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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
蛇足という名の番外編
197/210

子連れ貴公子珍道中 ~アニマルきょうだい見参!~

旅に出たきょうだいの、その道中が知りたいとの声にお応えして!

エルレイク家の子供たち、その旅の一場面をお送りいたします。




 目が覚めると、目の前にしろくまがいました。


「ぴっ……!?」


 驚きに、わたくしの身体が硬直致します。

 きゅっと喉が締まり、咄嗟に上げそうになった悲鳴は引き絞られてしまいました。ですが例え目覚めの無防備な瞬間であろうと、みっともない声を上げて醜態をさらす訳には参りません。無様な姿を見せずに済むと思えば、これで良かったのかもしれません。

 どうして目覚めたわたくしの眼前に、今にも触れそうな距離に白熊がいるのでしょうか……衝撃で意識はすぐさま覚醒致しましたが、驚きに動転してしまいましたので、考えが巡りません。

 驚きはありましたが、恐怖はありませんでした。

 ――例えどれ程に恐ろしい野獣を目の前にしたとしても、あの方(・・・)と行動を共にしている限り、鋭い牙も容赦のない爪も、如何なる被害もわたくしや弟の身に及ぶとは思えなかったのですもの。

 恐ろしいと身に迫る焦燥感がなかったことで、思考能力の回復速度はもどかしいものとなってしまっているようです。

 わたくし達の現在地は、白熊の出没する地域ではなかった筈ですのに……


「ぐやぐやすぅ……」

「………………」


 訂正すべき点があったようです。

 目が覚めたわたくしの眼前におられたのは、しろくま……ではなく。


 お兄様でした。


 

 あれから、何日が過ぎたことでしょう。

 いま、わたくしと私の可愛い弟クレイは、悩ましい事に放浪癖を自制しない兄によって旅の空へと連れ出されておりました。

 どうも目的とする方角は定まっているようですが、未だに目的地の有無に関して詳しいお話を聞くことはできておりません。

 ですが目的地を知らずとも、旅の日は続きます。

 慣れない旅の毎日は新鮮な驚きと……兄への驚愕に満ち満ちておりました。

 今朝も、ここは森の中。

 わたくしと弟は兄が昨夜(しつら)えて下さった寝床で目を覚ました。

 大人5人が悠に寛げそうな、大樹の大きな(うろ)の中が昨夜の宿泊地でした。兄が洞の中に大量の乾いた木の葉を敷き詰め、上に毛布と外套を重ね合わせて寝床として整えて下さったのです。

 弟は「絵本に出てくるリスのおうちみたい」と大はしゃぎでした。

 どうしたらこんな物を地の利のない場所で見つけ出すことが出来るのか、わたくしにはわかりませんわ。

 ですが野営の度に、兄弟3人で身体を休めるのに都合の良い不思議な場所を兄は見つけ出し、わたくし達を何の警戒もなく案内するのです。

 浮世離れした方だとは思っておりましたが……旅などという非日常を共にすると、ますますそんな印象が深まっていくのですが……

 兄はわたくしの胡乱な眼差しを意に介することもなく、昨夜も常と変らぬ気楽な様子で就寝した筈でした。

 ――そう、就寝したのです。

 以前、ロビン様やギルと道行を共にしたことがあります。

 予定では野営の可能性も語られておりましたし、2人は野宿にも慣れた方々でした。お話しを窺うと、野宿の際には芯から身体を休めることなど出来ないと……気を抜いて就寝するなど以ての外だと窺っておりましたのに。

 旅というものは危険が付き物で、危険な獣だけでなく、追剥などの犯罪行為に手を染める不心得者も多く遭遇の可能性があるのだと。

 狙われる可能性のあるなしに関わらず、熟睡は命取りなのだと。

 そう、窺っておりましたのに……兄は寝ておしまいになるのです。

 逆にわたくしが大丈夫なのかと心配することになりましたが、世間一般の事例に当てはめると立場が逆ではありませんこと……?

