お客様の身元確認は怠らず、しっかりとお願い致します
――欲をかくから、そうなるのよ。
琥珀色の目を細め、冷たい声で女は言った。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「……まさか本当に、旦那様と奥様がお亡くなりになっていただなんて」
「カーラ、王宮から伝令が来ていたのではなくて? わたくしも事故の直後、知らせを送ったはずですわよ」
「知らせが来ても信じられないモノは信じられません! あたしだけじゃありませんよ、このお城のみんながです」
「……確かに人を介した知らせを送ったきり、家の者が誰も帰ってこなければ信じようがなかったのかもしれませんけれど」
「そうですよ! お嬢様達、王都にいらっしゃる方は手紙がひとつ来たっきり、その後なんの音沙汰もございませんし! 王宮からの使いだなんて本当かどうか疑うのも恐れ多いのかもしれませんけど、存在を保証して下さる当家の方がどなたもいらっしゃらないんですから。使用人の判断で頭っから疑いなく信じられますか!」
「おい、姫さん。この頭の固そうな乳母やさんに留守を任せていて大丈夫かよ? 何となく王宮の使いを追い返した情景が思い浮かんだんだけどよ」
「他家の方は黙っていて下さいまし!」
「カーラ、ロビン様は名家の御令嬢です。そのような乱暴の口のきき方は容認できませんわ」
「……っこれは、とんだ失礼を。取り乱しました、申し訳ありません」
「少し落ち着きなさい、カーラ」
「はい、お嬢ちゃま……」
カーラは頭の固いところはありますが、忠臣です。
我がエルレイク家の者の言葉には素直ですが、余所からの訪問者は徹底的に疑ってかかる困ったところはありますけれど……時と場合によりけり、ですわね。
時には彼女の用心深さが功を奏すこともありましたもの。
主に、訪問詐欺師に。
「そうですわ、カーラ。お父様達の死後、我が領地、我が家の財産に対して根拠の怪しい権利を主張してくる不審者は訪ねてこなかったかしら」
「ああ、きました! 来ましたけど……お嬢ちゃま、御存知なんですか?」
やはり、来ていたのですね。
アンリ、いえヴィヴィアンさんに指示を下し、我が家を陥れた何者か。
お兄様の名前で契約書にサインをしたのが本人ではなく、ヴィヴィアンさんであった時点で契約書は無効を訴えることが出来ますけれど。
アンリの身柄を安全に押さえておく為にも、今は無効であるという事実を明かすことは出来ません。
つまりは我が家の財産は不当に奪われた状態のまま。
……奪われたままではありますが、利権の全ては王妃様が即座に凍結して下さったらしく、事実上権利の移動は認められておりませんけれど。
ですが先を見越して動いていたのであれば、王妃様が権利を押さえる前に、先手を打つことは可能だったはず。
そう、王妃様や王宮の方々が動くより早く。
我が家の財産をかすめ取るなり、何らかの細工をするなり。
形だけでも奪った事実があるのでしたら、何らかの策を弄する余裕があったはず。
我が領地の利権すら書類上は奪われているのです。
でしたら領地の象徴であり、我が家の象徴ともいえるこの城に敵の手が伸びていてもおかしくはない。
そうしてわたくしの予想は、どうやら当たっていたようです。
父母が亡くなって即座に、この城に手を出そうとした何者かがいる。
わたくしはカーラに詳しく事情を聞こうと致しました。
……ですが。
「なんなんだったんですかね、あの盗人どもは。ご当主様がお亡くなりになったから、この地は我らが主のモノだー……なんて。いえ、その時は本当に亡くなっただなんて存知あげなかったんですけどね? ほらを吹くにも性質が悪すぎると、皆で石を投げて追い払いましたよ!」
「ま、まあ……カーラ! 頼もしすぎますわ、貴方」
「このお城は今の王朝が立たれて以来、ずっとこの地に悠然と構えてきたんですからね。堅固さは折り紙つきです。……若様にはなんでか通用しませんでしたが。でも、不審者の侵入を阻み、追い返す分には十分ですよ!」
我が家にも悪しき影響が、と案じていたのですが。
……どうやら忠義者の使用人たちが団結したらしく。
彼ら彼女らのファインプレーによって何者かの魔手は退けられていたようです。
「カーラは旦那様に留守を任されているんです。素情の証明ができない、怪しい人をお城に入れる訳には参りません!」
