その頃、ギルは遠地で救い主に出会い 3
なんか前回、カオス君が宣言していたほどにはカオス全開になりませんでした……。
どうやら、カオス君の真の出番は、「あの人」が本格的に活躍する回までお預けになりそうです。
ギル達は、邪龍を封じる為に不動を強いられ。
魔女さんは『贄の民』の幼女を攫おうと迫る黒騎士を足止めし。
そんな中でタリッサが里人達の避難を指示する前に、不意に不穏の影が立ちはだかった。
ずしゃ、と。
重い足音が、その場に響く。
邪龍の招いた、黒い靄が地中から噴き出している。
そこから新たな影が、この地に重い一歩を踏み出した。
黒騎士と同一の、黒い結晶体に覆われた……新たな、黒騎士。
まるで虫のような奇怪な形状と化した腕や、足。
人間の面影を残さぬ、奇形の身体。
だがそれは確かに、かつては人間だった。
人間だったと、タリッサが誰よりも知っていた。
彼女の目の前に、重い体を引きずるようにして現れたのは……
「ばぐ、ぼると……?」
虚ろな女の声が、静寂に満ちた場に響く。
その場の誰もが、新手の黒騎士に注目し……目を離せずにいる。
――バグボルト。
それは新たな黒騎士の、昔の名前。生きていた頃の名前。
新たに現れた黒騎士は……かつて、致命傷を負いながら邪龍に奪われ姿を消した……老戦士バグボルトの変わり果てた姿だった。
かつての面相の半分だけが、かつての名残を示す。
他の全てを黒曜石の様な結晶に覆われた中で……悪趣味なことに、顔の半分だけが結晶に覆われることなく剥き出しになっていた。
だが、剥き出しになっていても。
それは無残さをより際立たせるだけ。
外気に晒された顔は……明らかに、この世のものではない。
既にあの世に渡った者の顔だ。
ぼろり、と。
タリッサの目から涙が零れた。
邪龍に奪われるまで、『彼』は常にタリッサの側にいた。
背後に控えるような、控え目な態度ではあったが。
それでも彼女の側にいて、そして見守ってくれている人だった。
まだ若い彼女を守る為に。
『教主国』に重い任務を背負わせられた彼女が、潰れてしまわない様に。
凄腕の戦士だった。
戦士としての技量を、全部タリッサの為に惜しみなく振るってくれた。
彼女は、この壮年の戦士が大好きだった。
だって、何故なら。
「バクボルト……お、おとう、さっ」
壮年の、『贄の民』の戦士は。
他ならぬタリッサの、父親なのだから。
残酷な再会に、今までずっと恐怖に怯えてきた女の心は。
今度こそ、再起を望むのも痛ましい程に。
完璧に、折れて砕けた。
地に、へたりこむ若い女の姿に。
結界に手こずらせられながら、邪悪な気持ちに胸を満たした龍がにたりと嗤う。
面倒な結界への苛立ちが、目の前で思いがけず展開されつつある『見世物』への愉悦を高める。
苛立てば、苛立つ程に。
堪った欝憤の解消を兼ねて、悲劇が見たくなってくる。
目の前の女は、確かに言ったのだ。
既に命を失い、異形へと堕ちた男を目にして。
既に人間でも何でもない、黒い結晶の塊を前にして。
――父、と。
それがとうの昔に人間とは別物に成っていたとしても。
ただの死体、ただの肉塊と成り果てた過去の遺物であろうとも。
人間ではないモノの支配下で変貌を遂げた、化け物であったとしても。
人間とは、積み重ねた情を易々とは捨てきれない。
矮小にして愚かな生物だと、龍の嘲笑が深まりを見せる。
あれ程に変わり果てた姿を前にしても、未だに父と呼ぶのだから。
父と呼んで、諦めきれずにいるのだから。
で、あれば。
ここはとびきり劇的に、『感動の再会』を演出してやろう。
