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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
蛇足という名の番外編
199/210

子連れ貴公子珍道中 猪との遭遇

お兄様、刃物なければ、ただの人。




 皆様、ご機嫌よう。

 わたくしミレーゼ・エルレイクは今現在、全くもってご機嫌よろしくあれない状況下に身を置かれております。

 定められた位置は、兄の右肩の上。弟は左の小脇に抱えられ、わたくしも弟もがっちりと兄の腕によって体を固定されております。

 安定感は及第点ですわね。ですが他の部分が……安定はしても、安心には程遠い現状が押し迫って参ります。


 そして背後からは、猛烈な勢いで巨大な猪が迫り来ておりました。


 身の丈、目測ですが5mに届くのではないかしら。

 少なくとも、猪は背に熊を乗せて走っても違和感がない程に大きな体躯をしております。

 あれは本当に猪なのかしら?

 もしかすると、猪の姿をしているだけで魔物か妖怪の類やもしれません。


 ……わたくし達は兄とは逆方向を見る形で身体を固定されておりますので、真正面から猪が突進してきているように見えて心臓が小鳥のように速い脈動を刻んでしまいます。このままではすぐにでもわたくしの小さな心臓が止まってしまいそう……


「きゃーあっ ぶったしゃんぶったしゃーん! にーさま、ねえさま、ぶたしゃんかけっこ、はやいねぇー」


 弟は将来大物になるのではないかしら?

 わたくしはそう思うのですけれど、これは姉の欲目というものなのでしょうか。


「お、おにいっさ、ま! わた、くし、達は……どうして猪に追われていますの!?」

「なんでだろうね? それよりもう少し飛ばすよ。舌を噛まないよう気を付けてね」

「なっ――!?」


 抗議と疑問を混ぜ、舌を噛まない様に気を付けて発したわたくしの言葉には、兄ののほほんとした言葉が返り。

 間を置かずして、兄の宣言通りに景色の流れていく速度が増しました。

 野の獣(?)と駆け比べをしているような状況で、全く負けることのない兄は何者なのでしょうか。兄の足の速さは、人間の範疇に留まっておいでですの?

 常の状態であれば、兄はわざわざ逃亡するといった手段を取ることはなかったでしょう。兄の実力であれば、少しばかり巨大であろうと猪如き、恐らく剣で捌いてお終いです。

 ですが今回は、状況がそれを許しては下さいませんでした。

 

 現在、兄の手元には一切の刃物がなく。

 兄は尋常ならざる攻撃手段を全て封じられてしまったに等しい状態と言えるでしょう。

 剣を手にすれば無類の強さを発揮致しますが、兄は手元に刃物がなければただの貴公子なのですもの。


 この状況、恐らくは……兄の剣を羨ましげに見つめていた、とある鍛冶師の仕業ではないかと思うのですけれど。


「とにかく、何か刃物を調達しないとね。このままじゃ八方塞だ。――出来れば、刀剣の類が望ましいんだけれど」

「お兄様、包丁では駄目ですの!?」

「ミレーゼ、お兄様はね……包丁は持ってないんだ」

「!? では、日々の食事の支度には何を用いていらっしゃいましたの!? 野営の際、何かしら調理していらっしゃいますわよね!」

「大は小を兼ねるって良い言葉だよね」

「お、お兄様……っ剣を包丁の代わりになさっておいででしたのね!? 不衛生ですからお止め下さいと何度も申しましたでしょう! お兄様も、街で包丁を買うと仰っていたではありませんか!」

「買おうかと思ったんだけどね、迷っちゃって。1本買おうかと思うと……全セット欲しくなっちゃうよね。だって豊富な種類が揃っていたんだから」

「必要のない物をまとめ買いするか、一切買わないかで迷ってお止めになったと仰いますのね……どうしてそう、お兄様は極端なんですの!」

「ふふふ、困ったね?」

「全く困っているようには見えませんわぁぁあああ!」


 困り果てたというには余裕の漂う兄の顔は、八方塞という言葉には不釣り合いで……頼もしいような、腹立たしいような複雑な心地が致します。


「にーしゃま、あれはー?」

 

 兄の小脇に抱えられたまま、きょろきょろと周囲を見ていたクレイが声を上げます。

 良い子の弟は、どうやら真面目に兄の欲しがるモノがないかと目で探していたようです。ああ、なんと良い子なのでしょう!


「……ん? 樵の斧か……置き忘れかな。良く見つけたね、クレイ君。えらいえらい!」

「わぁい、ほめられちゃー!」


 弟が小さな指で示す方向を、目で確認し。

 兄は猪に追われながらも……大木を迂回すると見せかけ、方向転換して持ち主に忘れ去られた斧の元へと走り寄ります。


「ミレーゼちゃん、クレイ君を押さえておいて!」

「え……はい!」

 

 兄は左右それぞれの腕でわたくしとクレイを抱えておいででした。

 どちらの腕も塞がっていては、武器など取りようもありません。

 兄はクレイとわたくしを一緒くたに左腕で抱え上げると、空けた右手で斧を手に取りました。

 ……樵の斧で猪に立ち向かう貴公子。

 お父様、お母様、遠い天の御園からわたくし達を、兄の雄姿を見守っておいでですか……?

 よもや兄の姿を見て泣いてはいないでしょうか。

 何ともシュールな兄の姿に、わたくしは虚ろな視線を空へと転じます。

 

 ですが次の瞬間。

 

 視線どころか、わたくしと弟は全身を空へと転じさせられておりました。


 兄が、わたくしとクレイの2人を空に放り投げた為です。


「お、おにぃさまぁあぁあああああっ!! わたくしやクレイを放り投げないで下さいましと、何度申し上げれば御理解を得られますのー!?」

「ふふ、ごめんね?」

「ほんの少しも悪びれていませんわね!? 口先だけの謝罪に意味はありませんのよ、お兄様!」

「きゃーぁ、おめめくりゅくりゅー!」

「クレ君は喜んでるよ、ミレちゃん」

「歓声を上げている場合ではありませんのよ、クレイー!」


 わたくしとクレイを宙に放り投げている間に、お兄様は向かってくる猪と対峙するように振り返りました。

 両手に握られているのは、錆かけた樵の斧。

 手入れが十分とはとても言えない状態の様ですが……

 

 猪突。

 その言葉を体現するかの如き勢いで駆け込んできた猪と、兄の身体が一瞬の内に交差しました。

 




 その後、わたくしとクレイは怪我の1つも負うことなく、兄に軽々と受け止められて地上へと戻ることが叶いました。

 目の前に横たわるのは、小さなわたくし達からすればまるで小山のようにも見える、巨大な猪の首と胴が泣き別れたモノ。

 ……今晩の、夕食のおかずだそうです。



 お兄様が身に刃物を帯びていなかった理由?

 なんとも情けない話ではございますが、原因は昨夜宿泊した宿屋にありました。

 見るからに業物と明白な兄の剣に欲をかいた宿屋の御主人が、今朝の出立前に兄の剣を牛蒡と入れ替えてしまったというのです。

 気付かない兄の目の節穴具合も酷いものですが……すぐに町まで取って返して宿屋の御主人を問い詰め、穏便に兄の剣をご返却いただくことが出来ました。

 勿論、相応の報いと賠償にも応じていただきましたわ。

 宿のご主人の身勝手な我欲の為に、危うい目に遭わせられたのですもの。

 償う気持ちは大事ですものね? 己の罪を認めて贖うのは当然ですわ。

 




※倒されたイノシシはスタッフが美味しくいただきました。


というかお兄様が手作りの保存食に加工して旅の食糧となりました。

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