「そう……盗人猛々しい悪人どもをほうm……追い払ったことは良くやりました。ですが、流石に王宮の使いまでは……」
「真偽を確かめることのできない相手は、追い返した方が無難です。後で間違いがあったとしても、みすみす主不在のお城を食い荒らされてはことですからね!」
「……1つ気になるのですけれど、カーラ以外の者は何と?」
「家令のダラスさんは王家からの方ならお通しした方が良いんじゃないかって仰いましたけどね? このカーラが意見を押し通しましたとも」
「カーラ……立場的に、家令は貴女の上司ではなくて?」
「大丈夫です。基本的に自信のない事柄に対しては、押しに弱い方ですからね! 要領さえ心得ていれば、折れて下さいますとも。あたしはあの方の相手も慣れてますからね、任せてください」
「頼もしいのですけれど、今は少々残念に思う気持ちを抑えられませんわ。カーラ……」
ただ問題なのは、彼女が少し前に追い返したらしい方が王宮からの使者だったらしいことなのですけれど。
王家の紋章の形は知っていても、目の前にした時に本物か否か真偽の程を、確信を持って判断できる使用人など早々おりませんもの。
ですので、仕方のないことと言えば仕方のないことなのですが。
「カーラ、わたくしは貴女を叱らねばなりません。例え、理由が理不尽なものであったとしても。貴女は貴女の仕事を全うしただけだったとしても」
「はい?」
「お帰りいただいたという王宮の方は……到着の時期から考えても、恐らく王宮からいらした方で間違いはありませんわ」
タイミングから逆算して、恐らく我が家没落の現状調査にいらしたのでしょう。
王妃様が手を回されたのか、エラル様の働きかけが効果を出したのか……どちらにせよ、正式な使者だったはずです。
わたくしが推測を告げると、カーラは目に見えて困り果てた顔でしょんぼりと肩を落としてしまいました。
無理もありませんわね。
「そんな……ご、ご当主様も不在の城に、何の御用があったって言うんですか。ああいう御使者がいらしてもあたし達のような使用人には何の責任も負えませんよ? だから普通はご当主様を訪ねていかれるんじゃ……」
「当主の件も含め、現状の調査にいらしたのよ。カーラ」
そう、現状の調査は急務とされたはずです。
我がエルレイク家はいわば名門、大家。
急に没落などすれば、各方面への多大な影響が危ぶまれます。
ですので、事実確認は何を置いても優先されたはず。
「考えても御覧なさい。お父様亡き後、誰が当主の座に就いたと思いますの」
「え、そりゃあアロイh……あ゛、もしや…………その、お嬢ちゃま? 若様は、そのう……今、どうなさっておいでです?」
「カーラ……きっと、貴女の考えをわたくしは肯定できますわ。
お兄様は現在、どことも知れぬ遠いところを旅しておいでです 」
人は兄の状況を、失踪と呼びます。
「何処においでかは、わたくしも存じませんの」
「OH……そりゃ王様も調査をよこすはずですよぅ。若君の追跡と捕獲は、下手な魔獣を追うよりずっと大変だって申しますもんね」
「納得していただけましたのね、カーラ!」
新たな当主とされるお兄様は、行方不明。
消息を絶ったとなると、調べられる範囲も限られますが……
兄の消息を辿る意味でも、我が家への調査が立ち入るのは必然。
ですが調査の為に訪れた使者を、追い返したと。
……確かに当主の不在時に、上の判断なく受け入れるのは難しかったでしょうけれど。
状況に柔軟な対応が出来るように、指示書か何かを作成するべきかしら。
「…………あら?」
ふと思い出しました。
カーラは王宮の使者が本物か確かめられなかったので追い返したと申します。
ですが、確かめられないことなどありましょうか。
「カーラ、王家の紋章が本物かわからなかったとのことですけれど……先生はいらっしゃいませんでしたの?」
兄と、わたくしの勉学を始動してくださった、家庭教師のご老人。
かつては王宮にも招かれたという高名な学者の先生。
当家の子供の教育と、個人の研究だけを老後の楽しみとして当家に留まっておられる聡明な方。
使用人達からも一目置かれ、学識を要する時、使用人だけでは判断の難しい問題に直面した時には相談役として頼りにされていたはずです。
あの方でしたら、王家の紋章の判別も容易でしょうに……
王家の使者がいらした時、判断を下してはくださらなかった?