 兄曰く、手元に剣がある限りは寝ていても寝ていなくても同じだから眠るのだ、ということの様ですが。剣さえ手元にあれば、危険が迫りそうになると15分前に頭の中で警鐘が鳴るのだ、と兄が言うのですけれど……人間とは、武器のあるなしで危険を予知できるような、都合のよく斬新な身体構造をした生き物でしたかしら。

 日々と共にするようになって、兄の謎は深まるばかりです。


 兄は謎めいた殿方というと何故か意味が違って聞こえますが、一応は謎めいたと表現して偽りのない方ですので、珍奇な行動にも慣れたつもりでおりましたけれど。

 今朝はどうして、しろくまの着ぐるみをお召しになっておられるのかしら……? こんな嵩張る衣装は、昨日まで絶対に荷物の何処にも無かった筈なのですけれど。

 現在、兄はとても精巧な作りの白熊を模した衣装を身に纏っておいでです。露出している個所は、顔面のみ。それもまるで白熊に足から食べられでもしたかのように、白熊の口から顔だけが出ているような有様です。

 ……この白熊、本物の熊ではありませんわよね? 着ぐるみですわよね?

 一瞬、本当に食べられてしまったのでは、と不安になりますが。

 兄が大人しく食べられる筈がありませんので、やはりきっと着ぐるみなのでしょう。

 

 問題は、どうして兄が着ぐるみを着ているのか……ではなく。

 どこから着ぐるみを取り出したのか、という点でしょうか。

 何度も荷物は確認しておりますので、昨日までは本当にどこにもなかった衣装なのだと断言出来ます。

 こんなお召し物を何処から手に入れたのかは存じませんが、何の断りもなくお召しになり、起きぬけのわたくしを驚かすなどお人が悪いですわ!


「お兄様、お兄様、起きて下さいませ」

「すやすやぐぅ……」

「お兄様……」


 起きて下さらないのでしたら、わたくしにも考えが御座います。

 わたくしはそっと、わたくしとクレイを抱きかかえる様にして眠る兄(体勢だけを見れば、本物の親熊の様です)の……頬を、両手で挟み込みました。まだ起きない兄の頬を、思いっきり左右に引っ張ります。

 ……よく伸びますわね。これを餅肌というのでしょうか。


「起・き・て、く・だ・さ・い・ま・せ!」

「みゅ、ねえしゃまぁ……?」

「ああっクレイ!?」


 兄ではなく、弟が起きてしまいました。

 ぐしぐしと瞼を擦りながら、誰よりも睡眠を必要としている筈のクレイがぱっちりと丸い(まなこ)を開いて欠伸をしております。


「おねえしゃま、おはよーしゃいましゅ」

「クレイ、おはよう。起こしてしまったのね、御免なさい。まだ眠いでしょう?」

「んーん、もうおめめパッチリ。ねみゅくないよー」


 にこりと微笑む弟は、いきなり何の前触れもなく目覚めたら旅に連れ出されていた――という状況にも怯えることなく。

 今も変わらず、とても良い子で申し訳なく思います。こんなに振り回される生活ばかりで、弟の教育にも悪い影響を落としてしまうのではないかしら……と。

 全てお兄様のせいですが。


「おにーしゃまもおは……あっしろくましゃんだぁ!!」


 ですがクレイは、不安定な生活の元凶である兄の姿を見て目を輝かせました。

 ……正確には兄というよりも、兄の着用した白熊の姿に、ですけれど。

 嬉しそうに歓声を上げ、白熊(あに)の身体をぺちぺちと叩く、クレイ。

 未だ白熊が兄であるとは気付いていないようなのですけれど……本物の白熊であればどうしますの。命知らず過ぎますわ!?

 時折、弟の無邪気な剛毅さに唖然としてしまうことがあります。

 弟の無邪気さに驚いて呆けるなど……わたくしも、姉としてまだまだですのね。


「しろくましゃーん、おっきしょー!」

「んむ? あむー……ふふふ、ダイアナは積極的だね……すやぁ」

「お兄様!? いま、何か寝ぼけて聞き捨てならないことを仰いませんでした? ダイアナ様とは一体どなたですの! その方は侯爵家の女主人として相応しい方なのでしょうね!?」


