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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
エルレイク侯爵領編
133/210

脱走も時には良き経験となることでしょう



 昔々、とても栄えた国がありました。

 でも滅びました。

 どれだけ繁栄を極めようとも、人々が国のあり様に満足していようとも。

 大陸自体が沈んでしまっては、どうしようもありません。

 国は一夜にして地上から消え去り、全体から見れば僅かな人々が別の大陸に逃れることで生き延びました。

 ですが、彼らは寄る辺を失った身。

 国を失った今、安全を保障してくれるものはなにもありません。

 その身に宿す色彩と輝きから、かつては『黄金の民』、『()えの民』と呼ばれた彼らでしたが……それも既に過去のこと。

 力を失った彼らは、逃れた先の大陸で迫害を受けました。

 亡国特有の色彩や特徴はとても目立ったので、逃げるも隠れるも困難です。

 迫害を受け、欲望の捌け口にされ。

 公然と奴隷として狩られるようになった彼らは、いつしか『(にえ)の民』と呼ばれ始めました。

 神でもなく、天でもなく、地でもなく。

 同じ生き物であるはずの人間。

 姿が違うというだけで、人間の抱える闇、欲望の贄と扱われる。

 彼らに救いはあったのでしょうか。

 果たして、沈んだ大陸を逃れ生き延びたことは、幸いだったのでしょうか。

 狩り立てる人々から逃げ惑いながら、かつて栄華を極めた亡国の民達は安息の地を求めるばかりでした。


 それらもみな、既に遠いとおい過去のこと。

 過ぎ去った歴史の中に埋もれた記憶。

 今は昔のお話です。





   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



 さあ、向かいましょう!

 ……とは申しましても、すぐに出立可能なはずもなく。

 山中へ向かうには、相応の準備が必要です。


 加えて、主家一族の帰還に沸き立つ使用人達からの強固な反対を受けてしまいました。

 考えるまでもないことですが、主人の訃報を受けてよりずっと自分達だけの判断で不安な時を過ごしてきた為でしょう。

 反動が出てのことか、彼らはわたくし達に縋るような目で訴えてくるのです。


「お嬢様、行かないで下さいまし……!!」


 …………と。


 わたくしの母に仕えていた侍女のメアリーが、顔中を涙で濡らして懇願するのです。

 は、8歳児の小さな体に縋るのは、体勢が苦しくありませんか?

 むしろわたくしが苦しいのですが。

 一回りも二回りも大きな身体にしがみ付かれ、わたくしは今にも押し潰されてしまいそうです。

 ですが、どの者もわたくしを引き留めようとするばかりで、わたくしの窮地に気付いて下さいません。

 だからと申しまして、無情にメアリーを討ち捨てるような鬼の如き真似が出来る筈もなく。

 わたくしは何とか戒めより脱出すべく、奮闘する羽目となりました。


「メアリー……よくお聞きなさい?」

「おじょうさまぁぁああぁっ」

「メアリー?」

「あっあぁぁ、あぅぅぅうううううっあん、あ、あんまり、ですぅ……っおく、さ、まぁぁあああああ!」


 母は良き主だったのでしょう。

 わたくしに縋りつきながら、母を偲んで涙を流すメアリー。

 顔は涙だけでなく、他の体液まで分泌し始めました。

 まあ、メアリー?


「 お 離 し な さ い 」


 わたくしが髪に付けているリボンは、特別な思い入れのあるもの。

 生前、母がわたくしに似合からと誂えて下さった品です。

 わたくしの髪に当てながら色を選び、手ずから刺繍を入れて下さいましたの。

 わたくしの背から覆い被さるようにして泣き喚くメアリー。

 彼女の分泌した体液が付着するかも知れないと思い至った瞬間、わたくしは慈悲を忘れました。

 許しなさい、メアリー。

 わたくしも母への思慕で我を忘れる、未だ幼い身なのです。

 涙はまだ、ええ……まだ許して耐えましょう。

 彼女達にこれほどの心痛と心労を与えたのは、わたくしにも責任の一端があるのですから。

 ですが、他は駄目です。

 涙の他は……涙以外の体液はアウトです。

 色々と、わたくしの堪忍袋が耐えきれません。

 母を偲ぶ(よすが)を穢されるくらいであれば、わたくしは鬼となる道を選びます。

 わたくしは素早く身を翻し、メアリーと対面になる形に位置取ると……躊躇うことなく、メアリーの両腕を真上から叩き落とすようにして払いました。

 拘束が外れた一瞬で、即座に退避です。


「ロビン様、匿まって下さいませ!」

「ちょ、おい来んな! ややこしくなんだろ!?」

「退避! 退避ですわ! クレイ、いらっしゃい!」

「あい、ねえしゃま!」


 今日もクレイは素直でとても良い子です。

 わたくしの言葉に一切の逡巡なく、久方振りの我が家だというのに後ろを振り返ることなく後に従うのですから。

 幼子(おさなご)の足ではすぐに追い縋られてしまうので、クレイはアンリに抱きかかえていただきます。

 わたくしでは抱いて走れませんもの。

 わたくし自身、幼女の足ではすぐに追いつかれてしまうと、ロビン様に手を引いていただきました。


「おい、このままじゃすぐ追いつかれるぞ……って、城門閉まってんじゃねーか!!」

「大丈夫ですわ、秘密の抜け道がございますの」

「それどこだ!? っつうか、俺らに教えて良いのか!?」

「ええ、構いません。一族の者以外が使用しても、何故か目に見ている道順を覚えることが出来ない……出入り口が何処かも思い出すことが出来ない『秘密の抜け道』だと口伝に聞きますもの」