わたくしが思い至った疑問を訴えると、カーラは何やら困惑したような顔をして、思いがけないことを言いました。
「先生様ですか……それが、あの方。旦那様方がお亡くなりになる少し前に、『山に何かおかしなことが起きているようだ』と言い置いて、フィールドワーク?ってのに行かれてしまったんで……」
「……もしや、二ヶ月以上戻っておりませんの?」
「はい。ご無事だと良いんですが……なにぶん、あの険しい山の何処に居るとも知れませんからねぇ。探し様もないですけど、先生様は慣れていらっしゃるし……大丈夫ですよね?」
わたくしに聞かれても、答えに窮するばかりなのですが。
先生が以前からフィールドワークと称してエルレイク領内の自然物を見て回っていらっしゃることは存じておりました。
今回、彼の方が赴かれたのは隣領との領境に広がるアラソルト山脈だとか…………アラソルト山脈?
アラソルト山脈ですって?
「――ほう。見に行くべきだと思っていたし、丁度良いな」
「ひっ!? おおおおおお嬢ちゃま!? いまいまいまっなんかこの人形しゃべりませんでした!?」
「カーラ、空耳です」
わたくしはそっと視線を逸らして、カーラに何度も空耳だと言い含めました。
ですが人形……『始王祖』様はわたくしの労力も慮ってはくださいません。
己の欲するところに忠実といえばよろしいのでしょうか。
彼は、わたくし達の意見など欠片もいれず、勝手に決めてしまわれたのです。
「アダマンタイトの様子も見に行く方が賢明と思える。すぐに向かうとしよう……アラソルト山脈、カルタゴ山へ」
……『始王祖』様の仰る道行に、否応なくわたくし達も同行せねばならないのは……きっと考えるまでも無い、予定調和というものなのでしょうね。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「……ちょっと、これどういうことかしら」
説明してくれない?と。
顔をしかめて女は男を睨みつける。
まるで子猫が何か文句でも言いだした、と。
そう言わんばかりの余裕を態度に滲ませ、男はへらりと笑う。
薄っぺらな、無難に見せようとして失敗した笑顔だ。
今にもめくれてしまいそうな薄笑いの裏側に、男の焦りと苛立ちが隠れている。
それは決して、隠し切れてはいなかったのだが。
「レディ・ゴールド、残念ながら私には貴女が何を言っているのか……」
「しらばっくれないで」
誤魔化そうと賤しい性根の垣間見える言葉を、女は一刀で両断する。
彼の言葉には乗らないと、厳然とした強い目が険しさを増した。
「私が言ってほしいのは、ぐだぐだと言い訳ばかりを紡ぐ実のない言葉じゃなくてよ。聞きたいのは弁明でも弁解でもなく、説明なの。おわかり?」
「ですのでレディ、何について仰せよと」
「言わないとわからないのかしら……あの鉱脈、その採掘物についての話よ」
「は……あ、ああ、あれですか。アレに関しては万事抜かりなく、そちらの指示通りに……」
「違うでしょう」
「……」
「違うわよね? 誰も、余計な欲を出せとは指示を下していないはずよ。現場監督を任された私も、本国も」
「それに尽きましては……レディ? その、どうも我々の間には認識の阻害が、ですね?」
「阻害? 齟齬って言いたいのかしら」
「ぐ……」
言葉に詰まり、歯噛みする男。
欲に滾った眼差しの奥に、女への反感が見て取れる。
反省の色など微塵もない。
