わたくしのお兄様の武勇伝(やんちゃ系)
8/9 誤字訂正
耐えるのも苦痛な、退屈な時間(授業)もようやっと過ぎ去りました。
教示していただく身として、このようなことではいけないと思うのですが…
それでも苦痛だったという感想が咄嗟に浮かんでしまったのです。
わたくし自身、内心でこの授業をどう判断していたか知れるというもの。
…せっかく授業をしていただいて、いますのに。
残念でなりません。
ですがわたくしの態度も悪かったのです…わたくしも、反省すべきでしょう。
「んんぅ…っ やっと終わった!」
「アレン様…そんな堂々と、伸びをなさるなんて」
「だって、窮屈だったし。この開放感、背筋が伸びる」
「まだ先生だって側にいますのよ…? 失礼ですわ」
「そう言ってるけど、ミレーゼもなんだか疲れてない?」
「………そんなこと、ありませんのよ?」
天のお父様、お母様、お許し下さい…。
……ミレーゼは、何の罪汚れも落ち度もない男の子に嘘をつきました。
内心で思っていることは、おくびにも出しません。
これを出してしまえば、アレン様の勉強推進係失格ですもの…!
今はまだ幸い、兄の名による効果のお陰でしょうか。
アレン様はわたくしと話したそうにしてくださいます。
ですが先程までブルグドーラ女史の発する催眠波と戦っていたばかりです。
この部屋では、退屈という感情が染み付いていてやる気もでないでしょう。
「アレン様、今日はとっても気持ちのよいお天気ですわね」
「あ、そうだな。風も涼しいし、遊びに行きたいな…」
「ふふ。アレン様はお外で遊ぶのがお好きなのですか?」
「そうだな…ミレーゼは、そうじゃなさそうだけど」
「必ずしもそうだとは限りませんけれど…
そうですわ。アレン様、今から中庭に参りません?」
「え?」
外はとても気持ちよさそうで。
そして、授業を受けたこの教室は心なしか陰湿(心象風景)で。
そう思ったので、わたくしは空気を入れ替えるために場所替えを訴えました。
だってこれから、改めてじっくりとお話させていただくのです。
でしたら、少しでも質のよい環境の方がよろしいでしょう?
「お約束、していましたでしょう? わたくしのお兄様について」
「あ! …そうだった。授業があんまり眠くて、眠気に注意してたら忘れてた…」
「アレン様…正直な方ですのね。でも、こんなに素敵なお天気なんですもの。
どうせなら兄の話も、中庭に行ってから致しません?」
こうして、わたくし達は中庭へと場所を移しました。
レナお姉様がお茶の準備の整ったカートを年配の使用人から預かってきて。
「レナお姉様も座って下さいますか?」
「そう? こういう時、メイドって立ってるもんじゃないの?」
「お姉様はにわかじゃありませんの。身内しかいない場所では構いませんわ」
「アレン様もいいわけ?」
「僕もそこまでこだわりはしないけど」
「そう。じゃ悪いわね」
そう言って、レナお姉様は即座に席につかれ、平然とお茶に口を付けられます。
それから身長が足りなくて椅子に1人で座れない弟を、わたくしの膝に乗せて。
さて、これでお話の準備完了です。
庭に準備した小卓に、4人。
互いの顔が見えるように座って。
さあ、存分にお話致しましょう。
「それでは、兄について語らせていただきますけれど…アレン様のご希望は?」
「やっぱり武勇伝について聞きたいな。身内の方の視点から」
「そうですか……ええ、わかりました」
今日、アレン様が勉強部屋で退屈と戦った時間は、3時間。
その間に加算された追加点は2。
お約束通りなら、計5回分の点数が溜まっています。
わたくしは記憶を掘り返しながら、兄の武勇伝について思い巡らせました。
一体、どのお話をしましょうか…
1.兄が飛んだ日(5年前)
2.兄が沈んだ日(4年前)
3.兄が蛇を取ってきた日(3年前)
4.兄が燃えた日(2年前)
5.兄が猿の群れのボスになった日(1年前)
………こんなところ、でしょうか。
わたくしは語るべき逸話のラインナップを作成し、溜息を吐きました。
少年の夢や憧れを粉砕するのは、それがどんなものでも心苦しいのですね。
出来れば、知りたくなかった感覚です。
「では、お話させていただきましょう――」
~1.兄が飛んだ日(5年前)~
「あれは、5年前……わたくしが、まだ3歳になるかならないかの頃です」
「5年前っていうと、アロイヒ様は18歳か」
「そう、18歳……兄が今のエラル様と同じ年の頃ですわね」
だというのに、この違いは何なのでしょう…。
「当時、領地に有る我が家の城には6階建ての塔があり……」
塔の上からは屋敷の外に広がる森を観察できました。
その塔に兄が登った時、悲劇は起こりました。
「ん…悲劇?」
「塔に登った段階で、兄が小脇に抱えていた布に言及すればよかったのですが…誰も、兄がそんなことをするとは思っていませんでした。突然のことだったのです」
「んんん…?」
「今日は飛べる気がする。兄は言いました」
そして…!