「おい、ヤバい道じゃないだろうな。っつうかヤバい道だろ、なあ」

「安全は保証致しますわ。兄が定期的に使用していた痕跡がありますもの。兄は城門の開閉を面倒がっていましたので、抜け道を常用していましたの」

「阿呆イヒが使ってたことは別に安全の保証にゃなんねーよ! 安全と危険の基準が違うじゃねーか!」

「だからこそです! 兄が定期使用していたのであれば、かかる危険は既に兄の剣にて粗方(あらかた)払い落された後ですわ!」

「お前、兄貴を露払いか何か扱いしてねーか……?」


 こうして、わたくし達は久方ぶりの帰郷ではありましたが……

 懐かしの我が家で寛ぐ時間さえ無く。

 腰を落ち着けることすらなく、エルレイクの城を飛び出したのです。

 登山の用意は、エルレイクの城下町で整えると致しましょう。

 わたくしはあまり町に降りたことはありませんが……世慣れたアンリや荒事に慣れたロビン様が一緒にいらっしゃるのです。

 何とか成すことが出来るのではないでしょうか。


 こうなると、領民に顔が知れていなかったことは幸いです。

 幼さ故、今までは王都と領地を行き来する以外で外出したことはほとんどありません。

 兄は無駄に幼い頃から顔が知れ渡っていたそうですけれど。

 ですが幼い子供の常として屋敷の奥で大事にされていたわたくしとクレイは、恐らく領民に領主の一族と囲まれることもなく目的を遂行することが出来るでしょう。


 世間知らずを露呈するようで少々恥ずかしくも思いますが……正直を申しますと、わたくし1人では到底旅支度など出来る気が致しません。

 本当に……アンリ達が共にいたことは幸いです。

 貴族の子弟とは、幼い内は似たような環境で育つもの。

 世間知らずはわたくしだけではないと、誰にともなく胸中で言い訳じみた呟きを溢しました。


「…………もうあの『抜け道』は通らない。戦象に追い立てられようが、百万の大軍勢に追いかけられようが…… 絶 対 に もう嫌だ」

「ロビン様……御気分が優れない様子ですわね。どうなさいましたの?」

「どうなさいましたの? じゃねーよ! なにあの『抜け道』!?」

「抜け道は……抜け道、ですけれど」

「誰が作ったのか知らねーが、馬鹿だろ。製作者、馬鹿だろ」

「まあ、ロビン様? あの抜け道を設計したのは、十中八九わたくしの先祖の何方かですわよ。我が一族を愚弄するおつもりで?」

「いや、事実として馬鹿だろ。あの阿呆に通ずる馬鹿馬鹿しさが満載だったじゃねーか」

「……少々、人の精神を突いてくる罠が巧妙に設置されていることは認めますけれど。ですが馬鹿とは聞き捨てなりませんわ。見事に精神の間隙と忌避感を突く罠ではありませんか。緻密な計算と優れた頭脳がなければ出来ないことですわ。ですので、馬鹿ではありません」

「いやいや、あの罠の数々にはなんつうか、こう……勉強だけは無駄にできる馬鹿の気配を感じたぜ?」


 和気藹々と、歓談しながら。

 大自然との触れ合いに関しては知識と経験を生まれてよりずっと積み上げていらしたロビン様は、わたくし達の分も含めて一切の無駄なく荷物を整えて下さいました。

 代金は平然とエルレイクの城にツケようとなさったので、身に付けていた七宝のブローチを換金する羽目になりましたけれど。


「今日はもう夜も近い。慣れない山歩きで、しかも夜とか無謀どころの話じゃねえな。殺して下さいって全身に調味料を擦りこんで野獣に懇願するようなもんだ」

「では、どうなさいますの?」

「抜け道はこっそり使ったからな……エルレイクの城は広そうだし、使用人共はまだ捜索してんじゃね?」

「まあ……あの広さを思えばそうでしょうねえ。お嬢様のことをかなり案じているようでしたし、夜も寝ずに大捜索……ってところでしょうか」

「皆、甘い考えなのではなくて? 当家の使用人は、兄という脱走常習犯をよく知っていますわ。脱走慣れした者達ですわよ」

「けど、『お嬢ちゃま』のお前が脱走すんのは初めてなんだろ」

「ええ、ですけど……」

「甘いのはてめぇだ、姫さん。そんなちっこいガキが供連れだろうとさっさか脱走するなんざ思わねぇって。城門だって閉まってんだから。とにかく今夜は城の中を引っ繰り返して捜索するだろーさ」

「では……どうなさいますの」

「宿を取って、寝る」

「…………え?」

「夜は慣れない山なんぞ歩けるはずねぇっつったろ。だから今夜は宿を取って、明日の朝に立つぞ」

「ですが、ここは城下町。……城に近すぎるのではなくて?」

「むしろそっちの方が盲点かもしれねぇぜ。それに、ほら。姫さんの大事な弟君を見てみろよ」

「あら? クレイ?」

「うぅ~……ねえしゃまぁ」


 隣を見ると、小さなクレイがわたくしの手を握ったまま。

 うつらうつらと首を揺らし、小さな手で目を擦っていました。

 意識してみると、体温もぽかぽか温かくなっていますわね?


「良く考えろ、ミレーゼ・エルレイク。今このまま出立したら、今晩は考えるまでもなく野宿だぜ?」

「ねえしゃまぁ、ねみゅぅ~……ぃ」

「宿を取りましょう! いますぐ、即座に!」


 眠いのでしたら、仕方ありませんものね!

 少なからず不安もありましたが……

 わたくし達は、エルレイクの城下町で一泊することに致しました。


 明日、結果として城からの追手に迫られることとなるのですけれど。





次回、某お兄様の乳兄弟という過酷な運命の元に生まれた方が降臨します。

「俺の目標は、いつか……(アロイヒ)様をお止めできる人間になることです」


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