フォルンアスクの精霊樹
そもそも、『始王祖』とは何なのか。
今一つ理解の及んでいないわたくしですが、『黒選歌集』に聞いて理解できたこともあります。少しではありますが。
存在が超常的過ぎて、本当に理解しているのか自信はありませんけれど。
乏しい理解の中から『始王祖』を、わたくしはこう解釈致しました。
――即ち、国内の精霊の総元締め。
精霊の領分から国家鎮護を王国の祖と契約し、旧王族を生み出した存在である……と。
王国を築いた祖と、『始王祖』は契約を結んだと『黒選歌集』も仰っていましたわね。
『始王祖』の配下にある5つの精霊が、建国初期の国境線5方に配され、王国の領土が侵犯されないように守っていらっしゃるのだと。
北と、北東、南東、南西、北西。
それぞれに別の精霊が根ざし、王国を守護する。
王国の中央に、『始王祖』が存在する限り……。
――北方は、大樹。
『始王祖』エルレイク様に仕えた樹の精霊が、今でもいらっしゃる。
この、フォルンアスクの森に。
説明を受けて、わたくしは思いました。
この度の、想定を超えた大移動。
……『始王祖』様のせいではありませんの?
わたくしの予想は、的外れなものではない気が致します。
「森の中心に、精霊様はいる。此方も言いたいことがないではないが……まずは精霊様にお会いいただきたい」
わたくしの影から現れた人形が『始王祖』だと知るや、森番の2人はそう仰いました。
この丸木小屋で事情聴取を受けるものと思っていましたのに……
また、移動です。
移動とは申しましても、ほんのすぐ側に目的地はあるようですが。
広大な森ではありますが……森番が真に守るべきは、保護区の保護対象。
王国を守る為に配された、樹木の精霊。
保護対象の近くに拠点を置くのは理にかなっていますわよね?
近頃、足腰が弱ってきたというジョン様を小屋に置き、わたくし達は精霊の元を目指しました。
……わたくしやクレイのような幼子を長時間歩かせ続けるのも、褒められた行いとは思えませんけれど。
少しくたびれた様子のクレイに、胸が痛みます。
ですが信用できる者のいない場に、弟を残していく訳には参りません。
ジョン様はわたくし達を尊重してくださいますが……
向けられる敬意が、心の底からのモノだなどと安易に信じることがどうして出来ましょう。
思わぬ事態で長距離を強制的に移動させられたばかりです。
ただでさえ、見知ったばかりの相手。
人柄も、背景も、考え方の基準すら掴めておりません。
そのような方の元へ、どうして弟を預けられましょう。
何があるとも知れぬ状況で……万が一にも引き離されるような事態があってはなりません。
クレイも今は眠たげな様子でアンリに背負われていますけれど……わたくしが消えてしまったのなら、この子は何とするでしょう。
未だ、夜はわたくしが側近くにいなくては眠ることすら出来ませんのに。
「精霊様の樹は、この森で最も古くて最も大きい。生命力に溢れちゃいるが、扱いにゃ気を付けてくれよ」
不安げな眼差しを彷徨わせる、ロビン様。
幼子に向けるような注意ですわね……と、わたくし自身が幼子でしたわ。
ですがわたくしは兄ではないので、無為に木を切り倒すような真似は致しませんわよ?
大物の精霊が宿るとされる、古き大樹。
緊張を持ってわたくしたちは、老木の根ざす場所へと辿り着きました。
「大きい……っ!」
語彙に乏しいと思われても致し方ありませんが、感想はただただ大樹と呼ばれるに相応しい古木の雄大さに対するものとなりました。
感動の仔細は語彙を尽くせば語りつくせるというものではありませんが、この雄大さはシンプルな一言で語ることこそ相応しく思えます。
言葉を尽くせば尽くすほど、胸に去来した感動は陳腐なものとなる。
語る前に悟らされるような、圧倒的な存在感。
これが、精霊の宿る大樹……!
