子連れ貴公子珍道中 ~渓流釣り~
旅の空な3兄妹の、ある日の一幕。彼らの旅の様子第二弾。
ロベルトはその日、伯父である領主の命令で領地内を見て回っていた。
彼の住まう地は緑豊かで、のどかな風景だ。
数日かけて見て回る必要はどこにもない、小さな領地。
狭かろうと貧しかろうと、それでも唯一無二の故郷である此処が彼にとっては何より大切な場所だった。
例え彼が、一週間後には遠方の親戚の元へ養子に出される立場だとしても。
義父になる親戚は自分の家族とは雲泥の差がある大貴族だ。彼の治める領地も、今いるここより富み栄えていると耳にする。
それでも。
生まれ育った地への愛着が失われることはない。
もうこの地に帰って来ることが叶わなかったとしても。
そう言えば、このあたりだったな。
貴族の子も領民の子も分け隔てなく遊んでいた幼少期。
あの頃、秘密基地だ何だと言って、大人の目が届かない山の中まで足を運んでいた。
いくら危険だと、駄目だと叱られても真剣に話を聞くことなく、遊ぶ為だけに険しい斜面を駆け上がったものだ。
今は自分達に口うるさく注意していた大人達の気持がわかる。いつの間にか自分も、そちら側になっていた。
だけど今日は……もうすぐこの地を去らねばならないという感傷が、懐かしさが、彼の衝動を突き動かした。
「……久しぶりに、行ってみるか」
いつも一緒に山へと分け入っていた友達はいない。
みんな大人になって、それぞれに自分の生活がある。山に入って子供時代を懐かしむ余裕などなかった。
今は、自分ただ1人。
それでも思い出が共にあれば、寂しさは感じなかった。
「――そうそう、あの木の洞にはまってトムのヤツ」
思い出を辿って、獣道を進む。
足を運んでみれば、景色に、思い出に触発されて忘れていた記憶が次々と蘇った。
もうすぐ、開けた場所に出る。
子供が近寄る事を、大人が顔をしかめて嫌がりそうな急流だ。
大きくて、底も深い。
子供時代の自分達は、あの川が大好きだった――
『…………ぃ…ま……』
「……ん?」
いま、何かが聞こえた。
風の音に紛れて、微かに。
だけど、確かに。
人間の、声が……それも年端のいかない子供の声が。
「まさか……」
自分達の子供時代の記憶が一気に蘇る。
幼い頃の自分だって大人に散々口酸っぱく注意されたというのに山に通うのをやめなかったのだ。
今また、ここで。
子供の頃の自分達と同じように、大人の言いつけを無視して山に入り込んでいる子供がいてもおかしくはない。
そしてこの先にあるのは、流れの激しい急流だ。
先程聞こえてきた声は、気のせいとは思えない切羽詰った響きがあった。
――もし、興味本位で山に入った子供が溺れていたら?