 聞き逃す訳にはいかない寝言に、寝言等という戯言に、わたくしが過剰反応してしまったのは慣れない生活のストレス故でしょうか。

 それとも常日頃から兄に対して物申したい気持ちが募っていたのでしょうか。

 ダイアナという明らかな女性名に、わたくしは兄の頭をぎゅうぎゅうと引っ張ってしまいました。

 取り乱した甲斐あってか、兄もようやっと起きて下さいました。


「んぅ……あれ? おはようミレーゼ、クレイ」


 起きた瞬間、わたくし達に爽やかな微笑みを零します。

 顔以外は白熊でしたが。

 貴公子と呼ぶには珍奇過ぎる出で立ちでしたが。

 目覚めの瞬間まで弟妹に散々な扱いを受けていたというのに、何事もなかったかのようなスッキリ爽やかさをわたくし達に見せつけます。


「おにーしゃま、おはよーしゃいましゅ」

「うん、クレ君おはよう」

「……おはようございます、お兄様」

「うん? なんだか物言いたげだね、ミレちゃん。だけどおはよう」

「ところでお兄様?」

「どうしたの、ミレちゃん」

「ダイアナ様とは何方ですの? お兄様の好い方ですの!?」

「うっわぁ、なにこの目覚めからの食いつき! えっと、ダイアナ?」

「ええ、ダイアナ様ですわ。お兄様が寝言で仰っておられましたのよ?」

「ええ? 心当たりはないけど。ミレーゼちゃんの乗馬訓練の為に育てられたポニーくらいしか」

「は……っダイアナ! 馬の方のダイアナでしたの!?」

「僕には他に心当たりなんてないけど?」

「紛らわしいですわー!! お兄様、馬や犬猫ばかりでなく、人間の女性とも……社交界の淑女の方々とも交流を深める努力をして下さいませ!」

「なんだかその言い方、僕が女性を避けてるみたいだよね。ミレちゃん、僕は男女平等に扱う主義だよ」

「それでは縁談が進みませんわ! 誰か特定の1人で構いませんので、特別扱い枠の女性を作って下さいませ」

「え? 1人で良いの? だったら家族特典ということで特別枠にミレーゼちゃんかお母様を……」

「妹や母親は欄外でしてよ! そうではなく、結婚相手として特別な相手を見つけてくださいませと……!」


 ……ハッ。いつのまにか話が切実な悩みの方に流れていますわ!?

 兄に色々な意味で落ち着いていただきたい一心ですが、妹のわたくしが口を酸っぱくして言い含めねばならない事項が多すぎます。

 わたくしはまだ8歳の幼女ですのに、どうしてこんな心配をしなくてはならないのでしょう……。

 気を取り直す為に、わたくしは深呼吸を繰り返し、敢えて話題を変えることと致しました。


「ところでお兄様、お伺いしたいのですけれど」

「どうしたんだい、ミレちゃん」

「お兄様は、その……個性的なお召し物は、どうしたことですの?」

「ああ、着ぐるみ(これ)?」


 もしかしたら兄は、言及されて嬉しかったのでしょうか。

 わたくしが着ぐるみについて尋ねると、嬉しそうに頬を緩めました。


「この先の街で、最近流行ってるんだって」

「白熊が……!?」

「いや、子供に動物の格好をさせることが」

「…………お兄様? お忘れかもしれませんけれどお兄様は23歳ですわよね?」

「うん、その通りだね?」

「最早、とうてい『子供』とは呼べないお歳ですこと、お忘れですか……?」


 いつまでも子供の気分でいていただいては困るのですが……

 わたくしの胡乱な眼差しに気付いたのでしょうか。

 兄は心底おかしそうにくすくすと笑い声を溢し、言葉を付け加えました。


「子供に動物をモチーフにした格好をさせて、家族や近しい友人でお揃いの格好をすることが流行ってるんだよ」

「大人まで全員着ぐるみを……!?」

「ううん? いや、衣装のサイズやデザインは各種あるけど。子供はともかく、大人で着ぐるみは少数派かもね」

「それをわかっていて尚、敢えての着ぐるみですの!?」

「ふふ、面白そうだったから。せっかくだしね、楽しまないと!」

「そうですの……ところで、お兄様?」

「うん? なんだいミレちゃん」

「一体、いつの間に、この先にある街の流行を確認なさいましたの? 衣装まで入手なさって……」

「ああ、昨夜かな」

「お兄様?」

「近くの街までどのくらいの距離があるか、君達が寝ている間に確認しておこうと思ってね。大体の距離で良かったんだけど、走ったら到着しちゃった」

「わたくし達が此処で野宿をした意味がありませんわね」


 つまりは、わたくし達がすやすやと寝静まっている間に、子供だけ森に放置して単独行動をした、と……お兄様! 放置はあんまりですわ! 子供だけで置いて行くのは止めてくださいませ! 獣にでも襲われることがあれば……わたくしやクレイでは生存の可能性がほとんどありませんのよ!?


