アレン様はいま一体どのように過ごしておいでなのかしら
今回はアレン様の状況について、ということで。
敬い奉るものは、祖先の御霊と自然に宿る精霊たち。
祖先崇拝と精霊信仰の根強く生きる国では、『神』という概念も異質なものと成り果てる。
その『神』を崇め、崇拝する他国とは継承する文化も民族も宗教間も異なるのだから当然だ。
そんな、この国において。
――『神』を奉る宗教の総本山、『教主国』の宗教的名誉職である『聖女』に、と。
思いもよらぬ推挙をこの国の人間が受けるのは初めてじゃないか。
今日も青い空が遠い。
四角く切り取られた窓の風景を眺めながら、アレンは思った。
やっぱりこれ、軟禁だよね……と。
『教主国』からウェズライン王国の侯爵令嬢ミレーゼ・エルレイクへと『聖女』への就任を求める通達が来てから、早数週間。
王宮にいる筈の通達を受けた本人が、何故か不在だった為。
どうせ申し出を受けはしないだろうと思いながらも、本人が不在では最終的な意思確認が不可能……という訳で。
返事の先延ばしと不在を隠蔽する工作の為、何故か伯爵家の立派な子息であるアレンが犠牲になった。
決断下して指令を出してきたのは、ピートと第五王子様。
一応事情は伝え聞いていたけれど、ちょっと歳の離れた女の子の替え玉をして相手の目を誤魔化せ……とか。
まだまだ子供のアレンに頼むべき事柄じゃないと思う。
他に適任者がいないからと、詰め寄られて。
勢いで頷かされたかと思えば、言質を盾にほとんど強要された。
そのお陰で、アレンは今。
女装した上に常時ヴェールを被りっ放しという怪しい格好で宗教施設に軟禁されていた。
断るにしても話を聞いてほしい、決断を下す前に少しでも『教主国』の宗教を理解してもらいたい。
国を通しての正式な提案は、きっぱり断るには分が悪い。
国を通していることと、正式な書類を整えての提案であったことが、断り難くしていた。
一時的な替え玉だから、と。
仕方なしに渋々了承しただけだったのに。
アレンはそれ以来ずっと籠の鳥も同然だ。
だって、外に出してもらえないのだから。
ほんのちょっと、数日だけ。
王都にある『教主国』の宗教施設に泊まり込みで彼らの信仰について理解を深める、というのが目的だった筈なのに。
蓋を開けてみれば、このザマだ。
日中、『宗教の勉強』はするものの。
施設の出口からは遠く遠ざけられ、もうずっと外に出してもらえていない。
こちらから抗議しようにも、のらりくらりあの手この手でうやむやにされてしまう。
数日の滞在がいつの間にか数週間に、そして数か月に伸びる気配を見せている。
このままじゃ年単位で捕らわれる。
いや、そうこうしている内に『聖女』の位も、こちらの意思丸無視で強要されるかもしれない。
この状況はまずい、と。
アレンの焦燥は日に日に募っていく。
外部との連絡さえままならず、本当に籠の鳥にされた気分だ。
このままじゃミレーゼ様本人ではないことが露見するのも、時間の問題である。
幸い、此処は宗教施設。
御令嬢の扱いが行き届いているとは言い難い。
精神修養と修行の理念を根底に、身の回りで出来ることはなるべく自分でするよう推奨されている。
それに救われて、アレンは性別バレせずに済んでいた。
ミレーゼ・エルレイクの召使として同行したレナの功績も大きい。
まだ子供と言って良い年齢ながら、色街の置屋で下働きとして育ったレナは、女性の世話に関してはとても気の利く女の子だった。
置屋の姐さん達の世話で磨いた気配りが、意外にも宗教施設で本領を発揮していた。
「『ミレーゼ』、調子はどうだ?」
「オスカー様……」
気鬱になること間違いなしの軟禁生活の中。
唯一の救いは道連r……苦難を共にする仲間がいたことかもしれない。
ただでさえ女の子として扱われて困り果てることの多い毎日だ。
ピートの手配で同行したオスカーは、アレンにとって友人以上に苦労をわかってくれる理解者として重要な存在になりつつある。
――『非公式の婚約者』として、実際にそんな話は未だ影も形もなかったのだが、そういう名目をつけて『幼いミレーゼ』の後見人代りに同行させられたオスカー。
本人も未だ少年なのだが、その『公爵家跡取り』という肩書が勝手に『教主国』の人間達に睨みを利かせている。
公に強い影響力を持つ立場の、少年。
子供であるだけに、生半可な誤魔化しは逆効果の危険性がある。
そんな相手が同行しているということが、『教主国』の者達に対する何かしらのストッパーになっていることは明らかだ。