あまりの大きさに感動が押し寄せ……ました、が。
冷静な目で慎重に観察すると、何やら木自体には見覚えがありました。
圧倒的な大きさは、わたくしの知識にあるモノに比べて遙かに規格外でしたけれど。
「…………これ、レバノン杉ですわよね?」
「慧眼だな。その通りだ」
良質な建材、木材として珍重されるレバノン杉(マツ科)。
記憶では40m程の大きさに成長する木ではあるのですけれど。
わたくしの目測による判定が間違っているのでなければ……樹高、150mを悠に超えているように見えるのですけれど。
レバノン杉とは、これほどに大きく育つものでしたでしょうか。
「最近は、植物までもが常識を悠々と超えていかれますのね」
「あ? 知らねぇのか、精霊が宿る生物は通常より恵まれた成長を遂げんだぜ。それにこの木は嘘か真か樹齢1万年を超すとか何とか……マジかどうかは知らねぇが、少なくともそう言われるだけ古くからあんのは確かだな。つまり」
「つまり?」
「植物が常識を悠々超えてんのはここ最近じゃねえってこった。少なくとも数千年規模で昔からなんじゃねーの?」
「ここまで規格を超越した巨木でしたら、確かに樹齢は凄まじいことになっているのかもしれませんわね……ですが、人々の口に上ることもなく、広く知られてもいないことが不思議でなりませんわ」
「そりゃ秘されてっからだろ。仮にも此処は保護区だぜ? 保護対象を無用な危険にさらすような情報、易々と外部に垂れ流すかよ」
「これほど大きな木でしたら、隠すことも容易ではないでしょうに……森の外からでも見ることが出来るのではありませんの?」
動かすことも、隠すことも出来ないモノ。
これほどまでに大きな木の存在が、外では全く知られていない異常性。
保護区だからと、人の口を封じられるものではないでしょうに……
「そりゃあ……森の外からでも見えりゃ、その通りなんだろうがな」
「? まるで森の外からは、この木を認識できていないかのような口ぶりですわね」
「姫さん、教えといてやるぜ?」
にやり、と。
まるで殿方の様な皮肉じみた仕草で、ロビン様は軽く仰いました。
「この森、外部からは『山』に見えてんだぜ?」
「……それは一体、どのような意味ですの」
実際に森の中を歩いてきた身ですもの。
言われずとも分かります。
この森は、 平 地 です。
ですが森の外からは、此処が『山』に見えると……。
確か目の前にあるレバノン杉を、森番の御2人は『森の中心部にある』と仰っていましたわよね。
森の中は欝蒼と生い茂る木々によって、空を望むことは叶いませんけれど。
……つまりは、そういうことですの?
どうやらこの森は、精霊の宿るレバノン杉の巨大さに合わせて木々の高さを調節し、傍目にまるで山の如く見えるように整えてあるようです。
木々の高さを調節するなどの難事も、きっとこの森では森番のお仕事なのでしょう。
わたくし達に説明するロビン様のご様子は、どことなく誇らしげに思えます。
ですが『始王祖』は人知れぬ難事に従事する森番さんの苦労話になど耳も貸さず、意に介さず。
まっすぐにレバノン杉へと歩みより、無造作に木の幹を叩き始めました。
ええ、それはもう気安くペチペチと。
……傍目にはペチペチ叩いているようにしか見えないのですけれど。
人形の手が木の幹に当たる度、ずどんという音が致します。
ロビン様の顔が、盛大に青褪めました。
「起きろ、グランパリブル」
「あ、あの、エルレイク様――? どなたに呼びかけていらっしゃいますの」
「この木に宿る精霊、グランパリブルにだ」
「ぐ、グランパリブル、様……?」
尚も木がへし折れてしまうのでは、と心配になってしまう音が響く中。
やがて、変化は訪れました。
木に、光が宿ったのです。
こう、心霊現象的な光景でした。
レバノン杉の全体に青白く、儚げな燐光が宿ったかと思うと……
それがぽわ、ぽわ……と木から空気中へと滲み出し、やがて光が寄り集まって生き物の形を模っていったのです。
……『生き物』とは申しましても、歪な、とことなく子供が潰した粘土細工の様な拉げた印象のある形状ではありましたが。
ぼんやりとした光で構成されたナニかは、口の様な凹みを作り……撓め、歪めて『声』を発しました。
『声』と申しますか、『声』のような不思議な音を。
意味を成さない音のように聞こえましたが、知らぬ音の連なりは頭の中で意思を引きずりだすかのように意味を成しました。
苛立ちと不安と、緊張の感情が伝わって参ります。
伝わってきた『意味』を改めて『言葉』に直すと、恐らくこういったものになるのではないでしょうか。
『――私を攻撃しているのは、誰!?』
……どうやら『始王祖』様の呼びかけは、きっちり『攻撃』として伝わっていたようです。
無理もありませんわ。
『呼びかける』という穏当な表現にはそぐわない、明らかな破壊を奏でる衝撃音がしておりましたもの。
どう考えても、怒りを買う予感しか致しません。
どうして不安を感じずにいられましょう?