「兄は、両手両足に大風呂敷の端を結び…6階から空へと飛び出したのです!」
「!?」
「なにそれ自殺志願? アンタの兄さんってまだ生きてなかったっけ」
「おにーしゃま、とべゆの? とべゆの???」
「勿論、人間の身で空など飛べるはずがなく…! 飛び出した推進力で少し塔からは離れましたが、当然の如く失墜。兄は、墜落しました!」
「!!?」
「死んだわね」
「お、おにーしゃましんじゃった…? し…???」
「兄は、遠く離れた硬い地面まで転落。無傷でした」
「いや、それおかしいでしょ」
「あゅー? おかしぃにょ? でもでもだって、おにーしゃまだよ?」
「そうね、クレイ。お兄様ですものね」
「え………なにその認識」
「真似すると大変なので、クレイにはお兄様は別物で、わたくし達とは同じではないのですと。決して真似しちゃ駄目だと教えてあります」
「あい!」
「アンタらにとって『お兄様』って怪物か何か?」
「似て非なるものだと考えております。率直に申し上げて、近い何かですわね」
「言い切ったよ、この子…!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ…!」
わたくしがレナお姉様と楽しく歓談していると、話の結果に硬直していたアレン様が混乱した様子で待ったをかけてきます。
黙りはしないでしょうと思っていましたので、わたくしもアレン様を窺います。
アレン様は、混乱の極みにいるようでした。
「待て、え…5年前?」
「はい。今のエラル様と同じ18歳の頃です」
「え………いやいや、というか」
「はい」
「俺が聞きたかったのは、そういうやんちゃ系の武勇伝じゃない…!」
「でも、武勇伝は武勇伝ですわよ? 正直に申しますと、こういった系統以外の武勇伝はわたくしも存じませんし」
「家族なのに!?」
「家族だからですわ。誰もあえてわざわざ家の中でそういった話をしようとはなさいませんでしたし…幼子に聞かせる話ではないと思われたのでしょう」
「普通、弟妹には自慢げに聞かせたりしないか…?」
「ご家庭により様々でしょう。それに兄の場合、外で遭遇するそういった真っ当な武勇伝らしい出来事は、兄にとって重要でもない瑣末事のようでしたし。どんな敵に遭遇してどう倒したかより、山奥で見つけた謎のきのこをどう調理したら美味しく食べられるかの方が重要のようでしたわ」
「色々な意味で危険すぎる冒険は止めた方がいいと思う…!」
「そうね、謎のきのこはそっとしておいた方が…当たると、洒落にならないし」
「わたくしも見て明らかに食用じゃないと申し上げたのですが…食べてもぴんぴんしていたので、お兄様は胃袋まで人間離れしていたのかもしれません」
「はっ…いつの間にかきのこの話に話題が移っている!?」
「言い出したのは若君じゃん」
「切り出したのは、ミレーゼじゃないか。そうじゃなくて、俺が言いたいのはっ」
「わかっています。わかっていますわ、アレン様」
「ミレーゼ…」
「先程の話(兄が飛んだ日)の顛末、ですわよね?」
「違う…っ けどでも! ちょっと気になる…!」
「転落した直後、直ぐにお母様に捕まりましたわね。それから正座でお説教されていましたわ…わたくしの目の前で、お兄様は飛び降りたんですもの」
ちなみに、わたくし当時3歳。
幼子でも危険と分かる領域から飛び出した兄の姿に、口を閉じることも出来ず。
幼心に衝撃を受け、夢の世界に逃避しましたら倒れたと勘違いされました。
「そう、いつもは穏やかなお母様が、眉を吊り上げて…」
「当然ね。あたしでもお説教3時間コースよ」
「ええ。お母様も激しくお叱りになっていました。『幼い妹の目の前で飛び降りるなんて! 真似をしたらどうするのです!? あの子は貴方と違って普通の女の子なのですよ!?』…と」
「それ、あんたの母さんも論点ずれてると思うわ」
「そうですの?」
レナお姉様の半眼での指摘に、わたくしは首を傾げてしまいました。
そうはいわれましても…我が家にとっては、もはや兄の非人間(身体能力的な意味で)は当然のもののように受け止められていましたし……無茶をするなというのも、本人のじっとしていない気質的に、無理な話で。
何事も、今更という言葉が適用されると思います。
そうして兄のとんでもなさは、我が家では既に今更なことで。
その点に言及しても、疲れるだけだったんじゃないでしょうか?
あまりに衝撃的過ぎて、兄の記憶は結構しっかり残っている模様。
ミレーゼの一番ふるい記憶は3歳からです。