今も、不審がられることを恐れてか、軟禁されている『ミレーゼ』に対してオスカーが面会を求めれば、比較的速攻で許可が下りる。
彼の目がなければ、近くにいなければ。
『教主国』の者達による『ミレーゼ』への扱いはもっと強引なモノになっていたかもしれない。
今でも、かなりギリギリだが。
面会の制限や事実上の軟禁に対して、『教主国』の者達は本気なのかとぼけているのか『禊』や『穢れ払い』等と宗教的な必要性があってのことだと言う。
時にオスカーでも面会許可が下りない時が、まさにそれだと言うのだ。
今は人との接触を可能な限り最低限に抑えることで、俗世の穢れを落としているのだとか。
『聖女』自体が数百年に及んで不在の席であった為、どのような規則や制限が取り巻いていたのか……その実際を知る人間が誰もいない。真偽の程は、宗教という闇の中に消えていく。
「オスカー様……僕、もう限界なんです」
「しっかり、しっかりするんだアレン!」
「僕、僕…………やっぱり『ミレーゼらしく』振舞うのは無理だから! 彼女が物事に対してどんな反応を示すか、僕がそれをやって許されるのか、全然わからない!!」
「アレン、声が大きい!」
「どうでも良いけど、アンタら堂々と名前出し過ぎでしょ。どっちも言葉に気をつけなさいよ」
ストレスの多い生活の中。
アレン少年は本人の言葉通り限界に達していた。
演技の、ではなく精神の限界に……。
そんな毎日が、一ヶ月に達した夜。
事態は動いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
とととんとととんとんとんとん♪ ととっちょ!
特徴的なノック音が、天井から響いた。
就寝準備を整え、布団に潜り込もうとしていたアレンがハッと頭上を見上げる。
もしや、待ち望んだものが?
アレンは逸る心を押さえ、慎重に合言葉を口にした。
「『おお、偉大なる大王よ!』」
「『にゃー』」
「『威厳に満ちたその声で、我らの道行に託宣を下したもう!』」
「『にゃー』」
間違いない、アレンは確信を抱いて寝台を飛び出した。
「今なら誰もいない。降りて来てくれ」
「それでは遠慮なく」
「…………って、え?」
ふわり。
髪と、ひらりひらりと薄い布地が翻った。
空気抵抗など知らないような軽やかさで、フィニア・フィニーが『ミレーゼ』に与えられた部屋へと舞い降りる。
だけどその腕の中には。
もう、何日も見ていない。
その安否を心配していた相手。
ミレーゼ・エルレイク(本物)が、そこにいた。
2人に続くように、更に『青いランタン』の少年が数人天井裏から降りてくる。
その腕にはそれぞれ、すやすやぐっすり眠るクレイと……謎の人形が抱かれていた。
小柄な姿を見止めて、アレンは唖然としてしまう。
まさか本人が来るとは思わなかった。
アレンは茫然と小さな幼女を見下ろした。
彼女が危険のある、この場所に自ら……クレイまでをも伴って、足を運ぶこと。
それはアレンにとって、思ってもみないことだった。
「お久しぶりですわね、アレン様」
「み、ミレーゼ……? 本物、の?」
「まあ、わたくし以外のどなたに見えますの? アレン様ったら、面白いことを仰いますのね」
ころころと笑う少女の声は、やっぱり少年の聞き覚えのある声と同一で。
本物だと確信しているのに、何故か夢でも見ているような気がしてきてしまう。
これがちゃんと現実だと確かめるように。
アレンは思わず、自分の頬をぎゅむっと引っ張っていた。
少年の柔らかな頬は、餅みたいに伸びて痛みを訴える。
これは確かに現実なのだと、アレン少年に訴えかけてくるように。
「長らく、危険なお役目をお任せしてしまって申し訳ありません。一月もの間、わたくしの身代りは大変でしたでしょう? 大変な思いをさせてしまいましたわね……有難うございます」
「大変なんて、そんな。ミレーゼだって、色々大変だったんじゃないの? お城から急に消えちゃったって言うし、お家のことでなんか新事実が出たとかオスカー様伝いに聞こえてきたし。……ミレーゼの方こそ、大丈夫なの!?」
「お優しいお言葉、痛み入りますわ。わたくしは、大丈夫です。………………わたくしは、ですけど」
そう言ってうっすらと零す、ミレーゼの含み笑い付きの微笑みに。
ああ、うん、そっか、周囲の人が大変だったんだね、と。
妙な納得を込めて、アレンは思わず頷いていた。




