心臓に悪いお姿での登場はどうかお控えくださいませ
悠長に話すべき時ではないと、存じておりました。
その上で悠長な会話に興じていたのですから……
こう成ったことは、わたくしの油断という他にありません。
この度もまた、一早く気付いたのはエルレイク領を代表する戦士……ギルでした。
茂みが音を立てるよりも早く。
彼は剣を手に取り、わたくし達に警告の声を発したのです。
「お嬢様、どうやらその少年の追手が到着したようです」
「えっ」
拘束されたままの、ティタニス。
甘んじてクレイに顔面を多彩に彩られていた時のこと。
ですが彼の顔は、絵の具越しにもハッキリと明白に青褪めました。
つまらなさそうにティタニスの顔を一瞥した後、ロビン様は弓を手に取られました。
ロビン様と、ギル。
2人が警戒の眼差しを注ぐのは、ティタニス容疑者が現れた茂みの奥……
高まる緊張が、待つだけの時間を長く感じさせます。
ですが少年は、きっとわたくしよりも時間を長く感じたことでしょう。
ティタニスが唾を飲み下す音が、奇妙に響きました。
次の瞬間。
「――ティタン!!」
躍り出てきたのは、妙齢の女性。
髪・瞳・肌と、彼女の有する色彩はティタニス本来のモノとよく似ておりました。
いくら酷似していたとしても、今の多彩過ぎるほどに多彩なティタニスの全身ペイント状態では見比べようもないのですけれど。
時間にして、恐らく0,01を下回る間。
ロビン様とギルの眼差しが、わたくしにチラリと寄せられました。
まるで指示を仰ぐような視線。
わたくしは躊躇いなく、こくりと頷きました。
わたくし、思うのですけれど。
お話を聞ける相手は、今は1人いれば充分ですわよね?
人数が多すぎても、少数人数の今は持て余してしまいますもの。
わたくしの意図するところを察したのでしょう。
流石に、この御2人は空気を読む術に長けているようです。
弓の弦をきりきりと引いていたロビン様の指は、迷いなく離されました。
きゅんっ
引き絞られた弓から放たれ、矢は鋭く空気を貫通する。
飛び出してきた『贄の民』と思わしき女性の、頬を掠めて。
たんっと軽い音と共に、背後の木に突き立ちました。
風を孕んだ髪が、数本はらはらと風に嬲られ踊る。
頬を薄く掠った後から、血の筋が顎へと伝い落ちていきます。
見事な牽制です、ロビン様。
狙撃されたことで状況の奇異に気付いたのでしょう。
恐らく、女性の想定していた事態とは大きく違ったはず。
ですが女性は大きく目を見張った後、思考も身体も止めることなく一瞬で反応を返しました。
後ろに飛び退り、茂みや樹木の陰にすぐさま飛びこめる位置まで下がる。
そうして油断など見当たらない、隙のない身ごなしで構えて見せるのです。
場慣れしている。
血生臭い騒乱とは遠く育ったわたくしの目から見ても、明らかに。
この手の輩は、対応するだけの猶予を与えては厄介です。
相手に行動を移させてはなりません。
余裕の一切を削り取り、行動を阻害し、足を止めさせなければ。
「ロビン様、矢を途切れさせてはなりません」
「わぁってるよ!」
「ギル、容疑者を確保して下さいませ」
「仰せのままに、お嬢様」
「クレイ、お姉様の手を握っていてね?」
「あい!」
「『始王祖』様とエキノは……わたくしが行動を縛れるような相手ではありませんわね。どうぞご存分に、お好きなように」
「うむ、任せておくがよい」
「にゃー」
「――それでは皆様、撤退です」
追手が彼女1人とも限りません。
後続で新手が来ないと、誰に断言出来ましょう。
人数が増えてくれば、人数の少ないわたくし達に不利です。
何と申しましても、戦える人間はロビン様とギルの2人だけ。
後は全員、戦いに役立つとも思えないお荷物ばかりです。
ティタニス容疑者など、縛りあげられているので担いで運ぶしかなく、また運ぶとなれば体格に優れたギルが担ぐしかありませんので……正真正銘のお荷物です。
わたくしとクレイの足も年齢相応に遅く、状況が動いた時に対応できるとも思えません。
ですので、ここは戦略的撤退が最善手と愚考致します。
弓矢という、障害物の多い環境では不利な武器なれど。
森林戦に慣れたロビン様の射撃は、障害物の楯など意味を失くさせてしまう程の技量で。
彼女が謎の女性を一定の位置に釘付けている間に、わたくし達は撤退です。
ですが撤退と申しましても、どこに逃げるべきでしょうか。
人里までは遠く、わたくし達は長い距離を逃げられそうにありません。
わたくしやクレイの体力を考えても、走り続けることは不可能です。
しかしわたくしやクレイが疲れ果てたとしても、各々に役目を負ったロビン様やギルに抱えていただく訳には参りません。
……どこか、隠れるに適した場所はないものでしょうか。
この山の中を駆け回っていたらしき、ティタニス。
アダマンタイト鉱脈と関わりが疑われるということは、ある程度周辺一帯に対して地の利があるものと考えるべきです。
そうして、地の利の有無はティタニスを追ってきた女性にしても同じでしょう。
この辺りに不慣れな、わたくし達。
唯一、地の利があるのはギルですが……
「ギル、わたくし達が追手をやり過ごせそうな場所はありますか」
「それでしたら……――」
「なれば、心当たりがある」
「……え? 『始王祖』様?」
深刻な状況下で、いきなり人外が何かを仰せ始めました。
「元来、この地は我が棲み処であった」
「あの……エルレイク様がこの地におられたのは、我が国建国以前のお話でしたわよね? 何千年前のお話ですか」
「年数などは関係なし。この地の生命が、天地遍く全てが、我が存在を記憶している故」
「今のこの時に、壮大なお話は少々控えていただけると有難いのですけれど……」
「大地よ、我が意を見よ」
今の今まで、『始王祖』様はエキノの背に乗って移動しておられたのですけれど……唐突に何やら詳細の掴めない提案をしてきたかと思うが否や、人形の小さな体で『始王祖』様は俊敏に飛び降りてしまわれました。
わたくし達の、中心に降り立ち。
人形の小さな足が、タンッと軽快に1度地に踵を打ちつけた瞬間。
大地が崩れました。
わたくし達……いえ、『始王祖』様を中心として、大崩落でした。
どう考えましても、明らかに『始王祖』様の仕業です。
何の前触れもなく、何をなさっていますのあの人外――っ!!
