懐かしの我が家とはいいますけれど
前もってお聞きしていた通り、移動は一瞬でした。
……一体、何がどうなっているのでしょうね?
深く考えてはいけない気も致しますが、悩ましいものです。
「まあ、見覚えのある景色……」
高い位置にいるからでしょう、わたくしの頬を風が撫でてゆきます。
眼下に見下ろせば、見えてくるのは見覚えのあるものばかり。
高く積み上げられた城壁。
細々と広がる、城下の町並み。
遠く、森の向こうにある村の方々が煮炊きする煙が上る光景。
そして人々の営みを見守る、高き山々……アラソルト山脈。
今は過ぎ去ってしまった幸せな幼女時代が思い起こされます。
父と母が揃い、共に暮らした日々……切なく大切な思い出ですわ。
「クレイ、ここがどこだか覚えていて?」
「う? うぅんと、んっと…………ねぇしゃまぁ、ここどこ?」
「そういえばお兄様が自主的DIVEをやらかされて以来、危険の度合いが問題視されて高い場所へ足を運ぶことは禁じられていましたわね。わたくしも、クレイも」
見たところ、現在わたくし達がいるのは高い場所……
城壁が見下ろせる点を鑑みれば、すぐに察しはつきます。
ですが高い視点で見下ろす、という経験に乏しい為でしょう。
見慣れたはずの景色を前に、普段とは視点が変わっただけでクレイには見当がつかなくなってしまっているようです。
ここは、わたくし達の『お城』ですのよ、クレイ。
「おい、お姫さん。此処ってもしや……」
「ようこそ皆様、よくぞお越しくださいました」
「げっ やっぱ此処ってエルレイクの巣くt、本拠t……アロイヒの巣かよ!」
「……何度も言い直して、出てきた言葉が『アロイヒの巣』ですの? ロビン様」
貴女、わたくしの兄を虫か何かだと思っていらっしゃいません……?
困惑の顔で、ですがどことなく諦めの境地に至った眼差しをしているアンリなどは、賢明にも口を噤んで感想を堪えていますのに。
ロビン様の率直さと正直さは美徳といえますけれど、時には婉曲な物言いも覚えた方がよろしいのではなくて?
「いつまでも此処にいても仕方がありません、まずは落ち着ける場所まで移動致しましょう」
「お、おう……姫さん、此処が何所かわかるんだよな? どっち行くんだ」
「こちらですわ」
もう随分と久しく登っていない場所ですけれど、幼少期は何度か足を運んだ場所です。
此処は塔の上。
エルレイクの土地で最も高き、城の塔の上。
此処から見下ろせば、遠くまで見渡すことが出来ます。
領民の暮らしぶり、自分達の治める領土。
大切な守るべき民の暮らしを目に映し、己が責務を刻みつけよと仰って、父はわたくしをよく此処へ連れて来て下さいました。
高い塔の上、父の肩に乗せられて見る眼下の景色は、より高い場所にいる様に思えて薄く恐ろしい思いをした記憶が蘇ります。
父は本当に何度も、わたくしを此処へ連れて来て下さいました。
兄が「今なら鳥になれる気がする」と狂人のようなことを言い出し、此処から飛び降り敢行するまでは。
以来、危険なので身長130cm以下の若年者は立入りを禁じられております。
禁じた父の指す『危険』が、「落ちたら危険」という意味なのか……それとも「飛び降りられたら危険」という意味なのかは、存じませんけれど。
幼い頃の記憶を手繰り、歩を進めれば、時を費やさず階段を見つけることが出来ました。
わたくしは首を傾げてきょろきょろと周囲を見回すクレイの手を引き、ゆっくりと石畳の階段を下り始めました。
自領を出たことのないロビン様も、王都の屋敷を勤務地として雇っていたアンリも、この地を踏むのは初めてです。
自然と、わたくしの先導で皆が続きます。
……『始王祖』様は、何を考えているのかわからない様子でクレイの腕に抱かれておりますけれど。
