった後で運営されていた病院…のようで。
それは、確かに怪しいですわね…。
疑わしさがこの上なく膨れ上がりそうな場所です。
『青のランタン』も、よくこんな曰くありげな場所を選びましたわね……。
「とっくに潰れた今となっちゃ、実害ねぇからな。…が、時々たまに変な器具やら怪しい道具やら妙なナニかやらが見つかることにゃ辟易してる」
「その、見つかった道具というのは…」
「見てぇのか?」
「………いえ、好奇心は猫を殺すと申しますもの」
「ミレーゼ、お前は賢明な奴だよ」
願わくば、この廃病院の奇妙な洗礼に遭わずに済むことをお祈り致します…。
特に、クレイが巻き込まれずに済みますように…。
「ちなみに」
「? なんでしょう」
「そういう怪しくて危なそうな道具は、チビ共が玩具にすっと危険なんで見つける端から集めて隔離してある訳だが」
「ピートも十分、賢明な方だと思いますわ」
「そう。そんでその危険物隔離部屋ってのが、3階に集中してんだよな…下手に遠ざけるより、俺ら年長者の目が届きやすいから」
「………それは」
「凄い天然トラップね。あたしだったら扉開けた瞬間そんな吃驚に見舞われたら体が固まって動けなくなるわ。アンタら運にめちゃめちゃ恵まれてんじゃない?」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
その頃、3階では。
「な、な、なんだよこれぇっ!?」
「あ、鉄の処女ってヤツじゃ、これ…」
「こっちのこれ、知ってる………顔に嵌めるヤツ。ある意味、ドリーミー………」
「なんでナチュラルに拷問器具がセッティングされてんの!?」
「怖ぇっ 『青』の奴ら怖ぇぇえっ!」
「というか、趣味悪いよね…」
「それよりさ、これ………明らかに使用した痕跡があるんだけど」
「こっちも…その、1度や2度じゃないよね。この血痕の量」
「「「……………」」」
ごくりと唾を呑み下し、顔を引き攣らせる子供達。
黒い布で己の所属を証す、子供達。
内情を知らずに侵入してきた子供達は、度肝を抜かれて茫然としていた。
高まる『青いランタン』への不信感。
そして捕まったらお終いじゃないかという不安感。
侵入者の間で、『青いランタン』への珍妙な誤解が蔓延しつつあった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
レナお姉様が引き攣ったお顔で発した言葉は、まさに的を得たお言葉で。
実際にその通りのことがすぐ下の階で起きていたようです。
そのことを伝令の口からわたくし達が知るのは、ほんの少し後のことでした。
襲撃者:32人(赤19人/黒13人)
正面玄関からの襲撃:22人(赤14人/黒8人)
西側入口からの襲撃:7人(赤5人/黒2人)
その他からの襲撃 :3人(黒3人)
内、21人脱落。
(正面『赤』全滅)
(西側『赤』、『黒』全滅)
残り、11人(黒11人)。
ちなみに怪しい実験室だったのでは、と目される場所は現在はルッコラの研究部屋になっています。そこで『犬(?)』が増えていく………




