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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
路地裏の小悪魔編
26/210

わたくし、ボードゲームは得意なほうです

 ブランシェイド伯爵に対する、必勝法。

 チェス勝負に負けて要望を聞いてもらう為、手段は選びません。

 わたくしは的確に行動するため、2つのパターンを考えておりました。


 勝負に負けた後、鍵はこの言葉です。


『おじいちゃまとの勝負に勝って、お願い聞いてもらおうと思っていたのにぃ……ふぇぇ、おじいちゃま強くて勝てないよぅ』


 ………わたくし自身、相当な無理は承知の上です。

 何方(どなた)も、みなまで仰らないで……

 本当に、無理の多い台詞だと分かってはいるのです。

 ですがこれが有用だと判断したのであれば、躊躇いは致しません。

 子供(わたくし)と伯爵は同じ屋敷に居てもそれほど接触の多い方ではありませんし、伯爵は女児に夢を抱いておいでです。

 わたくしは、これでいけると判断いたしました。


 そしてこの言葉に対する伯爵の反応を、2つの場合で想定したのです。


 1つは、簡単です。

 珍しい勝ち星と女児の甘えに有頂天になった場合。

 即ちわたくしの負けでもお願いを叶える、と安請け合いして下さった場合です。

 その時は本当に簡単ですわよね。

 わたくしは要望を囁くだけで良いのですもの。

 言質をとったが最後、ゴリ押しです。


 2つ目は、まだ伯爵様が冷静さを残していた場合…です。

 この場合は少々厄介な未来も予見できますが…

 ですがそれも、方法次第で何とでもなります。

 そう、これもやはり言質を取ってしまえば良いのです。

 上手に乗せて乗せて天狗にさせて言わせましょう、この一言。


 ――『ミレーゼちゃまがワシに勝てたら、何でもお願いを聞いてあげますぞ』


 この一言を言わせる事さえできれば、第1の関門は突破したのも同然。

 後は、本気を出せばよいだけです。

 わたくしの真の実力を見せつけて差し上げます。


 唯一の懸念材料は、わたくしの演技が露見しないか否かですが…

 そこを怯えていては、進むことも出来ません。

 わたくしは不安など知らぬふりで、決戦に臨むだけ。


 わたくしとて、ボードゲームは繰り返し経験を積んでいます。

 それも名手と謳われた、お母様と。

 わたくし自身、この年頃にしては中々の腕だと自負しております。

 だから、負けることもできるはず。

 勝つための定石、見えた勝機。

 その(ことごと)くを無視し、逆らっていけば、必ず――!


「ミレーゼ、お祖父様がお会いするって」

「はい、アレン様。では参りましょう」

「………大丈夫かなぁ」


 そうしてわたくしは、アレン様に手を引かれ。

 勝ってはならない決戦の場へと足を進めたのです。

 いざ、尋常に勝負…!




   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



「おじいちゃま、チェスを致しましょう!」←無理め

「おお、ミレーゼちゃま…! この老骨をついに『おじいちゃま』と!」

「おじいちゃま!」


 今まで、伯爵様のことは『伯爵様』とお呼びしていたわたくしです。

 彼の御方のことを『おじいちゃま』と呼んだことは今までありません。

 今日が、初めてです。

 そして当面、再び『おじいちゃま』と呼ぶ予定はありません。

 このまま何もなければ、今日が最後となるでしょう。


「おじいちゃま、わたくしチェスってやったことなくて…教えてくださいませ!」

「ほっほっほ。おじいちゃまにどーんとお任せじゃ! 丁寧に教えて上げますぞ」

「おじいちゃま、頼もしいですわ。おじいちゃま」

「ほっほっほっほっほ!」


 狙い通り、伯爵様は上機嫌。

 このまま気持ちよく勝っていただければ、目論見達成も上手くいくはずです。


「……………」


 何やらアレン様が乾いた眼差しで伯爵様を見ていらっしゃいましたが…

 きっとアレン様にも、複雑な孫心がおありなのでしょう。

 わたくしはアレン様には気付かなかったことにして、幼い手には少し大きいチェス盤へと向かいました。


 では、いざ勝負…!




