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2ー1

物音に目が覚めた。

なんだろう、と寝ぼけ眼を擦りながら寝台から上半身を起こすと、何かを激しく叩くような物音がした。

心臓が縮み上がるほど驚き、急いで寝台からおりて廊下へ出ると、玄関の扉が外から激しく叩かれていた。

時計に目をやれば、既に朝の9時過ぎであった。

昨夜母さんと夜更かししたせいで、かなり寝ていたらしい。

それにしてもそんなに力任せに扉を叩かないで欲しい。ただでさえ悪い建て付けが悪化したらどうしてくれるんだ。……誰だか知らないが壊れたら修理させてやる。

私は休日の朝の訪問者に腹を立てながら玄関の扉を薄く開けた。


「お久しぶりです。私を覚えていますか?」


私は一瞬自分の目を疑った。我が家の玄関先には、朝から見るには心臓に悪いほどの美形騎士が立っていた。

この十年間、その宮廷騎士の名を忘れた日は無かった。

イライアス。

アルを連れ去った宮廷騎士の一人だ。

十年振りに見る彼は、以前見た時よりも少し細面になり、肩先程度だった髪は腰より少し高い位置まで長く伸ばされていたが、一目で記憶を手繰り寄せられる端正な容貌は健在で、寧ろ磨きがかかっていた。

あまりに眩しいので、扉をこれ以上開ける事が出来ない。

色んな意味で彼がそこに立っている事が信じられず、私は扉のノブにしがみ付いて、無言で彼を見上げていた。

イライアスは私が開けている扉の僅かな隙間に手をねじいれ、扉を無理矢理全開にした。

開けられた扉の向こうから飛び込んで来た光景に、愕然とした。

彼の背後には、いつかどこかで見た光景が広がっていた。騎乗した大量の宮廷騎士が、我が家を取り囲んでいたのだ。一体何時の間に………!?

ぐっすり寝ていたせいか、軍隊が来ていた事に全く気づかなかった。最近東のガルシア王国との小競り合いがまた国境沿いで始まっていたから、兵隊たちが往来するのはたまに見る事があった。だが、村まで入って来たり、ましてや王宮にいるはずの宮廷騎士団を見かけるなんて、アルがいなくなった日以来の事だった。


「貴方に良い話を持ってきたのですよ。」


良い話は姉さんが昨夜持って来てくれたから、間に合っている。

そもそも十年振りの怪しい騎士が、どんな良い話を持ってきてくれたと言うのか。

まごつく私の横を通り過ぎて勝手に家の中に入ると、イライアスは居間まで進み、その途中で出くわした寝巻き姿の母さんは大層な悲鳴を上げた。

イライアスは人の家のソファに断りもなく腰掛けると、長い足を組み、深く寄りかかった。そのまま向かいのソファを手で示し、私と母さんにも座る様、促した。


「単刀直入に言います。王子様がセーラに会いたがっていらっしゃいます。私と王都に来てください。」


単刀直入過ぎて二の句が継げない。

私と母さんは寝ぼけ頭の寝巻き姿で、暫し沈黙していた。

王子様………アルの事だろうか?

母さんがまだ起きてから櫛もいれていない髪を撫でながら、言った。


「アルは、どうしています?あれから音沙汰もないので、とても心配していました。」

「お元気にご活躍ですよ。聞けばこちらのお宅は男爵位をお持ちだそうではありませんか。現在の落ちぶれたご境遇に大変王子様お心を痛めていらっしゃいます。セーラ、如何ですか?王宮に侍女として仕えてみる気はありませんか?」

「侍女?私がですか?そんな、とんでもない。アルには会いたいですけど。」


するとイライアスは母さんの方を向いた。

母さんはモジモジと座り直した。


「セーラは刺繍もダンスも出来ないそうではありませんか。王宮へ来れば、最高の教養を受けられます。王子様がそれをご希望なのです。」


刺繍もダンスも貴族のたしなみかもしれないが、ヨーデル村には縁の無いものだ。

私は関心が無かったが、母さんは黙って考えこんでしまった。急にうちが貴族だという事を思い出してしまったのだろうか。

私は聞くべき事を思い出した。


「あのう、私の父は、十年前にアルを追って出て行ったきり、行方不明になってしまったのですが、何かご存知ありませんか?」

「ホルガー男爵は王宮にお勤めですよ。生活費をこちらに送っているともききました。」


私達はええっ、と叫んだ。

心のどこかで父さんはもう生きてはいないのではないかと思っていた。それが、王宮勤めを?おまけに毎月送られてくる大金は、やはり父さんからだったのか?そんな事、全然知らなかった。

