ややこしさに眩暈を覚えそうですわ
8/3 内容加筆
鮮やかな彩色で塗り分けられた、天井の紋章。←しかし全体的に黒い
その紋章を形作る黒線は、天井に直接彫り込まれた線に黒い染料を流し込んだもののようでした。
染料の黒に紛れて見えにくいようになっていましたが、確かに見覚えのある法則性で刻まれた文字。彫り込まれた線の……側面に。
間近に見なければ、到底気付くことのできない文字列。
ここに直接文字を彫り込んだのはどなたか存じませんけれど。
……いえ、十中八九エルレイクの先祖の仕業なのでしょう。
何にしても無駄に手の込んだ細かい細工に、先祖の底意地の悪さを感じてしまいます。流石、エルレイクの礎を築いた方……ですわ。
「細っけぇ文字だな、おい……でもこれ、エルレイクの奴じゃなくっても見つけられねぇか。間近で見りゃ一発だろ」
1度見つけてしまえば、何が書かれているのかを調べるのみ。
刻まれた文字を回収するのはわたくしでなくとも構わないでしょう。
書かれた文字を読むだけでしたら、エルレイクの者でなくとも可能です。
ですので、危険な高所作業はピートに代わっていただくことにしました。
身軽な方ですもの。
わたくしよりは簡単にこなせますわよね?
現在、天井から……犬(?)に吊るされるお役目はピートのモノとなっております。
わたくしは早々に地に足の着く立場に戻らせていただきました。
天井の文字を拾っただけでは、御先祖様の暗号は解けませんもの。
わたくしはじっと床の……分厚い毛織の絨毯に目を向けました。
御先祖様の遺した暗号は、とてもややこしいモノと言えましょう。
全ての文字を繋ぎ合わせれば、まるで何かの詩の様な文面へと変じました。
このあたりは御先祖様の暗号としては仕様のようなものです。
全てに共通することなので、新鮮な驚きはありませんけれど。
ややこしくなってくるのは、これからですわ。
エルレイク家始祖、サージェス・エルレイク。
わたくしの御先祖様にあたる御方。
彼の方は……吟遊詩人であると同時に建国王の忠臣としても名高い方、なのですけれど。
歴史とは往々にして歪んで伝わるモノですのに、どれだけ古い文献を紐解いてみても、我が祖先に関する記述だけはいつの時代だろうと変わりが見られません。
幾許か引いた位置から祖先を見た方々の人物評は、概ね芸術に鋭い感性を持つ誠実な好青年……とあるのですけれど。
身近にあった方ほど、サージェス・エルレイクのことをこう評しております。
――曰く、敵にすれば何より恐ろしい男……と。
サージェス・エルレイク本人が自分について記し遺した記録はほんの些細なメモですら見つかっておりません。
ですが御先祖様が、情報戦にて負け知らずと称されるに足る実績を残されていたこと。
全てを見通すかのように隠しごとが一切通用しなかったこと。
……まるで未来を見通すかのように、予測を悉く当てて周囲を恐怖に陥れたこと。
ひっそりと秘密にするように、人目につかないように気を配りながら遺されたと思わしき、数々の記録。
閲覧する権利者の数も限られた記録の中にのみ、御先祖様の異常性を示すかのような逸話が散見しているのです。
総合評価として申しましょう。
わたくしも御先祖様に関する全ての記録を閲覧したことがある訳ではありません。
ただ、エルレイク家に遺された――初代の死後に書き記された、2代目、3代目当主の手記や交流のあった王族の方々や貴族達の記録から、読み取った範囲で総合的に判断し、申せることが1つあります。
わたくしの主観、なのかもしれませんけれど。
わたくしは先祖の記録を読み解き、こう思ってしまったのです。
御先祖様は、性格の悪そうな殿方ですわね……と。
底意地が悪そう、と言い換えてもよろしいかもしれません。
何にせよ、多くの方々の運命を狂わせ、多くの方々に畏怖を与えた事実が文献には残されているのです。
……わたくしの御先祖様は、一体何をなさっておいでなのでしょうね?
