身代わりの4本目 そのに
エレベーターで地下1階に降りると、そこは社の駐車場だ。
開いたドアから出れば、真ん前に営業車が停まっていた。助手席のドアをこちらに向けて、「乗れ」と言わんばかりに。
「高橋」
ドアは開けずに窓ガラスを叩けば、高橋が助手席の窓を開けてくれた。
「あのね、気を遣ってもらって申し訳ないんだけど、私、平気だから。駅まで送ってもらわなくても大丈夫だから」
胃の痛みもさっきよりは和らいでいるし、なにより仕事の邪魔をしたくない。
営業っていうのは個人レースで、高橋だってライバルのひとりなんだから。
「何言ってんだ。そんな青い顔のヤツほっとけるわけないだろ」
運転席からこっちへ身を乗り出すようにしている高橋が、わからないと表情で言って首を傾げる。
「でも、悪いから。ほんとうに平気、大丈夫。ごめんね、明日には治してくるから。じゃあね」
顔の前で手を合わせて謝罪のポーズをして、高橋の返事は聞かずにエレベーターへとUターン。
あぁしまった、上に行っちゃってる。無意味だとはわかっているけれど、ボタンを数回連打した。早く去らないと、高橋が行きづらいでしょうが。
「お前、バカか」
バタン、とドアが閉まる音がして振り返れば、怒った顔をした高橋が車から降りて歩いてくるところだった。
広い歩幅でズンズン近付いて来たかと思ったら、私の手から通勤バッグをひったくる。
「返して」
「いやだね」
私が伸ばした手は簡単に避けられてしまった。
「ねぇ、ほんとうに平気だから。駅までくらい歩けるから。大丈夫だってば」
だから返してと手を出すと、バッグを持った方とは逆の手で掴まれた。そのまま強引に引っ張られて車まで連れて行かれる。
「ちょっ、高橋! 平気だって…」
「お前の『平気、大丈夫』は信用できない」
呆れも含んだ声で私の言葉を遮って、高橋は助手席のドアを開けてバッグを後部座席に投げて、私を助手席に押し込めた。
さっきよりも強い音でドアが閉められる。
高橋が怒ってる。結構本気で。
その事実に驚きと少し怖くなっておとなしくなった隙に、運転席に戻った高橋が車を発進させた。
地下からの斜面を上がると真昼の太陽が眩しい。車内の空気が悪くなかったら、きっと眠たくなっただろうに。
高橋の怒りのポイントに触れたくないので黙って前を見ていたら、横で長く息を吐いたのがわかった。
「あー。その、ごめん、強引なことした」
その声には怒りはもうないみたいだ。緊張していた肩の力を抜く。
「ううん、こっちこそごめん。人の厚意を無駄にしようとして」
しおらしく、けれどいつもくらいのトーンで返せば、高橋の方の空気も和らいだ。
よかった、仕事仲間とギスギスしたくないし。駅までもう少しだし、ここら辺で水に流しておくべきだと思うの。
「体調、まだツラいか?」
「うーん、会社にいたときよりは大分良くなったかも。たまにチクチクするけど」
胃の上に手を当ててさする。
ほんとうはまだツラいけど、給湯室にいたときよりはマシだった。帰りに胃薬買わなきゃ。
「ごめんな。俺、夏目のことほっとけなくて」
ドキッと、心臓が跳ね上がった。
今のは間違いなくときめいた。
「え?」
信号に引っかかって車が停まる。横を向くと、こっちを向いた高橋とちょうど目が合った。
「よく言われてるんだ、お節介焼きだって」
そう言って浮かべたのははにかむような笑顔。そういうことか。
普段よくお節介を焼く相手は奥さんなワケね。
それでつい、体調不良の同僚をほっとけなかったと。
勘違いさせるようなこと言うなっつーの!
そこで信号が青になって、車が発進する。
タイミングを逃してしまったし、それ以前に気力がなくて返事できなかった。
変じゃなかったよね? 一瞬胃が強く痛んだけど、顔に出してなかったよね?
高橋に気付かれてないよね?
うぅ、なんか今度はズキズキ痛くなってきた…。着いたらとりあえず駅前の薬局行こう。
「じゃ、気を付けてな」
駅のロータリーで降ろしてもらって、車がある程度離れるのを見届ける。
お客様じゃないから、見えなくなるまでなんて見送らない。けっして、ノロけられたせいなんかじゃないんだから。
薬局で胃薬を買ってすぐに飲む。スッとする薬の味と感覚が食道からノドの奥にせり上がってきて、ごまかすためにミネラルウォーターを流し込む。水無しで飲めるって謳われても、私にはムリ。あーきもちわる。
胃の痛みに気持ち悪さがプラスされて最悪な
状態になりつつも、自宅方面の電車に乗る。
昼の車内はガラガラに空いていた。長い座席の隅に座って目を閉じて一息吐く。
高橋の手に触れたのは初めてだった。
だけどタカハシと昨日繋いでいたから、その違いに驚いた。
タカハシは優しく愛おしむように、そっと大事に包んでくれる。
あんな風に強く掴むことも、手荒に引っ張ることもしないだろう。
高橋は、私の恋人ではないから。
…やっぱり、ひとりで帰ればよかった。
そうすれば、高橋に触れることも、ノロけられることも、こうして落ち込むこともなかったのに。




