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没落メルトダウン  作者: 小林晴幸
漂浪編
10/210

わたくしも枕を投げたい時がありますの

 伯爵家(エラルさま)の馬車に乗せていただき、貴族の屋敷街の中。

 辿り着いたのはこぢんまりとしていても趣味の良いお屋敷でした。


「まあ、流石ブランシェイド伯爵家ですわ…」

「はは…まあ領地の館に比べると、貴族の威信にかけても品良くまとめないといけないからね。でも侯爵家のお屋敷に比べると、うちなんてあばら家に毛が生えたようなものだよ。あの素晴らしいお屋敷で育ったミレーゼちゃんに褒められると居心地が悪いね」

「まあ、毛の生えたあばら家だなんて…随分と剛毛ですわね?」

「ははは、うん、比喩だから」

「こ、このお屋敷であばら屋って………アンタの実家って」


 わたくしとエラル様はお屋敷の話題で和やかに言葉を交わします。

 それを聞きながら、レナお姉様は顔を引き攣らせておいででした。


「ねぇしゃまぁ…」

「あら?」


 馬車を降りた、わたくし達。

 直に間近で見るお屋敷を威容と感じ取ったのか、レナお姉様は棒立ちで。

 そんなお姉様の緊張をどう解そうかと思案していましたら、ぐすぐすとクレイがわたくしの裾を握って泣きそうな顔。

 ぐずりながら、わたくしの胴に抱きついてきます。


「まあ、クレイ…おねむかしら」

「うぇ、うぅ…」

「あらあら。疲れてしまいましたのねぇ」


 今日は、本当に色々ありましたもの。

 小さなクレイが疲れてしまうのも無理はありませぬ。

 そう言えば置屋にいる時から、わたくしの膝で丸まったりしていましたもの。

 馬車の中でも目をこすっていましたし…本格的におねむのようです。

 まあ、まだ御当主に挨拶もさせていただいていませんのに。

 これからお世話になるというお話も、急に決まってしまったことですもの。

 せめて最初の御挨拶はしっかりとせねば、エルレイクの名折れですのに。

 共に挨拶すべき、エルレイクの次男が睡魔にぐずついているようでは…

 これでは、碌な御挨拶も出来ませぬ。

 困り果てていますと、そんなわたくしの肩を温かく叩く、手。

 エラル様がひどくお優しい目でわたくし達を見下ろしておいででした。


「ミレーゼちゃんも、クレイ君も疲れているんだよ。特に精神は衰弱しているだろう。君に、自覚がなくってもね」

「わたくしは…」

「今夜は遅いし、いきなり対面を望むのは不躾だと思うことにしないかい?」

「それでは道理が通りませんわ。御厄介になる身で、何も申さずいるなどと」

当主(そふ)への面会は、明日の朝一番で話を通しておくよ。挨拶は明日にして、今日はゆっくりお休み? 取り合えず急ごしらえで済まないけど、部屋を用意させるよ」

「あ、」

「うん? どうしたのかい」

「その、わたくしと弟の部屋は、一緒にしてくださいませ…」


 眠りたがるクレイの重み。

 弟を支えながら、わたくしはエラル様を見上げます。

 そんなわたくし達を見下ろして、エラル様は頷いて下さいました。


「…そうだね。クレイ君も、急に知らないところにきて不安だろうし。目まぐるしく状況が変わって、きっと大変だろうからね。目を覚ました時に知っている人が傍にいた方がきっと心強いよ」