わたくしは未知の精霊を前に、少々困り果ててしまいました。
対外的に、『始王祖』の今の持ち主はわたくしです。
この暴挙に対する責任を、わたくしは負わねばならないのでしょうか。
当の『始王祖』には不安を感じている様子はなかったのですけれど。
平然と、何事もなかったかのような人形の面持ちで。
非常識な訪問マナーを披露して下さった『始王祖』は精霊を鷲掴みました。
……わしづかみ、ました。
…………って、な、なにをなさっていますのー!?
ぎょっとするわたくし達。
人形の手に掴み取られ、藻掻く精霊。
慌てる誰にも顧みることなく、お人形の薄い唇は動きました。
「久しいな、グランパリブル」
『……って、え。えぇっ!?』
「変わらず息災の様子、善哉というべきか」
『え、え、え…………エルレイクお父さま!? 何故に!』
「お、おとうさまですって!?」
い、今何か聞き捨てならないことを精霊が……
いえ、それ以前に。
エルレイク様、精霊の顔面を鷲掴みにしたまま、何を平然と会話し続けようとしていらっしゃいますのー!?
「エルレイク様、お子様がいらっしゃったのですか!?」
「『祖』と呼ばれるからには子がおり、末裔がいて然るべきではなかろうか」
「確かにそうですわね! で、ですが……あの、そちらの精霊はエルレイク様の……?」
『あ、自分、実子じゃないです! 育て親です育て親! だから余計な邪推は勘弁して下さい黒うt……アレ? 違う?』
「ちょっとお待ちになって? そこの精霊、今どなたとわたくしを間違えられたのかしら……?」
『エルレイクお父様! このちびっちゃいお嬢さん、黒歌鳥様とオーラのパターンがめちゃくちゃ似てるんですが何者でせう?!』
「直系の子孫。害すればあやつも黙ってはおるまい」
『いぃやあぁぁぁあああああああああああああっ!! なんでそんな危険な起爆剤がこんなところにぃ!』
「……御先祖様は、悲鳴を上げられるような何をなさったの?」
「さて、危害を加えたとは聞いていないが」
場は、混沌として参りました。
過去に一体何があったのか……わたくしは存じませんけれど。
何故か偉大な筈の精霊に下にも置かぬ持成しを頂いてしまいましたわ。
本当に、御先祖様は彼の精霊に何をなさったのでしょうか。
……ですが、好都合といえるかもしれません。
虎の威を借る狐となるのは、わたくしの好むところではありませんが……
わたくしは怯える精霊さんに、淑やかなものとなるよう殊更に心がけて微笑みかけます。
そうして、尋ねかけました。
「ところで、御先祖様に良しなにしていただく前提でお尋ねいたしますわ。……黒歌鳥様の末裔であるわたくしに、貴方は如何程の便宜を図って下さいますかしら?」
光の塊のようにみえる、精霊さん。
当然ながら生物としての特徴は窺えないのですけれど……
何故かしら?
瞬間、精霊の顔が青褪めたような……
不思議と追い詰められて涙目になったような、わかりやすい気配を感じてしまいましたの。
適度に代々の森番と交流があったので、とっても気安い精霊さん♪
さあ、どんな悲劇が……!?




