アンドレ、愛の為に
今回は本作の中でも異質な大男、アンドレのお話です。
しかも次回に続きます。
それはエルレイク家の兄妹が生まれるよりも前のこと。
ウェズライン王国はとある国との諍いで、遂に武力衝突……つまりは戦争をしていた。
戦そのものは数か月での終結となり、影響も禍根を残すものではなかったが。
戦のさなか、戦地にて。
鋼の男と呼び称され、武名を馳せたひとりの男がいた。
敵兵に恐れられた屈強な肉体を無数の刃に曝して尚、己が傷つくよりも遙かに多くの傷を敵に与え、敵将の首級をいくつも挙げた。
最強と呼ばれるには、足りない。
しかし精兵と呼ぶにも他を圧倒し過ぎる。
その強さと生命力、幾ら斬りつけても決して倒れぬ執念は、やがて敵兵に恐怖の象徴として祭り上げられた。
自国よりも敵国においてこそ名を知らしめた。
彼の男の名は、アンドレ。
――アンドレ・アレクセイといった。
戦地で敵味方問わず多くの畏怖と憧憬を集めた男、アンドレ。
これは彼と、彼の愛しむ少女を取り巻くある日の出来事である。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ウェズライン王国に長く巣食う王家直属の諜報組織『黒歌衆』。
彼らは裏向きの仕事をひたむきにこなす実直さを有しているが、常にそればかりに専念している訳ではない。
一人の人間の経歴を完璧に闇に葬り去ることは、そう容易ではない。
闇に忍ぶ諜報組織の人間とて、それは同じこと。
彼らには裏で暗躍する姿と共に――衆目に見せる為の、表向きの顔というものが有った。
アンドレと呼ばれる軍属上がりの男にもまた、諜報の世界に身を沈めながらも公の顔というものが有る。
「ちょっとジャスティちゃぁ~ん? この書類の数字ってどうなってるのよぉ」
「アンドレ……細かい計算はこっちでするって言っただろう? その書類の数字は、こっちの3枚の書類を合わせたものが計上してあるんだ。その書類だけで見たってわからないさ」
「なぁんでそんなややっこしいことしてるのよぉ……」
「そりゃ勿論。外部からの情報泥棒を警戒してのことだろう。もしくは、僕達……監査の目を誤魔化す為、敢えてややこしくしているのか、ね」
「こうしてアタシ達が煩わされてるんだからぁ、絶対後者でしょ!」
ぶうぶうと文句を垂れながら、2人が書類をめくる速度が落ちることはない。
もう、とうの昔になれた作業だからだ。
だからといって気を抜くこともなく、獲物を探す鷹のように鋭い目で1枚1枚の書類を隈なく確認していく。
ジャスティと、アンドレ。
何かと組む機会の多い彼らは、公的な肩書をも共にしていた。
王宮の役人に不正がないか取り締まる、特別監査官という肩書を。
……『黒歌衆』には王宮の監査に関わる表の顔を持つ者が多い。常に行動がバラバラでも怪しまれることがなく、姿が見えなくても遠方の関所や領主の監査に向かったといえば言い訳が効き、更には王家の仕事に対して誠実さを欠くことのない諜報員の仕事ぶりは『監査』という仕事に対しても充分以上の実績を見せるからだ。
裏の仕事も表の仕事もほぼ似たようなものじゃないか、との言葉はあまり意味がない。公の場で名乗れるかどうかが重要なのだから。
軍隊上がりのアンドレは監査官になるには少々不自然だったが、多角的にモノを見る上で様々な人材を集めたといえば納得されるのが世間の不思議である。ジャスティに至っては元々監査官として就職したものが、仕事の有能ぶりを見込まれて諜報組織の方に引っ張り込まれたという逆就労だったりするが。
表も裏も、似たような調べ物と他人の粗探し。
しかしそんな毎日を、大した心労もなくこなしている所に2人の適性が現れているのかもしれない。
だけどそんな毎日にも、変化が全くないということはなく。
むしろ起伏に富んだ日々の最中。
その少女は、王宮にやってきた。
華奢な体つきの、清楚な少女だった。
色の淡い金髪を背に流し、あまり派手さのない街娘の姿。
変わったところといえば、手に握った1本の杖だろうか。
飾り気はないものの、他者の印象に残る。
彼女は、名前をロザリーといった。
陳情に来たようにも見えない、可憐な少女。
その姿に、男っ気に塗れた汗臭い軍隊生活にうんざりしていた門番達も色めき立つ。わあ、あの子かわいい!
もしかして春か? 春かしら?
ピンク色の気配がどこかにないものかと、独身生活に開き始めた若手軍人さん達は出会いを期待してしまう。
王宮の正門へと真っ直ぐに向かってきた、彼女は。
しかし門番達の期待を裏切る言葉を口にした。
もう既に引退し、籍を軍から文の世界に変えたものの……未だに彼らの間で語り草となる、ある1人の男の名を。
「すみません、特別監査官のアンドレ・アレクセイに取り次ぎをお願いします」
監査を担当する者でなくとも、王宮勤めの人間に取次ぎを頼むのであれば身元確認は必ず行われる。
あの男に何用かと恐る恐る尋ねる門番達に、少女は恐怖の呪文を口にした。
「私はロザリー・アレクセイと申します……娘が来たと、父にお伝え下さい」
「あ、あ、あああああアレクセイ特別監査官のお嬢さんでいらっしゃいますかっ!?」
門番の言葉が素っ頓狂に響いたことを、誰が責められるだろう。
まさかあの男に、娘が……っ? いやそもそも結婚していたのか!?
門番達は戦慄した。
もし本当にアンドレに娘がいたとしても……それがこんなに華奢で可憐なお嬢さんだなんて納得がいかない! 腕なんて、こんな、力を入れたら折れそうに細いじゃないか!