「では、」

「ああ、ちょっと待ってておいで。寝台は1つでも大丈夫だよね?」

「文句は言いませんわ…! 弟と2人一緒の部屋にしていただけるのなら」


 お願いを聞き届けていただけた。

 わたくしは嬉しくなって、クレイの温かい体を抱きしめます。

 ……温かいですわね。

 本格的に眠いらしいクレイを、しっかりと支えながら。

 エラル様の「抱っこして行こうかい?」というお言葉をお断りして、わたくしは案内された部屋に弟を連れて下がりました。

 案内していただけた部屋は、南向きの客間。

 やはり伯爵家という家格に相応しい、調和の保たれた素敵なお部屋で。

 部屋を見たレナお姉様が乾いた笑顔をエラル様に向けて、


「………あたし客間じゃなくて良いわ。むしろ客間じゃない方がいい」

「居心地悪そうだね」

「貧民街育ちが、気持ち良くこんな部屋で休めると思う?」

「そう言うかと、一応使用人の棟にも部屋を用意させているけれど」

「そっちで良い、というか断然そっちの方が良いわ」


 そう言って、レナお姉様はわたくし達に背を向けてしまわれました。

 微塵の未練もなく、潔く去っていくレナお姉様。

 客間には、わたくしとクレイだけが残されました。


「ねぇしゃま。ねみゅぅ…」

「ええ、クレイ。一緒に眠りましょうね」

「あい…あぅぅ……」


 まだ、何も分かっていないようなクレイ。

 お父様やお母様の死、というもの。

 きっとそれも理解していない、わたくしの可愛い弟。


 だけど。

 きっと、理解していなくとも。

 それでも、察するものはあるのでしょう。


 お父様とお母様が突然帰らぬ人となった、4日前。

 弟は1日中、お父様達を探して屋敷中をさまよい歩いておりました。

 わたくしは止めることも出来ず、側に寄り添うだけ。

 それからも最初の朝に、「お父様は? お母様は?」と尋ねたきり。

 …その夜から、弟は両親の姿を探すことも、訊くこともしなくなりました。

 探しても尋ねても、見つけることは出来ないのだと悟ったかのように。


「ねんね、ねんね…」

「ね、しゃぁ…ん」

「ちゃんと、一緒にいますわ。だからお眠りなさい」

「あぃ…」


 以来、クレイは夜毎わたくしの寝台に潜り込んでくるようになりました。

 代わりというように、それ以外の我儘を言うこともなくなって。

 自分の部屋を抜け出して、1人では眠れぬと泣き縋る声、体。

 それまでは、1人で眠れていましたのに。


 お父様もお母様も、もう帰ってはきませぬ。

 わたくし達を捨てて出奔した、兄。

 死を理解していないながらに、何かを察している弟。


「ねえ、しゃま…?」

「あ、」


 きょとんと。

 眠りの底に落ちつつあった弟が、何故かわたくしを見上げて…

 …あら?

 ちゃんと顔を拭ってあげましたのに。

 どうして、クレイの頬は濡れているのかしら…?


「ねえしゃま、ねえしゃま? ど、ちゃの…? いちゃいの?」

「え…と……くれい?」


 あら? あら??

 あらあらあら???


