歪みの果てから、いらしたものは
殿方とは、時として越えられないモノを……
超えてはならないモノを、平然と超えてしまうものなのでしょうか。
物理的に。
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人外人形は、やはり人外でした。
前々から重々承知していた事柄ですけれど、この度の件で再認識する思いですわ。
わたくしと生き写しの、人間の幼子に見える姿へと変貌を遂げた『始王祖』様。
彼の方のお姿を目にした使用人達の反応は……思い出したくもありません。
ただ、わたくしからは一言のみ。
ここは声を大にして言わせていただきましょう。
「この方は、断じて、わたくしの父の隠し子などではございません……!!」
何故に、『始王祖』様を見る人、見る人。
全員がお父様の隠し子説を信じてしまいますの!?
死人に鞭打つような真似は控えていただきたいものです。
お父様に濡れ衣を着せようとするのは止めて下さいませ!
これこそ事実無根というもの。
これで根も葉もない噂が蔓延ろうものなら……両親に申し訳なさ過ぎて、わたくし、元凶である『始王祖』様の首を絞めてしまうかもしれませんわ。
こう……きゅっと。
「お嬢様、人の首を絞める時はこう、喉仏のあたりに親指をかけて、下から押し上げる様に……」
「控えなさい、ギル。貴方は女性に何をレクチャーしようと?」
「あ、差しでがましい口を聞きました。つい、お望みだろうかと先走りましたね」
「そもそも、何かことを起こす時にわたくしが手をかける必要などありませんのに。どうしてわたくしが手ずから絞めなくてはなりませんの?」
「つまり、実行犯は他のモノにやらせる、と……うわぁ、若様にはなかった発想ですね。凄い、実に貴族っぽい。これが正しい貴族様のあり様なんでしょうね!」
「お兄様は自ら絞めに赴くタイプですものね……。侯爵家を担う者として、人を使うことも覚えるべきだとお父様が生前嘆いておいででしたわ」
「でも旦那様も、お若い頃に先々代のご当主様のご命令で千枚通し1本と火打石だけを手に、魔の山と呼ばれるニブルヘル山に放り込まれたことがあったそうですよ。行動力があるのは御家柄かもしれませんね!」
「ひ、先々代……!」
お父様は1人息子で、生まれた時から跡取りであったものと記憶しておりましたが……大事な跡取りに、何を強要しておいでですの!?
わたくしが生まれる前にお亡くなりになった方ですが、曾祖父が存命の頃にお会いすることがなくて良かったのかもしれません。
「……わたくしの記憶では、曾祖父は王城で財務を預かる立場を預かっておいでだったように思えるのですけれど。何故、直系の孫息子であるはずのお父様を死地に追いやるような……」
「なんでも当時の騎士団長と、酒宴の折に賭けになったとか……互いの家の跡取り息子、両者丁度15歳。ここはひとつどちらの跡取りが優れているのか競わせてみようと」
「お酒の勢いでしたの!? ですが騎士の息子と競わせるにも、条件が厳しすぎます!」
「知力・体力・時の運の3本勝負だったそうで……」
「他にも何か強要なさいましたのね!?」
お酒とは、かくも恐ろしきものなのでしょうか。
わたくしは未だ幼い身ですので、アルコールの殆ど入っていないような飲み物しか口にしたことがありません。
ですが危険な賭けに乗せられたり、言質を取られたりといった例はよく耳に致します。
……長じても、お酒を過ごすことのなきよう気をつけねばなりませんわね。
懐かしの故郷。
生まれ育った居城でわたくしを待っていたのは、かつて幸せだった幼女時代と寸分違わぬ光景と、変わらず温かで忠実な一族の臣下達。
加えて。
領地内の某所にて盗掘作業に専念していた集団(実行犯)と、主犯と思しき黒幕の尻尾。
協力を取り付けることに成功した、希少部族の青年。
兄の姿を写し取った、心臓に悪い鉱物を司る国家の守護精霊。
先祖代々の霊廟に遺されていた、初代様の理不尽な仕掛け。
そして。
当家の遺産(非物質)を無断使用して、傍迷惑で紛らわしいバージョンアップを果たした、人外人形(元)。
…………心に優しくない印象の出来事の方が、圧倒的に多すぎませんかしら。
悪い意味で、思い出に残る帰省になってしまったような気が致します。
「あの、お嬢様……本当にそちらのお坊ちゃんは、そのぉ……御一族の御方じゃ、ないんで?」
使用人の目が、痛くてなりません。
おかしいですわね……?