「……【エルレイク】の気配が染みついてるから大丈夫だと思うんだけどなぁ。獣も魔も、今更襲いはしないんじゃないかな」

「お兄様? どういう意味ですの?」


 まさかエルレイク家の威光は野の獣にまで有効だなんて、馬鹿げたことは仰いませんわよね……?

 兄が何を根拠にしてか、わたくし達を森に置き去りにしても襲われることはないと思ったことは確かの様です。

 ですが森の脅威は獣だけではありません。

 もしかしたら人攫いや夜盗の類が現れるかもしれないではありませんか!


「……精霊のいる森だし、木々が隠してくれると思うけどね」


 憤慨するわたくしの耳には、兄の小さな呟きが聞こえることなどありませんでした。



 もう二度と勝手に置いて行ったりはしない、離れる時は一言告げると兄が約束するまでわたくしは頬を膨らませ続けました。

 ……はしたないとは思いますけれど、こうして目に見える形で抗議の気持ちを表現しなくては兄に伝わらないのですもの。仕方ありません。今は旅の最中で他に人目はありませんし、悩んだ末の苦渋の決断です。今では兄に対してはしたないからと遠慮する気持ちもありません。遠慮していては、わたくしが迷惑を被るばかりですわ! 勿論、人の目のある場所ではこのような真似は出来ませんけれど。

 他に人のいない森の中だからこそ出来る、子供っぽい振舞いですわね……やった後で我に返り、とても恥ずかしい思いをするので、わたくしにとっては「怒っているのだ」と感情を表すにしても最後の手として温存している手段です。

 兄はわたくしの膨れている顔に困り果てたようにしておいででしたけれど……


「あのね、ミレーゼ。君達の分も買って来てあるんだ」

「……何を、ですの?」

「しろくま」

「………………」


 わかっていましたわ。正直に申し上げますと、予測しておりました。

 だってお兄様は、「子供とのお揃いが流行っている」と仰っていましたもの。お揃いが流行っているのに、自身の分だけを購入するなど兄がするでしょうか。

 十中八九、わたくしとクレイの分も用意してあるに違いないのです。


「着てくれないかな、ミレーゼ。僕はね、絶対に可愛いと思うよ」

「……」

「ミレーゼも、可愛いと思わない? ……しろくまクレイ」

「っ…………わたくし、着ぐるみは着ませんわよ」


 起床後。

 兄が用意して下さった朝食を食べ終えた後、わたくし達は兄に渡された真新しい服に着替えることとなりました。

 弟には、白熊をモチーフにした布製の帽子と手袋、尻尾のついたショートパンツに幼児用ブーツ。

 わたくしには白熊モチーフのフードがついたケープと、クレイとお揃いの女児用ブーツ。

 確かに動物をモチーフにしておりますが、着ぐるみ程奇抜ではありませんし、普段使いに十分使えるデザインです。

 ……他にまともな衣服寄りのデザインがありましたのに、どうしてお兄様は寄りにも寄って着ぐるみをチョイスしたのでしょうか。謎です。


「今日行く街はフェア開催中でね、動物モチーフの格好をしていると割引してくれたり、特別メニューを出してくれる店が沢山あるんだそうだよ。クレ君、しろくまのドームケーキなんて好きかな?」

「ケーキ、しゅき! しろくましゃん! しっろくーましゃん!」


 きゃあきゃあと喜びの声を上げて、飛び跳ねるクレイ。

 兄がセレクトした白熊モチーフの衣装は、クレイにとても良く似合っていました。

 普段から可愛い弟ですが、今は衣装効果で思わず抱きしめたくなる愛くるしさです。

 可愛い弟の可愛い姿を前に、兄への怒りをいつの間にか忘却していたと……わたくしが気付いたのは、日も高くなった後。

 辿り着いたアニマル感溢れる街の喫茶店で、兄の注文したしろくま型のスイーツを食べている、まさにその最中でした。


 



お兄様の包容力(着ぐるみ)に包まれて目覚めたミレーゼ様とクレイちゃま。

意外に兄弟関係は良好の模様???

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