わたくし達には、抗う術などある筈もなく。
叫ぶ暇もなく、大地に生じた大穴へと呑み込まれていくのみ。
落下のただ中にも表情の変わらぬ人形が、平然と空を見上げております。
穴の淵に立ち止まり、驚愕の眼差しで見下ろす人影。
追手であるらしい女性の、逡巡が垣間見て取れました。
女性の顔を見て、わたくしは眉を顰めました。
アレは……いけません。
『始王祖』様がどのようなおつもりかは、存じませんが。
短くとも濃い関わりの中で、1つだけわかってきたことがあります。
この人外人形は、存外お優しい方だということ。
何故かわたくしやクレイに、感覚が異なりながらも気を遣って下さっている、ということ。
我が家の先祖に封じられていた、と認識しているのですけれど。
先祖に害されたという事実を思えば奇妙なほど……『始王祖』様には、わたくしやクレイへの害意がないのです。
まだこの方がどのような存在かも、理解できかねます。
ですが理解できずにいて尚、わたくしは信じ始めておりました。
『始王祖』が、わたくしとクレイを傷つけることは有り得ないと。
このような過信、思いこみの類としか思えませんけれど。
何故か心の芯の部分が、大丈夫だと訴えてくるのです。
どうしてかどうしようもなく……気安く思ってしまうのです。
まるであたかも、『始王祖』様がわたくし達に近しい存在のように感じられて。
ですので、この時も。
この……意図的な大地崩落から転じての急転直下の時も。
わたくしは疑うことなく感じておりました。
例え大地の下に叩き落されたとしても、『始王祖』様がわたくし達に危害を加える筈はないと。
落下させられ、慌てながらも、大丈夫だと思っていたのです。
ですから、余計に危機感が募ります。
逡巡する女性の顔を見て、察してしまったからです。
あの女性は、覚悟を決めようとしている。
わたくし達を、追うつもりなのかもしれない……と。
このまま落下し続けたとして、無事で済むのですから。
追ってこられては、追いかけっこの場所が変わるだけです。
わたくしは、焦りを感じました。
「『始王祖』……エルレイク様!」
わたくしの縋るような声に。
『始王祖』様は、ゆっくりと頷かれました。
そうして、『始王祖』様は1つ柏手を打ち。
再度、彼の方の無機質な声を響かせられました。
「来よ、カダルダルク。我が声を聞け」
唱えられた名は、わたくしの知らぬモノ。
ですが応えは、この場ではない何処より即座に届けられました。
名を呼ばれた、本人の姿と共に。
「偉大なる御方の召喚となれば、大地の何処なりと馳せ参じるのみ!」
わたくし達が落下していく、大地の大穴。
底深く、下のまた下の方より。
凄まじい勢いで、ナニかが飛んで参りました。
まるで、稲妻の如く。
恐らくアレが、『カダルダルク』なのでしょう。
大地の底より現れたことを思えば、大地に由来する精霊か何かかもしれません。
わかっております。
わかって、いるのですけれど……
先日お会いしたグランパリブル様とは、また違う存在でした。
存在そのものに、質量を感じると申しましょうか……
何とも厚みのある、実体の様な存在感を伴い、徐々に見えてくる姿。
わたくしは、大地の底より駆けあがってくるモノの姿を見て、硬直してしまいました。
わたくしの腕の中で、クレイが感心したような声を上げます。
「あ、おにーしゃまだー」
…………。
…………。
……わたくしの目の錯覚ではない、ということでしょうか。
崩落し、今なお淵が崩れては小さくない土塊が崩れ落ちていく。
まるで奈落へと案内されるような、絶望的な世界。
大地の穴の底から駆け上がってきたソレは、風になびく亜麻色の髪に白い肌。
やや垂れ目がちな青玉の瞳。
華奢とも見える小柄な体に、大きな剣を無造作に持ち。
しゅぱしゅぱと垂直の崖を駆け昇っていくのですが。
『カダルダルク』と呼ばれたソレは。
どこからどう見ても、わたくしの兄……アロイヒ・エルレイクにしか見えませんでした。




