状況把握の一本目 そのよん
高橋もどきの説明を要約するとこうだ。
彼はイージー・ラバーで、それが何かというと一定の時間だけ実体化する恋人の代わりだそうで。
インスタントでリアルな恋人人形ってこと?
「どこのAVよ」
思わず突っ込んでしまった私は悪くないと思う。
いやいやだってさ、絶対一本はあるでしょそんなの。あーゆー世界はなんだってありだもの。詳しくは知らないけど。
「そう言われましても」
高橋もどき───あぁもうめんどいからタカハシでいいや。
タカハシがショボンとした表情で肩を竦めてみせる。なんか欧米ちっくだな。高橋らしくない。
高橋とは違うんだって、こんなところで納得する。
「ちなみに一定の時間って?」
私の精神面の安定のために、目の前からローテーブルを挟んだ床に置いたクッションに座ってもらったタカハシを見る。
「1時間です」
「短いでしょ!?」
事を致すこと前提として呼んだとして、それって妥当な時間とは言えなくない?
ホテルのご休憩だって3時間が基本なんだし。え、前準備も後処理もないならそんなものなの?
そりゃ一晩中元気なオトコなんて現実にほとんどいないのは知ってるけど。
えぇまぁ、30過ぎてますしね? カマトト振る気も夢を見る気もありませんよ。
「ちなみに今回はあと18分です」
「状況把握しかまだしてませんが!?」
ぽんぽーんと突っ込んで、自分のセリフにはっとする。
まだってなんだ、私。いやあの、したいとかではなくてですね。だから、その、意味深な微笑みを浮かべながら、テーブルを回り込んで来るのはやめて頂きたいなぁと思う所存でして。
「ではまずは…」
ソファの上で膝を抱えて座ってる私の足元で膝立ちしたタカハシが、シートに両手を付いて私を捕まえる。その顔は私のすぐ目の前だ。
仰け反るように逃げると、当たり前だけど背もたれに阻まれる。
柔らかさが気に入って買ったソファだけど、選択を間違えたみたいだ。こんな状況想定してなかったけど。
間近でじっと見つめられて、私は対抗するように睨み返す。
何やるつもりよ。逃げ道はなくても、足技ならいつでも繰り出せるんだから。
そう思っていたのに、色気だだ漏れの笑顔で近付いてくるタカハシに耐えられなくなってぎゅっと目を瞑った。顔を思いっきり横に向ける。
そんな態度が功を奏したのか、それともはじめからそうするつもりだったのか、タカハシは無理矢理キスを奪うようなことはせず、一度クスッと笑って耳に唇を寄せた。
目を閉じているせいで、息遣いがヤバイです。ちょ、息しないで!
カチカチに固まった私の耳の間近から、そのまま直接注ぎ込むように囁かれる。
「貴女のお名前を」
甘い声。耳が溶けちゃいそう。
そのあと顔が離れたのが気配で分かって、ちょっと警戒しながら目を開く。
まぁ、覗き込むような体勢に変わりはないけど。手も相変わらず横にあるけど。
「なまえ?」
「はい。お互いを知る第一歩です」
私の言葉に頷く顔はさっきまでとは打って変わって穏やかな表情。
さっきの色気はどこやったのよ。なんかちょっと悔しい。
「夏目よ。ナツメ」
拍子抜けしつつ、悔しいので素っ気なく答える。
会えばご挨拶に名刺交換、これも社会人として当然のルールだもの。今の状況にも適応されるのかどうかは知らないけど。
「ナツメさん。綺麗なお名前ですね」
よくある社交辞令。これも社会人ルールよね。
「それはどうも」
「僕のことは、お好きにお呼び下さい。sayangkuでも、ダーリンでも、何でも構いません」
また知らない単語。サヤンって、何語?
「さあ、あと9分です。貴女のお望みに答えましょう」
タカハシはそう言って、私の手から缶を奪った。まだ残ってるのに。
けれど文句を言う前にいきなり抱きしめられて、そのまま持ち上げられてしまった。
「ひゃあっ!? ちょっと、降ろして!」
背中とお尻の下を支えられて、タカハシを見下ろすように、子どもみたいに抱っこされている。
「重いから! ねぇ降ろして! 危ないって!」
そう叫ぶけど、タカハシは余裕の表情。
歩かれても、全然不安定じゃない。
だけども慣性の法則によって、バランスが取れなかった私はタカハシの肩に乗っかってしまった。米俵担いでるみたいな感じで。
「寝室は此方ですね?」
1DKだから、リビングでドアを開けたらつまりは玄関か寝室しかないわけで。ここでコントよろしく玄関を開けちゃう、なんてこともなく。
「ちょっと待ってー!」
逆さまの視界からそれを把握した私は落っこちない程度に暴れてはみたけれど、大した効果はなく、そのまま寝室に連れ込まれた。
ベッドに一旦座る。ようやく逆さ吊りから解放されたけど、まだ抱えられたままなので必然的にタカハシの膝の上に乗っている。足開いてなくてよかった。
「あの、あの、」
降りようともがくけれど叶わず、上からタカハシに覆いかぶさるように、つまりは私が上に乗った状態で寝転がされる。
そこからさらにころんと転がって、タカハシに腕枕されている格好で落ち着く。
「ナツメさん」
優しい声が降ってきて、顔にかかった髪を払われて、頬を撫でられて、指が目元を辿って瞼を閉じられる。
心拍数はえらいことになっているのに、安心している私がいた。
なんだろう。嫌なことはされないって、なぜか確信できるのだ。
「お仕事お疲れ様でした。明日はお休みでしょう? 今夜はゆっくりお休み下さい」
首の後ろを指先でくすぐるように優しく撫でられる。
きもちいい。
声も、体温も、心臓の音も、全部が安心する。
ほっと体の力を抜くと、反対にぎゅっと抱きしめられた。
「おやすみなさい。良い夢を」
甘い声に誘われるように、意識が急速に眠気に襲われる。包み込むような心地よい捕らえ方で。
無防備に眠りにつく。落ちていくような感覚。
それは久しぶりの深い休息だった。
目が覚めたら思い出せなかったけど、とてもいい夢を見ていた気がする。