 ………。


 …30分後、そこには、膝をついたわたくしがいました。

 伯爵様との勝負の後、打ちひしがれるわたくしが……



 ――し、試合に勝って勝負に負けましたわーっ!(文字通り)



 まさに、その言葉のままの事柄が起きてしまいました。

 わたくしは油断もなく、気も抜かずにいたはずですのに…っ

 気がついたら、この手が勝利を…!


「ほぅ…ミレーゼちゃまはお強いのぅ。おじいちゃまが負けてしもうたわい」

「お祖父様…」

「!? な、なんじゃアレン…! おったのか!?」

「いや、最初からいたけど………」

「げふっ ごほごほっ」

「うん、咳払いで誤魔化せるような光景じゃなかったと思う」


 実の祖父君に、アレン様が冷めた眼差しを注いでおられます。

 ですがわたくしは、そんな時にもそれどころではなくて。

 想定外の事態に、らしくもなく考えがまとまらない事態に陥ってしまいます。


 伯爵様………彼の御方は、わたくしの想定以上、でした。


 まさか、ここまで 弱 い … なんて………


「だから言ったろ、5歳児でも勝てるって」

「そ、そうでしたわね…」

「いやいやミレーゼちゃまはお強かったですぞぅ。おじいちゃまも冷や冷やしておったが、ついに負けてしまいましたのぅ」

「お祖父様…」

「ごほんごほんっ」


 なんてこと…

 計画の、最初の段階で躓くなんて。

 わたくしも、ここで失敗するなんて予想もしていませんでした。

 伯爵様が勝ったら、精一杯口車で持ち上げるつもりでしたのに…。

 このままでは、計画の進行に関わります。

 遂行する為には、何としても伯爵様を絡め取らなくては…


「こ、こうなっては、致し方ありませんわ…」

「え、ミレーゼ? まだ頑張っちゃうの?」


 アレン様が驚いたような顔で、目を見張ります。

 伯爵様には聞こえないように潜めた声。

 様子を気取られないように、伏せた顔。

 ですがわたくしは己でも吃驚するような不屈の闘志を燃やし、最終手段に踏み切る覚悟を決めていました。


「最後の手段…わたくしの、最終兵器を投入致します」

「兵器って………こんな平和な午後に、何やる気か知らないけど程々に…!」

「御心配なさらないで…兵器と申しましても、比喩ですから」

「それじゃあ、本当のところは?」


「わたくしの最終兵器………我が家の3歳児を投入致します!」


「な、なんだって…!?」

「アレン様、驚かれましたの?」

「あ、うん……まさか5歳児でも勝てる相手に、3歳児を投入するなんて。

お祖父様も、3歳児が相手じゃそこまで感動しないんじゃないかな………」

「それは、やってみなければ分かりません」


 何よりわたくしは、わたくしの弟を信頼していますもの。

 きっと、クレイであればやってくれるはず…!

 わたくしは過度な期待をかけてしまう己に不甲斐無さを感じながらも、そっとクレイの肩を引き寄せました。

 打ちひしがれていたわたくしを、案じるように見上げていた弟です。

 彼の頬にそっと手の平を添わせ、わたくしは視線を合わせて微笑みかけました。


「クレイ……やってくれて?」

「あい!」

「そう、ありがとう…」

「ぼく、がんばりゅのー!」


 両腕を振り上げ、がおーと言いながら笑うクレイ。

 本人もとてもやる気のようで、大変素晴らしいことですわ。

 わたくしはクレイを抱きしめながら、そっとその耳に囁きかけました。


「勝っては、なりませんよ」

「???」

「いいですか、勝ってはなりません」

「んー? ………あい!」


 最終的には納得してくれたのでしょう。

 わたくしの言葉を呑みこみ、クレイは可愛らしい笑顔で頷いてくれました。


「おじいちゃまぁ、クレイもおじいちゃまとゲームがしたいのですって!」

「あい! ゲームしましゅるー!」

「ほっほっほ。お次はクレイ様ですか。望むところですぞ」

「クレイ、頑張って」

「あーい!」


 さあ、我が家の最終兵器の威力を味わっていただきましょう…!



