初授業は、あらゆる意味で忍耐の時間でしたわ
主人公、家庭教師への駄目だし(ただし内心で)。
わたくしとのお約束を覚えていて下さったのでしょう。
明けて今日のお勉強はアレン様も参加して下さいました。
どうやらアレン様は、お約束をちゃんと守る方のようです。
もしかしたら、釣り餌が余程琴線に触れたのかもしれませんが。
「このお屋敷の家庭教師の先生に教わるのは初めてですけれど…
わたくし、ついていけるでしょうか。どうかアレン様も教えて下さいませね?」
「あ、うん…。僕もちょっと家庭教師、苦手なんだけど…でも、2人だもんな。
うん、分からないところがあったら教えられるよう、頑張るよ」
分からないところがあったら教えて下さい。
わたくしがそう言うと、ちょっと困ったようなお顔をなさいましたが…
教えられるか、不安に思われたのでしょう。
ですが頑張ると言って下さいました。
アレン様は、生来素直な方なのかもしれません。
わたくしに教える、と。
そう約束して下さって、すぐにアレン様は教科書を手に取られました。
どうやら口で言ったからには、実際にそうできるよう努力して下さるようです。
自分の言葉を守るために、努力することを知っていらっしゃるのでしょうね。
そういう方は、とても頼もしく思えます。
この気性のままにお育ちになれば、きっと有望な若者になれますわ。
わたくしは、自分で望んだ以上の幸先のよさに微笑みを覚えました。
アレン様が予想以上に好感の持てる方だったお陰ですわね。
ですが、わたくし、予想外でしたの。
アレン様の思った以上の気質のよさ。
この調子であれば、お勉強をしていただけるようになると。
そうなるのに差したる難はない、と。
そう、思っていましたのに…
アレン様の勉強嫌い。
その問題は全然別のところにあるのだと。
わたくしがそれを思い知らされたのは、授業が始まって直ぐでした。
何ということはありませんわ。
簡単なことですの。
…この家庭教師の先生、授業がまっっったく、面白くありませんわ………。
率直に申し上げまして。
ブルグドーラ女史、36歳(独身)。
子供向けの教育に、全く向かない先生でした…。
その単調な、教科書を読み上げるだけにほぼ等しい、工夫のない授業…。
注釈も、雑学メモも、応用的な知識の利用法も。
それどころか興味を引くような材料も。
全く、全然、ありません…!
教科書読むだけなんて、子供だけでもできますのよ!?
質問も、なんですの?
子供の思考力を鍛えるような、考えることを促す質問は一切ありません。
その質問も答えも全部教科書に書いてあることではありませんの!
「………アレン様、お勉強わかります?」
「まあ、全部教科書に書いてあるからな……読めば一発?」
今までのわたくしであれば、考えられなかったこと。
授業中に、全く関係のない雑談も思わずしてしまうというものです。
そして狭い部屋の中、距離も近くですのに。
何故、先生は注意もなさらないの…。
こちらをチラリと見もしない姿からは、「無関心」の一言しか感じられません。
ですがそれを良いことに、わたくしはアレン様に更なる質問を重ねました。
「それでは、お勉強は楽しいですか?」
「………あー…微妙?」
「その答えからして、既に楽しくないと仰っているも同然ですわね…」
さもありなん。
同じ授業を共に受ける身として、それしか言えませんわ…。
そもそも、今までのお勉強でやっていた範囲の確認や、これからの兼ね合い。
そういった重要な確認もしていただいていませんし。
わたくしは本来の教育相手とは違う、おまけみたいなものだとしても。
それでも一緒に授業をする以上、そういった確認は必要ではありませんの…?