直接関わりにならなくとも、サージェス・エルレイクの方で必要と判断された場合には容赦なく被害が襲ってきた……とありますけれど。
多くの方に恐れられた、サージェス・エルレイクの暗号解読に、わたくしは取り組まなければなりませんの……?
一応、ええ、一応ですけれど。
両親が健在の折に、一応、御先祖様独特の暗号を解読する方法について指導を受けたことはございます。
折々を狙うかのような絶妙のタイミングで、何故かエルレイクの末裔は御先祖様が残した暗号と格闘することがあるそうですので。
わたくしがどこかで御先祖様の試練に直面するようなことがあった場合……少しでも困らずに済むようにとの、両親の温情といえるでしょう。
弟にはまだ難しいと判断され、伝授されたのはわたくし1人。
兄に関しては存じません。
……兄も解読法を伝えられていておかしくありませんが、習得状況を存じておりませんので、確実に解けるとは申せません。
そもそも兄自身、消息不明ですし。
ですので、今現在……この世において御先祖様の暗号を解読できる……少なくとも可能性があるのは、わたくし1人。
何と申しましょうか……荷が重く感じられます。
御先祖様の暗号は手順がややこしいので、あまり関わりたくありませんのに。
御先祖様の暗号を解読するには、まず全ての文字を拾い上げ、音符に変換するところから始まります。
次に音符を御先祖様の指定した法則性に従って楽譜として完成させ、完成した楽譜を三小節ごとに逆向きへと変換していきます。
「ミレーゼ、なんで楽譜を鏡映しにしてくんだよ」
「このまま奏でても曲として違和感がありませんから、気付き難く感じられるのでしょうけれど……御先祖様の暗号曲は、逆しまにしなくては次に繋げられませんのよ」
「どんだけ面倒臭ぇ正確してたんだよ、サージェス・エルレイク」
「こういうのって性格出ると思うんだけど……物凄く、ややこしいね」
最初に出てきた文章を歌詞に曲を奏で……曲として不自然を覚えた個所を抜き出してゆきます。
抜きだし終えた個所を曲の中でさり気無く指定された順番で並び替え、今度は抜きだした音符を文字に変換致します。
「対応する歌詞が、実は文字を並べる為の順番を示しておりますの」
「つまり、歌詞に応じて並べ替えれば正答が出る、と……?」
「いえ、出てきた言葉はサージェス・エルレイクの未発表作品――エルレイク家の屋敷に収蔵された未公開楽譜のどれかを示している筈です」
「まだ解読続くのかよ!?」
「『星は熔け、山野に沈み』――今回は御先祖様の未発表楽曲『祖国滅亡』につけられた歌詞の一節を示していますわね」
「詩人の癖にえらく物騒で詩的表現の少ねぇタイトルだなぁ、おい」
「ダイレクトに不穏極まりないね……まあ、確かに旧王国を討ち滅ぼして新たな国を立ち上げた時代だし、時代柄といえばそうなのかもしれないけれど」
「御先祖様の未発表曲は必ず2つで対になるように遺されていますのよ。『祖国滅亡』の対となる曲は『灰になれ祖国』ですわね」
「どんだけ祖国滅ぼしてぇんだよ!」
「時代が時代ですから……御先祖様も何かしら前時代の王国に思うところがおありだったのかもしれません」
対となる曲『灰になれ祖国』から、『星は熔け、山野に沈み』に対応する歌詞を抜き出し……最初に天井の紋章から読み取った文章と組み合わせて…………
「なあ、まだ終わんねぇのかよ」
「まだ、ですわね。あと21の工程が……」
「にじゅういちぃ!?」
「ややっこしい! 本気でややこしぃっつか、面倒すぎねぇかおい!」
……だからややこしいと申しましたのに。
クレイなどはわたくしの取り組む作業に早々に飽きてしまい、今ではわたくしのお膝でぐっすりですわよ。