 そして、結果は。



 クレイは聡い子です。

 聡い子ですが、時として致命的に空気の読めない3歳児でした。



 レナお姉様が勝者の腕を天に掲げ、勝ち名乗りを上げさせます。



「勝者、クレイ・エルレイクー!」

「きゃぁーい! やったぁっ」

「ぬ、ぬおぉぉおおおおお…っ」



 レナお姉様に勝者の判定を受け、クレイはにこにこ笑顔ではしゃいでいます。

 それとは明暗を分けるようにして、ブランシェイド伯爵はチェス台に突っ伏し、呻き声とも泣き声ともつかない奇声を上げておいででした。

 気持ちが治まらないのでしょう。

 固く握られた拳が、伯爵ご自身の膝を打っておいででした。

 そんな伯爵の肩を、ぽんと。

 ぽん、と叩くのはアレン様。

 その目には、隠しようのない憐れみが宿っていらっしゃいます。


「お祖父様………惨敗年齢・新記録、達成ですね…オメデトウゴザイマス」

「これは、これは何かの間違いじゃぁぁぁぁあっ」


 何という………

 これ、どう致しましょう。


 今まで伯爵様が負けた相手の最低年齢は4歳を切ることがなかったそうですが…

 アレン様の仰る通り、どうやら新記録を樹立してしまったようです。

 ここから…どう軌道修正をしたものでしょうか。

 軽く頭が痛いのは、きっと気のせいではないと思います。


「ぬ、ぬぅぅぅぅ…っ何かの手違いじゃ! 再戦を要求しますぞ!」

「あい!」


 乾いた目のアレン様と、頭を悩ませるわたくし。

 そして傍観するレナお姉様。

 わたくし達など目に入らないご様子で、熱く再戦を要求する伯爵様。

 それに快く応じたクレイは、再びチェス台に駒を並べ始めました。


「………ミレーゼ、どうする?」

「今更止めようもありませんが…もうすぐクレイのお昼寝の時間ですのに」

「途中で糸が切れたように眠り込んだら、御大どうなるかしら」


 そうしてわたくし達が見守る前で、伯爵様とクレイの2回戦。

 ……………クレイは、やはり真の意味でわたくしの期待を裏切らない。

 そう、流石は我が家の切り札…最終兵器です。


 弟を評したかつての輝かしい異名。

 彼は使用人達に、『じじばばキラー』と呼ばれていました。

 そのことを、ふとわたくしは思い出します。


「おじーちゃ、ちゅよいのー! ぼくに、もっとおしぇーて?」

「く、クレイちゃま…」


 素で。

 素で、クレイは伯爵様に甘えがちな上目遣いを送っています。

 弟の可愛さに陥落しつつある様が、傍目にまざまざと見せ付けられました。

 息子は3人、男孫は12人と男児の扱いには慣れていらっしゃるはずの、伯爵様。

 その伯爵様が、拙い手で駒を運びながら尊敬の眼差しを送ってくる3歳児にメロメロ(死語)になりつつあります。

 やはり、可愛さも天然モノが1番なのでしょうか。

 …わたくしの猫かぶりも、まだまだですわね。


 そして。


「あみゅ……ねむねむ…ねえしゃまぁ、だっこー」

「あら…あらあら、やっぱりおねむになってしまいましたわね」


 丁度試合終了のタイミングで、クレイはわたくしの方へとふらふら。

 試合の最中から、少し眠そうではありました。

 ですがもう限界なのでしょう。

 小さな両手でぐしぐしと目を擦りながら、わたくしの方に抱きついてきます。

 温かな体重をぐいぐいと押し付け、寝る体制は万全のようでした。


「ぬ、ぬあぁぁぁぁ……納得、納得いきませんぞぉ…納まりがつきませぬ!」


 そしてそんなクレイの背の向こうで、伯爵様が嘆いておいででした。

 試合の行方?

