雇用関係の成立ですわね
「おじょーさま、おっきしてくんない?」
「………え?」
夜明けまで泣き通しだった為でしょうか。
それともエラル様のお言葉通り、疲労が溜っていたのでしょうか。
おそらくなるべく長く眠っていられるよう、配慮していただいたのでしょうね。
わたくしが目を覚ました時、太陽は既に高く。
窓からの光で、正午が近いことが知れました。
「おはよ、おじょーさま」
「……………レナお姉様?」
寝台の脇に、女の人と呼ぶには小柄なお姿。
わたくしの目覚めを促した、声の持ち主。
見違えるほど、昨日とは様変わりしたレナお姉様が立っていらっしゃいました。
でも、どうしてこんな格好をなさっているのかしら。
「どういたしましたの、その衣装は…」
「メイドの格好似合わない? まあ、サイズがなかったからぶっかぶかだしねぇ」
「いえ、そういうことではなく…何故メイドの格好を? それにお嬢様、とは…」
「そんなの、あたしがアンタ付きのメイドになるからに決まってんじゃない」
「まあ………決まっていますの?」
わたくしは、思わず首を傾げてしまいました。
ですがレナお姉様は、当然という顔でまだ寝台と仲良くしているわたくしを見下ろして………あら、はしたない姿をお見せしてしまいましたわ。
「アンタ、まあ疲れてたんだろーし仕方ないけどさ。もう昼よ? 身繕いの準備はしてあるからとっとと起きなさいよ」
「まあ、着替えの用意をしていただけましたの?」
「…とは言っても、大体はアンタが寝る前に準備してあったやつだけど」
「そういえば、荷物から着替えを出していましたわね」
納得の頷きを返し、わたくしはまだ眠っている弟を起こしにかかりました。
いつもは雄鶏のように朝の早い子ですのに…
やはり、クレイも疲れていたのでしょう。
未だ平和そうな寝息を立てる弟の覚醒には、少し時間を必要といたしました。
「それで、わたくし付きのメイドとはどういう意味でしょうか?」
わたくしの身繕いを手伝って下さろうとしたレナお姉様の手を、辞退して。
ブラシを入れた髪にリボンを結びながら、わたくしはレナお姉様の言葉を確認しようと声をかけました。
そんなわたくしに、レナお姉様は何でもないような口調で仰せられましたの。
「ほら、あたしってアンタとエラル様にお金出してもらって『しろがね屋』から自由になったじゃない」
「ええ。…結局は、ほとんどエラル様にお支払いいただいてしまいましたけれど」
「いやいや、なんでアンタが落ち込むの。恩義に感じるべきはあたしでしょ?」
「ですが、レナお姉様に良くしていただいたのはわたくしです。本来であれば、わたくしが全額お支払いしてしかるべきですのに…」
「え、なにその理屈。親切って、たったあんだけの関わりであたしの値段全額負担とか、どこのぼったくりバーよ」
「ぼったくり婆?」
??? 松ぼっくりか何かの変種でしょうか?
