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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
破滅の宴編
185/210

鮮烈な剣の一撃が、全てを斬り裂いて道を作り 2

無知の罪、というものが世にはあるそうですが。

お兄様が盛大にやらかします。

人によっては受け付けない方もいると思いますので、お気を付け下さい。

ちなみに残酷注意でお願い致します。





 振り上げられたナイフが、薔薇窓の残骸を通した赤い光に一瞬染まる。

 見上げる目が、血塗れのようだと錯覚した。

 変わり果てた両親が、わたくしの両腕を押さえつける。

 わたくしを、かつての娘を。

 娘と認識していないのか、知らぬのか。

 両親の亡骸に、なんということをさせるのでしょう。

 お父様とお母様の遺体を弄んだ『教主国』に、憎悪が燃え上がります。

 今にも殺されようかという、状況下で。

 ですがわたくしは……先程よりも、思考に余裕があることに気付きました。

 先程と、全く同じ状況ですのに。

 わたくしの胸中を占めていた絶望が、今はとても小さくて。

 ああ、わたくしは……この状況下で。

 先程とは違う要素を……突然現れた、実兄を。

 思いの外、頼りにしていましたのね。


 あの兄がいる場所で。

 わたくしが両親の手で殺される筈がないと。

 両親の手に、兄がそのようなことをさせる筈がないと。


 まさかわたくしが兄のことを欠片でも信頼しているなどとは。

 このような場面でもなければ、今後も知らぬままだったことでしょう。

 知りたいとも思っておりませんでしたが。

 

「――え。お父様、お母様……?」


 振り下ろされるナイフに、わたくしが反射で目を閉じた瞬間。

 お兄様の、頼りなさそうに揺れる声が。

 微かですがわたくしの耳に、確かに聞こえたのです。


 声は、消え入りそうな呟きでしたけれど、掻き消えない距離に。

 思ったよりも近いところから聞こえたような気がしました。


 身が竦み、どうしてもぎこちなくなってしまう動きで。

 もどかしいまでに緩慢な動きで、わたくしが見上げた先。

 思わず、とわたくしの視線が『誰か』を探してしまいます。

 危ない時には助けてくれる筈の、『誰か』を。


 無意識に救いを求めて彷徨った視線は、すぐに定まりました。

 ナイフを振り上げた腕を、掴んで止める別の誰かの腕。

 誰の腕が止めて下さったのか、確かめずともわかります。

 わかりますが、確かめずにはいられませんでした。

 わたくしの目にくっきりと映り込むのは、『腕』の纏った外套の袖。

 青い布地には見覚えのある模様が刺繍されており……銀色の飾り釦には、この世で最も見慣れた『黒歌鳥の紋章』。


 ああ、この腕は。

 目の前でわたくしが(物理的に)危ない目に遭いそうな時には、何を置いても助けてくれる……いつも軽々とわたくしを持ち上げる、腕。

 お兄様の、腕です。

 