あの鍋売りの父さんが、一体どんな華麗な転身を遂げたのか。


「ホルガー男爵もセーラに大変会いたがっています。」

「私も娘と王都に行きます。一人では心配ですし、主人に会わなくては。」

「ご夫人は結構ですよ。家を守らなくては。それにもう一人の娘さんはじきに出産だとか。」


どこで調べて来たんだ。

表情を変えずに淡々と話すイライアスに対して、ぞくりと背筋が冷える様な思いがした。

またどこぞの村娘に札束を握らせたのだろうか。

私は窓の外から小さな家に圧迫感を与えている騎士の大軍を気にしながら、小さな声で答えた。


「アルと父には会いたいですが、王宮勤めは出来ません。私はこちらで教師をしているんです。……そんな急なお話、困ります。」


イライアスは突然その涼しい目元に影を作り、不機嫌そうな溜め息をついた。

まるで聞き分けの無い子どもに呆れた、といった様子だった。彼はチラリと窓に視線を投げた。再び私達に戻された剣呑な目付きは、口よりも雄弁に語っていた。

表に待機させている騎士たちを、私も出来れば使いたくはないのですよ、と。


嫌な汗が手の平に出てきた。

これと似た様な状況を、以前も見た気がする。


「王子様のご命令ですので。さあ、行きましょうか。」


まるでちょっと食事にでも誘う様な軽い調子でそう言うと、イライアスはマントをはためかせながら立ち上がり、私の前に手を差し出した。私がその手を取る事を確信している様な、自信に溢れた挙動だった。

私はすっかり思考が停止していそうな母さんを見た。父さんは本当に王宮にいるのだろうか。だとしたら、なぜ今まで連絡も寄越さなかったのだろう。

侍女になるなどという提案は受け入れられないが、父さんとアルの事はこの目で確かめたかった。

父さんは何故私達の元に帰って来ないのか。

会って確かめたかった。それに父さんに孫が生まれる事を、教えてあげたかった。姉さんが新しい命を授かったと分かった翌日に、父さんの消息が判明する偶然が、なんだか見過ごしてはいけない目に見えない不思議な導きにも感じられた。

アルはあれからどうしていたのか。アルとの別れ際の事を思い出すと、いつまでも深く刺さった針の様に胸の中に痛みを感じる。


もう一度恐る恐る窓の外を盗み見ると、待機する騎士たちの距離が先ほどより明らかに近づいていた。本当に押しいるつもりだろうか………?

あの時、アルは同じ状況で何を思ったのだろう。

イライアスは吸い込まれそうな強さで私を見つめながら、まだ手を差し伸べていた。


「お願いに来たのではありません。これは命令ですよ。」


私に向けて差し出されていた手が、更にこちらに近付いた。

彼は私の答えを待っていた。この男に無理矢理連れ去られるのも、武力でどうこうされるのも、ごめんだ。

私にもなけなしの自尊心があったらしい。せめて自分で決断したかった。


「……侍女とやらにはなれませんが、父とアルに会わせて頂けるのでしたら、ご一緒します。」


イライアスは外に大軍を引き連れているとは思えない、優雅な所作で私の右手を取ると、玄関へ向かって歩き出した。

いやいや、私、寝巻き着たままだし、顔も洗っていませんけど。


「ちょっと待って下さい。荷物くらい用意しないと…」

「身一つで結構ですよ。全てこちらで準備します。」


言うなりイライアスは猛烈な力で出口目指して引っ張って行った。

セーラ、とオロオロしながら母さんがついてくる。


「母さん、心配しないで。父さんとアルに会って来るから。」


私は必死に手を伸ばして、居間に置かれていた自分のなけなしの財布だけはどうにか掴んだ。そのままイライアスに引きずられる様にして外に連れ出された。私達の姿をみとめると、騎乗した騎士たちの一部が横に崩れて道を開けた。

その先には一台の馬車がとめられており、私はイライアスに押し込められる形で馬車に乗せられた。続けてイライアスが乗りこむと、母さんが今にも泣き出しそうな形相でこちらを見ていた。


「セーラを、娘を必ず返して下さいよ!」


馬車の扉が閉められる直前にイライアスは言った。


「いつか、お返ししますよ。」


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