不意に『教主国』の暴走はわたくし達を巻き込んで燃え上がり
最初に思ったことは、このまま放置しては危ない、ということでした。
肯定するのは最悪の手。
ですが否定しないのもまた悪手。
わたくしは御列席の方々に司祭の言葉が刷り込まれるよりも先に、否定の声を上げるべきでした。
思いがけない展開に……わたくしとしたことが、僅かなりと惚けてしまい。
機を逸したことに気付いて、青褪めることとなりましたの。
今からでも、せめて……と。
慌てて声を上げようとしたのですが……
既に、遅きに失してしまいましたの。
「あの、わたくしは――……」
「聖女様!」
「あの御方が聖女様……なんと神々しい!」
「こうしてはいられぬ! 聖女様をお迎えせねば!」
「おお、そうだ!」
「そうだそうだ!」
「話を聞いて下さいませ!?」
わたくしは常になく必死に声を張り上げようとしたのですが……
「聖女様!」
「ああ、聖女様!」
「聖女様―!!」
…………わたくし対、祭礼の場に参列したほぼ全員。
絶対数に差があり過ぎます。
8歳の少女が上げた声など、どれ程に必死であろうと熱狂した民衆という『大多数』の力を前に簡単に掻き消されてしまいました。
これが数の暴力……!
大衆を煽って自分が振るうのは良いのですが、自分の身には向けられたくない最たるもの。
わたくしの意見など、誰に聞き入れていただけることもなく。
この小さな体ごと、もみくちゃにされて飲み込まれていくのです。
ほぼ、きりもみ状態で。
わたくしは今、対外的には『ミケーネ・ティリンス』という名の少女としてこの場におります。
……今のわたくしは侯爵家令嬢ではありません。
遠縁の、貴族の娘ということにしてはありますが……実在しない人間であることは確かで、仮に使っている爵位も周囲への影響など無きに等しい低位のもの。
1つの国を相手と考えた時、人権など考慮するに値しないと判ぜられてしまうような存在で。
『エルレイク侯爵家のミレーゼ』であれば、国家を相手にしても家と爵位の影響力に物を言わせて、ある程度の我を主張することもできましょう。
ですが今のわたくしでは……何の義理もない他国ではありますが、大陸のほぼ全ての国に影響力を持つ巨大な宗教国家を相手に、自分の身を守ることが出来ません。最低限の発言権さえ、主張できないのです。
つまり『ミケーネ』には聖女の要請を受けた時、拒否権がありません。
替え玉作戦が、完全に裏目に出てしまったのです。
だから、誰もわたくしの言葉に耳を傾けようとはしない。
聞くまでもなく、わたくしが否定するとは思いもせずに。
『聖女発見』という興奮と熱狂に呑まれ、他でもない『聖女』の声に気付かず流してしまう。
わたくしの意思など些細な物だと、瞬く間にわたくしを圧迫してきた人の波を前に、突き付けられました。
お前が聖女だ、と断定された時。
あの時、即座に否定の声を上げていれば……本人は違うと言うのですから、意見の擦り合わせ(という名目の説得あるいは恐喝)の為にも時間的猶予をもぎ取ることが叶ったのでしょうが。
わたくしは、時機を完全に逸してしまったのです。
ウェズライン王国……わたくし達の国を代表する使節団の皆々様が異議や抗議の声を上げているのが、微かに遠くに聞こえます。
……遠くに聞こえる、という時点でわたくしは彼らから引き離され、攫われつつあることに気付きました。
皆様、『聖女』の身体に気安く触り過ぎですわ。
本当に敬っているとは思えない行動に、勢い。
暴走した人々は、我が国の権威を意にも留めません。
王国からの異議申し立てにすら耳を貸さないのですから……この場でわたくしが連行されてしまえば、神殿の奥で『聖女』に仕立て上げられる未来が易々と考えに浮かびます。
わたくしの声も意思も封殺され、恐らく王国の方々と意見を交わすことすら出来ず……勝手に『聖女の意見』とやらが告げられ、王国と強引に決別させられることとなりましょう。
王国側は王国側で、わたくしを連行……『教主国』に迎える際、王国を通さず意見を無視したことで論い、正式な抗議も出来るでしょう。
しかし身柄を押さえられたわたくしは、本当は実在しない人物。
替え玉ではありますが別に『ミレーゼ・エルレイク』が存在することもあり、わたくしの返還要求を通すことは叶わないでしょう。
……これは。
わたくしは、もしかしたら『詰んだ』という状況に置かれてしまったのかもしれません。
今こうしている間にも、軽い8歳児の身体は易々と何処かへ連れて行かれてしまいます。
大勢の大人を前に、わたくしには抵抗する余地が欠片もありません。
流されている、と。
わかっていても、わたくしにはどうすることも出来ませんでした。
所詮はわたくしもただの8歳児。
意見を聞いても貰えず、物理的な拘束を前にしては……わたくしなど、ただの無力な子供に過ぎないのです。
本当に、どうしたものでしょう。
今は状況を見るしかないのだと、他の選択肢など与えられることもなく……王国の皆様から引き離されてしまったことが悔やまれます。
恥も外聞も考えず、使節の正使である第1王子殿下のマントの下にでも隠れていれば……!