 ですが。

 時にわたくしの思いもよらぬ事をも仕出かす腕だと。

 うっかり腕の正体に安心し、気の緩んでしまったわたくしは、不覚にも失念してしまっていたのです。


「……とても、とてもよく似ているけれど。まるで本物(・・)みたいな顔をしているけれど」


 再び聞こえてきた声は、先程の揺れた声音とはまるで違って。

 声の裏側から、抑えきれない不快感が滲み出るもので。

 怒りと、嫌悪の気配が致しました。

 お兄様が怒るなど、とても珍しいことです。

 ですが……両親の亡骸を弄ばれたとなれば、兄の怒りもおかしなものではありません。

 わたくしとてやはり怒りと屈辱に、体が震えそうになるのですから。

 ナイフを振りおろそうと、わたくしの身を覆うように立ちはだかった亡父の、背後。

 強引な制止の腕を伸ばした、青年の人影。

 見慣れていた筈の兄は、静かに、ですが燃えるような気迫を全身から立ち昇らせて……亡父を睨み据えておりました。

 あれは本当に、わたくしの知る兄なのでしょうか。

 持っていた筈の確信に疑念が過ります。

 わたくしの知るお兄様はいつも飄々としていて、余裕を感じさせる呑気なお顔をされていましたのに。

 兄ではないのでは、と疑ってしまいそうになるくらい。

 今のお兄様の双眸は、鋭く尖り。

 見慣れていた筈の顔は、見慣れぬ……見た事のない表情をしておりました。

 なんだかとても、怖くて強そうな、身震いが止まらなくなりそうな表情が。


「僕の知る両親は……2人は、まかり間違っても幼い女の子に非道なことをするような人達じゃない」


 怒りの滲んだ静かな声音に、先程とは違う理由で震えてしまいそうになります。

 兄の知る両親は、きっとわたくしの知る両親と同じ。

 2人は愛情深く……間違っても、このようなことをする筈がなくて。

 兄が信じられないと現実を拒絶するのも無理はありません。

 だからこそ、魂の去った亡骸とはいえ、両親にこのような事をさせる者達への怒りは、抑えようがなk……えっ?

 ちょ、おおお、お兄様っ?

 待……っ!


「……上手く誤魔化しても、僕にはわかるよ。この腐臭が。誰のものかは知らないし、誰が動かしているのかも知らないが……」


 わたくしは、この瞬間。

 兄が何やら盛大な勘違いを迸らせていることに、ようやく気付きました。

 頭の片隅で、ぼんやりと「そういえば……」とわたくしの冷静な部分が囁きます。


動く死体(リビングデッド)をうちの両親に仕立てるなんて、ふざけた真似をしてくれる」


 そういえば、兄は。

 両親が亡くなるより前に、アンリにそそのかされて国を出た筈で。


 もしや……両親や家に何が起きたのか知らないのでは。と。


 しかし兄は迅速な殿方です。

 気付いたところで、気付くにも遅過ぎました。

 わたくしの体は、思考の回転速度ほど速くは動くことが出来ないのですから。


「何のつもりで2人に化けているのか知らないけれど。君達、僕に喧嘩を売ったこと後悔しないだろうね!?」


 お気持ちはわからないこともありませんけれど! ありませんけれど!!

 あの、いささか、思いきりが良すぎはしませんこと!?

 両親(故)を前にして、偽物断定の流れから即座に剣を抜きましたわよあの兄!? 躊躇い皆無でしたわよ!

 な、何をするおつもりですの!? 聞かずとも何となく理解できてしまって嫌な予感が止まりませんが、思い留まって下さいませ! 早まらないで下さいませ!!

 そ、その方々は偽物ではなく――……っ


「目の前にしたとあれば、見過ごす訳にはいかない。こんな偽物の傀儡が視界の隅に存在する。……それだけで、両親と家への侮辱と取るに十分だ」


 言うが、早いか。

 早過ぎて、制止の声も出せない早さで。

 お兄様の剣がぁぁあああ!!?


 刹那。

 お兄様の剣が輝きの軌跡を残して……閃きました。

 目にも止まらない速度であったことを此処に証言致します。


「お、おにいさまぁぁあああああっ!?」



 両親の姿を貶められた怒りが勝った為か。

 仮にも実の親の姿をした者への躊躇いは、ゼロだった。



 剣先から伸びた、鋭い衝撃。

 鎌鼬と化した剣閃が、両親そのものの姿をした亡者達の首を斬り飛ばす。

 息子はそれが偽物ではなく、本物の残骸なのだと知らないままに。


 すっぱりと、やらかした。



 血は出なかった。

 表面上は生きている頃のように瑞々しくも……亡骸からは血が絞り取られ、内部はからからに乾ききっていたから。

 目の前で目撃してしまった幼い心の衝撃は、いかばかりか……配慮をする時間も、存在しない。

 あまりのことに、ミレーゼ様はあうあうと狼狽していた。

 膝から力が抜け落ち、自然と足は折れた。

 へたり、と座してただただ見上げる。

 実の兄が、亡骸とは言え実の両親の首を飛ばしてしまった光景を。

 少女の小さな体の左右に、首を失っては流石に動けなかったのか……両親であった者の残骸が、どさりと前のめりに倒れ込んだ。

 飛んでいった首は、近くには見当たらない。

 何も考えられずに、少女は両親の首を目で探す。

 室内を広く、他は何も目に入らぬと視線が彷徨った。

 あまりのことに、『教主国』の人間達まで唖然と立ちすくんでいる。

 この展開は、誰にも読めていなかった。


 ショッキング過ぎる光景を前に這い蹲る少女。

 本来であれば彼女と両親の亡骸を穢された思いを共有できたであろう筈の唯一の人物……兄はしかし細かな状況と事情と必要な情報を知らなかったが為に盛大に勘違いを発生させて。

