思いがけぬ問題は、更なる大きな問題のはじまりですのね
何やら眩暈がして参りました。
何故、わたくしはこんなことをしているのか……
自分の置かれた状況に、立場に、何やら惑っているような感覚が致します。
現実離れした状況に囚われ、混乱しているのかもしれません。
一先ず考えをまとめる為にも休息を、と。
8歳の幼子でしかない肉体と精神が疲弊しているのを感じ、わたくしは休憩を願い出ました。
未だ多く、気になる事柄はあるのですけれど。
休憩の、最中。
わたくしが神経を落ち着かせようとしていますのに、黙してはいられないことを言い出す方がいらっしゃいました。
ピートが、ふと思いついたように無視できない事柄を口にしたのです。
「なあ、思ったんだけどよ」
「ん? 何を思ったのさ、ピート」
相槌を打つミモザも、特に重要な事柄だとは思っていなかったのでしょう。
雑談中のことでしたし、何気ない話題に耳を傾ける心地でいたはずです。
ですがピートが発したのは、思いがけず重要な事柄でした。
「このエルレイク人形?が精霊に干渉できるってんなら、なんだっけ、アダマンタイト? あの精霊と抱き合わせで密売されとる物騒な希少金属の回収にも有利に働くんじゃね?」
時が止まりました。
誰かが手からポロリと落としたティースプーンが、絨毯を剥いで剥き出しとなっていた床に直接ぶつかり、硬質な音を響かせます。
床の上で金属がカラカラと跳ねる音が、空虚に木霊しておりました。
「え、なにそれ初耳なんだけど……」
ついでに、ピートと第5王子殿下の情報共有の不備も発覚致しました。
伝え忘れていたことに本気で謝罪するピートという、大変もの珍しい光景を目にすることが出来ましたわ。
有効的な活路というものが1つ見つかれば、俄然張り切るのが人間というものなのかもしれません。
ピートの提案に、どうやら情報収集で行き詰まりを見せていたらしいミモザが目を輝かせました。
そうですわよね、貴族関係の情報収集は主にミモザとフィニア・フィニーの担当ですものね。
ですが女性をメインターゲットとしている関係上、裏取引で流れている可能性の高い物騒な金属(表向きはチェスセット)の所在を掴むことに苦労していたことは想像に難くありません。
ですが、それでも。
ある程度の情報を絞り込むことができれば……もしくは明確な手掛かりさえあれば、あの2人の手腕であれば何とか出来そうな気が致します。
何といいましても、『青のランタン』の幹部格。
抜け目の無さでは他の追随を許さないことでしょう。
「……ということですけれど、如何です?」
早速とばかり、わたくし達はエルレイク様をテーブルの中央に据えて情報を引き出せないものかと御伺いを立てておりました。
傍目には立派な尋問ですわね。
お人形を相手に詰問……滑稽な光景ですが、止むを得ません。
「アダマンタイト…………国家守護、一角。南西鎮護、金属精霊。本質、精霊の宿り。点在し、分散するは守護の乱れに通ず」
「誰か、通訳! 通訳呼んできてー!」
「ミモザ、根を上げてはなりません。諦めるには未だ早いのではないかしら」
「ミレーゼ様は意味わかるの!?」
「わたくし、まだ8歳ですから……幼子には少々難しいお話ですもの」
「この場の誰よりも賢そうな幼女が何か言ってるよ!?」
「ああ、たぶん寝言だろ。起きろ。起きて、通訳しろ」
「わたくしに主語述語の省かれた単語会話で意味を拾うなどという高等会話をこの場で習得しろと仰いますの!? また無駄に複数の単語を接続語なしに繋げられている為に意味の難解さが上がっていますのに? 今この場で解読できるはずがありませんわ……!」
「主語述語接続語を理解してる幼女様って確実に俺らより言語能力高いだろ! 何とかしろよ」
……目覚めたばかりの『始王祖』様は、わたくし達の予想以上にコミュニケーションに難のある御方でした。
旧王家の祖となられた方々は、どのようにしてこの方と意思の疎通を可能にされたのでしょうか。
歴史の闇に葬り去られ、更には王朝末期の悪政から悪の代名詞のように評価される、旧王家。
確かにこの国を拓き、手付かずの大地に文明を築いたことは評価しておりました。
ですが今、この場で、わたくしは初めて彼の王家のことを尊敬出来たような気が致します。
旧王家の祖となった人は、どれだけコミュニケーション能力が高かったのでしょうか。
頭を抱える、わたくし達。
問題解決の活路かと思われた存在が、ここまでわたくし達をてこずらせる相手だとは……
