鮮烈な剣の一撃が、全てを斬り裂いて道を作り 1
その場に居合わせた者達は、僅かな例外を残して皆、一様に。
かぱーっと大口を開けて硬直していた。
突如として神々しいステンドグラスの薔薇窓を突き破り、壁面と屋根を大破させて突っ込んできた、得体の知れない謎の巨体。
何がやって来たのか、この場で瞬時に理解できた者はいない。
ただ、ひたすらに大きく、細長く。
黒い靄に全身を覆われ、輪郭のはっきりとしないその姿。
人知及ばぬ存在だと、それだけが一目で知れる。
……人知を超えた存在だと、一目でわかる程はっきりしているのに。
その得体の知れないナニかの、背に。
巨大な化け物としかわからぬものの、背に。
剣を掲げて立つ者が1人。
空から墜落してきたというのに、振り落とされることもなく。
まるで足に根が生えて固定されたかのようにしっかりと危うげもなく。
黒い靄に浸食されることなく、むしろ光り輝く剣によって這い寄る靄を、闇の様なそれを触れる側から散らしていく。
得体の知れない黒い靄は、どうやらあの剣に近寄れぬらしい。
輝く剣を掲げ、まるで剣を持った彼自身が光り輝いているかの様な、神話の英雄の如きシチュエーションで。
「あっはははは! あははははははは! あーっはっはっはっはっは!!」
その人は、爆笑していた。
そりゃもう、天まで届けと言わんばかりに高らかに。
何がツボに入ったのか不明だが、化け物の背の上で爆笑していた。
薔薇窓を中心に大破したとはいえ、場所は『大聖堂』の奥深くにいる祭壇を備えた広間……『秘儀の間』。
当然だが音が良く響く。
深みのある青年の若々しい馬鹿笑いの声が、響き渡って反響し、増幅されて人々の耳を直撃した。
彼は何故笑っているのだろう。
理由のわからぬ謎の突発的事態を前に、理解の範疇を超えたのか。
それともいきなりすぎて緊張が焼き切れたのか。
突撃された側の人々の中心にいた8歳の少女は、虚ろに透明な眼差しで遠くを見ている。
もう声を聞いただけで、逆光に遮られて顔の見えない人影を見ただけで。
彼女は察してしまったのだ。
――ああ、混沌の申し子が来たぞ、と。
元より、本来はその状況を望んでいた筈なのだが。
それは少女の行動によって、近くて遠い未来に誘発されることを望んでいたのであって……今この状況で、空から乱入されることを望んでいた訳ではない。決してない。
しかしそれで彼女が助かったのも、一命を取り留めたことも確かだ。
確かだからこそ、状況的に助けられてしまったことに複雑な心境が湧きあがる。
感謝したくはないが、助かったことは事実。
事実は認めねばならないが、感謝はしたくない。
幼い少女の胸中を、ぐるぐると葛藤が渦を巻く。
突然の事態に頭がパーンッとなった状態で、物事の把握が出来ずに硬直する人々の中。
耐性があった為だろう。
誰よりも逸早く状況を呑みこんだ少女は、誰よりも早く動くことが出来た。
戸惑いもない訳ではないが……慣れというのは恐ろしい物で、この場の巻き込まれた誰よりも薄く小さい。
自分を取り押さえていた宗教家や、両親のなれの果ては思考能力が著しく低下している。
祭壇の近く、つまり薔薇窓の直下にいた人々など、瓦礫ごと吹っ飛ばされて身動きが取れない状況だ。
残念なことに、どういった訳か重傷者はいないようだが。
少女を生贄にしようと押さえつけていた人々の6割も、動揺に瓦礫ごと吹っ飛ばされていった。
抑えつけられて必然的に姿勢を低く保つことになった少女と、より側近くで押さえつけていた数名及び両親のなれの果ては吹っ飛ばされずに現状を維持していたが。
だが指示する側の人間、つまり宗教的指導者の立場にいた人々は悉くふっ飛ばされた。
それはつまり、指揮を取る人間が一時的に消えたということ。
指示待ち人形の木偶の坊は、まだ行動力を回復させていない。
この機を、逃さず。
ミレーゼ様は囲みからの脱出を試みる。
人々や両親のなれの果てには、きつく体を掴まれている。
しかし幼い身体は、見栄えを良くする為……相応の量を有した布地に包まれている。
ドレスとは言え、女児用。
子供用の締め付けは、大人のものに比べて格段に緩い。
本当ははしたないと心で咎める部分もあるのだが。
今ははしたないなどと気にしていられる状況でもないので。
まるで、脱皮でもするように。
あるいは蜥蜴が尻尾を切る様に。
ミレーゼ様は1番上に来ていたケープを脱いで離脱した。
後は子供特有の小さいからだと敏捷さを活かして人の間を擦り抜けた。