そうするべきだ、と邪龍は胸中で深く頷く。
邪龍は本当に愉快そうに目を細め、命じる声をかけた。
それは、ねっとりとした声で。
『バグボルト、その女を殺して、食え』
残酷な言葉に、その場の皆が戦慄した。
我が子と覚えているのか、いないのか。
それすらも定かではなく。
ずしゃり、ずしゃりと重い物を引きずるような足音を響かせ……2人目の黒騎士と化したバグボルトは龍の言葉のままに従った。
その動きを、目的を。
地に蹲ったまま、震えて動けずにいる若い女へと。
変わり果てた父親を前に、娘は目を見開いて見つめ続けることしか出来ずにいた。
逃げることも立ち向かうことも思い浮かぶことすらなく、全ての気力を奪われて……ただひたすらにゆっくりと近づいてくる父を座して待つのみ。
信じられない、信じたくない現実を前に女は童よりも無力だった。
彼女の瞳から流れ出る涙は、乾くことを知らない。
「く……っ」
咄嗟に、身を翻してギルが駆け付けようとするが。
「……っ駄目よ!」
魔女の声が、彼の動きを押し留めようと鋭く響く。
「今『精霊騎士』達が動いたら、結界が破れてしまう。邪龍までもが解き放たれたら、手が付けられなくなってしまうわ!」
「でも、魔女さん……っ」
「駄目なの、駄目よ! 貴方達は、動いちゃいけない」
理性的な少女の声は、だが血を吐くように悲痛な響きで。
強く食い縛った唇の端、柔い皮膚が破れて血が滲む。
「本当は、私が駆け付けなくちゃいけないのに……っ」
だが魔女は、黒騎士の足止めに手一杯で駆け付けられそうにない。
黒騎士は未だに『贄の民』を害そうと、歩みも止めず、腕も止まらず。
魔女さんが食い止めていなければ、異形の魔手はとうに目的を達していただろう。
それを置いて駆け付けることは、他の人間を犠牲にすることを意味する。
誰を救い、誰を見捨てるのか。
あまり人と関わらずに生きてきた魔女に、その決断は容易ではない。
あんな無力な様子の女性をどうして救えないのかと、感情を制御できずに裂けた唇の端へと歯を立てる。赤くてぬるい血が、顎を伝った。
『精霊の騎士』として結界を成す男達もまた、身が引き裂けそうな思いで。
ただ惨劇を見つめるしかないのかと、歯軋りの音が鳴る。
今や至近と呼べる距離まで接近した黒騎士・バグボルト。
戦士の無骨さを残す腕と、昆虫めいた異形の腕と。
2本の腕で、人間であった頃から使っていた剣を振り上げる。
自分の娘へと、身体ごと命を絶つ為に。
正気を失ったような様相で、ただ漫然と自分に向かってくる剣を……死を見上げるタリッサ。
邪龍を抑える為に、仲間達は動けない。
ただ彼女が切り殺されるのを、見ているしかないのか。
使命の為に、今まで行動を共にしてきた彼女を見捨てなければならないのか。
感情と理性が、人間の狭い肉体の中で大きく渦を巻いて悲鳴を上げる。
暴れる衝動を我慢できずに、血反吐を吐くような声でギルが叫んだ。
「若、アロイヒ様――っこんな時に、貴方がいてくれれば……!」
彼の知る中で、悲痛な現実を打破するに最も効果の高い希望。
彼にとっての、強さの象徴。
ギルの最も信頼し、尊敬する――英雄の名。
どんなに悲惨な状況でも、彼さえいてくれればと……
その名を、この場で叫ばずにはいられなかった。
だがアロイヒは、諸刃の剣だと思われます。
果たして、その願いは誰かに届いたのだろうか。
救いを求める声を拾い上げたのは誰なのか。
彼らを見守る精霊だろうか、それとも王国を守護し続けた『始王祖』だろうか。
あるいは……?