やがて塔の1番下まで下り、鍵のかかっていない木戸を開けると。
クレイの無邪気な、喜びに満ちた声が響きました。
弟を喜ばせたモノが何か、聞かずとも察せられます。
わたくしも、きっと同じモノに嬉しさを感じているのですから。
木戸の向こう、目の前に見えた光景は――……
「あーっ! おーちだぁ!」
初代がどこから引き出してきたとも知れぬ謎の建築費を投じて建てたという、一族の伝統が詰まった故郷の象徴。
我がエルレイク侯爵家が代々に渡って暮らしてきた、居城。
王宮で官職を得ていた父以外の家族は、シーズンに合わせて王都と領地を行き来していましたけれど……やはりどちらかというと領地の城館こそが一族の根幹だと感じます。
王都の屋敷も暮らし易くはありますが、領地の城こそ「帰ってきた」とわたくし達に思わせてくれる本宅なのです。
「改めて申し上げますわ。ようこそ……エルレイクの城へ」
戦時の習いを感じさせる、謎の強度を誇る頑丈な城壁。
お兄様の凹ませた壁を修復した痕跡も、記憶のまま。
滑らかな漆喰で固められた、館の白い壁。
お兄様がうっかりぶち抜いてしまった、3階のテラス。
まるで魚の鱗の様な、丸みを帯びた輪郭の赤い屋根瓦。
お兄様が空から突っ込んで大破させてしまった際、お父様が窯元を間違えたまま瓦を発注してしまわれたことも懐かしい。一部だけ屋根瓦の形状と色の違う部分を見ると、記憶が蘇るようです。
何もかもが以前と変わらず、
どれもみな、わたくしの覚えている記憶の通り。
「本当に、懐かしいですわ……」
「俺はそこかしこに残る破壊と修復の痕が気になるけどな……戦時下でもねぇのに。精霊の守りがある範囲内の筈だよな」
「すべてお兄様の仕業ですので、あしからず」
「アイツ自宅で何やったんだよ……」
ああ、見るもの全てが懐かしく、愛おしい。
最後に此処を後にしたのは、半年ほど前だったでしょうか。
僅か半年の時間しか過ぎていませんのに、もう何年も何十年も前に訪れたきりのような錯覚を抱きます。
感慨深く、胸が詰まりました。
「きゃぁいっ♪ おうち、おーち!」
「まあ、クレイ! お姉様の手を引っ張っていてよ?」
クレイが大喜びです。
はしゃいで、わたくしの手を握ったままぴょんぴょんと跳ね回る様はまるで野に放たれた子ウサギか、子犬の様。
気持はわかりますわ。
わたくしの身も、クレイにつられて跳ねてしまいそう。
足取りの軽さは、やはり喜びによるもの。
両親が亡くなってからは無邪気に笑んでいても、以前に比べて少し大人しめになっておりましたものね。
こうして全身で喜びをあらわにするクレイは、随分と久しく見ていなかったような気が致します。
クレイは輝かんばかりの笑みで、わたくしを見上げてきました。
「ねえしゃま、ねえしゃま!」
「なにかしら、クレイ」
「ねえ、おーちにとうしゃまと、かあしゃま……いりゅ?」
空気が固まりました。
クレイ、貴方……。
ずっと、ずっと、領地のお城にならお父様とお母様がいるかもしれないと……そう思って…………?
自分達が会えないだけで、どこか遠い場所にいるのだろうと……?
この幼い子が、『死』というものを理解しているとは思っておりませんでしたが……漠然と、両親にもう会えないことは理解しているのだと、そう思っておりました。
ですが……わたくしが、そう思いたかっただけなのでしょうか。
クレイ、貴方は理解している訳ではなかったのですね……。
いいえ、会えないとは思っていても、もう『いない』とは思っていなかったのかもしれません。
もしかしたら、別の場所に。
貴方は、目の前にいないだけできっと『おうち』になら2人がいると、そう思っていたの……?