人々が唖然といきなりの乱入者を凝視していたからこそ、出来た技だ。
言ってみれば人々の注目を独占していた某お兄様のお陰である。
いきなり現れた兄と得体の知れない黒い靄の龍。
それを前に動揺を隠せない場の皆々様。
状況を冷静に眺めやり、ミレーゼ様は思った。
この場で1番、味方?の筈の兄が異常に見える……と。
あれが身内かと思うと、どうしてだろう。虚脱感が込み上げる。
だが虚脱している暇など、彼女には許されていなかった。
人々は皆、兄と化け物に気を取られていたが。
そもそも真っ当な人としての感覚を既に有していないモノが……何事が起きても、与えられた命令に忠実に行動することしかもう頭にない者達がいた。
少女にとって、頭で理解していたとしても……感情面で、強く抗えない相手。
彼女の、変わり果てた両親が。
その見た目だけは変わらない、だけど酷く乾いて生気を宿さない手を、8歳の少女へと長く伸ばす。
掴みかかろうと、捕まえようと。
手を、鉤爪のような形にして。
長く長く、伸ばす。
その頃兄は、ようやっと笑いの発作が治まってきて。
空を飛びながらの楽しい攻防戦の中、非常識な状況に無性に楽しくなっていた感情も治まって来る。
そうやって冷静さを取り戻して。
ふと見回してみれば、そこは大惨事。
どうやら重傷を負った者はいないようだが……参ったな、建物壊しちゃったや、と。
わあ、やらかしちゃったなぁと。
青年はうなじを掻いて困ったように人々へと目をやる。
そして血相を、変えた。
血迷った宗教老人共が、何事かを言う。
吹っ飛ばされて、転がって。
老いた身体を痛めつけられながらも、瓦礫の隙間から身を起こして……恍惚とした表情で、彼らは見上げた。
天から差す光の中、威風堂々と巨体を横たえ、自分達を睥睨する……異形。
薔薇窓の残骸の真ん中で、自分達を歯牙にもかけず。
ただ己の背を占領する青年を、忌々しげに威嚇する。
牙を剥く尊顔は、靄に隔てられてはっきりとは見えないが。
矮小な人間如きが直視を許されることなど、不遜の極み。
ああして隔てられてこそ、自分達は拝謁を許されるのだ。
老人達の宗教に染まった、おめでたい頭は。
この測ったような状況に、運命を感じていた。
また、タイミングが悪かったのだろう。
彼らがミレーゼ様を傷つけようとして……儀礼用の短剣が、少女の肩口を掠った直後のことだった。
よろよろと立ち上がった老人の、掲げた短剣には。
少女の赤い血が僅かに滴っている。
血は、確かに流れたのだ。
彼らの手によって、流されたのだ。
古い血を継ぐ特別な血統の、稀少な血が。
――地の底深くに封じられし、我らが偉大なりし神
戒めを解くのは気高く貴き乙女
人知及ばぬ英傑の、人とは異なる紅い一滴
老人達の脳裏には、出所の怪しいあの予言が回っていた。
信憑性は薄いそれを、完全に真実と信じ込んだまま。
目に映るのは、短剣を滴り落ちる僅かな血と、血が流れた瞬間に突撃してきた黒い……邪龍のみ。
「神じゃ……」
ぽつり、老人のしわがれた声が落ちる。
声は緊張に上ずり、掠れに掠れていて。
「神じゃ、神がご降臨なされた!」
「おお、おおう……なんと偉大なお姿じゃ」
「予言は、予言は真じゃった……っ」
けれども次第に高揚し、感情に引きずられて子供のように高くなる。
彼らの不幸せな勘違いが始まった。
『教主国』の、老人達の配下に当たる者達も老人の確信に満ちた声を聞いたのだろう。
瓦礫まみれの荒れ果てた室内で、皆々その場に膝をつき、諸人こぞりて迎えまつると頭を垂れた。
都合の良い様に物事を考える頭は、この状況を正確に認識しようとしない。
出来ないのではなく、しないのだ。
そして更に物事を、自分達の都合の良い様に当てはめていく。
ああ、我らの主が不浄な黒い色に染まっているのは、きっと復活が完全ではないからだ。※ 地色です。
ああ、我らの主があのような不遜の輩の足蹴になどされているのも……やはり復活が完全ではないからに違いない。※ 実力です。
そう、何もかも全ては復活が完全ではないから。※ 既に完全体です。
正当性の証明された生贄を、今度こそ余すことなく捧げ……我らが神の完全復活をお助けすべきなのだ、と。
老人達が、この場に来て本来の目的に……ぎらりと狂気に染まった眼で、ミレーゼ様へと視線を注いだ。
再び人々の視線を集めた、幼い少女は。
抗えきれぬままに。
両親のなれの果てに手首を掴まれ、動きを止めた。
次回、ミレーゼ様がショッキングな光景を目にしてあうあう言います。




