今後の身の振りは天に任せません
時間に急かされるように、どうにもならない状況の悪化を恐れ。
わたくし達は留まることを許されない屋敷を抜けて、人目を避けて歩きます。
このような風体ですもの…見られてしまえば、何事かと思われることでしょう。
わたくし達の家が没落したのは、僅か3日間でのこと…
きっと、ほとんどの方は我が家の没落を存じないと思いますから。
そのような状況でこう…子供には多すぎる荷物を抱えていては、不審そのもの。
最悪家出『ごっこ』と判断されて、屋敷に連れ戻されてしまうかもしれません。
いいえ、それで済めばいい方でしょう。
見るからに育ちの良い、貴族の子供ですもの。
事情ありなのは、直ぐに見て取れると思いますけれど…
この姿から逆に組み易しと見られ、勾引にでも遭ってはことです。
それに、もしかすると借金取りか何かに追われるかもしれませぬ。
わたくしは大人に見つかったら終わりと、強迫観念に追われているのかもしれませぬが…
自分と弟の身を守るにはやむなしと、道影に隠れるようにして向かいました。
賑やかな喧騒静まらぬ、城下町。
この国のどこよりも賑わい、多くの者が集う花の都へと。
あれだけ多くの人間がいれば、訳あり者の1人や2人。
上手くすれば隠れることが出来るでしょう。
問題は、わたくしにそうやって『隠れる』才覚があるかどうか、なのですが…
「………がんばりましょうね」
「ねぇしゃま? ねえしゃま」
「あら、クレイ…どうしました?」
「たーへんしょぅ…ぼく、ぼく、ぼくがねぇしゃまのかわりに、やりゅ!」
「あら、あら…クレイ? この台車は、とっても重いの。貴方では無理です」
「やりゅ!!」
「まあ…では、少し押してみましょう」
「あい!」
「うふふ………」
考えれば考えるほど、猶予はありません。
一刻も早く、今後を決めてしまわなくては。
とりあえず、こういうとき。
家が没落してしまったとき、一般的にはどうするものなのでしょうか。
ここは先人に例を見るというのも良いかもしれません。
ひとつひとつ、吟味してみましょう。
若い貴族令嬢が、事情あって家を出る…
そうですわね、輿入れ以外であれば、修道院という道が多いかもしれません。
ですが出家するにも貴族の娘を預けるとなれば付届け…寄付がいりますわよね。
残念ながら、わたくし達にお金はありません。
こんな見るからに事情のある貴族の、しかも幼い子供…
不甲斐無いことですが、その様な子を無条件で受入れてくれるとは思えませぬ。
一般庶民からの出家という体裁も取れないような年齢ですもの。
見るからに貴族階級であることは、どうしても隠せませんしね。
「あ、あぅぅ…」
「クレイ、もう降参ですか?」
「う、うぅぅおみょーいぃ」
「男子が、泣き言を言ってはなりませぬ。
元より、貴方が言い出したのですよ、クレイ」
「う、うぁあん…ご、ごめんしゃいぃ」
「ふふ…自分で非を認められるのは、偉いことです。よく、謝れましたね」
「ねえしゃま?」
「さあ、後はお姉様が押します。クレイはお姉様の袖を持ちなさい」
「あ、あい…!」
ああ、でも。
やっぱり修道院はなし…ですわね。
だってわたくしには、クレイがいますもの。
年端のいかない、幼く小さなわたくしの弟。
可愛い、わたくし以外に守るもののいない、弟。
本当の意味でわたくしに遺されたものは、たったひとり弟だけ。
このような状況で、わたくしが弟と引き離されてやっていかれるとは思えませぬ。
耐えられませぬ。
それに弟にも、そんな状況には遭わせたくありませぬ。
修道院は、女人禁制。
わたくしを受け入れてくれるような女子修道院であれば、男子禁制。
つまり、修道院に行くのであれば………
そのときは、弟と別れなければなりませぬ。
修道院は、きょうだいだからと男である弟を連れて行ける場ではないのですから。
幼いからといっても、きっとそれも理由にはなりませぬ。
修道院入りを決めてしまえば、きっとその場で弟との離別を迫られることでしょう。
「………やはり、有り得ませんわね」
「ありゅうー?」
「ああ、クレイ…歩き疲れてはいませんか? 喉は渇いていませぬか?」
「ら、らいりょーぶ!」
「そう…辛くなったら、無理をせずに言うのですよ」
「あい!」
身よりも住まいも財産も失った子供としては、どうするのが正しいのでしょう。
本来であれば、こういうときは孤児院に行くのかもしれません。
しかし孤児院も、似たような理由で駄目ですわね…。
わたくし達のような子供は、何処であっても歓迎はされないのでしょう。
それに孤児院に管理を任せてしまうと、いつまで一緒にいられるか…
