売りましたわね?
初代の罠と盟友の裏切りにより、わたくしの弟が奇妙奇天烈な椅子に座らせられつつあります。
このような事態、見過ごしてはなりません……!
わたくしは、常に懐に忍ばせている物に……兄にいただいた、白皇木の扇子に手を伸ばしました。
結局わたくしが最後に頼るモノは、これなのですね……。
巡り巡って兄の助力に頼るのかと思うと、腹立たしくてなりません。
ですが今は、このような腹立たしさでも活力と変えてしまいましょう。
「わたくしの可愛いクレイに、そのような余計な荷物を負わせるほど、わたくしは姉として終わっておりませんわ……!」
「ミレーゼ!? 落ち着け! 落ち着いて下さいお願いします!!」
「お放しなさい! この場で全員床に沈め、口を封じねばならないのですから」
「現実的に考えて、お前にゃ無理だろ!? 倒せて精々、俺かアルフレッドのどっちか1人が限界だって!」
「く……っ幼い女の細腕が悔やまれます。わたくしにも兄のような力があれば……!」
「冗談だろ? あんな『全てを薙ぎ払い蹂躙する人間兵器』みたいな奴が何人もいて堪るか!」
……人の実兄を捕まえて、随分な物の言いようですわね?
身内の私が言うのでしたらともかく、ピートや殿下が口にされると微妙な気持ちが広がります。
言われても仕方がない気はするのですけれど、そう思わせる何を御存知なのでしょうね?
弟の身を案じて暗部の長への就任など承服しかねると拒否を露にするわたくし。
わたくしに目の前に座したまま穏やかな笑みを保った方……御名はジャスと呼ばれておいでだったかしら?
未だ自己紹介さえまともに交わしていない相手ではありますけれど、先ほどわたくし達を助けて下さったことは確かで。
……確かなのですけれど、弟への承服しかねる宣言を成した方でもありますわね。
こちらも複雑な心地を味わわずにいられないのですけれど、目の前の男装の麗人は動じることもなく。
ただわたくしの不服を露とする顔を見て、つとこんなことを仰いました。
「それほど心配なようでしたら……ミレーゼ様、我らが『黒歌衆』の副頭領となられて弟君の補佐をされては如何です?」
思いがけない提案に、わたくしは動きを止めて目を見張りました。
王国の暗部、隠密組織『黒歌衆』の副頭領……どう考えても、一般的とは言い難い肩書です。
なによりわたくしはただの8歳の幼女に過ぎないのですけれど。
このような力のない、ただ賢しらぶった口を利くくらいのことしかできない無力な幼子に一体何ができるというのでしょう。
暗部の地位など与えられても、持て余して意味をなさないでしょうに……。
「ミレーゼって分析力はあるのに自分へのなんつうのかな……」
「自己分析? それとも自己評価かな」
「ああ、んな感じだな。その辺があんま正常に働いてねぇよな」
「過小評価にも程があるよね?」
「認識が狂ってる訳でもなさそうだってのに」
「自分への評価が厳しいのかな」
「まあどっちでも……それこそ頭領だろうが副頭領だろうが、どっちに就任したって結果は変わんねーから俺は構わねぇけどな」
「そうだね。頭領がいない間は独断専行を防ぐ為に他の全役職も凍結するなんて不便な状況もこれで解消される」
「頭のおかしいこの組織形態考えた奴のツラが見てみたいぜ」
「子孫ならそこにいるよ」
…………何やら好き放題に言われているような気が致します。
ピートと殿下がわたくしを此処まで連れていらした理由を、まだ御伺いしていませんでしたわね。
如何なる理由でわたくしを此処へ連れて来て、後暗い地位に就任させようとなさったのか。
実際に弟が就任してしまいつつある現状に対して、どう責任を取って下さるのか。
……まずはそちらのお話を詰めるべきでしたかしら?