欲の皮が張った男の様子に、女は遠くない先に自分達の進めてきた計画の一部が頓挫する様を予見した。
この、目の前の、浅慮な男のせいで。
「……計画にない余計な手出しは困るのよね。この国の王が抱える諜報部隊は結構優秀なのよ。予定外の動きのせいで、遠からず追跡の手が伸びるでしょう」
「な……っ」
「貴方が余計な欲を出したせいよ。私達は引き上げる」
「っで、では、私も……」
「貴方の面倒は見ないわ」
「え……な、なん、だと」
「どうして私達が、貴方の勝手な行動の尻拭いをしなければならないの? 私達は貴方を切り捨て、あの鉱脈に関する一切から手を引く。後は貴方が勝手にやることね」
勝手な真似を働いたのだから、後は勝手にやって頂戴。
そんな言葉で切り捨てられた男は、途端に顔を青くする。
何か都合のよい夢想を抱いていたのだろうか。
そして夢は弾けて消えたのだろうか。
突き放された途端に、切羽詰まった焦りで男は女に縋りついた。
それは、それは、みっともない程に形振り構うこともなく。
「わ、私も連れて行ってくれ……!」
「嫌よ。貴方の面倒は見ないと言ったでしょう」
「今までの私の貢献も全てお忘れになるつもりか!」
「それを帳消しにして余る失態を犯したのだと、どうしてわからないのかしら。自分の所属する組織の計画や方針にも従えないような男は要らないのよ」
「そんなっ!!」
それ以上の言葉は聞く余地もない。
女は男の顎を蹴りあげ、縋る手を振り払う。
いっそ力づくで……男もそう思わないでもなかったが。
女の背後に控える、無言のもう1人。
女に縋りついて簡単に振り払われるような男には、到底太刀打ちできないような老年の男。
肉体の盛りは過ぎた年頃だろうに、身体は隆々と屈強を絵に描いたようで、眼光には鷲の如き鋭さと威厳があった。
それこそ若輩者は爪先だけで蹴散らすような威圧感がある。
琥珀を溶かしたような色合いの瞳が、金色に光ったように見えた。
老兵の眼光1つで、男は手足の自由を忘れた。
まるで鉄の鎖で束縛されているかの如く、四肢の末端から重い痺れが走って動くことも叶わない。
「行きましょう」
「――……」
決して振り返ることもなく。
身動きが出来ず硬直した男を残し、女は老兵を伴って屋敷を後にする。
もうこの家にも後がないな、と。
目減りしていく関心の、最後の一欠片で小さくそう呟きながら。
欲にかられて暴走した1人の男がいて。
男の暴走に見切りをつけ、見捨てた1人の女がいた。
女の背を守る老兵は最後に僅か逡巡し、そっと屋敷の立つ高台から遠くを見やる。
向かう視線の先は、連綿と連なる峻厳な山々。
――アラソルト山脈。
一際高いカルタゴ山の向こうには、エルレイク侯爵領が広がっていた。
密命を受けて、動いていた女と老兵。
計画の予期せぬ失敗、中断の必要性。
それらの報告を上げるためにも、現状の確認を……と口に出したのは果たしてどちらが先であったのか。
深く考えることも、予期せぬ事態に遭遇することも、万能ではない人間には難しい。
1度問題の場所を見ておこう。
たったそれだけのつもりで、引き上げる前に2人は予定に無かった場所へと足を向ける。
行き先は、アラソルト山脈に座すカルタゴ山。
アダマンタイトの秘された鉱脈が根ざす場所。
領地的にはエルレイク家の管轄となるその場所に。
そんなものの存在すら知らないはずの立場にあることも関係なく。
彼らは誰かに会うとも思わずに鉱脈へと移動を始めていた。




