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イージー・ラバー  作者: いちる
シガレット
6/23

物は試しの二本目 そのに

最寄り駅までにあるクリーニング店にスーツを出して、私が利用するのとは反対側の改札側にあるネイルサロンに行く。

予約はしていなかったけど、まだ朝早いせいかお客さんは多くはなさそうだった。


「おはようございます、夏目さん。 今日はお早いですね」


受付を済ませて施術室でウェルカムドリンクを飲んでいると、いつも私を担当してくれている吉住さんがやってきた。

ハキハキした印象の彼女は、細かい花を描くのが得意なネイリストさんだ。


「おはようございます、吉住さん。今日はね、なんか早く起きちゃって」


30代半ば(同い年)くらいの年齢に、ついつい口調が砕ける。もう5年も通ってるし、個人的なメルアドも知っているしね。


「あら、せっかくの休日ですのに。でもなんだか表情が明るいですね」


「目覚めが良かったからかなぁ。久々にいい睡眠摂った感じ」


接客中は丁寧な口調を崩さないけれど、ネイル中はおしゃべりが弾む弾む。

美容の話に、話題の芸能人に、ファッションに。内容はありきたりなのに、彼女と話すと楽しくてたまらない。

女三人寄れば姦しいって言うけど、二人でも十分姦しいわよね。


「今日は何にしましょうか?」


施術台のリクライニングシートに座った私に、彼女がスケッチブックを差し出してくれる。

本来ならデザインの描かれたお店用のファイルが出てくるはずなんだけど、コレは彼女の私物。中には季節の花を精密描写したもの、それをラフ描写したもの、更にイラスト化したものと続いて、ネイル用にデザインされたものが描かれている。

いつもながら、その巧さに惚れ惚れする。


「今回はダリア、チョコレートコスモス、パンジー、シクラメンを描いてみました。秋も深まってきたので、濃いめの色合いの花がお勧めです。全体的なイメージとしては少し暗くなりますので、ベースにラメを入れるか、ラインストーンを少し散らして華やかに見えるように致しましょうか」


説明しながら、施術台には言葉どおりの濃い色のマニュキュアが並べられる。

大人っぽいピンクに、落ち着いたオレンジ、深い紫。デザイン画通りの色だ。

マニュキュアって一体何色あるんだろ?


「うーん…毎度のことだけど、悩むわ」


スケッチブックをパラパラと捲ってみると目移りしちゃって決まりそうもない。

一週間で変えてしまうけど、その度にいつも悩んでしまう。来週もあるからいい、なんて思えないんだよね、可愛くて。


「じゃあまずはジェルのオフからしていきますので。ケアが終わるまでに決めましょうね」


「お願いしまーす」


左手を台に置くと、吉住さんが施術を始める。

今してるネイルを取って爪の形成と甘皮のケア、オイルのハンドマッサージ付きと前準備だけで至れり尽くせりのコースなんだけど、時間あるあるって思ってるとすぐ終わっちゃうのよね。まだベースも決めてないのに。

さて、どうしよう?

花びらのグラデーションが綺麗なダリア?

落ち着いたトーンのコスモスでベースはゴールドにする?

シクラメンとリボンで大人清楚系もありかも…。



「そういえば、明日パーティなんです」


悩むのを少し休憩しようと、吉住さんに話しかける。いつのまにか、ジェルは落とされて甘皮のケアまで進んでますよ。

仕事早いわー。でも丁寧だわー。


「そうなんですか? もしかして、先週言ってらしたサロン・ド・テの?」


「そう、それです」


明治から続く老舗ホテル内に明日開店するサロン・ド・テ。

私はここに自社の商品である輸入家具を売り込んで、そして契約をもぎ取ったのだ。

老舗ホテルらしい品格のある調度品はお値段もそれなりにするし、サロン・ド・テの内装まるっと揃えられたので結構な大口契約になった。

昨日のことが印象深すぎて頭からすっぽり抜け落ちていたけど、明日はこれに出席する予定なんだった。


「パーティなら華やかな方がよろしいですか?」


「あ、でも出席とは言っても招待客側ではなくて裏方要員なの。スーツで行くし」


ケア中の手とは逆の手を振って否定する。

あ、ダメだ。今こっちの手は蒸しパック中だったのに。

すかさず吉住さんが手を押さえて台の上に導いてくれた。はだけたタオルをもう一度巻かれてやり直し。

大人しくしまーす。


「休日なのに大変ですね」


「休日出勤扱いだからまぁいいんだけどね」


ちなみに会場の準備は一週間前には終わり、最終確認も昨日完璧に終わらせてある。

問題さえ起きなければ仕事なんてほとんどないんだけど、どうして直前になると出てくるのかしらね?


「むしろ落ち着いたデザインの方がいいかも。そのサロン・ド・テ、和モダンな雰囲気で」


「じゃあ少し和風なデザインにしましょうか。スーツのお色は決まってます?」


「ブラックかなぁ」


裏方なんだから、目立たないように尚且つキッチリと見えるようにしないと。

ハレの日だから、スーツは普段より良いものにするけど。


「じゃあ、こんな感じにしましょうか」


もう一方の手も蒸しパックされて、手が空いた吉住さんはスケッチブックにスラスラとデザインを描き始めた。

それを眺めながら、頭の中が仕事モードに切り替わっていくのを感じる。


私がネイルをするのは、営業の武器としてだ。

商談相手との会話の取っ掛かりになる小さなキッカケになるように、私は指先に季節の花を咲かせることにしている。

けれども可愛いネイルには、それ以外の効果だってモチロンある。


例えば、仕事の疲れが癒されたりだとか、仕事に対して意欲的になれたりだとか。

毎週サロンに通うのは結構な出費ではあるけれど、それに余りある程の成果を出してくれているのでやめられない。


「いかがですか?」


出されたデザインに、私は即座に頷く。

蒸しタオルの中の指先が、期待にピンと伸びた。

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