クレイの場合、まだ狭い世界で生きる3歳児ですもの。
遠い場所、だけどお父様達がいても不思議ではない場所。
きっと自然と、2人は『おうちにいるはず』と思いこんでしまいましたのね……。
わたくしなりにはっきりと伝えたつもりではいました。
ですが言葉を尽くして伝えても、『死』という概念は自分で納得して理解しなければ意味も通じません。
この無邪気な弟に、わたくしは何と言って事実を伝えれば良いのでしょう。
何と言えば、事実が伝えられるのでしょうか。
……わたくしもまだ、はっきりと事実を言う度に胸が痛むのを感じずにはいられませんのに。
どうすれば良いのかと、苦しくなります。
戸惑いに言葉を探し、唇の震えを噛んで誤魔化し。
途方に暮れるわたくしは、周囲への確認を怠るほど目の前の問題に意識を囚われました。
戸惑っている間にも、周囲の状況は動いていますのに。
「お、お嬢ちゃま……っ!?」
凍り付いた空気を切り裂いたのは、やはり懐かしいモノ。
いつか聞いた、懐かしい声。
知った声が、わたくし達に投げかけられたのです。
わたくしの答えを待っていたクレイも、わたくしも。
よく知る声に振り返りました。
立っていたのは、予想通りの人で……
「かーあ?」
「クレイ。カーラ、ですよ」
「どちらでもよろしいですよぅ、お嬢ちゃま、坊ちゃま!」
ふくよかな身体に、豊満な腰つき。
魅惑的な包容力を兼ね備えた、温かみの感じられる女性。
わたくし達の面倒をよく見てくれた……乳母やのカーラ。
彼女は猪のよ……勢いよくわたくし達目掛けて駆け寄ると、屈ky……逞しい2本の腕でわたくしとクレイを諸共に抱き締めました。
涙の入り混じった声は感極まったモノ。
わたくし達の頭にぐりぐりと頬ずりしながら、カーラは今までに聞いたこともないほど頼りなげな声を上げます。
「お嬢ちゃま、お坊ちゃま……いつお戻りになられたんですか」
「たった今よ、カーラ」
「先触れ含めて何の御連絡もなければ、城門からの報告もありませんでしたよぅ!?」
「事情があるの、カーラ」
「かーあー、くりゅしぃー」
「あ、申し訳ありません、お坊ちゃま」
クレイが藻掻いたことで身を離し、ですが離れ過ぎることもなくカーラはわたくし達に目線を合わせて跪きました。
彼女の深刻そうな、真剣な目がじっとわたくし達を見ています。
「お嬢様、はっきりと仰って下さい」
「改まって、どうしたというの。カーラ」
「……お館様と、奥様がお亡くなりになられたというのは………………本当、なのですか」
…………。
………………。
……えっと。
え?
カーラの言葉に、わたくしは逆に驚かされてしまいました。
父と母が馬車の事故で亡くなってから、長くはないなりに時間が経ちました。
もう、父母の死から2カ月近くが経とうとしています。
ですのに、カーラがわたくしに改めて尋ねてくる訳ですが。
……あの。まだ、そこで情報止まっていましたの?
王都からは少々離れた、エルレイク地方。
どうやら情報伝達の速度には、わたくしの予想するものよりも遅れがあったようです。
古くから建つ居城『龍爪城』。
戦時を生きた方々が建てた為か、どこか無骨な砦の要素を持つお城。
エルレイクさんのお宅の建材(一部)について/解説:当家の従僕
謎の防御力を誇る城壁は、初代様の時代から続く歴史ある一品。
傷つかないので補修要らず……というより頑丈過ぎて補修する余地もなかったのに当家のお坊ちゃまがヤンチャをした結果、史上初の修理作業を実施することに!
……が! 壁の建材に使われた素材が判明せず、職人が頭を捻りながらもありきたりな素材を使った修理の末、全体を見た時の違和感が凄まじいことに!
ここだけ修理した跡があるぞ、脆いぞ!
そんな風に見るモノに訴える風情があるので、ご当主様は頭を抱えたとのことです。
(城壁の建材:アイギスゴーレムの要石とアースドラゴンの骨をそれぞれ粉末にし、粘着力の強い変種スライムの体液で固めたモノ)
そして、屋根瓦!
こちらも初代様の代より補修される必要などないとばかりの強靭さを誇示していた一品です。
しかしそちらも当家のお坊ちゃまが空から突っ込み、あえなく大破。数百年の完璧な姿に終止符を打つことに!
何百年も前の屋根瓦なので、今の時代に同じものを見つけるのは難しく……ご当主様は方々の窯元を探し回られたが、ついぞ同じものを見つけることは叶わなかったそうな。
そこでなるべく似た風合いで違いのわからない瓦を作ってもらおうと考えたのですが、打ち合わせをしていた窯元とは別の窯元に間違えて発注。こうして今の何となく違和感が残る屋根が出来上がった次第にございます。
(屋根瓦:瓦と見せかけて実はフレイムドラゴンの鱗)