 ぱた、ぱた、と。

 水滴の音。

 濡れていく、クレイの頬。


「ねえしゃまぁ…」


 泣きそうに、顔を歪めるクレイ。

 男子(おのこ)が、人前でそのような顔をしてはなりませぬ。

 何度言っても、ちっともそのことを聞かない弟。

 まだ泣いていないのに、濡れる頬。

 わたくしの顔に、伸ばしてくる小さな手。


「あ………」


 あ、ああ…

 そう、そうなの…。


 弟の、頬。

 濡らしていく水滴。


 それは…わたくしの涙、ですのね。


 わたくしは、泣いていました。

 今はっきりと、弟の手でそれを自覚させられて。

 気付いた途端、余計に溢れてくる。

 止まらない、止まらない。


「あ、あら…どうしたのかしら」

「えぅ…」


 泣いているわたくし。

 泣きそうなクレイ。


 どうして、今になって涙が出ているのでしょう。

 当面の心配ごとは、去ったはずですのに。

 …ああ、それが理由、でしょうか。


 色々なことがあり過ぎた、この4日間。

 心の余裕も、我が身を省みる時間もなくて。

 休む時間もなく、することは次から次と押し寄せてまいります。

 わたくしは、心も体も疲れ果て、追い詰められていたのでしょうか。

 自分の目には入らぬくらいに、大きな、大きな不安の中にいたのでしょうね…

 分かっていても、見えないから気付かないふりができてしまいました。

 でも、もう。


 お父様。

 お母様。


 2人がいなくなったことを、嘆く時間すら取れませんでした。

 そんな己の親不孝にも、目を瞑ってしまっていました。

 弟を言い訳に、悲しみから逃れようとしていたのでしょう。

 呑まれてしまえば、遣り過すことも出来ませぬ。

 悲しみ以外、目に入らなくなってしまいますもの。


 泣きたいわたくしの、溢せない涙。

 胸の中にぐっと押し留めていたそれが、決壊してしまった。


「え、えぅっ…」

「ああ、クレイ。貴方まで泣かせてしまって…」

「ねえしゃま、ねえしゃま…」

「クレイ…っ」


 泣きだした理由。


 庇護してくれる大人と、家。

 当面の心配がいらないという、安堵。

 それがわたくしの心の箍を、緩めてしまいました。

 そしてもう1つ。


 先程の、涙が堪えて…


 エラル様に目線で指示されました、泣き真似。

 わたくしは即座に泣く為、涙腺が緩まざるを得ないことをしました。


 両親が亡くなってから、ずっと。

 2人の思い出も面影も、胸の奥の片隅に追いやっていました。

 そうしないと弟を守れないと、思いましたから。

 でも、泣かなくては。

 泣かなくてはという必要に迫られて。


 わたくしは己を追い詰める為に、2人の顔を思い出してしまったのです。


 狙い通りに涙腺は緩みました。

 涙は後から後から勝手に溢れてきます。

 でも、その後。

 涙の必要がなくなった時には涙を止めることができました。

 わたくし自身の望み通り、涙は止まったのです。

 だから、感情は制御できたと。

 そう、高をくくっていましたが……


 どうやらそんなことなど、なく。

 あの時は場の状況に由来する緊張感で、止められただけだったのでしょう。

 そう、制御できない感情は、時間差でやってまいりました。

 誰も邪魔することのない、弟と2人だけの時間に。

 わたくし自身が、ほっと息をついたその瞬間に。


 きっと追い詰められたわたくしは、悲しみも怒りも全て溜めこみ、押し込めていたから限界が来たのでしょう。

 涙はいつまで経っても止まる気が致しませぬ。

 聞くところによると、涙には自浄作用があるそうですが。

 わたくしの感情は涙を禁じておりました。

 故に、きっと清められることなくお腹の中に渦巻いて。

 それが表出し、わたくしの心を滅茶苦茶に掻き混ぜる。


「クレイ、くれい…」

「あう、うぅ…」

「ごめんなさい、ごめんなさい、クレイ。

でもお願い、今だけ姉様にも泣かせてちょうだい……っ」

「ねえしゃま…!」

「一緒に泣きましょう、クレイ」

「う、うぇぇええええ……ん」


 わたくしはクレイの小さくて、柔らかい体をぎゅっと抱きしめました。

 クレイもわたくしを、強く抱きしめてきます。

 それは幼く小さな体に見合わぬ、苦しくなるような力でした。


 いつも泣くなと言っていますのに、自分の時となるとこうも制御ができないなんて…クレイに泣かないよう、気安く言えなくなってしまいますわね。

 ぎゅうぎゅうと抱締め合いながら、幼いだけのわたくしに戻って。

 わたくしとクレイは全ての力を振り絞るように涙をこぼします。

 部屋の外に声が漏れないよう、分厚い毛布を頭から被って。

 2人、体を丸めて縋り合って。

 涙が枯れるまで泣いた、夜明け前。


 いくら部屋が防音性に優れていても。

 どれだけ分厚い毛布で遮っても。

 声が完全に漏れないということはなかったと思います。

 きっと、廊下にもこの声は漏れていたことでしょう。

 誰に邪魔されることもなく、泣きたいだけ泣けるよう。

 そういう配慮をして下さったのでしょうね。

 エラル様が通達を行渡らせて下さったのでしょうね。

 誰かが様子を見に来るということはありませんでした。



 たった1人の小さな姿を除いて。




「……………」


 夜も明け方間際。

 鳥が鳴き始め、白み始めた空に気付き、わたくしは顔をあげました。

 窓の外を、ふと確認したくなりましたの。

 …もしかしたら、意識に引っ掛かるものがあったのやもしれませぬ。

 そう、視線を向けられている、など。


「「……………」」


 見れば、そこに。

 窓の外、小さなバルコニーに。

 わたくし達を、目を丸くして見ている人物がいました。

 見たことのない方です。

 薄闇でよく分かりませぬが、小さな姿は子供のように見えました。

 ちなみにクレイは当の昔に泣き疲れ、眠りの底にいます。


「「…………………」」

 