驚きざわめく門番達。
しかし取次ぎを頼まれれば、否やは言えない。
取敢えず事実確認も兼ねて、門番の中から特に若手の1人……アンドレと接した経験が少なく、免疫も偏見もない青年が、アンドレへと報せに走ることとなった。
「アレクセイ特別監査官殿、王城正門にお嬢さんがお見えです!」
「むっ、むすめぇー!」
「なんだってぇー!?」
知らせに走ってきた門番の言葉に、何故かアンドレより先にジャスティが反応して素っ頓狂な声を上げた。
その気持ちは痛いほどに良くわかる。
感想はおくびにも出さず、門番は内心で頷きを繰り返す。
こんなごっつい大男に、可愛い娘がいるなんて人体の神秘だよな……と。
生憎と門番さんは、アンドレの普段の姿……女装&オネエ言葉を知らなかった。王宮勤めをしている間は、アンドレだってちゃんと官吏の服を身に纏っていたが為に。
彼は、アンドレと言葉を交わしたことがなかった。
だから次の瞬間、アンドレの口調を耳にして動きが固まる。
「あらやだ! ロザリーちゃんったらどうしたのかしらぁん……? やっだぁ、こうしちゃいられないわぁ! 案内してちょうだい、門番さぁん★」
「あ、待つんだアンドレ! 僕も行こう」←好奇心
耳への酷い暴力だったと、門番は後に語った。
それに同意を示して、同僚達は初めての衝撃に襲われて気落ちする若い門番に1杯ずつ酒を奢ったという。(洗礼後の慣例)
だばだばと気色悪い女走りで正門前に駆け付けるアンドレ。
廊下はちゃんとしずしず歩いていたが、建物から出た後は躊躇うことなく爆走していた。
その光景を目にして気の遠くなる門番。彼には至急『慣れ』という魔法の特効薬が必要だ。
やがてアンドレの、
「ロザリーちゃぁん!」
という気色悪い声が正門前に響き渡って。
華奢で可憐な女の子は、パッと顔を上げて笑みに顔を綻ばせた。
「パパ! こっちよ」
「ロザリーちゃんったら、もう……王宮まで1人で来たの!? 危ないじゃないのぉ……」
「うふふ! パパに早く会いたかったの。会って、教えてあげたくって!」
「だからって1人で来ることはないじゃなぁい? お隣の糞ガk……ダニエル君だってファビアン君だって、付き添ってくれる子はいたんじゃないの?」
「みんな、パパに会いに行くって言ったら断られちゃった」
「ちぃっ……使えねぇガキ共だ」
「パパ?」
「あ、うぅうん? なんでもないのよぉ? でもロザリーちゃん、お城の近くは治安も良いけどぉ、変な貴族のボンボンとかも出没するんだ・か・らぁ、注意しなくっちゃ駄目よぉ」
「はぁい、パパ……心配掛けてごめんね。今度は絶対、誰かについて来てもらうわ」
門番に一言礼を言い添えた後、場は親子の会話に突入した。
これが母と子の会話であれば微笑ましい限りなのだが、父と子の会話となると何かが明らかに異常をきたしている。
異様な光景に、その光景の一端を担っていながら全く異常性に気付かぬお嬢さんに、若い門番達は身を寄せ合って震えを走らせた。
ジャスティでさえも、アンドレの娘とは思えぬ可憐なお嬢さんの姿に目を丸くしている。
え? アレからコレが生まれたの? それってグリズリーがシマエナガを生んだに等しくない? ……彼の目が、口には出来ぬそんな思いを如実に語っていた。
「それでロザリーちゃん? パパに何を教えたかったのかしらぁん?」
「うふふふふ! パパ、聞いて! 実はね?」
「うんうん、なにかしらぁ」
「ママが帰ってきたのよ!」
「なん、だと…………それは本当か、ロザリー」
親子の会話に混ざる訳にもいかないと、脇に控えていた門番達&ジャスティ。
しかし彼らの耳を打つ会話が聞こえてくるにつれ、反応せずにはいられない。
ぎょっと目を丸くして、思わずと拝聴していた。
え? 帰ってきた? 嫁さん家出していたの?
結婚していただけでも驚きだけど、出ていったのが更に帰って来たってどういう……どんなモノ好きさん!?
音に出来ない言葉が、彼らの胸中でぐるぐると渦巻いていた。
『没落メルトダウン』でも異彩を放つ珍獣・アンドレ。
その嫁とは一体? 果たして嫁とは珍獣なのか、はたまた特殊な趣味をお持ちなのか……その実体が、次回明かされ……る?(多分)
ロザリーちゃん
アンドレの娘。あの父に育てられて何故か真っ当に育った女の子。
素直な父親思いの良い子だが、目が不自由で外出の時には杖を持ち歩く。
御近所の糞ガk……お坊っちゃん達。
どれもこれも平均的な少年達でロザリーちゃんに淡い思いを寄せている。素直になるのは難しい年齢の筈なのだが、思い人のロザリーちゃんに意地悪をすることもなく親切なのは、目の不自由なロザリーちゃんを思いやってかアンドレを恐れてか……
とりあえず皆こぞってアンドレのことをそれこそ凶暴な人食い熊の如く恐れて息を潜めている。
特にお隣のダニエル君は幼少期に1度、構って欲しさにロザリーちゃんの杖を取り上げて泣かせたことがあり、アンドレの「うちの娘を泣かせる悪い子はいねがぁぁ」と走って追いかけ回され(トラウマ体験)、以来おうちのお手伝いを進んでやる良い子になったらしい。お陰でお隣のご夫婦にアンドレは感謝されているらしい。
 