「ピート? アルフレッド殿下……?」
「ん、なんだ?」
「どうしたのかな、ミレーゼ嬢」
「…………一体どちらが本物の殿下で、どちらが本当のピートかはわたくしには判別付きかねますし、当分はわかりそうにありませんけれど……でしたらどちらの方も同等に、同じくらいの態度で扱えば問題ありませんわよね?」
「待て、その結論は急いじゃ駄目だ」
「早まるなよ? ミレーゼ」
「ふふ……どうせ殿下は引籠っていることで有名。また、外に出てきたという話も出回らないようですし。今の段階であればわたくしが如何な振舞いを見せたとしても、どこで出会ったのかという話になりますわよね? 殿下も御説明できないでしょうし……つまりは、今であればどのような扱いをしてみせたところで咎められる心配は皆無……」
わたくしはゆっくりと、笑顔を向けました。
警戒したように距離を取るお2人の、それぞれのお顔。
本当になんてそっくりなのでしょう。
これほどそっくりなのでしたら、わたくしが何をしても相手は王子殿下ではなくピートだと言い張ってどうにかなりそうですわね。
「ピート?」
「な、なんだよ」
「貴方がたは、ピートです。ピート達、ですわ。そうですわね、ピート」
「こいつ思い切りやがった……!」
「頑張って、ピート。僕は無関係だ」
「ちょ……ってめぇだけ逃げる気か!」
「逃がす気はありませんわ。お2人にはきっちりお話を聞かせていただきます」
何故か距離を取ろうとするお2人を逃がしてしまうつもりはありません。
わたくしは退路を塞ぐ位置を計算しながら、ゆっくりと方々に歩み寄ります。
二兎を追う者は一兎も得ず。
最初に捕まえるべき方に狙いを定め……
「……子供達は仲が良いようで結構なことだね」
「うふふ❤ やぁだ、かぁわ~い~い~!」
「…………アンドレ? 改めて釘を刺すようだが、君の風体はあまり子供受けのする方じゃない。ある程度の年齢がいった相手にまで抑制するつもりはないが……10歳以下の子供には必要以上に近づかないようにね」
「ちょっとジャスちゃぁん!? 随分なものの言いようじゃなぁいのぉ」
「言いもするよ……新しい頭領がこれで逃げたらどうするんだい」
「あらぁん? それを言われると辛いわぁ。そうねぇ……将来有望な男前の坊や☆達なら問題ないわよねぇん? 10歳超えているしぃ」
「そうだね。自立しても良い年頃の男にまでとやかく言う気はないよ。彼らに関しては好きにすると良い……きっと彼らにも良い修行になるだろう。ただどちらかは王子殿下なのだから、その辺りは程々に」
「もっちろぉん、心得てるわ❤」
「ちょっ……そこ! ジャスティ、てめぇ!!」
「僕らのことを売ったー!?」
「うっふふぅん❤ 覚悟なさぁい、坊や・た・ち★」
「うわぁぁぁっ出た!」
「ぎゃぁああああっ!?」
この後、場は更なる混沌に蹂躙されました。
がっしりと逞しい、むくつけき大男の熱烈な抱擁を受け、ピートと殿下はぐったりとなさって……とても、強硬手段を用いられるような空気ではありません。
わたくしも同情致しますわ……。
あまりにも哀れで、手出しが控えられます。
「くそ……っ アンドレの奴、いつか見てろよ!?」
「ピート、頬のキスマーク早く落としなよ。怖いから。はい、拭い布」
「……お前こそ、額の一際大きいヤツ拭い損ねてんぞ」
「げっ」
本気で嫌そうに、顔中のキスマークを落としていくお2人。
ですが、何なのでしょうか……
何だか、とても慣れているように見受けられます。
あの大男の抱擁を受けるのは、恐らく初めてではないのでしょう。
慣れたように身形を整え、重々しい溜息が重複して聞こえてきます。
彼らがこの王国暗部『黒歌衆』とどのような付き合いを保っているのかは存じませんけれど……。
引きつったお2人のお顔は、何と言いましょうか……苦労しているようでした。
「――『黒選歌集』?」
また、謎の単語が出て参りました。
此処がどういった場所なのかを考えると、もしかすると何かの隠喩なのかもしれませんけれど……
ピートと殿下、同じお顔をした方々が目的とするのは、『黒選歌集』と呼ばれる本及びに『黒歌衆』が今まで王国全土から集めてきた情報とのことです。
「腐っても」
腐っても、と口にしながら殿下はさりげなく横目で大男に視線を送っているようでした。
……余計な手出しをしますと、再び襲われますわよ?
「腐っても、『黒歌衆』は王家直属の隠密組織……国王夫妻にのみ忠実に仕える。そしてまとめ役たる頭領がいない間は全役職が凍結」
「それで組織として成り立ちますの……?」
「恐ろしいことに成り立つんだよ、おかしいだろ」
「『黒歌衆』を統括できるのは頭領のみ。頭領がいない間はかなり個人主義な組織になってしまって、集団組織としてよりも個別に王家に仕えている密偵の寄り合い所のような場所になってしまうんだけれど……」
「随分と扱い辛そうな組織ですわね。いえ、それは本当に『組織』と言えますの?」
「色々とおかしいよなぁー……しかも役職者がいないからって理由で国王の印鑑が押されている要求以外は全スルー」
「……直属の組織であれば、おかしなことではありませんわよね?」
「組織に属している奴でも、権限がないからって理由で過去の調書やら重要書類やら一切が確認できねぇんだぞ?」
「王家に提出した報告書と王家の管理している記録以外で過去の活動の一切が確認できないっていうんだから不便だよね。活動日誌すら過去の分を確認できないってどうなっているんだろう」
「本当にどうなっていますの?」
「簡単な話だよ。決済処理済みの書類を提出するポストがあるんだけれどね――」
ジャスティの指さした先には、壁際があるのみ。
いえ、壁に横一列に幾つもの穴が開いていますわね。
丁度書類が入れられるサイズの、横長の穴。
それぞれ穴の上部に何かが書かれたプレートをかけているようです。
もしや壁の向こうに直接投函しているのでしょうか……?