わたくしも、もう眠たくて眠たくて仕方がありませんわー……
――暗号の解読には、結局4日を費やすこととなりました。
どうやら今夜中に終わりそうにはないと見て、一時の撤退をジャスティ様に勧められてしまいましたの。
期間中は何度も王妃様に与えられた客間と、地下を行ったり来たりする羽目になってしまい、大変苦労致しました。
大男が秘密の抜け道を教えて下さったお陰で、抜け出すことに初日程の労を要さずに済んだことが唯一の救いでしょうか。
まさかわたくしの囚われている部屋の鏡の裏が……ああなっているとは思いもよりませんでしたけれど、考えてみれば当然かもしれません。
わたくしの囚われている部屋は貴人用の客間として使用しておかしくないように整えられてはいますけれど、立地が何分塔の上……ですし。
条件をよくよく考慮して予想しただけですけれど、貴人用の客間……ではなく、元々は高貴な虜囚を軟禁する為の牢獄として使用されていたとしても不思議ではありませんもの。
客間であろうと牢獄であろうと、使用する人間はどちらにせよ王家にしてみれば動向に注意すべき相手であることに違いはありませんわよね。
使用の際、部屋の中の様子を秘密裏に窺う仕掛けがあったとしてもおかしくはありません。
そうして、事例の内容を考えるに監視の際に動員されるのは……きっと『黒歌衆』の方々でしょう。
組織の性質から鑑みるに、『黒歌衆』の方々が王宮内の隠し通路や隠し部屋に最も精通しているのかもしれません。
後ろ暗い物事を掌握している……流石は王家直属の暗部と言えるでしょう。
……本当に王家直属と申してよろしいのか、御先祖様が整えたとされる組織形態を知ってしまった後では疑問に思ってしまうのですけれど。
ピートも御存知なかった、わたくしの滞在している客間への直通隠し通路の存在は通う必要が出てきたとなれば、とても有難いものでした。
……直通とは申しましても距離がありますので、体力と身体能力的に不安のあるわたくしやクレイは、大男に抱えられて行き来する羽目になってしまいましたけれど。
精神的に疲弊したことが解読の完了までに若干時間を引き延ばしてしまったような気も致します。
期間中は何度も王妃様に与えられた客間と、地下を行ったり来たりする羽目になってしまい、大変苦労致しました。
ピートもこれほどに時間を費やすことになるとは思っていなかったようですわ。
最後の方にはうんざりとした顔を隠しもせず、表情は強張ってしまっていましたもの。
暗号の解読を始めてから、5日目の夜も更けた頃合い。
わたくしは再び『黒歌衆』の隠れ家にて、天井に大きく刻まれた黒歌鳥の紋章を見上げておりました。
「や、やっと終わったのか……?」
「ええ、やっと終わりましたわ」
「果てしなく延々続くもんかと思ってたぜ」
「どのような物事であれ、いずれは終わりに到達致しますのよ?」
「お前の先祖、本当になんであんな面倒な手順残したんだよ」
うんざり、と。
嫌気のさしたお顔をされているのは、ピートだけではありません。
第5王子殿下や、ジャスティ様……何よりわたくし自身が、精神的消耗により重度の疲労を感じ取っておりました。
ですが、それも終わりです。
「後はこの、『黒歌衆』の元に伝えられていた……『黒いオルガン』と『災禍渦巻くハープ』を奏でるだけですわね」
「名前からしてものすっげぇ碌でもないイメージが付きまとってっけど大丈夫か、おい」
「大丈夫……だと、よろしいですわね」
「希望的観測かよ……」
暗号を解いていく過程で発見してしまった、2つの楽器。