 わたくしが顔をあげたことにぎょっとして、身を固くする見知らぬ誰か。

 そして反応に困るわたくし。

 望んだ訳ではありませぬが、黙したまま見つめ合う形となってしまいました。

 ですが数秒も経たない内にはっとしてしまいましたのは、やはり身嗜みが気になる女の内に数えられる身だからこそ。

 だらしのない姿を曝しては、家名の恥となりまする。


 わたくしの今の姿は、涙に暮れて泣き腫らし、きっと酷い有様で。

 毛布を頭から被っていたので、きっと頭もくしゃくしゃでしょう。

 それに身に纏っているのは、薄い寝衣一枚。

 肉親以外に見せて良い姿ではありませぬ。

 そう、わたくしの今の姿は、とても人に見せられるものではなくて。


 そんなわたくしの姿を、どこから入り込んだのか、窓の外。

 いつからかはわかりませぬが、ずっと見ていたらしい誰か。

 髪の長さから判断するに、幼くとも恐らく殿方。


 このお屋敷は、エラル様のお屋敷。

 危険人物がいようなどと、最初から疑ってはおりませぬ。

 それにブランシェイド伯爵家の密偵は優秀で名を知られております。

 その密偵集団に警護された伯爵家に、不審者が立ち入れる筈もなく。

 そう、不審人物ではありません。

 きっと、身元は保証された方でしょう。


 ですが、そうと分かっていても。


 堪えきれないモノ、抑えきれないモノ。

 そして許せないモノという事象が、この世にはありまして。

 

 ええ、ええ。

 女のはしたない姿を見たのです。

 問答無用、ですわよね…?


 予想外の驚きから立ち直り、我に返ったわたくし。

 動作は、それとほぼ同時と言えたことでしょう。


 即ち、


「こ、こ、この不埒者…っ」


 多分()の方は、泣き声を聞くなり何なりなさったのでしょう。

 様子を見に来られただけだったのだと思われます。

 きっと、他意はなかったのでしょう。

 ですが。

 それとこれとは、別問題でしょう。


 私は咄嗟に手近から手頃な物を…それでも水差しなどの割れ物を選ばなかったあたり理性が残っていたのでしょう…当たっても大事ことにはならない枕を鷲掴み、全身の力で全力投擲しておりました。

 

 枕は、飛びました。

 様子を見る為にか窓の外から開けられていた窓を超え。

 朝日に輝き始めたバルコニーへと真っ直ぐに。

 そして、空気抵抗も物ともせず。


「ふぎゅっぃ…!?」


 不埒な何方かの顔面に、見事命中したのです。

 わたくし、やりましたわ!


 結果。

 枕の勢いは消えることなく。

 枕を顔面で受け止めた何方か。

 その方は、勢いに押されて窓の外に転落していきました。


 ………ここ、3階でしたかしら。


 心身の疲労に加えて、泣きすぎて体力を限界以上に消耗していて。

 加えて徹夜明けということもあり、思考回路も鈍って働きませぬ。


 少し、拙いかしらと思いましたが。

 わたくしは気付けば、もう1つの枕に頭を沈めておりました。

 きっと疲れ過ぎて頭が働いていなかったのでしょう。

 そしてそのまま、おやすみなさい?


 

 ――翌朝目覚めたわたくしは、この事をすっかり忘れ果てておりました。






新キャラ、名前が出ることもなくフェードアウト…→バルコニーの下。


ちなみにエラル様のお屋敷に関する主人公の第一印象は、基準:侯爵家なので若干ずれております。

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