 途中からクレイの頭が眠気に負けていたのか、実力かは微妙でしたが…

 

 引き分けでした。


 ですが敗北→引き分けという流れが巧妙な成果を出したのでしょう。

 伯爵様は先程より以上の再戦を望む声を上げられたのです。


「クレイちゃま、何卒(なにとぞ)! なにとぞー!」

「ねみゅねみゅ~…」


 半分夢の中のクレイは、聞いてすらいませんでしたが。

 そして勝負に拘った伯爵様は、素敵なお言葉を吐いて下さいました。


「クレイちゃま、クレイちゃま! 何でも願いを聞きます故、じゃから…」


 勿論、そのお言葉に反応したのはわたくしで。

 耳にした瞬間、わたくしは夢の世界にgood-by(ぐっばい)しつつあった弟を咄嗟に揺すり起こしていました。

 不満げな声が耳元に届きますが、今は黙殺させていただきます。


「伯爵様、それは真実そのおつもりですか?」

「み、ミレーゼちゃま? 『おじいちゃま』とは呼んでくださらんのですか…?」

「失礼。おじいちゃま、クレイとそんなに勝負したいのですか?」

「く…っ この雪辱を晴らさずにはいられませぬ!」

「そうですか…」


 やはり3歳児に負けたのが、とても響いているのでしょう。

 わたくしは慈愛を込めて微笑み、伯爵様を見上げました。


「ほんの少し、お昼寝のお時間をいただきたいのですが…

クレイと再戦させて差し上げてもよろしいですわよ?」

「ほん、本当ですじゃろうか!」

「ええ、ただし…」

「…ただし?」


「おじいちゃま、ちょっとした慈善活動をしてみる気はありませんか?」


 にっこりと微笑むわたくしの顔に、失礼ですが。

 アレン様が若干顔を引き攣らせています。

 ああ、引いている訳ではありませんよ?

 わたくしの笑顔と伯爵様を見比べ、笑いを堪えているようでした…。


 そうして熱く再戦を希望した伯爵様は、クレイと再び駒を交え。

 そして惨敗しました。


 クレイ、2度目の勝利です。



 呻く、伯爵様。


「ぬ、ぬおぉぉぉぉお………」


 笑顔輝く、(クレイ)


「たのしかっちゃー!」

「そう…よかったわね、クレイ。伯爵様はよくなさそうですが」


 上機嫌ににこにこと微笑む弟は、しかし。

 やはり彼はわたくしの期待を裏切りません。


 嘆く伯爵様の姿を目に留め、ちょっと小首を傾げて。

 クレイはとたた…っと伯爵様の方へ小走りに駆け寄りました。

 全身で嘆く伯爵様に物怖じすることなく、その袖をつんつんと引っ張ります。


「く、くれいちゃま…?」

「あにょね、たのしかっちゃのー」

「………」

「また、あしょんでねー!」

「はい…はい………!」


 クレイの笑顔は、ご老体の胸を鷲掴みにしたようでした。

 その様子を、尻目に。

 一連の全てをその目に収め、アレン様が微妙な顔をしていらっしゃいます。

 彼はさり気無く、すすす…っとわたくしの隣にいらっしゃいました。

 それから、そっと耳打ちをしてきたのですが…


「僕の気のせいかもしれないけど、さ……」

「なんでしょう?」

「クレイって………ミレーゼより、チェス強くないか?」

「しっ…伯爵様に聞こえてしまいますわ」

「その反応…もしかして、やっぱり?」

「伯爵様には、秘密ですよ?」


 わたくしも、クレイとチェスを差す事が時々あります。

 ここ数ヶ月、勝つのが難しくなってきた今日この頃。

 伯爵様はクレイの(いとけな)さに陥落し。

 そしてわたくしは、弟のお陰で外出権+αの確保に成功したのでした。





次回、とうとう路地裏に突撃です。

ブルグドーラ女史が再登場します。


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