首を傾げるわたくしに、レナお姉様はがっくりと肩を落とされました。
「そうよね、お貴族のお姫様にはわかんないわよね…」
「一概にそうとも言い切れないのではありません? 教えていただければ、きっとわたくしも理解できますわ」
「いや、これは教えちゃマズイ気がする……えぇと、話を戻すわ! とにかく、あたしの値段をアンタ達が払った、それは良いわね?」
「ええ、相違ありませぬ」
「そ。だからこその、再就職って訳。だってあたしには此処に置いてもらう理由がないのよ。それこそ御情けってやつ。それだとアンタ達への借金も返せないし」
そう言って、レナお姉様が晴々と笑います。
今朝一番にその旨をエラル様に相談したところ、こちらのお屋敷で働いて返すことで話が纏まられたとか。
加えて、元よりわたくしに側付きの使用人をつける予定だったとのことです。有難いことですが、申し訳ありませんね…わたくしは自分のことは1人で一通りできますし、無理に人員を割いていただく必要はありませんのに。
「エラル様、アンタがそう言うだろってことまで把握してたみたいよ?」
「あら?」
「だから無理に「お世話第一!」みたいな慣れない相手をつけるより、少しでも馴染みのあるあたしをつけた方が息もしやすいんじゃないかだって」
「あらあら…エラル様はどこまでわたくしのことを読んでいらっしゃるのかしら」
「さあ? とにかくあたしは、このお屋敷でメイド見習いのバイトしつつ、アンタへは体で借金返すことに決まったのよ。お金は文字通り、働いて返すわ」
「明けて一夜ですのに、レナお姉様は逞しいですわ…」
「………アンタにゃ負ける」
ですがそう言うことでしたら。
それはつまり、今後も当分はレナお姉様とご一緒できるということですわよね。
レナお姉様が今後どういった道をお選びになるのか、口は出さずにいることを決めておりましたが…本当は少し、離れがたい気持ちがありましたから。
一緒にいられるとわかり、わたくしは笑み零れてしまいました。
ブランシェイド伯爵家の方々は、品行方正でよい方ばかりでした。
わたくしの身の上にも大変心を痛められて、いつまででも居ても良いと仰って下さいましたの。
返すものを持たない身としては、有難すぎて胸が苦しくなってしまいます。
とてもこのまま、ただ善意に縋って安穏とは過ごせませぬ。
何か、わたくし自身がここに居ても良いと思い安らげる…そう、役目の様なものはないかしら。
わたくしも1度は扶養される側ではなく、扶養する側になってみせると決意した身です。
せめて御恩を少しずつでも返せないものでしょうか。
…というようなことを、お城から一時様子見とのことで戻っていらしたエラル様に訴えると、エラル様は笑って仰いました。
「年相応に甘えてくれて良いのに…ミレーゼちゃんは義理がたいなぁ」
「一方的な借りを作ってしまえば、後々差支えがあるかもしれませんもの。対等な契約は無理かもしれませぬが、何か責務をいただけませんかしら…タダより怖いものはなし、と世に言いますし」
「そういう言葉、どこから覚えてくるんだか…」
微苦笑でエラル様は、「それでもミレーゼちゃんらしいよね」と仰います。
何だか呆れられているようで、お恥ずかしいですわ…。
「そうだねぇ…王宮の方は暫くバタバタしていて、特に王太子殿下は確実に忙しいからね。今すぐにミレーゼちゃんをどうこうする余裕はないかもしれないしなぁ」
「まあ、何か繁忙期みたいなものですの? 王太子殿下が動かれるとなると、余程のことなのでしょうね」
「………まあ、余程のことだよ?」
「ではエラル様もお忙しいのではありません? わたくしのことを気にしていただかなくても大丈夫ですわ。わたくし、大概のことなら自分でできますもの。だからエラル様はお仕事に専念なさったら…」
「大丈夫だよ、ミレーゼちゃん。…前から半年に1回は起こっていたことだから」
「? 良く分かりませぬが…激務ですのね?」
「…一種の天災みたいなものかな。いつ起こるのか予測できないし対策が難しいって難点があるあたりは」
「…? エラル様のお勤め先は、防災関係でしたかしら?」
司法関係だと思っていたのは、わたくしの勘違いでしょうか。
でも昨夜も、犯罪調査に自ら赴いていらしたし…
「そ、それよりもミレーゼちゃん?」
「あ…はい」
「そう言えば1つだけ、君にお願いしたい仕事が見つかったよ。君がどうしても無償で滞在するのは心苦しいって言うのなら、どうか頼まれてくれないかな…?」
「…まあ! わたくしに出来て、無理のないことでしたら喜んでお受けいたしますわ。内容確認をお願いしてもよろしいかしら」