誰もが絶望に瞳を黒く染めた、その時。
タタンッと、軽い音がした。
軽い、軽い、足音が。
響く、間隙を貫き、駆け抜ける。
場違いな軽やかさで、ふわりと動きに遅れて亜麻色の髪を揺らし。
青玉めいた鮮やかな瞳を、ぱちくりと瞬かせて。
しかしのんびりとした仕草に反し、その踏み込みは苛烈。
前触れもなく現れ、誰かが気付くよりも早く駆け抜けて。
――ざしゅっ
振り抜いた刃が、鋭く陽を弾いて残像めいた剣光を残す。
放たれた一撃は、異形の騎士ごと地を割った。
「……あまり良くない状況みたいだったから、思わずやっちゃったけど――」
救いの主は何気ない様子で、まるでただの偶然かの様に。
あるいは、この場に現れたことが既に定められていた必然だったかの様に。
ただ気負いなく、その場に現れた。
そして軽い剣の一振りで、いとも容易く絶望を払うのだ。
「――これ、斬っちゃって良かったのかな!? もう斬っちゃったけど!」
ただし、己の言動にクラッシュされる場の空気までは考慮しない。
そして今回その手に握っているのは、何故か剣ではなく肉切包丁だったが。
……恐らくそれも仕方がないのだろう。
青年の立ち姿……衣服の上にエプロン(ペンギンのアップリケ付)を着用している事や三角巾を着用している点を鑑みるに、恐らく彼は昼食の準備中だったのだろうから。
料理していたところを、一も二もなく駆けつけてくれたのだろうから。
だから、贅沢を言ってはいけない。
この場に駆け付けた救い主の格好が……どれだけ気の抜けるものだったとしても、贅沢は言っちゃいけないんだ。
何しろ当の本人が、こんな緊迫した現場に乱入して置いて、自らを省みることもなく……全く、本当に全く己の言動や身嗜みを気にする素振りが欠片も見当たらないのだから。
登場ついでの一撃で一刀両断にされた絶望さんは、今しも犠牲になりつつあった乙女の実のお父さんだったのだけど、その辺りも考慮しない。
事情を全く知らないのに、考慮しろと言うのも少々無理があったのだが。
絶望的な状況をひっくり返し。
娘であった相手を殺そうとした黒騎士と、殺されようとしていた乙女の間に割入って、推定加害者を真っ二つにしてしまう。
まるで物語の英雄の様な、劇的なタイミングで現れた彼は――。
しかし、自分が何をしたのか把握はまるで出来ていないようで。
首を傾げながら、青年は更に包丁を振るう。
「……うん? あれ? このひと往生際悪いなぁ」
どしゅっ
包丁が振り下ろされた先には、バグボルトの胴。
無造作に、刃はバグボルトへと突き立てられた。
倒れ伏した肉体は、再生を試みようとしていたところを……青年の包丁で、追い打ちをもらい。
一体どんな効果があったのか……何を、斬り裂いたのか。
ぶわっと。
まるで、桜吹雪みたいに。
バグボルトの肉体だったモノが、塵のようになって砕け散った。
空気に溶けて四散するその様を、居合わせた皆は唖然と言葉を失って見守るしかない。
結界に封じられた邪龍もまた。
顎を落として凝視していた。
もしかしたらその顎は、外れていたのかもしれない。
黒騎士と成り果てたバグボルトに、問答無用と冥府での眠りを与えて。
幼さの残る顔で、青年は朗らかに笑う。
まるで春の陽のように、柔らかく優しげな微笑を溢しながら。
「やあ、みんな。なんだかお揃いみたいだけど、こんな場所で何を…………はっ。ま、まさか」
ほわっと笑っていた、優しげな顔。
だがそれを、青年は見る間に青褪めさせる。
何かに思い至ったのか、信じられない……信じたくないという面持ちで。
唇も震えるままに、青年は唖然と自分を見る『精霊の騎士』達へと叫んだ。
「もしかして同窓会でもあったのかっ? え、僕、何も聞いてないんだけど……仲間外れにされた訳じゃないよね!? 違うと言ってほしい!」
なんか困ってそうだったから、取敢えず手を出した。
この場の救い主となった彼は、後にそう語った。
そしてこの時、エラルは思ったそうだ。
――この現場が同窓会の会場に見えるのなら、目を全洗いして目医者にかかってから出直してこい……と。
ギルたちの窮地に駆け付けた、この人物は一体――(棒)!?
ちなみに次回はミレーゼ様視点に戻ります。
ミレーゼ様「わたくしとしたことが、抜かりましたわ……!」