わたくしには、何の落ち度もない筈ですのに。
余計な疑惑をかけられていること、疑惑の原因が常にわたくしの隣にいること。
様々な要素が折り重なり合い、わたくし達に降り注ぐ。
渦中にいるのはわたくしでなくとも、関係はありません。
生家でこのように居心地の悪い思いを受けるのは、8年間の人生で生まれて初めてですわ!
針の筵! 針の筵ですわよ!
『始王祖』様が一切の誤魔化しをなさらないことが、またわたくしの居心地の悪い思いを増幅させます。
せめて人間のふりだけでもして下さいませ!
「せめて……せめて、『当たり障りなく』『穏便』な誤魔化し方を考案して下さってもよろしいのじゃありませんこと――――!?」
久方ぶりの生家、なのですもの。
折角ですので、数日なりと気を緩めて留まることは出来ないものかと思っていたのですけれど……
このような事態となれば、気を休めるどころではありません。
なるべく……一刻も早く、王都に戻らねば。
わたくしは気の急く思いで、急遽滞在を切り上げての出立を決意致しました。
……ええ、出立です。
此度は、『始王祖』様のお力を借りようとは思えません。
実体を得たことで、能力が上がったと仰ってはいますが……
だからこそ、安全の確約されない内に実験体1号にはなりたくないものです。
結果は目に見えていることですし。
そう、結果は目に見えているのです。
王都には辿り着けないに決まっております。
『転移』を使っていただいたとしても……どうせ、他の国家守護の精霊のどれかの元へ移動するだけに決まっております。
『始王祖』様は身体を得た今となっても、わたくしから遠く離れることは叶わない身の上のようです。
即ち、『始王祖』様にどこか行きたい場所があるとすれば、わたくしごと連れて行かねばなりません。
最初にフォルンアスクの森へと移動してからの行動を見ていて、気付いたのですが……
『始王祖』様は、守護を受け持つ精霊達のことが気になって仕方がないようなのです。
現状確認は、確かに大事な案件でしょう。
ですが目的を達成する為に、わたくしを問答無用で巻き込むのは如何なものでしょうか。
わたくしは、自分では手に負えない事態にまで巻き込まれたくはありません。
わたくしに出来ることと申しますと……精々、お話を窺って相槌を打つことくらいしか出来ないのですもの。
人間には、個人で相応の分というものがあるのだと思います。
わたくしの分を超えた事態は、少しも歓迎しておりません。
直面させられましても、困ります。
そう、分不相応の事態には、困ってしまうのですけれど……
女子供(+捕虜)だけの集団を、心許無いと思ったのでしょう。
王都までは旅慣れたギルが同行することとなりました。
アウトドアにはロビン様も慣れておいでですけれど、ロビン様は領地から滅多に出ようとしないことで有名な一族の方ですもの。
旅慣れという点では、ギルに圧倒的な経験の差がありました。
元より王都から、ギルはわたくしの両親の棺を追跡する予定でしたので、丁度良く事が運んだと見るべきですわね。
ここまでは、わたくしとしましても歓迎すべき事態でした。
ええ、ここまでは。
どうしても子供連れでは、足が遅くなってしまいます。
わたくしは大人の手を煩わせることのないよう自制しておりますけれど、身体能力や生態に大人と子供では差異が大きい為、どうしても避け難い事態は数々あるのです。
事実を事実として踏まえた上で、では王都に到達するまでにどれ程の日数を要するのか……と。
わたくしとギルが雑談に興じていたのは、エルレイクの城より出立して半日も経たない内のこと。
半日も経たない、内に。
雑談していたわたくしとギルの目の前で、異変は始まりました。
悲しいことに、既にある程度慣れてしまった感覚に襲われます。
空間が、歪む感覚……です。
このような感覚に慣れ親しんでいる令嬢が、果たしてこの世に他に何人いることでしょう?