【苦労しているようだ、が……寝惚けた相手にまともな回答を求めても、早々望む通りにはいかないだろうに】
……問題の解決(通訳)に一役買ったのは、『黒選歌集』でした。
あ、この本……お役御免じゃありませんでしたのね。
「寝惚け、て、おいでですの……?」
【知的生命体とのまともな交流もなく、千年単位で放置されていた挙句、更には人形に封じられて狭苦しく暗い柱の中に数百年……そこを叩き起こされたばかりで、まともな会話が可能だろうか】
「無理だな」
「無理ですわね」
「そっか、じゃあ目を覚ますまで待つしかないかー……」
『黒選歌集』の仰せられたことは御尤も。
わたくし達はエルレイク様の意識がまともに起動するまで、待つことを余儀なくされました。
今夜中に覚醒してくださればよろしいのですけれど……
今まで眠っていらっしゃった年数が年数ですものね。
数日で覚醒されたら御の字、かもしれません。
待つ時間が惜しいと、焦りそうな感情と思考を抑えなくては。
今更、なのですもの。
既にわたくし達の害と言える相手方はずっと前から動いているのですもの。
ここで数日のロスがあったとしても、既に出遅れているわたくし達としては今更としか言い様がありません。
ですがそれでも焦ってしまうのは、わたくしが未だ幼い為なのでしょうか。
居ても立ってもいられず、やるせない思いです。
……そもそも王宮に置き留められている身で、焦っても仕方がないのですけれど。
【……何やら焦っているのではないか】
「わかられます、か……」
【ふぅん? 己で自覚できる程度には賢いと見える。自己分析と客観的な視点を忘れた時、深く暗い奈落に人は転落するもの。状況の見極めをしようと努力する姿勢を忘れぬ限りは逆転の目だって見つかるだろう。注意深く、用心深く観察し、機を逃さぬことが肝要。だが、こうして待たねば機がやってこないこともある。最良の時より早く動き出しても人は失敗するのだよ】
「随分と饒舌ですわね、御先祖様。何かそのような失敗談でもおありですの?」
【いや、サージェスは失敗しなかった。むしろ他人の焦りを煽って失敗を誘発s……いや、何でもない】
「今なにか御先祖様の碌でもない性分がうっすら垣間見えましたわよー!?」
「おお……流石、エルレイクの始祖」
「ちょ、ピート!? 何を納得していらっしゃいますの!」
「胸に手を当てて考えてみろ!」
「わたくしには胸なんて……まだ8歳ですのよ? 扁平です!」
「そっちの『胸』じゃねーよ!?」
【ミレーゼの発育事情は、さておき】
「お、おお、そうだな。さておき!」
【折角だ。無関係とも思えない話を1つ、してあげよう】
「…………え?」
今まで軽やかに踊っていた、『黒選歌集』の文字。
ですのに、いきなり……何やら文体が重々しい物へと切り替わりました。
どうやら文体の形式によって、感情を表しているようです。
ですが、この文体は……ええと、重々しすぎませんか?
何やら今にも……農民一揆の血判状でも書くのに使われそうな重々しさなのですけれど。
この本は、一体何を書こうというのでしょうか。
【聞くに、『エルレイク侯爵領より盗掘されたアダマンタイトが精霊と抱き合わせで密売されている』、と。そういう話だったな】
「ええ、その通りですわ。密かに売り飛ばされようとしていた精霊自身に聞いたお話ですもの。間違いありません」
【……アダマンタイトが希少なのは何故か知っているか?】
「そのお話は、今回のことに何か関連するのでしょうか」
【アダマンタイトが発生する鉱脈は場所によって条件が異なり、以前に見つかった鉱脈と同じ条件だからと新たな鉱脈が見つかることはない。何故ならアダマンタイトの鉱床は、アダマンタイトの精霊自身が場所を選ぶからだ】
「御先祖様、どうか子孫にも分かりやすいようにお話して下さいませんか……?」
【アダマンタイトの鉱脈は、適当な金属の鉱脈とアダマンタイトの精霊が共生することで発生する。鉱脈の金属を徐々にアダマンタイトに変えて行き、精霊も増えていく。だが彼らは本来とても臆病で人を恐れる。人がアダマンタイトを加工すると、加工されたアダマンタイトに宿っていた精霊が消滅してしまうことが多いからだ】
「し、消滅……消滅、ですか」
お、お兄様ぁー!?
以前、兄がアダマンタイトの剣を持っていたことを思い出し、何となく胸が痛い気持ちになりました。
アダのことを知っているだけに、ざ、罪悪感が……!
