眠るまでの5本目 そのさん
タカハシは困ったように微笑んで、それから一度頷いた。
その答えだって覚悟していたはずだけれど、やっぱり胸が痛くなる。
「そう…」
悲しそうな声になったんだろう。タカハシが困った表情のまま、慌てたように口を開く。
「大丈夫です。イージー・ラバーは健全な商品ですので、中毒症状などの後遺症を防ぐための機能がありますから」
「え?」
なにそれ。
中毒症状とか後遺症とか、なんだか恐ろしい単語が出てきたけど。まさか怪しい薬だったの?
「重ねて申し上げますが、健全な商品ですので、ご安心を」
タカハシはそう言うけど、ほんとうに? ちょっと怖い。
「先日お話ししましたよね? 周囲への脳の錯覚作用。それは周囲だけではなく、ナツメさんにも有効だということです」
タカハシの答えを理解しきれなくて首を傾げる。
それってあれでしょ? しばらくすると顔が思い出せなくなるってやつよね?
「簡単に言うと、記憶の希薄化です」
「でも私、記憶薄れてなんかいないけど」
だって味覚も嗅覚もタカハシを覚えてるくらいなのに。
「ナツメさんに効くのは、すべて使用して頂いてからです。もちろん、薄れる記憶はイージー・ラバーに関するものだけです」
それって、つまり。
「忘れちゃうってこと?」
会えなくなるだけじゃなく、思い出すこともできなくなるの?
「個人差はあるようです。忘却ではなくあくまで希薄化ですので。平均としては感情面への作用が特に強いようです」
そう言うタカハシの顔は笑っている。
感情面ってことは、今、私がタカハシに思っている気持ちってこと?
切ないのも、胸が痛いのも、嬉しくなったのも、それも全部…?
「悲しくないの?」
タカハシは笑顔のままで首を傾げる。
「ナツメさんは悲しいですか?」
こくりと頷いて首元に引っ付くと、タカハシは優しく抱きしめてくれた。
「ありがとうございます。でしたら尚更、忘れてしまった方が良いです」
イヤイヤと首を振る。子どもっぽいとは自分でも思うけど、タカハシの言っていることに納得なんてできなかった。
「…困りましたね。ナツメさんが安心できるようにとお話ししたつもりだったんですが」
確かに、リスクやデメリットは無いに越したことはないけれども。悲しむのだって、回避できるなら回避したいけれども。
でも、これってなにかが違うでしょう?
だって、今触れてるタカハシはこんなにも温かくて優しいのに。
忘れちゃうのに悲しめないなんて、そんなのってない。
「ナツメさん。僕は、ナツメさんが悲しいままの方が悲しいです」
なだめるように、諭すように、優しく背中を撫でられる。私は抵抗としてぎゅうっとタカハシにしがみついた。
「僕にできることならなんでもしますから、機嫌を直して頂けませんか?」
弱りきった声で言いながら、優しく強く抱きしめられる。
「…じゃあ、眠るまで、一緒にいて」
これが甘えるってことかしら、と言ってから思った。やっぱり私らしくなくて、恥ずかしい。
どんな顔されているのか気になって、チラッとタカハシを覗く。
「…ほんとうに、ナツメさんには困ります」
目が合ったタカハシは言葉の通り困った顔で、腕を立てて体を起こした。腕枕も外されてしまう。
呆れられたのかと不安になる私を上から被さるように見下ろして、タカハシは深く息を吐いた。
「そんな可愛いおねだり、他の誰にも聞かせたくありません」
言い終わるのとほぼ同時に、リップ音を立てて唇にキスが落ちる。
頬やおでこにもいくつも降ってくるそれは少しくすぐったくて、私は笑いながら身をよじった。
「もぉ、やめてってば」
けれどもタカハシのキスは止まない。
寝返りを打って背中を見せて逃げる。そうしたら今度は首筋やうなじにもキスされた。
耳たぶを甘噛みされて思わず肩を竦ませると、やっとキスの嵐が止んだ。
「やっぱりナツメさんは可愛過ぎます」
後ろから抱きしめられて、耳元で囁かれる。
腕の中は温かくて、ドキドキしているけれどもそれ以上に心地良い。
「…眠るまで、側にいてね」
そう言えば、腕の力が少し強くなる。
だから私は安心して目を閉じた。
目が覚めたら、残りの時間の過ごし方を考えよう。後悔しないように、大切に。
背中に感じるぬくもりに包まれながら、私はそう決意した。
ここで5本目は終了です。
6本目以降ですが、ここで一度投稿を凍結することに致しました。詳しくは活動報告にてご報告します。
お待ちくださっている方には大変申し訳ありません。