「ああ、勿論だよ」
そう言って、にこやかにわたくしの頭をなでるエラル様。
まるで孫を見る祖父君のような笑み…
ですが、その瞳の奥に切羽詰った焦燥が垣間見えるような…
「知っているかもしれないけどね? 私には3人の弟がいて…」
そうして聞かされた、お願いは。
わたくしも即座に頷き、危機感を覚えてしまう類のもので。
何とかしなくては、と。
そう強く思いましたの。
だってエラル様は、こう言われましたの。
「末の弟は勉強嫌いでね…いや、それだけならまだ良いんだ」
「何か、問題がおありになりますの?」
「……………」
「………?」
「…………………あの子は、アロイヒの武勇伝に憧れているんだ」
「それは早期に矯正が必要ですわ…!」
「ああ、そうなんだ! そうなんだよ…! 人格じゃなくて武勇伝への憧れだから、性質悪くって! 頼む、ミレーゼちゃん。君ほど賢くとは言わない…だけど、だけど! どうかあの子に勉強の大切さと楽しさ、それから出来れば物の道理を教えてあげてくれないか…!!」
「ええ、ええ…! わたくしに出来ることでしたら、最大限の努力をお約束いたしますわ! 大恩があるというだけではなく、お兄様のファンなんて恐ろしい方向に道を踏み外そうとしている、未来ある少年を放ってはおけませぬ!」
「心強い言葉だよ、ミレーゼちゃん…!」
わたくしにはよく分かりませぬが。
昔から、何故かお兄様は子供…特に男の子に人気がありますの。
遠くから眺めているだけの、深く知らないからこそ…だと思われますわ。
兄のシンパがいる、と。
そう耳にしたことはありましても、それはお気の毒ですわね、くらいの気持ちで遠い存在だと思っていましたのに。
ですが身近に、その予備軍がいると知っては放置など出来ませぬ。
何より、その子の為に。
「年下の女の子に勉強を教わるのは、あの子の自尊心を傷つけて意固地にしてしまうかもしれない。だから良いかい、ミレーゼちゃん。君は一緒にお勉強をしながら、さり気無くあの子が勉強するように誘導するんだ」
「具体的に、どういった方法が有効でしょう…?」
「あの子も男の子だからね。可愛い年下の女の子に煽てられたら木にも登るだろう」
「では弟君を肯定しながら、良い気持ちで勉強できるように終始致しますわ」
「本当に、頼んだよ。ミレーゼちゃん。そして可能であればあの子の憧れを打ち砕いてあげてほしい…!」
「ええ、全力を尽くさせていただきますわ…!」
こうして。
わたくしの、ブランシェイド家ご子息の家庭教師就任が決定致しました。
わたくし、がんばりますわ…!
余談
エラル様、本当にありがとうございます。
そう言いましたら、何故かエラル様に肩を掴まれました。
何事ですの?
「ミレーゼちゃん」
「はい…?」
見上げれば、そこには悲しげな顔のエラル様。
…わたくし、何か致しました?
誰かを悲しませてしまったという事実に、焦りが生まれます。
ですがわたくしの思うような理由は、エラル様にはなかったようで。
「君は、もう私のことを『エラルお兄様』とは呼んでくれないのかな…?」
「…はい?」
「そ、そうか…やっぱり、もう呼んでくれないんだね」
あ、エラル様が落ち込んでしまわれました。
再会して以来、わたくしはずっとエラル様とお呼びしています。
でも4日…いえ、もう5日前ですわね。
それまではエラル様のことを「エラルお兄様」とお呼びしていました。
再会して、もう以前のように気安く呼べる身分ではないと思いましたので、エラル様とお呼びしていたのですが…
エラル様自身が、お望みのようですし。
「え、エラルお兄様…?」
「………やっぱり、妹っていいなぁ」
よくわからない反応が返ってきました。
ですが、どうやら概ね喜んでいただけたようです。
ですので時々は、エラルお兄様と呼ばせていただこうと思います。
でも、どうしてこうも下の兄弟を羨ましがるのでしょうか。
「エラルお兄様にも、可愛い弟君が3人もいらっしゃるじゃありませんの」
「弟なんて生意気なばっかりで、可愛げなんて全然だよ」
そんなエラルお兄様の弟君と、この後対面が控えているのですが…
「わたくしのクレイは可愛いですわよ?」
「そりゃ、クレイ君はね…こんなに良いお姉様がよく見ているんだから、それは良い子になるだろう。本当に、なんであの阿呆にこんな可愛くて良い子が………宝の持ち腐れだ。殺そう」
「え、エラルお兄様…?」
殺伐とした目と、空気に。
エラル様もお疲れでいらっしゃるのね、と。
そう実感した伯爵家初日のことでした。




