2ー2
今、いつかと言っただろうか?
私は走り出した馬車の窓から母さんに手を振りながら、首を傾げた。そうして母さんの姿が他の騎士たちに隠れて見えなくなるまで手を振りながら考えた。
………もしや来月の五日の事だろうか。
きっとそうだろう。とにかくアンリ=グリーンさんに今日の昼に会うことだけは不可能そうだ。帰ってきたらきちんと事情を説明して、また紹介してもらわねば。
発言の真意をイライアスに尋ねるゆとりはなかった。
馬車に先客がいたのだ。
私の斜め向かいには、黒髪を短く刈り上げた浅黒い若い男が座っていた。群青色の詰襟の上下に剣をさし、白いマントをつけたその男は、お世辞にも友好的とは言えない焦げ茶色の瞳で私を睨んでいた。
「私の補佐官のキースです。目つきが少々悪いのですが、お気になさらず。」
目つきが悪いんじゃなく、私を明らかに睨んでいるんですけど。それにこんな狭い車内でガン飛ばされて、気にしないでいられる程私は鈍感じゃない。
私は自分が寝巻きのままなのを意識してしまい、縮こまりながらイライアスに話しかけた。
「イライアスさん、王都までどのくらいかかりますか?………あの、アルはどうして急に私に会いたいと言い出したのですか?」
「イライアスで結構ですよ。それはご本人に聞いて下さい。」
「おい赤毛。イライアス様を呼び捨てになどしたらどうなるか分かっているだろうな。」
一瞬キースが誰に向かって話しているのか分からなかった。だが赤毛は、車内に私しかいない。どう楽観視しても私の事だろう。
「キース。何という言い方をするんだ。女性に対して失礼ではないか。」
イライアスから注意を受けたキースはふん、と鼻を鳴らした。間違いなく僅かも反省などしていない。
イライアスの話によれば、途中一泊してから明日の夕方には王都に着くらしかった。
彼は村を出てから暫くすると、馬車を降りて馬に乗り、隊列の指揮を取り始めた。どうやらイライアスはこの大軍の中では一番上位にあるらしい。
困ったのはキースと車内に二人にされた私だった。仕方が無いので、私はこの目つきの悪い男と目を合わせまいとして、一生懸命車窓に熱中しているフリをしていた。イライアスは馬車に並行して走り、窓の向こうにいるので、景色を堪能するのに邪魔だった。彼を避ける様にして頭を動かし、工夫しなければ視界が開けない。
「イライアス様をジロジロ見るな。減る。」
私はギョッとしてキースを見た。
キースは眉間にシワを寄せて腕を組んでこちらを睨んでいた。
「見ていませんから。」
しかも減るってなんだ。気は確かか。
「嘘をつけ。色んな角度から舐め回す様に見ていたじゃないか。………ふん、女は皆イライアス様に見惚れるからな。親切にされたからって、間違ってもイライアス様に惚れるんじゃないぞ。」
「見惚れてませんよ!だいたいこんな大軍引き連れて寝起きの人間攫う人の、どこが親切なんですか!」
するとキースの優しさを微塵も感じさせない焦げ茶色の瞳は殺意すら感じる冷たさを放ち始めた。
この男、上司に近づく女性には誰彼構わず殺意を剥き出しにするタイプなのだろうか。
それともよほどの赤毛嫌いなのか。確かに髪の色が赤い、というだけで私は子供の頃からいろんな場面で馬鹿にはされてきたけど。
例えば私がもし黒髪だったとしたら、この男は私に対して、おい黒毛、などと呼び掛けたりしただろうか?しないだろう。
「知らぬが仏だな。迎えに来たのがイライアス様じゃなかったら、お前は鎖に繋がれて道具にされていたんだぞ。」
「………はい?」
キースはふいっと顔をそらすと、それきり何も言わなくなってしまった。あまりに気になる発言だったので、それはどういう事かと私が何度尋ねても、彼は頑として答えてはくれなかった。
道具ってどういう事だろう。
私はアルと父さんに会いに行くだけなのに。
私達は途中の街で一度とまると、街中の食堂で昼食を取った。街中ではイライアスとキース、それに騎士たち五人が私に随行したので、大層私は目立っていた。悪目立ちとしか言いようがない。
夕方になると隊列は森の中の洋館の前で止まった。
どうやら今晩はこの館に泊まるらしかった。
そこが一体どういう施設なのかさっぱり分からなかったが、ここで漸く私は寝巻きを替える事が出来た。少し古いデザインの服を渡されると、私は早速それに着替えて与えられた部屋で過ごした。