近くに最も手を出し辛い、国際問題待った無しの良い避難場所がありましたのに。
突然のことで混乱していたわたくしは、そんなことにも思い当らなかった。
「クレイ……っ!」
そして、何よりも耐え難いことに。
このどさくさで、わたくしは弟と引き離されてしまった。
「ねえしゃまぁー……っ」
微かに、あの子の声が聞こえます。
ですが幼く悲痛な声は、興奮した大人達の声に阻まれる。
引き離されていっているのだと。
人垣に隔てられ、遠ざけられているのだと。
掠れていく弟の声に、認識せずにはいられません。
クレイ、あの子と離されてしまうなんて。
巻き添えにせずに済んだ、と心の片隅で思いもするのですが。
ですが、わたくしは子供。
強い感情で思ってしまうことを、理性で承服できる筈もありません。
わたくしの可愛いクレイ……
突然こんなことになってしまって、泣いているかもしれません。
まだ3歳のあの子には、状況の流れなど理解できるとも思えませんもの。
両親が亡くなって以来、常にわたくしと弟は一緒におりました。
『死』を理解できないまま、両親の姿が見えないことで心細そうにするクレイが心配で、心配で……。
いいえ、クレイにばかり理由がある訳ではありませんわね。
両親の代わりに、弟はわたくしに一緒にいてほしがっておりましたけれど。
両親を亡くして、わたくしの心には穴があきました。
心の隙間から吹き付けてくる冷たい風が……辛くて、寒くて。
わたくしもまた、弟に共に居てほしかったのです。
わたくしも弟も、不安で、寂しくて、側に家族のぬくもりがないことは耐えられないことでした。
……だと、申しますのに。
彼らは問答無用でわたくしと弟を引き離した。
理性では制御できない感情の海が、荒らぶります。
いいえ……感情はもう、『海』などではありませんでした。
決して凪ぐことのない……感情の炎が燃え上がります。
耐え難いほど、抑え難いほどの怒りが。
わたくしの小さな胸の内で暴れ回るのです。
――『教主国』、許すまじ。
今までに何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も思ったことではありましたが。
今この時、より強く……これまでになく、許すまいと思ったのです。
何度も重ねて受けた非道な扱いの中でも、最たるものの1つとして今回の件は……復讐リストのトップ5に、燦然と輝き躍り出ました。
もしも弟が、クレイが涙の1粒も落していようものなら……
……明言は避けましょう。
ですが、もしもそのような事態が起きていたとすれば。
わたくしは自分でも、何をするのか……
これ以上に無い程、わたくしは怒っておりましたけれど。
わたくしの顔は、微笑を浮かべておりました。
ええ、腸の煮えくりかえる思いを、腹の底に隠しているだけです。
如何なる時も感情を制御し、表面上は微笑みを湛えて穏やかに振舞うのが淑女の礼儀。
こんな時でも、わたくしは母の教えを忘れはしません。
きっと、わたくしは動じていない様に見えることでしょう。
薄く微笑みを浮かべ、ただ周囲の暴挙に困ったように見せながら……吊りあがりそうな眦を、抑えつつ。
信者の方々に周囲を包囲され、退路を塞がれて。
促されるまま、大聖堂の奥へ奥へと連行されていきながら。
わたくしはひたすらに復讐の算段を考えておりました。
「……わたくしを、どちらに連れて行くおつもりですの?」
善意と信仰心しかお持ちでないような信者・聖職者の方々を先導するのは、ミケーネを聖女であると声高に宣言なさった老司祭の方。
どさくさの中、この老人が信者達を扇動している姿が視界の端に見えておりました。
この老人も、許し難いですわね……。
顔と声、装束に付けられた階級章のようなものをしっかりと覚えます。
「怯えることはありません。聖女様には御位に相応しいお立場とお姿にて式典に列席していただきたく……お支度の準備は既に整っておりますので、どうぞ此方へ」
既に準備は整っていますのに、ミケーネへの事前告知は無かったのですか。
言外に、わたくしを逃がさない、このまま絡め取るつもりだという意図が透けて見えました。
わたくしは敵地にて孤立無援、単独で周囲を固められ、何処とも知れぬ奥の奥へと連行されている最中。
『教主国』の方々の意図は、まだ明瞭とは申せませんが……『聖女』とは体の良い生贄だ、とも耳にします。
状況は絶望的と言っても過言ではありません。
ですが……クレイが泣いているかもしれないと思うと、ふつふつと胸の奥から力が湧いてきます。
クレイ……わたくしに残された、たった1人の弟。
あの子がわたくしに力をくれるのですもの。
気力を失わない限り、わたくしはまだ前を向いていられます。
わたくしをこんなに怒らせて下さいました、『教主国』の方々。
彼らに、存分に 生 き 地 獄 をご覧にいれて差し上げるまでは……わたくしは、何があったとしても死なない覚悟を決めました。
そして。
落とし前、というものも回収しなくてはなりませんわね。
「ティタニス・ルタトゥー……この不始末、覚悟していて下さいませね」
わたくしと『始王祖』様の、入れ替わりは当然ながら機密に当たります。他に知れては意味がありませんもの。
使節団の責任者である、第1王子殿下にすらお伝えしていなかったのです。
内々に口を噤んでいたものを、『教主国』の密偵が有能だったとしても……簡単に事実を掴んだ、と都合良くは考えられません。
『青いランタン』の方々が隠蔽して下さっていましたのよ?