「……今までの授業も、ずっとこんな調子でしたの?」
「さあ、覚えてないけど…教科書を読めばそれでいいって、思うけど」
「ということは、ずっと同じ調子の授業を続けていらっしゃるんですのね」
ああ、問題です。
勉強の必要性を実感してもらうための、授業の時間ですのに。
肝心の授業がこれでは……意味も甲斐もありませんわ。
わたくしも、文字の情報を音声として耳にすることは重要だと思います。
そうやって角度を変えることで、理解が深まったりしますもの。
それに教科書に文章として書かれている内容を、順番と位置を組み替えて黒板に番書することに意味がないとも申しませんわ。
文字情報だけだったものをパズルを組み替えるように、位置関係を調整する。
そうやって視覚的に見ることは理解を助けますもの。
ですけれど。
教科書を読めば10分15分で終わる内容を、ただだらだら読んでいるだけ。
これと言った工夫も、見ることができません。
教師のブルグドーラ女史もどこか退屈そう。
教科書を読み上げる声すらも単調で、授業を舐めているとしか思えませんわ。
その単調さのお陰で、部屋の後方…レナお姉様とクレイはすっかり眠ってしまっているではありませんか。
これで授業と。
これを、授業と。
あの女史は、そう仰るおつもりですの…?
最初は真面目に授業に打ち込もうと、アレン様もなさっていたのに…。
授業が始まって10分もしないうちに、集中力は霧散なさっています。
授業が始まる前から教科書を読んでいらしたので、おそらくブルグドーラ女史の読み上げる内容は既に頭に入ってしまっているのでしょう。
内容のたかが知れた、と。
わたくしはアレン様のなさった表情をそう読み解きました。
冷め切った目でブルグドーラ女史を一瞥なさって。
それからずっと、アレン様は窓の外に視線を投げていらっしゃいます。
直ぐ側の庭木に、シマリスの愛らしい姿を見ることが出来ます。
どうやらアレン様は、ブルグドーラ女史の授業を放棄してシマリスを観察なさっているようです。
嗚呼…数日前までわたくしにお勉強を教えてくださっていた先生なら、こういう時はあのシマリスに絡めて生物の話や植生の話、シマリスにまつわる文学の話などをして下さったでしょうに。
そんな生徒の興味を伸ばすような授業は………
………あの女史には、望めそうにありませんわね。
本当に、残念でなりません。
せっかく授業にお誘いすることに成功したといいますのに。
これでは全て台無しではありませんか。
生徒に意欲があっても、肝心の先生が台無しになさっては意味がありませんわ。
こんな単調で退屈で、つまらない授業…。
アレン様も、お勉強が嫌いになるはずです。
ただでさえ動き盛り、遊び盛りの子供なんですもの。
机にただ縛り付けられていることは苦痛でしかありません。
そして縛り付けられている間、単調な話に付き合わされるのは最早拷問です。
じっとしていることの苦手な子供に授業を受けさせるには、それなりの苦労がいりますのよ…。
最初から、自分で意欲的に積極的にお勉強をする子なら。
自分で調べ、独学でお勉強をするような子なら、まだしも。
アレン様のようにお勉強は嫌いと言い切ってしまう子に、これでは…
アレン様のお勉強嫌いが、ブルグドーラ女史とは限りませんけれど。
ですがアレン様のような方には子供の興味や好奇心を広げ、それを向学心やお勉強の意欲につなげられるような、自由度と応用力の高い先生の方がよいのではないでしょうか。
アレン様も自分の好奇心が向く方向に疑問を持てば、きっとお勉強が好きになるはずですわ。
でもその手助けが出来る先生は、ブルグドーラ女史ではないと思いますの。
少なくとも、今のブルグドーラ女史では。
今まで気付かなかったアレン様の教育の実態。
こんな家庭教師が相手では…わたくし、困ってしまいますわ。
流石にブランシェイド家の人事権は持っていませんし。
わたくし、どうすればよろしいのでしょう…。
とりあえず、後でエラル様にご相談させていただきましょう…。
わたくしではどうにも出来ない方向で、難点に突き当たってしまいました。
ですがこうなれば、徹底的にやってしまいましょう。
わたくしのような、同じ子供。
それも同じ授業を受け、生活を共にするわたくし達にしかわからない問題が他にもあるかもしれませんわ。
こうなればアレン様に1日中、徹底的に張付いて問題点を洗わせていただきます!