わたくし以外には皆無……などという寂しい事実が存在しないことを願います。
何やら無性に遠くが見たくなり、遥かな山脈の稜線へと視線を這わせている、間に。
クレイの頭の上に乗っていたエキノが、ぴょんっと地面に飛び降りて。
うろうろと落ち着かなげに縁を描いて歩き回った末。
『犬(?)』は、ある地点でぴたりと立ち止まると、腰を下ろし、ですが喉を曝すように首を逸らして頭部を高く掲げ……
「――にゃおおおおおおおおおおおー……ん」
鳴きました。
恐らく、これが『エキノ』なりの遠吠え……な、の、でしょうか?
 
怪訝な顔をする、わたくし達。
ですがエキノの遠吠えに、呼応するようにして。
ふわふわと歪んで定まりきれずにいた空間が……がっしりと、何かに固定されるようにして定まるのが感じられました。
「む、来客か」
「このような街道の真ん中で……空間を歪ませて現れる『来客』など明らかにおかしいとお思いになりませんの!?」
僅かにも動じて下さらない『始王祖』様には、淑女にはあるまじきことに、わたくしの顔が引き攣ってしまうのではないかと思わせていただくことが度々あるのですけれど。
わたくしの周囲でも『始王祖』様にしか出来ないようなことを、一体……誰が!?
思いもよらぬ超常現象を前に、緊張感に包まれるわたくし達。
ギルに背中から支えられつつ、馬上でうとうとと眠りかけているクレイ。
誰かの唾液を嚥下する音が、響いた後。
一気に、ずあっと。
エキノの眼前に展開するようにして、地面に黒いシミの様なものが広がりました。
まるで真っ黒な大風呂敷を、一瞬で広げたかのようにして。
『始王祖』様に馴らされたわたくし達にはわかります。
地面に広がる黒いシミから、何かが出現しようとして――……!
「な……っまさか!?」
まるでシミの中心からせり上がるにして、見えてきたモノ。
わたくしは、信じられない思いで目を逸らすことも出来ません。
何故なら、見えてきたモノに見覚えがあったのです。
「 にゃーん 」
…………あらわれたのは。
なんだかいつか、どこかでみたような。
赤茶色の、毛皮の、物体。
わたくし達の、目の前に広がった空間の歪み。
何が出てくるのかと身構えましたのに……
生えてくるようにして、姿を現しましたのは……既に見慣れた、アレ。
細く長い口に、野趣溢れるツリ目。
大きく尖った三角の耳に、ふさふさの毛皮。
エキノの同類、『犬(?)』の一種にしか見えませんでした。
ですが、不思議なことに。
目の前に広がっているのは、謂わば『有得ない事態』の筈です。
有得ない筈、ですのに……
原因が『犬(?)』となると、何故だか途端に有得ない事ではないような気がしてくるのは……一体、どうしてなのでしょうか。
「――ああ、いた。ミレーゼ様、見つけた」
「まあ……ルッコラ、貴方ですの!?」
いえ、違いました。
全然おかしくないなんてことはありません。
やはりこれは、有り得べからざる事態です!
何故か、此処に。
ルッコラまでいます。いました。
空間の歪み故か遠近感が狂っていて、気付くのが遅れたのですけれど。
現れた『犬(?)』の背には、犬使いルッコラが騎乗していたのです。
…………目測ですが、『犬(?)』の大きさが馬に迫るような気がするのは……
ええ、と……わたくしの気のせいですわよね?
犬使い、非常識な手段でもって参上。
 