有り得なくはなさそうな想像に、ロベルトは血の気が引いた。
この場所に来るのだ。もしかしたら幼馴染みの誰かの子供かもしれない。それでなくても、領民の子であることには違いないだろう。
誰かを呼ぶに行くにしても、ここは人気のない山の奥。
助けを呼ぶ時間など、ない。
自分以外に、駆け付けられる者などいない。
ロベルトは、転びそうになるほど急いで急流の方へと駆けだした。
そして、彼がそこで見たモノは……
「 おにーぃさまーっ!! 」
「みぃーっ!」
「どこにいますの、お兄様ー! 早く戻って来て下さいませーっ!!」
「みぃぃーっ!!」
「わたくしとクレイをこのような状況で放置し続けるなど、お兄様は鬼ですの!? おにーぃさまぁあ!!」
激流と呼んで差し支えない、川のほとり。
そこにいたのは地面に固定された釣り竿にしがみついた、10歳はいっていないだろう年頃の幼女と、幼女にしがみつく更に幼い子供。おかしなことに、2人はこんな山奥だというのに良家の子供としか思えない質の良い旅装を纏っている。彼らは何者かという疑問が、ロベルトの脳裏を過りかけるが……
彼の思考は、すぐに途切れる。
それどころではないと、すぐに見て取ることが出来たから。
幼い子供達の縋る釣り竿から伸びた……ぴんと張り詰めた釣り糸の、先に。
「食べられてしまいますわー!!」
「ねえしゃま、こあいーっ!!」
……幼女であれば3~4人纏めて一度に丸のみ出来てしまいそうなサイズの巨大魚(むしろ怪魚)が、川から半分頭を出してびちびちと暴れ回っていた。肉食魚なのだろうか、やけにギラギラとした鋭い歯が、がっちがっちと鳴らされている様は妙な迫力がある。
「な、なんだこの状況……!」
許容限界を超えるサイズの魚が掛かって、今にも圧し折れそうな釣り竿。それを必死に折れないように固定しようと全身で釣り竿に抱きつく幼子2人。
そんな予想もしていなかった光景に、ロベルトの口からは狼狽に満ちた声が零れた。
動揺の声は、切羽詰った様子の幼女の耳にも届いたらしい。
ハッとした様子で、目を見開いた幼女が振り返る。
ロベルトと幼女の視線が僅かな間、重なった。
強張り、わななく幼女の唇はしかし即座に状況を見て取って、より一層切羽詰った叫びを上げる。
「この上、不審者ですの――!?」
幼女は第一声で、善良な通りがかりの好青年を『不審者』と断じた。
「わたくし、不審者のお相手を務める余裕など皆無ですのよ!? 時と場合と相手を選んで現れて下さいませー!」
「不審者!? な、僕が不審者!? ちょっと聞き捨てならないんだが、僕のどこがどう不審者だって言うんだ!」
「どこもかしこも全部ですわー!」
「物凄く人聞き悪い!」
「うわぁぁあん、ふししゃー!!」
「ちっこい方が共鳴した!? しかも言葉の意味が変わっているじゃないか!」
「こちらに近寄らないで下さいませ、不審者! 弟だけは……っ弟だけは、わたくしが我が身に替えても守り通してみせますわ……!」
「だから人聞きが悪いって言っているだろう!? 僕の一体どこが不審者!」
「だから、全部ですわ! このような人の立ち入らぬ山の奥……貴族の子弟丸出しの、よく手入れが施された質の良い衣装と小物! 品良く整えられた身なり! 何所からどう見ても、良家の子息以外の何物でもありません」
「意外と冷静に観察されていることはわかったけど、どうしてそれが不審者に繋がるんだ……!」
「貴方のように細部まで人の手で整えられたお姿のまま人気のない山奥を闊歩する殿方など、わたくしの兄くらいのものですわ! ここまで特徴が酷似しているのですもの……兄の同類に違いありません。やはり不審者です!」
「それさりげなくというかむしろお兄さん=不審者だって宣言してないか!?」
「わたくし、不審者は兄1人で手一杯ですの! この上、新手はお呼びじゃありませんわ!」
「今度はダイレクトに兄=不審者扱い! 君達の兄弟関係って一体……!?」
「他人の家庭環境について口を挟むのは失礼ですわよ!」
「ごめんなさい!」
「わかればよろしいのです、この不審者! お兄様、お兄様は何処です!? 弟や妹に危険が迫っていますのに! 大声で呼べば戻ると仰っていたではありませんの、おにいさまーっ!! わたくし達、魚に呑まれるか不審者に襲われてしまいますわー!」