私が食事をもらいに行く時だけでなく、なぜかトイレに行く時でさえ、キースがくっついて来たので、私は終いには部屋から出る気がすっかり失せてしまったのだ。キースは私の見張りでもしているみたいだった。
翌日の朝に洋館を出発し、長々と馬車に揺られていると、夕方頃には景色が一変した。建物が並び始め、ガタガタと振動する石畳みの上を馬車が走り、田舎の街には無い、大きな都の活気が窓越しにも見てとれる。王都に着いたのだ。
9歳まで王都に住んでいたけれど、正直その当時暮らしていた家の間取りくらいしか記憶に無かった。
………こんなに賑やかな所だったんだ。
石造りの建物が隙間なく並び、上へ高くそびえているので、圧迫感がある。人々はごちゃごちゃと道を歩き、その多さに驚く。道を絶え間なく馬車が行き交うので、街中を流れる時間が速く感じるから不思議だ。
私を乗せた馬車はやがて道幅が広く、良く整備された地域に入った。道の両端に現れる家々は、ゆとり有る敷地に建ち、それぞれ意匠をこらした建て構えで、広い庭にも手入れが良く行き届いていた。
どうやら高級住宅街に入ったらしい。
中でも他を圧倒する広い土地に、白い外壁に薄水色の屋根を持つお城が建っていた。
私達宮廷騎士団の一行はその敷地内に入っていった。
馬車は道なりにある丸い噴水を半周して建物の前まで行くと、停止した。
着いたぞ、と呟きながらキースが降りたのに続いて、私も馬車を出た。両翼を手前に広げ、緩やかに弧を描くその城の大きさに圧倒されながら見上げていると、馬を降りたイライアスが言った。
「王宮へは直ぐには案内出来ません。今後は私の家に滞在して下さい。」
家?
この城が、イライアスの家?
家などと表現するにはあまりに規模が大きすぎないか。
イライアスの城の様な自宅の中には、私の為に、期待を裏切らない豪華な部屋が用意されていた。
クロゼットの中には既に女性物の服が取り揃えられており、引き出しを開けると化粧道具や小物の類も備えられていて、用意の周到さに驚いた。ふとウーリヒ爺さんのスコップを連想してしまった。
イライアスは何事も前持って念入りに準備をして置かないと気が済まないタチなのだろう。
部屋で寛いでいると、キースがやって来て私に夕食だと告げ、食堂に案内してくれた。
アーチ型の天井を持つ馬鹿デカい食堂には、大きな長い食卓があった。長過ぎて、端と端に座れば会話が出来ないのは一目瞭然だった。こんなに部屋が広いのだから、半分の長さの食卓を二つ並べた方が良かったのではないだろうか。一つに拘る理由が分からない。
こんなアホくさい疑問を感じる自分の視点の低さにも感心してしまった。
私が食堂に入ると直ぐに、白いエプロンを着けた若い侍女らしき女性が、食卓の端の席に料理を運んで来てくれた。
おとなしくその席に着いて料理を頂き始めると、キースは私から一番遠い席に着いた。
彼は私が食べるのをただつまらなそうに眺めていた。実に食べにくい。
奇妙な沈黙に耐えきれなくなった私は、思い切って声を掛けてみた。
「あの、キースさんは食べないんですか?」
「俺はイライアス様が戻られるまで、お前の子守をしている。」
子守、という表現は些か引っかかるものがあったが、私は別の質問をした。
「イライアスさんは又外出されたのですか?」
「えっ?聞こえない。」
「イライアスさんはどちらに?」
「俺はこの部屋では食べないんだ。」
明らかに会話が噛み合っていない。
苛立ちながら私はもう一度同じ質問をした。
「ああ、イライアス様は王宮に報告に行かれた。」
声を張り上げるのが面倒臭い。
私はとりあえずお腹をみたしてしまえ、と黙々と食事に勤しんだ。
「奥様。料理はいかがでしたか?お口に合いましたでしょうか。」
食事を終えてナプキンで口を拭いていると、突然初老の男性に横から声を掛けられた。
私は目をパチパチさせた。
今、奥様って言われた気がする。
白髪の男性は柔和な笑みを浮かべて言った。
「私はショアフィールド家の料理長をしております。宜しくお願い致します。」
ショアフィールド家………?良くわからないがきっとイライアスの苗字なんだろう。
私は愛想笑いを浮かべて、料理を褒めちぎった。
後で、イライアスに聞かねばならない事がたくさんある。