追憶 ―ジャスティアン・ラングレイの因縁―
今回はミレーゼ様視点とは少し趣向を変えまして。
『黒歌衆』のジャスティさん視点で。
ほとんどジャスティさんのアロイヒに関する思い出になってしまいました……。
彼と初めて剣を交わしたのは、7歳の時だった。
当時、未来を担う有能な子供達の実力を見たいと国王陛下が仰った。
子供がえっちらおっちら剣を振り回している姿を見ても面白いことなど何もないだろう。
いや、大人になった今ならば「微笑ましい」とぬるい眼差しで見守ることが出来る。
だが、積極的に見ようとはしないだろうと断言できた。
だけど当時子供だった僕は、大人目線で客観的に自分達を見ることなんて出来ない。
まあ、出来たらちょっと精神の構造がおかしいと思うけれどね。
大人のどんな思惑も、裏を窺うことなんて知らなかった年齢だ。
微妙な顔をしている両親に気付くこともなく、僕は御前で普段から熱を入れている剣術の腕前を見ていただけると興奮していた。
もしかしたら、物凄く頑張ったらお褒めのお言葉を賜ることが出来るかも知れない。
そんな儚い希望で、そう、胸がときめいていた。
打ちのめされる未来も、酷な現実も。
まだ何にも知らない7歳の僕。
貴族の子供だけを集めた御前試合の前夜。
それがまさか全て、たった1人の為だけに集められた茶番だなんて思いもしていなかった。
今でこそ謙虚に、剣だけでなく己というものを冷静に分析できるけれど。
7歳ではそんなことができる筈もない。
むしろこの件がきっかけで、今の自分の柱が形成されたような気もする。
7歳にしては筋が良い、腕が良いと、褒めてくれた剣術指南。
きっと彼の言葉は嘘ではなかったんだろう。
7歳にしてはという枕詞が付いている意味。
それをちゃんと認識していなかった僕は、少々天狗になっていたのかもしれない。
褒めて伸ばす方針にケチをつける訳じゃない。
だけどせめて、もう少し7歳児の分を弁えるような……自分を過信して慢心することのないような言葉かけをしてもらえていたら、あれほど僕は衝撃を受けずに済んだだろうか。
……今の自分という人格形成に大きな影響を与えたと自覚している分、『もしも』を語るのは無意味に感じられるけれど。
15年以上が過ぎた今でさえ、思い出すだに悩ましい。
あの時、僕は負けた。
王と諸侯、貴族達の見守る子供だけの御前試合。
その試合の果てに近づき、人々の関心を集めた準決勝の場で。
僕と同じ、7歳の子供に。
「そんな……」
同年代の中では負け知らずだった僕の慢心が、根元からへし折られる。
膝をつくしかない、圧倒的な実力の差。
それを微塵も感じさせない、何気ない気安い態度。
腹の底で煮えたちそうだった。
憤怒と羞恥と哀切と……諸々の感情が混沌と混ざり合って、もはや自分が何をどう思っているのかも判別できないような複雑な感情。
そんなものが胸で燃えるのは初めてで、吐き気すら覚えた。
なんなんだこれは、と。
無性に泣きたくなった。
何より、誰もが『仕方ない』という顔でかけてくる慰めが痛かった。
誰よりも実の両親からかけられる言葉が、1番痛くて。
負けたことを叱責する者は、誰もいない。
そこに勝つことへの期待が一切なかったのだと、僕は直感的に悟っていた。
僕はその場にいることもできず、衝動に任せて逃げ出した。
引き留める声も、追いすがる腕も全部ぜんぶ振り払って。
やがて隠れた物陰で、聞こえてきた貴族達の噂話が占めるのは……全て、『彼』のこと。
僕をあっさりと打ち負かした、アロイヒ・エルレイク。
高位貴族エルレイク侯爵家の嫡子。
「――優勝はやはり、先ほど準決勝を制したエルレイクのご子息でしょうか」
「間違いないでしょうな。アロイヒ殿は年若なれど、才能に関しては折り紙つきです」
「なんでも、あの『剣鬼』に既に勝利をおさめた程の腕前とお聞きしますからな」
「それなら私も耳にしましたよ。なんでもあの『剣鬼』が三合も保たずに膝を屈したと」
「流石にそれは言いすぎでしょう。相手は7つの少年ですよ」