「お、多いという言い方をされるのなら、僅かでも消滅しない例もありますのよね……!?」
【当然。余程の加工技術を持った熟練の職人と、精霊に愛される素質を持った者が協力して初めて可能となるが……過去にアダマンタイトの正しい加工を可能とした例はある。即ちアダマンタイトとその精霊が自然と同化し、遥か高みへと存在を昇華させた『精霊剣』。アダマンタイトは本来、精霊との完全な融合により真価を発揮する】
「……少なくともアダの兄に対するあの崇拝ぶりを見るに、『精霊に愛される』という条件はクリアしています、わ、よね……? ああ、ですが余程の加工技術……? お、お兄様……?」
【何を思い悩んでいるのか、察しはするが……アダマンタイトは難しい金属。要求される加工技術のレベルは生半なものではあるまい。そう、最低ラインで人間国宝10人分くらいだろうか……?】
「お、お兄様ぁー……!!」
……わたくしは、もう、兄の剣を直視出来ない気が致します。
兄の剣が『精霊剣』であったとしても、違ったとしても……どちらにせよ、わたくしの想像力を凌駕する恐ろしい現実に直面してしまう気がするのですもの。
兄の謎には、地雷が多すぎるのではないでしょうか……
兄が地雷となることを意図していないだけに、地雷の判別が難し過ぎます。
「……え、ええと。そう、アダマンタイトの鉱脈のお話でしたわよね! アダマンタイトの精霊にとって、人間に採掘されることがリスクになるということは理解致しましたわ」
【そう。だからこそアダマンタイトの精霊達は鉱脈の近くに人間が近づくと、見つかる前にと人跡未踏の鉱脈を探して逃げる。そうして精霊達が離れた後、僅かに残った痕跡からアダマンタイトが見つかったりするのだが……その量は少ない】
「なんだか……野生動物の様な精霊ですわね。精霊とはもっと、こう……偉大なものではありませんの? 人など歯牙にもかけぬような、超自然的な存在なのではなかったのですか? いえ、アダを思えば何となく納得はしてしまうのですけれど」
【そこは精霊にも色々あるとだけ言っておこう。本来精神生命体であるだけに、物質的な拠り所を必要とする精霊は自然的事象の精霊よりも存在が不安定だ。『火』や『水』、『風』といった曖昧なモノとは違い、『金属』という明確な物質に宿る精霊は変容し易い。それというのも『金属』自体が人間の手によって加工しやすい物質だからだ】
「……確かに、大自然の驚異よりも金属は身近な存在に思えますわ。ですがそれも、人の感じ方によるのではなくて?」
【魔術的な考え方でも、特定の物質に宿る精霊よりも先程もいった『火』や『水』といったモノの精霊を『四大精霊』と呼んで特別視したりするだろう。存在の曖昧さ、司る範囲の解釈にどれだけの自由度があるか。それらを考えれば差が出るのも致し方ない】
「……型の嵌め易さ、難さといったモノが精霊の格に影響しているということですの?」
何となく納得のいかない、釈然とはしない気持ちになるのですが……わたくしは魔術的な知識に豊富な訳でもなく、むしろ精霊や魔法といった事象には知識に乏しいことを自覚しております。
対して『黒選歌集』……引いては、大本である御先祖様サージェス・エルレイクは『始王祖』を人形に封じ込めたという実績を残す猛者です。
恐らく今ですら何とかわたくしに理解しやすいようにと、噛み砕いて説明して下さっているのでしょう。
ですがわたくしは基礎から学んだ訳ではないので、教えられた知識を呑みこむ前提となる部分が整っておりません。
理解できないのはわたくしの理解力の乏しさと、基本知識の乏しさの両方からくるものです。
足りない部分の多いわたくしが、恐らく精霊に関する知識を膨大に溜めこんでいるらしい御先祖様の知識に太刀打ちできなくても仕方ありません、わよね……?
【さて、大事なことはここからだ】
「まだ何かありますの? ……もしかすると、エルレイク侯爵領にアダマンタイトの鉱脈がある、という『不自然』さに関することでしょうか」
【ふふ。君は察しが良い】
……先程の、説明にあった部分。
『黒選歌集』は確かに、『アダマンタイトは人を恐れ、近寄ると逃げる』と仰いました。
ですが、おかしいのです。
教えて下さったことが事実であれば、成り立たないのです。
エルレイク侯爵領には、『アダマンタイトの鉱脈』があるのですもの。
しかも兄に見つかって以降……いえ、盗掘が始まり、密売されるに至っても、精霊はどうやら鉱脈を離れていない様子。
そもそも、離れようという様子が見受けられません。
もしもとうの昔に精霊が鉱脈を離れていたとすれば、アダマンタイトと精霊のセット販売など不可能なのですもの。
これは大きな矛盾点ですわよね?
わたくしの疑問は、的を射たものだったのでしょう。
【彼らは人に見つかろうと、採掘されようと……離れたくとも、離れられないのだよ。あの場所から、ね】
『黒選歌集』は厳かな文体で、わたくしにアダマンタイトの秘密を教えて下さったのです。
【アダマンタイトの精霊は、もう何千と昔から……ウェズラインという、この国が出来た時からずっと『エルレイク領』にいる。旧王家の祖、即ち『始王祖』との契約で】
「契約、ですって……?」
【彼らはこの国を守っているのだよ。主であった『始王祖』との約定により、他国の侵略からウェズラインを守る5つの礎として】
ちょっと待って下さい。
国家の守護、侵略を阻む礎、『始王祖』との約定……。
色々と、ええ本当に色々と……気になる情報がいま1度に提示された気がするのですけれど。
ですが、それより何より……待って下さい?
あの、わたくしの気のせいでなければ、なのですけれど……
「国家守護の礎、思っくそ盗掘されてんじゃねぇかあああああああっ!!」
大丈夫なのか、と。
やばいんじゃねぇか、と。
顔を引き攣らせて叫んだピートのお言葉は、まさにわたくしの心と同一のモノでした。
ご、御先祖様?
あの……今って、もしや物凄く危機的状況ではありませんの?