『黒いオルガン』……独特の質感を持つ、謎の素材で作られたパイプオルガンは暖炉の裏側にあった謎の隠し扉を挟んで隣室に。
『災禍渦巻くハープ』は、室内の床下に隠されていたものです。
暗号に記された指示によれば、夜の12時丁度に御先祖様の未発表楽曲『灰になれ祖国』を演奏せねばなりません。
パイプオルガンを弾くには8歳児の身体は色々と丈が足りず……『黒いオルガン』の演奏はジャスティ様にお願い致しました。
何でも御幼少のみぎりよりピアノを嗜んでおいでだったそうで、恐らく腕前に不足はないものと思われます。
「……あの阿呆の演奏の腕には負けるんだけどね!」
「あ、あの、ジャスティ様? 笑顔がとっても黒く感じられるのですけれど……」
……色々な意味を含め、ジャスティ様は『黒いオルガン』を奏でるに適任の方だと思われます。
代わりといっては何なのですけれど、『災禍渦巻くハープ』はわたくしが演奏させていただくことに致しました。
「おいおい、大丈夫かよ8歳児。大した腕前じゃねぇなんて理由でご破算になりゃしねーだろうな」
「まあ、失礼ですわね。我がエルレイク家への侮辱と取りますわよ」
「あ? あー……そういやエルレイク家って音楽方面への教養がメチャクチャ高っけぇんだっけか?」
「吟遊詩人を祖とする家系ですもの。始祖の活躍を持って侯爵位を賜った家系としては当然ですわ。わたくし達エルレイクの家は、音楽的素養と教養、楽器演奏に関しては赤子の頃から骨身に叩きこむようにして教育致しますのよ」
わたくしの年齢は、8歳。
エルレイク家流のカリキュラムに沿って、それなりに音楽教育を施されております。
吟遊詩人の家系ですもの。
先祖の誇りを忘れない為にも、ある程度の音楽教育は当然ですわ。
「……けどなんでかエルレイク家って、音楽一族って印象うっすぃよな」
「むしろ、言われてみれば……って言われるまで思い出さない感じだね」
「楽器の名手だのなんだの羅列した時も、最後にふと思い出して首傾げながら付け足す感じじゃね?」
「実際にエルレイク家の方が演奏する場に遭遇するのって、あまりないんじゃないか……?」
「それより陰謀渦巻く悪企みの真っ最中にエンカウントする方がしっくりくるよな」
「ま、失礼ですわね! わたくしの家を何と思っていらっしゃいますの?」
「「エルレイク家だろ」」
「どういう意味か、語っていただいてもよろしいかしら……?」
「御免こうむる!!」
「ピートが詳しく語らないのなら、こちらが言うことは何もないね!」
「本当に仲がよろしいですわね、この擬似双子は……!」
何はともあれ、演奏です。
これで何が変わるのか、不明ですけれど。
「ねぇしゃまー、にゃんにゃんのおうた、ひーてぇ?」
「御免なさいね、クレイ。姉様は別の曲を弾かなくてはなりませんの。猫さんのお歌は明日のお昼に演奏してあげましょうね」
……連日の夜更かしで生活習慣が乱れつつあります。
弟の為にも規則正しい生活を心がけたいというのが、わたくしの本音。
夜更かし生活も……この地下通いも、今夜で終わらせてしまいたく思っております。
失敗は許されませんが、それ以上に……この精神を削るような暗号との付き合いにピリオドを打たせていただきますわ!
わたくしとジャスティ様は、拍子を取っていた大男の……気色の悪い声に合わせて、音を奏でるべく楽器に指をかけました。
さあ、演奏の始まりです。
わたくしの場合は演奏しながら……不吉極まりない、不穏な歌詞も歌いあげねばならないのですけれど。
アロイヒが楽器を演奏しているところに遭遇した、ジャスティさんの証言(学生時代)。
「悔しくて血の涙が出るかと思った」
ハイスペックお兄様は、楽器の演奏も巧みな模様。