「いえいえ、その7つの少年が恐るべき剣の才を持って生まれたそうなのですよ」
「チェルバス将軍も、四方騎士団の団長殿達も口をそろえて将来が楽しみだとご意見を述べられたとか。将来はぜひ自分の後任に……などと仰った方もいるそうな」
「ですが、あの『エルレイク家』のご嫡男なのですよね? エルレイク家は……その、代々知略を得意とされてきたように思うのですが」
「確かに建国以来、様々な才能に恵まれた方の多い家系ですけれど、いずれも文官の系統に優れた才能の方ばかりでしたわね。剣などと武弁一辺倒な才能をお持ちだなんてエルレイク家の方には初めて耳に致しますわ」
「そう言われますと……ご子息に剣の才能があるなどと、これが凡庸な家のことであれば誇張のし過ぎだと笑い飛ばすところなんですがね」
「そうですなぁ。ですがあの『エルレイク家』ともなりますと……逆に見栄を張る必要性が全く感じられないあたり、むしろ本当のことなのだと素直に信じられますな」
「そうですわねぇ。ああ、でも。確かエルレイク家の方々も戦時の折には華やかな武功を立てていらっしゃいませんでした?」
「武功とは言いましても、知略・謀略・騙し打ちが彼らの専売特許ですよ……味方であればこれほど心強い方々もいらっしゃいませんが、未だに他国の方には悪魔の化身と恐れられているそうですし」
「あの家は……代々の当主に必須条件なのかと疑ってしまいそうになるほど、知謀と人心掌握と情報操作に長けた方ばかりですからな」
「まさに、まさに……他国に最も恐怖を振りまいた家系の1つでしょうし」
「5歳にして『如何にして武勲を立てるか?』との問いに『兵糧をせめます。あと補給路と連絡路をたちます。あとは時間さえかければ味方の無駄死にがへるとおもいます!』等々お答えになったエファルアス様のご子息とは思えませんなぁ……アロイヒ殿は」
「……個人の勇を鼻で笑うような家系に、史上に名を残すだろうと将来を展望されるほどの武勇を秘めたお子が誕生するなどと誰が思ったことでしょう」
僕が隠れた先は、噂好きな都雀たちの社交場の1つ。
試合の合間に休憩を求めてか、余計なことまでぺちゃくちゃと囀り笑う。
その声が当時の僕には耳障りで仕方が無かった。
圧倒的実力の差でもって僕を打ち負かした相手の噂なんて聞きたくない。
それが剣才を褒め称えるものであれば、そうであるほどに。
アロイヒ・エルレイクに負けた僕の名前など、欠片も出てこない。
如実に貴族達の興味関心がどんなベクトルで働いているか、無残に突きつけられる。
僕の矜持はぼろぼろで、耳をふさいでも聞こえてくる声に食い縛った口が震えた。
更にはその後、噂から色々と余計な情報を聞く羽目になる。
例えばこの10歳前後の子供だけに参加資格に与えられた御前試合の目的が、自分が並外れて強い規格外の剣才を持っていることなど理解していないアロイヒ・エルレイクに己が同年代に比べてどれほど強く、桁外れなのかを認識させるためだった……とか。
国王夫妻が将来的にアロイヒ・エルレイクに侯爵位だけでなく軍部を任せるため、王立学校に入学した時を見越して特別な講師を集め、軍事の英才教育を施すように働きかけようとしている……だとか。
他にも色々……敗北を喫したばかりの僕にとっては腹の立つような噂を色々と。
本当にあの時は、隠れ場所を間違えたとしか思えなかったね。
だけどそのお陰で、今の自分に繋がる反骨精神と目標が生まれたわけだけど……
……聞いている内に、本当にどんどん腹が立ってきて。
もちろん負けてしまった己の未熟と、それまでの天狗ぶりにも腹が立ったんだけれど。
それ以上に、僕はアロイヒ・エルレイクに腹が立って、腹が立って……
気付いた時には、僕の胸で燦然と『打倒アロイヒ・エルレイク』の文字が掲げられていた。
そう、自分の恥辱、失態……敗北の痛みは、己で晴らすしかない。
何時の日にか必ず剣で打ち勝ち、僕は自分の屈辱を晴らして見せるのだと。
僕は一方的にアロイヒ・エルレイクへのライバル心を持つようになっていたんだ。
だからこそ、12歳の時。