「――あの壁の向こうには、頭領の為の部屋がある。そちらの書類整理棚に直接収める為のポストだと聞いているよ。ただそこに1度投函したが最後、エルレイクの方にしか鍵が開けられないというだけで」
「なんという不憫な仕組みを作っていますの!?」
「役職者がいない間に下っ端が『黒歌衆』に集められた情報を悪用しないようにっていう特別措置なんだ」
「わたくしは断言致しますわよ……! その仕組みを作られた方は確実にお馬鹿さんですわ!」
「『黒歌衆』はあくまで道具、あくまで使われる立場。情報を集めはしても、それを直接扱うのは僕達の仕事ではない。だから余計な記録は限られた者以外が完全に触れられないようになっているんだよ」
「うっかり納得しそうになりましたけれど、弊害がありそうな仕組みに違いはありませんわよね……!?」
「いや、必要な情報は王家の方々が独自に保管しておられる。そう……国王陛下の許可を持たない方が『黒歌衆』の情報を引き出そうとしない限りは、何の問題もない」
「………………つまり、ピートと殿下の横槍が『黒歌衆』には不自然なことだと」
「『黒歌衆』で情報を統括する、考える必要があるのは頭領ただ1人。それ以外の者は何も考えずに王家から降りてきた仕事をこなすだけ。……まあ、それでも最低限必要な書類仕事は、今は僕が捌いているのだけれど」
「……その、ただ『仕事をこなすだけ』である『黒歌衆』が、何故『第5王子殿下』に融通を利かせているのです? 真実、国王夫妻だけにお仕えするのであれば、気安く接する必要なないでしょうに」
「そこは、ね……」
思えば最初から不思議なことばかりでした。
王家だけに仕えるとされる『黒歌衆』と第5王子殿下。
ある程度の気安さと馴染みようを感じさせる両者。
ですが何かしらの関係を構築している時点で不審としか言いようがありません。
あくまで第5王子殿下は『王子』に過ぎず、彼らにしてみれば厳密には現時点で仕える相手ではないでしょうに……
意味ありげに顔を見合わせる、彼ら。
はたしてどのような理由を持って、慣れ合っているというのでしょう。
やがてあっさりと、ジャスティは言い放ったのです。
「利害の一致、かな」
「利害、ですって……?」
「そう。アルフレッド殿下は情報を欲しがっていらっしゃる。だけど彼らには国王夫妻が管理する裏の情報に手を伸ばす手段がない。だからそもそも情報を集めた大本である我ら『黒歌衆』に接触しようと考えた」
「まあ、主君でも頭領でもない相手に、譲歩したり従ったりする理由なんてないんだけどねぇん?」
「けれどそいつらは、そもそもその頭領が不在だった」
「ピート、どういうことですの……?」
「そいつらは新しい頭領が欲しかったんだよ。けど初代頭領サマのご遺言で、新しい頭領は誰にも強制されず自力で此処まで辿りつかにゃなんねぇ」
「許されているのは精々……部外者である第三者の介入くらい。『黒歌衆』による直接の手出しは許されない」
「つまりどういうことか、賢いお前ならわかるだろ? ミレーゼ」
「ピート、あなた……」
…………わたくしを、売りましたわね?
「ちょ、おい待て! 売ったってのとは厳密にゃ違うだろ!? 情報と引き換えにお前を売ったんじゃなくて、情報が欲しいからお前に頭領になってもらおうって思っただけだっての!!」
「そこに厳密な差は存在致しませんわよ……! わたくしと出会った最初からそのおつもりでしたの!?」
「んな訳ねぇだろ!」
「まあ、違いましたの?」
「手段として不確実過ぎんだろうが。俺にはそもそもエルレイクの奴を王宮に引きずり込む伝手も機会もなかったってのに」
「……確かに、第5王子殿下に召集されるにしても、面識がない状態で引き籠りの王子殿下に呼び出されるなど……不自然極まりませんものね」
「そうだろ? ミレーゼと手を組んだからって此処にどうやって連れてくんだよ。此処、王宮の最奥だってのに」
「そうだよね。まさかミレーゼ嬢が王宮に拘束されるとは思ってもいなかったから手段として捨てていた手だし。『黒歌衆』の持つ情報のことは、はっきり言って随分と前に使うことは諦めていたしね」
「そうだ! ミレーゼ、お前がこんな王宮くんだりで捕まったりしなけりゃ実行しようなんざ欠片も考えなかった! 王宮にエルレイクの直系を引っ張り込むなんて引き籠りの第5王子に出来るか……!!」
「そう仰いますが、兄とは面識がおありですわよね……?」
「お前の兄貴が俺の思い通りになるか!! 此処に連れてこようなんて画策した段階で、十中八九逆に俺がどっかに連れて行かれるに決まってんだろ!?」
「貴方がたは兄とどんな関係を構築なさってきましたの……?」
「だってわけわかんねぇんだもん、お前の兄貴! あの思考回路が把握できるか……!」
「人の兄のことを、まるで珍獣か何かのように……あまり大きな差異はありませんけれど」
「おい、自分で肯定しているぞミレーゼ!?」
何だかよくわからないのですけれど……
ピート達には『黒歌衆』の元に欲しい情報があり、しかし入手する手段がなく。
結果として、わたくしの身柄が売られ……身代わりとなる形でクレイが『黒歌衆』の頂点に立たせられた。
……そういうことですわよね?