「だからどうして頭っから人のことを不審者だって決めつけるんだ! それより君達、魚! 魚! 危ないから!!」
「「 えっ 」」
不審者……失礼、ロベルトに気を取られていた、幼い姉と弟。
2人の意識が逸れている間に、魚は陸に向けて急襲をかけようとしていた。
逸早くそれに気付いたロベルトが警告を発するが……
「あ、あ、あ……」
「う、うやぁ……」
小さな姉弟は目の前に迫った巨大魚(大口全開)に恐れを成してか、涙目になった目を見張っている。
体はふるふると小刻みに震えており、もしかすると竦んでいるのかもしれない。
危ない――! それがわかっているのに、ロベルトは間に合わない。
警告以上の何ができただろう。
警戒されているからと、側に近寄る事を躊躇うのではなかった。
彼我の距離が開き過ぎていて、助けようにも彼の全能力を注いだとて幼子達を救出することは叶わないだろう。
だけど、その時。
救世主は空から現れた。
……正確には、川べりに面した大木の、その枝の上から。
華麗に回転を極めて、飛び降りてくる何者かの影。
それは……
「お、おにいさまぁ……!」
「にーしゃっあ……!」
幼い子供達の顔が、希望の光を見つけたが如く輝いた。
未だかつて、これ程に兄の姿を歓迎したことがあっただろうか。
姉の方にとっては、記憶にある限り覚えのないことだ。
巨大怪魚と姉弟の間に立ちはだかるように。
容易く割り込んで見せた者は、ロベルトの目には小柄な少年……否、辛うじて青年?のように見えた。
キラキラと巨大魚の跳ねあげた水飛沫が、陽光を弾いて飛び散っていく。
まるでライトエフェクトのように、小粒の虹を閉じ込めて拡散していく水滴。
それを全身に浴びた青年は、どこか独特の雰囲気を纏って神々しく……ロベルトに言えたことではないが、こんな山奥だというのに完璧な貴公子の装い(一応旅装)だった。
そんな謎めく貴公子に、縋るべき藁を見つけたとばかりに子供達が叫んだ。
「お兄様! 助けて下さいませ、せめてクレイだけでも……!」
「やぁっ! ぼきゅ、ねえしゃまといりゅぅーっ」
いやいやと首を振りながらも兄の上着に取り縋るその姿。
口では何だかんだと言いつつ、そこに全幅の信頼というものをロベルトは見出した気がした。
そんな気がしただけだったが。
許容量を超えた重さに振り回され、釣り竿に限界が来たのか。
それとも釣り糸が負荷に負けたのか。
どっちでも良い。
どちらでも変わらない。
ロベルトが圧倒された様子で謎の貴公子を見ている間に。
巨大魚を川べりに繋ぎ止めていた釣り竿が、自壊した。
自由を取り戻した巨大魚が、大慌てで川底へ戻ろうとする!
ソレを目にした瞬間。
貴公子の行動は、決まっていた。
青年がハッキリと良く通る声で叫ぶ。
「逃がすまい! 今夜の夕飯のおかず――!!」
叫びながら、弟妹の縋りついていた上着を何の頓着もせずに脱ぎ捨てて。
青年は、口に大ぶりのナイフを一本咥えた姿で巨大魚を追い、川に飛び込んだ!
飛び込む時に、盛大な水柱を発生させて。
ざっぱーん!
「…………」
「………………」
「……へくちっ」
後に残されたのは、見事なずぶ濡れ鼠と化した3人の姿だった。
この後、不審者が用意した焚火に当たって3人は体を温めることになった。
口にナイフを咥えたお兄様が、自身の身の丈よりも長大な巨大魚を担いで川から帰還したのは、彼らが焚火に当たり始めて10分後の事である。
お兄様が川から這い上がる姿は、まるで妖怪の様で。
通りすがりの親切な好青年をそんな不審者と同類扱いしたことを、幼女は深々と頭を下げて謝罪するのだった。
お兄様は弟妹に「釣り竿見ててね」と言い置いて、食べられる木の実を探しに森に入っていた模様。
「動物性たんぱく質ばっかりじゃ、栄養偏るからね」
どこから取って来たものか、バナナとマンゴーを大量に持って帰ってきて妹の悲鳴をお耳がキャッチ!
集めてきた木の実は川の側に放置して駆けつけてくれたらしい。
ちなみに彼らの現在地である山及びその周辺に、バナナやマンゴーは一本も生えていない。