 むしろより一層、幼子にとって酷な方向へと状況をドーンッと後押ししまくってしまったのだが。

 彼に悪気はない。

 悪気だけは、絶対にないのだ。

 むしろ彼としては両親の姿を悪用されているようだったので怒りが迸って状況を収めたつもりであった。

 アロイヒ・エルレイク23歳。

 彼は未だ、両親の訃報を知らない……。

 それ故の、悲劇である。



 ……考えてみれば、ですけれど。

 衝撃の第一陣が過ぎ去って後、少しだけ衝撃の揺り戻しで戻って来た冷静な部分が頭の片隅に囁きかけます。

 兄の行動はあまりにもあんまりだとは思いますが……もしかすると、これはこれで良かったのかもしれません。

 お父様とお母様のお身体が、これ以上悪用される前に。

 両親が望まなかっただろう行いを、死後にさせられてしまう前に。

 そう、両親は元より既に亡くなっていらしたのですもの。

 こ、これ以上の辱めを受ける前に、兄が止めて下さったのだ、と思、え、ば…………そ、そう、思えば……な、納得、できなくなくも……いえ、納得できなくも………………ふ、複雑ですわーっ!!


 どうしてでしょう。

 命を助けられたことは確かですが、やりきれなさに発狂しそうです。


 視界の端で、『教主国』の方々……とりわけ主導者的立場の老人達と、わたくしの両親を玩具にして下さった白衣の集団が動揺も顕わに狼狽えている様子が目に映ります。

 あの姿を見て、わかりました。

 他にも何か意図があって弄ばれたのかも、知れませんが。

 きっと両親は……最たる目的の1つとして、恐らく『兄への対抗措置』として利用されたのでしょう。

 人とは思えぬ武力を個で有するとは言え、兄も一応は人間です。

 人間であり、人の子……当然ながら情も涙も家族も持った、血の通った一個人なのです。

 兄の武力を容易に抑えることは難しいと見て、情を揺さぶる方面で兄を抑えることを考えたのでしょう。

 人間なのですから、兄も両親の亡骸に剣を向けることは困難だろうと判断して。

 わたくし……『ミレーゼ・エルレイク』を生贄として害そうとした時点で、家族である兄の報復を警戒するのは自明の理。

 だからこそ、兄の武力を削ぐ為に両親の亡骸を冒涜したのでしょう。


 ……結果は、見ての通りですけれど。


 『両親の姿をした偽物』だと思い込んで、むしろ怒りを買っておりましたわね。躊躇いは微塵もありませんでしたわよ。

 ……本当に、わたくし達の両親になんてことを。

 このやるせない怒り、兄に向けてしまいそうになりますが……方向を捻じ曲げ、本来の冒涜者である『教主国』に向けることが正解なのでしょう。

 ですが感情面で承服しかねますので……ああ、無性に兄に暴力を振るってしまいたくなりますわ。

 駄目ですわよ、わたくし。

 わたくしは淑女、わたくしは淑女、わたくしは淑女……淑女は兄とは言え、殿方に無為に乱暴を働きは致しませんわ!

 ですから鎮まれ、兄への怒り……!!

 今は兄に抗議(※物理含む)をしている場合ではありませんのよ!?



 ミレーゼ様は幼いが出来のよろしい頭を抱えて懊悩した。

 立つことも忘れて顔を手で隠す姿は、目の前で繰り広げられた衝撃映像にショックを受けているようにしか見えない。

 幼子の心には、大打撃だったのだろうと見ただけで予想できる。

 実際は、心の中で煩悶大絶叫だったのだが。


 首を失った両親に左右を挟まれ、這い蹲るミレーゼ様。

 その姿を立てないのだと思ったのだろうか。

 怯える小さな女の子にしか見えない彼女の前に、影が差す。

 正面から受ける陽の光(大破した薔薇窓から直射)を遮る様にして立つ、1人の青年。

 悪気なくこの惨劇にトドメを刺した少女の実兄は、片手に凶器を握り締めたまま、自分が何をしたかも知らずに自然体で立っている。

 青年の手は、いたわるような気配を滲ませて。

 そっと、へたりこんだ少女に差し伸べられた。


「大丈夫? 立てるかな……」


 心配そうに掛けられた声には、裏も表も存在しない。

 裏も表もないことが、何よりの悲劇だ。




知らないってこわい。


でもお兄様ならこのくらいやらかすって思ったんです……!

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