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イージー・ラバー  作者: いちる
シガレット
8/23

物は試しの二本目 そのよん

「では、お飲み物は何に致しますか?」


笑いが収まって少し間が空いたタイミングで小野さんが切り出す。絶妙だ。


「ええと…ペリエで」


チラッとワインの欄が目に入ったけど、注文したのは炭酸水。だってね、仕事の相手がいる店で昼間っから飲むなんて、ねぇ?


「はい。メインはお決まりですか?」


「うーん…仔牛のグリエでお願いします」


「かしこまりました。少々お待ちください」


丁寧な礼をして出て行く小野さんの後姿を見送って、私はもう一度室内を見回した。

吊り下げられた試験管のような小さな瓶には花ではなく鍵が入っていたり、色褪せたロッキンホースの鞍には、籠いっぱいのドライフラワーが置かれている。

ゴチャゴチャなのに居心地がいい。

まさに隠れ家だ。


「お待たせ致しました」


程なく戻ってきた小野さんにペリエを注いで貰う。ワイングラスなのがオシャレ。


「あと、こちらもどうぞ」


そう言ってテーブルに置かれたのはガラス製の灰皿。全席禁煙なんだから、店用じゃなさそうだ。


「ここは大丈夫ですので、よろしければ。僕たち用のですみませんが」


吸ってるの、覚えられてましたか。かなり気が利きますね。まぁ、小野さんもスモーカーだからって言うのもあるかもしれないけど。


「お気遣いありがとうございます。すみません、じゃあお言葉に甘えて使わせて頂きます」



お心遣いは有難く受け取らないとね。灰皿を見たら、吸いたくなってきちゃったし。


小野さんが部屋を出て行ってから、カバンからポーチを取り出す。

そこで、選択肢がもうひとつあることを思い出した。


いつものシガレットか、それとも。


頭をよぎるのは昨日のこと。

あのリアルで奇妙な。

夢なんだろうけど、もし、もしも、ほんとうだったら?

ほんとうにコレを吸って、イージー・ラバーが現れたら?


そんな非日常信じられないけれど、今いる隠れ家だって、少し非日常めいてる。

だったら少しだけ。

信じてないけど、少しだけ。

物は試しってことで。うん。


トントン、とボックスを指で叩いて一本取り出す。

独特な甘い匂いに、お気に入りのオイルライターの匂いが混ざる。

甘い煙に、少しだけ期待してドキドキする。


ふわり、浮かぶ煙を眺めて待つ。

待つ。


待つ…。



「……」


一本吸い終わって、灰皿に押し付けて火を消す。

目の前にも後ろにもテーブルの下にも観葉植物の向こうにも、誰も現れない。

うん。そりゃそうよね!

モチロンわかってはいたのよ?

でも、期待ハズレ感は否めない。


「…ごはんたべよう」


それが目的で来たんだし。



ランチで簡略化してあるとはいえ、オードブルにスープにバゲットにメインにデザートに食後のコーヒーまで終わるとお腹がぱんぱんになった。和栗のモンブランさいこー。

幸せな気分でレジに向かうと、シェフもわざわざ顔を出してくれた。


「宗谷シェフ、ご馳走様でした。相変わらず美味しかったです」


「夏目さんのお口に合えば幸いです」


帽子を外してお辞儀される。ロマンスグレーが混ざった口髭がよく似合うナイスミドル。

いつでも目を細めて微笑んでいるイメージだけど、現役時代は弟子たちにかなり怖れられていたらしい。あ、コレは小野さん情報ね。


「また来ます。それでは」


シェフと小野さん、それからその後ろで忙しなく働く他の従業員さんたちに礼をして店を出る。

ドアをきっちり閉めて振り返ると、今から食事するんだろう、一組の男女が小道を歩いてくるところだった。条件反射で横にずれる。

40代くらいの男性の後ろからどう見ても私より10は年下だろう女性が続く。不倫にしか見えない二人だわ。

隠れ家的な店って、こういうお客も来るのか。

不躾にならない程度に見ていたら、女性と目が合ってクスリと笑われた。男性の腕にしなだれかかって、こっちを見ながら憐れむみたいな、腹立つ表情で。

なによ。お一人様よ。文句ある?


イラッとしたけれど、無関心を装ってスルーする。

こちとらひとりでフランス料理食べに来るくらい稼いでるのよ。露出がちょっと高めの服着て、有名なブランドのバッグ持って横にいるオトコは年離れたオッサンでいかにも不倫してますーなあんたとは違うの。


勘違いだったらかなり失礼だとは思うけど、先に失礼なをことしたのは向こうなので勝手に決めつけてやる。

私は笑われるようなことも、憐れまれるようなこともしてないもの。落ち込んだりなんかしないわよ。

これで横にオトコがいれば、負け惜しみみたいにならなくて済むんだけど。


「ナツメさん、待って」


一瞬小野さんかと思った。

だけど振り向くより早く手を取られて、声の主が先に階段を一段降りるのが視界に入る。

乱暴じゃない力で引っ張られてよろけながら階段を降りると、肩を抱かれて受け止められる。その独特な甘い匂い。


「足元に気を付けて。ね?」


甘い声で囁くのは、イージー・ラバー。

その肩越しに、不倫女がぽかんと口を開けるのが見えた。



あ、気分いい。

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