それぞれ別のところに里子に出されていますかもしれませぬ。
8歳の女児と3歳の男児では、ずっと同じ扱いはしてくれないでしょう。
………となると、最後の選択肢。
それは、「親戚を頼る」こと。
しかし親戚とはいいましても、利益と打算で動く貴族のことです。
何かしら相手の求めるところを満たさなければ、すんなりとはいかないでしょう。
ですが我が家が他人に見返りとして使えそうなものは何も残っていませぬ。
爵位も兄にあるまま。
必要な全て、わたくし達には残されておりませぬ。
領地は奪われ、屋敷は差し押さえられ。
財産なんて、どこにもない状態で。
こうなると値打ちのあるものなど、わたくし達の身一つ…
この身に宿る、『血』くらいしかありませぬ。
元より、貴族の身。
長じれば政略のまま、打算で結ばれた他家へ嫁ぐのが令嬢の宿命。
わたくしも、親戚の元へ身を寄せると…そうなることでしょう。
政略の、手駒として。
きっとわたくしも、弟も。
道具として利用価値を見出され、道具として育てられることになる。
それは何だかとても、胸が寒くなることですが…
身も知らぬ、どうなるとも分からぬ環境に売り飛ばされるのと。
身に馴染み、良く知った貴族社会で感情のない道具として扱われるの。
どちらがましとも、言いたくはありません。
ですが、良く知った世界であるだけ、最低限の自尊心は保障されるだけ。
その分だけ、貴族社会の方がまだよい……ような、そんな気がしました。
ただ利用されるためだけに、育てられる身に甘んじることとなりましょう。
わたくしや弟に流れる血…侯爵家の血、ですものね。
それでなくても、我が家の血は古く、歴史と格式を有しています。
この『血』だけでも欲しがる輩は皆無ではない…はず。
いえ、むしろ多くいるかもしれませぬ。
爵位も領地も財産も付随しないとあって、少々値打ちが落ちるでしょうけれど。
でも、これが一番ましな道でしょうか。
少なくとも利用価値がある内は、わたくしも弟も無碍にはされないはずですもの。
「――ねえしゃま?」
「! ……あ、」
「ねえしゃまぁ、どーしちゃの?」
「ど、どうしたのですか、クレイ…」
「んー…ねぇしゃま、こあいかお、めっ」
「え…?」
「ねえしゃま…こあぁいかお、しちぇる」
「え…と、本当、ですか…?」
「あい」
「………」
クレイが。
この何も分かっていないような、幼い弟が。
わたくしに身を乗り出して、手を伸ばしてきます。
きっと何も分かっていない、無垢で小さなわたくしの弟が。
懸命に手を伸ばすので、届くように身を寄せて。
求められるままに身を屈めれば、わたくしの頭に伸ばされる、手。
ぎこちなく、おぼつかない手つき。
だけどそんな、小さな弟の手で頭を撫でられるのは…
何故でしょう。
お父様の大きな手と同じくらい、心地良く感じるのは。
胸の奥がふっくらと、熱く気持ちの良い熱を内包するのは。
この弟のためなら。
この弟のためなら、苦労などさせたくないと思います。
それと同じくらい、辛い思いや道具扱いは受けさせたくない、とも。
「………クレイ、お姉様は決めました」
「…あい?」
考えてみれば、お父様達がなくなってから、こちらずっと。
8歳児という年齢を考えれば、無理もないことではありますが。
わたくしは、ずっと場の状況に流されるばっかりで。
自分自身の意思として意見を言うことも、抵抗することもできなくて。
それもこれも全て、わたくしが誰かに面倒を見られ、守られる側にいようとしたから。
でもこれからも、ずっとそれで良ろしいの?
何も出来ない、意思を満足に主張もできない。
そんな流されるばかりの立場に、これからもずっと甘んじていて良ろしいの?
わたくしには弟が……たったひとりの、守るべき子が、いるというのに。
いいえ、そんなはずがありませぬ。
「……わたくしはわたくしの決意のため、もう一度言いましょう」
「あい?」
「クレイ、わたくし達は、ふたりきり…
……これからは、お姉様がお前を守りますからね」
「う?」
「わかりましたか?」
「あい!」
今までのわたくしは、守られる側。
………扶養される側に、いました。
だからこそ、扶養者や保護者の意思に振り回されて流されて。
でもこれからは、そうはさせませぬ。
わたくしも、腹をくくりましょう。
「クレイ、これからはわたくしが…お姉様が、お前を扶養します」
そう、わたくしは、決めたのです。
扶養される側ではなく…扶養する側に、保護する側になることを。
「うふふ…そうと決まれば、早速動きましょう」
「あう?」
「わたくしのような者を雇ってくれる場所があるか、知れませぬが…
―― クレイ? 仕事を探しにいきますわよ? 」
「あい!」