王立学校の入学という再び見える機会を得て、僕は静かに高揚していた。
あの敗北からは5年。
その間、骨身を惜しんで研鑽を積んだ剣の腕。
今度こそ、と。
今度こそは、と。
僕は再戦への望みを胸に、入学式に臨み……
そして在学期間中に挑んだ数々の決闘で敗れ去り。
挙句の果てには何故か懐かれ。
常識を知っているはずなのに何故か非常識な方向に走るヤツに振り回され。
数々の騒動という騒動に巻き込まれまくり。
更には成長期の途中で『竜肉』なんぞを食わされた結果か、中途半端な影響を被り。
卒業直前の最後の勝負では第三者の乱入でうやむやにされ……
彼との出会いは齢7つの頃。
打倒アロイヒ・エルレイクを胸に誓って研鑽を積んで、気付けば23歳。
実に出会ってから16年が経とうとしている……人生の大半をヤツの背を追うという、無謀な時間に費やしたんじゃないかと時に我に返ることもありはするけれど……色々あったと思い返す記憶の中で、ヤツの姿が結構な割合を占めている事実に目を逸らしたくもなるけれど。
だけどそれも全て、今の『僕』を作る上で大きな、大事な要素だった。
あれらは全部『僕』を育てる糧だった、と。
最近ようやっとそう割り切れるようになってきた……つもり、だった。
そんなアロイヒ・エルレイクの。
僕の人生上で、無視できない影響力を発揮してくれた、あの阿呆の。
顔は似ているけれど才能と中身は全然似ていないらしい、妹君と弟君。
本当にヤツの兄妹なのかと、疑いそうになる利発なお子さん達だ。
「それではクレイ様。偉大なる我らが『黒歌衆』の創設者にして初代頭領、『黒歌鳥』サージェス・エルレイク様の遺された掟に従い、我らはクレイ様に絶対の忠誠を誓いましょう。
――当代頭領への就任、おめでとうございます」
「………………は?」
未だ8歳と耳にするミレーゼ嬢の目の奥から冷たい光が放たれた。
あまりに鋭い光に、無意識に体が反応しそうになるのを一瞬早く戒める。
本当にこの幼女が、あの悪い意味で常に余裕を崩さないアロイヒの妹なのだろうか。
僕の知っている阿呆とのあまりの違い。
対応を間違えたら終わりだ、と。
アロイヒを相手に培った僕の本能が脳裏で囁いた。
まずは抗議を封じ込めよう。
エルレイク家始祖のお言葉だといえば、少しは抑止に……いや、なりそうにないか。
大事な弟君だと調書にも重要度が書いてあったほどの姉弟仲だ。
生半可な説得では応じないだろう。
じゃあ、どうするか。
そうだな……一先ずは。
少し、気勢を削がせてもらおうか。
「頭領……いえ、クレイ様のことがそんなに心配でしたら。
そうですね、ミレーゼ嬢が副頭領になる……ということで如何ですか」
言った瞬間、何故だかとても早まったことを言ってしまったような気がした。
ジャスティ
本名:ジャスティアン・ラングレイ(23)
性別:男
元々剣術の才能光る少年だったが、アロイヒという圧倒的実力を持つ同年代の少年に打ちのめされて以来、より一層熱を入れて鍛錬に励んだ。
結果として、かなりのレベルで剣術の腕を習得する。
……が、彼の如何なる努力も超越したところにいるアロイヒが倒せない。
元々はとある貴族家の次男で、本人も子爵位を有する。
男装の麗人に見えるが、男。
中性的なきりりとした容姿と細身に加え、どう聞いてもハスキーなアルトボイスにしか聞こえない声が原因で女性的に見えてしまうらしい。
声変わりがなかったのか、未発達の段階で竜の肉を食べたことが原因かは不明。
アロイヒの王立学校時代の同級生の一人で、当時は王子様的容貌の美少年として人気だった。今は男にちやほや囲まれるストレスで、地味に胃痛を患っている。
竜鍋事件にも遭遇しており、竜の肉を食べたために基礎的な身体能力が一般的な成人男性を凌駕している。
容姿を生かした潜入捜査と荒事が得意だが、性格は穏やか理性的。
頭領が不在の黒歌衆で溜まる一方の書類整理も引き受けている。
笑顔で有無を言わせないところがある。
表舞台のエリートコースに居た筈の彼がどうして黒歌衆に籍を置いているのかは謎だが、アロイヒが関わっていそうだ。