内部からの密告があったとしか考えられないのです。
そして……密告があったと、仮定して。
『教主国』の方々が嘴を突き入れる隙は、1つしか思い当たりません。
このような、重要な情報が流れる事態も想定出来ましたが故に、より迅速な『贄の民』の方々の確h……解放を望んでいましたのに。
ティタニス・ルタトゥー。
わたくしが預かる、『贄の民』の青年。
彼は元々『教主国』の走狗として動いていましたし……残念ながら出会った時の経緯に加え、彼が今までに歩んできた人生や民族意識を根底に敷く思想等もあり、わたくし達との結束はあまり強い物ではありません。
何より彼の出身一族は民族丸ごと『教主国』から飼殺しの憂き目に遭わされているのです。
彼らをわたくしが解放し、手元に置いていたのであればともかく。
『贄の民』の身柄が『教主国』押さえられている現状、ティタニスが『教主国』の者にそそのかされた時……拒みきれるとは思えません。
漏れ伝わる筈のなかった、機密。
ティタニス……貴方が漏らしましたわね?
裏切りと一言で切って捨てることは出来るでしょう。
ですが身上を考慮した際、同情すべき点は確かにあります。
同情出来はするのですが……
わたくしを裏切ったことに変わりはありませんわよね?
許せなくはありません。
けれど、けじめはとても大切だと思うのです。
様々な点を考慮し、総合的に判断したとして。
この事態を引き起こした事に対する刑罰は、公正に考えようと思います。
やがて、わたくしが私刑の案を吟味している間に、道は終わりを迎え。
眼前にそびえる、大きな扉へと通されました。
扉の壮麗な装飾は、この際どうでもよろしいのですが。
半ば強引に押しこまれた先は……先程までわたくし達がいた儀式の間と、似たような空間でした。
天井は高く、見通せず。
明り取りの窓や照明が極力抑えられている為か、薄暗がりの広がる広間の様な場所です。
扉から向かって、正面……空間の奥には、先ほどの部屋よりは小さい物の、細工の精緻さでは上を行く祭壇が整えられており。
祭壇を置くから照らす形で、大きな薔薇窓が室内に色とりどりの光を落しておりました。
室内の暗がりが、薔薇窓の光と合わさって互いに協調し合い……非日常を意識させる、特異な空間を作り上げております。
そして特異の最たるものである祭壇の左右に控えるようにして。
装束からして見るからに『教主国』の宗教上の幹部だと判断できる……幾人もの老人が、隙の少ない立ち姿で並んでいらっしゃいます。
わたくしのような小娘に、無言の圧力をかけるのは如何なものかと思います。
『教主国』の中心の、最奥。
明らかに一般には秘された、特別な場所……秘儀の間。
今から何事が起こるのか、わたくしは知らないままに。
不本意ながら、わたくしを待ち受けていた老害共の前に、身一つで立たされることとなりました。
皆様、このような事をして……一体、どういうおつもりですの?
みれーぜ(8)
現在の状態:激怒
次回、クレイちゃま初の単独(?)行動。
クレイ「ねえしゃま、どこー……?」
お姉様の姿を求めて彷徨うクレイちゃま。彼は探索の果てに何を見出すのか。
黒歌鳥の思し召しか、運命か。
エルレイクの名を持つ二人が見つけたモノは――……。




