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イージー・ラバー  作者: いちる
シガレット
17/23

身代わりの4本目 そのに

エレベーターで地下1階に降りると、そこは社の駐車場だ。

開いたドアから出れば、真ん前に営業車が停まっていた。助手席のドアをこちらに向けて、「乗れ」と言わんばかりに。


「高橋」


ドアは開けずに窓ガラスを叩けば、高橋が助手席の窓を開けてくれた。


「あのね、気を遣ってもらって申し訳ないんだけど、私、平気だから。駅まで送ってもらわなくても大丈夫だから」


胃の痛みもさっきよりは和らいでいるし、なにより仕事の邪魔をしたくない。

営業っていうのは個人レースで、高橋だってライバルのひとりなんだから。


「何言ってんだ。そんな青い顔のヤツほっとけるわけないだろ」


運転席からこっちへ身を乗り出すようにしている高橋が、わからないと表情で言って首を傾げる。


「でも、悪いから。ほんとうに平気、大丈夫。ごめんね、明日には治してくるから。じゃあね」


顔の前で手を合わせて謝罪のポーズをして、高橋の返事は聞かずにエレベーターへとUターン。

あぁしまった、上に行っちゃってる。無意味だとはわかっているけれど、ボタンを数回連打した。早く去らないと、高橋が行きづらいでしょうが。


「お前、バカか」


バタン、とドアが閉まる音がして振り返れば、怒った顔をした高橋が車から降りて歩いてくるところだった。

広い歩幅でズンズン近付いて来たかと思ったら、私の手から通勤バッグをひったくる。


「返して」


「いやだね」


私が伸ばした手は簡単に避けられてしまった。


「ねぇ、ほんとうに平気だから。駅までくらい歩けるから。大丈夫だってば」


だから返してと手を出すと、バッグを持った方とは逆の手で掴まれた。そのまま強引に引っ張られて車まで連れて行かれる。


「ちょっ、高橋! 平気だって…」


「お前の『平気、大丈夫』は信用できない」


呆れも含んだ声で私の言葉を遮って、高橋は助手席のドアを開けてバッグを後部座席に投げて、私を助手席に押し込めた。

さっきよりも強い音でドアが閉められる。

高橋が怒ってる。結構本気で。


その事実に驚きと少し怖くなっておとなしくなった隙に、運転席に戻った高橋が車を発進させた。


地下からの斜面を上がると真昼の太陽が眩しい。車内の空気が悪くなかったら、きっと眠たくなっただろうに。

高橋の怒りのポイントに触れたくないので黙って前を見ていたら、横で長く息を吐いたのがわかった。


「あー。その、ごめん、強引なことした」


その声には怒りはもうないみたいだ。緊張していた肩の力を抜く。


「ううん、こっちこそごめん。人の厚意を無駄にしようとして」


しおらしく、けれどいつもくらいのトーンで返せば、高橋の方の空気も和らいだ。

よかった、仕事仲間とギスギスしたくないし。駅までもう少しだし、ここら辺で水に流しておくべきだと思うの。


「体調、まだツラいか?」


「うーん、会社にいたときよりは大分良くなったかも。たまにチクチクするけど」


胃の上に手を当ててさする。

ほんとうはまだツラいけど、給湯室にいたときよりはマシだった。帰りに胃薬買わなきゃ。


「ごめんな。俺、夏目のことほっとけなくて」


ドキッと、心臓が跳ね上がった。

今のは間違いなくときめいた。


「え?」


信号に引っかかって車が停まる。横を向くと、こっちを向いた高橋とちょうど目が合った。


「よく言われてるんだ、お節介焼きだって」


そう言って浮かべたのははにかむような笑顔。そういうことか。

普段よくお節介を焼く相手は奥さんなワケね。

それでつい、体調不良の同僚をほっとけなかったと。


勘違いさせるようなこと言うなっつーの!


そこで信号が青になって、車が発進する。

タイミングを逃してしまったし、それ以前に気力がなくて返事できなかった。

変じゃなかったよね? 一瞬胃が強く痛んだけど、顔に出してなかったよね?

高橋に気付かれてないよね?

うぅ、なんか今度はズキズキ痛くなってきた…。着いたらとりあえず駅前の薬局行こう。



「じゃ、気を付けてな」


駅のロータリーで降ろしてもらって、車がある程度離れるのを見届ける。

お客様じゃないから、見えなくなるまでなんて見送らない。けっして、ノロけられたせいなんかじゃないんだから。


薬局で胃薬を買ってすぐに飲む。スッとする薬の味と感覚が食道からノドの奥にせり上がってきて、ごまかすためにミネラルウォーターを流し込む。水無しで飲めるって謳われても、私にはムリ。あーきもちわる。


胃の痛みに気持ち悪さがプラスされて最悪な

状態になりつつも、自宅方面の電車に乗る。

昼の車内はガラガラに空いていた。長い座席の隅に座って目を閉じて一息吐く。


高橋の手に触れたのは初めてだった。

だけどタカハシと昨日繋いでいたから、その違いに驚いた。

タカハシは優しく愛おしむように、そっと大事に包んでくれる。

あんな風に強く掴むことも、手荒に引っ張ることもしないだろう。


高橋は、私の恋人ではないから。




…やっぱり、ひとりで帰ればよかった。

そうすれば、高橋に触れることも、ノロけられることも、こうして落ち込むこともなかったのに。

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