ですが、わたくしだけは平穏無事にとはいかなかったのです
皆様、宣言通りに最終話でございます。
兄就任の宴が終わり、1週間が経ちました。
わたくしはすっかり肩の荷が下りたつもりで、油断していたのかもしれません。
……いえ、『かもしれない』ではありませんわね。油断していたのでしょう(断定)。
両親の死に端を欲する、積み上がった種々様々な案件も何とか全てを処理することが出来たと。
不在の当主の位置に兄を据え、これで家も暫くは安泰(仮)だと。
そう、わたくしは迂闊にも思ってしまったのです。
――これで、全部が終わったと。
わたくしはミレーゼ・エルレイク。
エルレイク侯爵家の娘……新当主アロイヒ・エルレイクの実妹。
あのお兄様がお兄様である限り、わたくしに平穏など訪れる筈がありませんでしたのに。
年齢に見合わぬ苦労を重ねた幼女は、弟を抱えて2人。
油断のまま、やっと落ち着いて眠ることが出来ると枕に頬を埋めた。
彼女にもやっと安息の眠りが訪れると。
そう信じて疑いもしなかった。
不穏の種はいつだって、不意に訪れるもの。
安眠の代わりに予期せぬ波乱が彼女の元に訪れる。
望んでもいないのに。
その夜。
幼女は他ならぬ実の兄に拉致された。
目が覚めたら、そこは夜空の上でした。
……訂正致します。
そこは、屋根の上でした。
より正確に申しますと、人家の屋根から屋根へと跳躍しては人間とは思えない身軽さで移動していく……兄に、背負われていました。
お兄様、貴方はいつから猫になられましたの。
状況を寝起きの頭では上手く把握することが出来ず、わたくしは胸中に去来する混乱を宥めようと落ち着け、落ち着けと脳内で繰り返すことしか出来ません。
深呼吸をして、慌てず騒がず自分の現状を確認しようと致しました。
腕……動かせません。
足…………動かせません。
わたくしの首から下は、毛布でくるくると包まれ……いえ、巻かれており、手も足も出ない状態で兄の身体に縛り付けられておりました。
なんですの、この状況。
何となく頭痛を感じても、指を添えることすら出来ません。
辛うじて首を動かすことが出来ても、見えるのは至近距離にある兄の後頭部が視界のほとんどを占めます。
兄の肩越しに、ちらりと。
お兄様の胸元にはわたくしとほぼ同じ状態でクレイが抱えられている光景が見えました。
わ、わたくしのみならず、クレイまで……。
……。
…………。
………………。
……そろそろ混乱してもよろしいかしら。
混乱する他に出来ることが見当たらず、わたくしは思いの丈を込めて叫びました。
「なんですの、この状況―――――!!」
「あ、起きちゃったんだね。駄目だよ、ミレーゼ。夜遅いんだから叫んだら……ほら、御近所迷惑になってしまうだろう?」
「今この状況でお兄様の口から正論など聞きたくもありませんわ!」
「それは残念だね。おはよう、ミレーゼ」
「お、お、お兄様! 何をなさっていますの!? おはようではありませんわよおはようございます!」←混乱中。
「寝起きから元気だね。だけどミレーゼ、まだまだ寝ていて良いんだよ?」
「むぅ……にゃむにゃむ。ねみゅーよ、ねえしゃま」←クレイ大物。
「この状況で眠っていられる筈がありませんわー! わたくしだけならともかく、クレイまで……一体どういうことですの、お兄様! 夜のピクニック……という訳ではありませんわよね?」
「いや、ね? ほら、今回のことで知らない間に家族が君達だけになっちゃったからさ……流石に放っておくのはどうかなって。エラルにも叱られてしまったんだよ。残されたたった2人の家族を放置してはいけないって。ちゃんと見ておかなくちゃって。だから、僕が今となっては家長なのだから、ちゃんとこれからは2人と暮らすつもりだよ」
「放っておいて下さっても結構ですのよ!? 状況を見るに……また失踪・放浪なさる気ですわね、お兄様! 一緒に暮らすおつもりだと仰いますが、わたくし達に合わせるのではなくお兄様にわたくし達のライフスタイルを合させようという魂胆ですわね!」
「ミレーゼは頭が良いね、お兄様も驚いたよ。子供ってちょっと見ない間に本当、驚くくらいに大きくなるんだねぇ。前は80アンペアくらいだったのに」
「今はそういうことをお聞きしたいのではなく……アンペア? どこの国で使われている単位なのかは存じませんが、人の成長を測るのに使用可能な単位ですの? ……っではなくて、何故、わたくしとクレイを抱えて屋根の上を疾走なさっているのか御説明いただけないかしら!?」
「うん、良いよ。君達って僕の知らない間に随分と危ない橋を渡っていたみたいだからね……ちょっと放っておくのが心配になっちゃった。せっかくだから連れて行こうと思って」
「思い留まって下さいまし、お兄様!」
「ほらほら、そんなに怒った顔しないで? どうせだからちょっとやそっとの危険じゃへこたれなくなる程度には鍛えてあげようか?」
「完璧に、余計なお世話ですわー!!」
「何にせよ、得難い経験は人間を磨くって老師も言っていたし! 色々見て回って、経験して、それを成長の糧にするのも良いと思うよ?」
「老師って何方ですの!? お兄様に余計な事を吹き込んだ老人はどこの誰ですのー!」
その後、兄の書き置きだけを後に残し。
エルレイク家の兄妹は失踪した。
妹や弟の養育権を巡って交渉の手順を吟味していた関係各所の大人達は、思わぬ報せに悲鳴を上げる。
爵位を継いでも兄が失踪することは織り込み済みであったものの、まさか弟妹まで連れて失踪するとは思っていなかった。
目論見が外れて、兄の暴挙に揃って頭を掻きむしって絶叫をあげ。
方々の思惑を無視して、行方は知れぬまま。
ミレーゼ様が表舞台にお戻りになり、再び人々の記憶に姿を現すのは……彼女が王立学校に入学する、その直前。
彼女が12歳になってからのことであった。(実質4年間失踪)
ミレーゼ様を引き取りたがっていた代表格:王妃様
クレイちゃまを引き取りたがっていた代表格:黒歌衆
他にもウェズライン王国のチェス好き紳士倶楽部の諸君とか、エラル・アレン様ん家の爺さん婆さんとか。
ちなみに兄の暴挙をしってエラル様は頭を抱えて後悔したらしい。余計なこと言うんじゃなかったって!
さてさて、物語としてはここで完結と相成ります。
このオチを目指して、この一年くらい書いてきました。
こんな結末となりましたが、いかがでしょうか。
今後の予定としましては、お話の中で語り残した部分も沢山ありますので。
ゆっくりと時間をかけることになるとは思いますが、番外編という形で補足していければと思います。
まさか書き始めた当初は完結までに三年近くかかるとは思いもよらず……その間にも、いろんなキャラが出てきました。
細かい設定も物語の進む方向も何もない行き当たりばったりの物語でしたが、皆さまに少しでも喜んでいただけていたのなら幸いです。
これから書く番外編でも取りこぼされる部分があるかもしれません。
もしも読みたい逸話などありましたら、お知らせください。
ちなみに現時点で考えているモノ↓
お兄様に攫われたその後
ろんろんとヴィヴィアン
フィニア・フィニーとおかあさん(教主国その後)
青いランタンのその後
ギルとアロイヒ、タリッサ




