7ー1
イリリア王国とガルシア王国の両国が、講和条約を結んだ。
私と王女はレスター王に呼び出されてその事実を知る事になった。
新たに決まった国境線まで既にイリリアの国境警備隊は引いておりレスター王はメリディアン王女の迎えがガルシア国境を超える許可を出したのだという。
歴史的にみればガルシアにとって極めて有利な形で結ばれた講和条約であった為、国中が歓喜に溢れ、王都は今お祭り騒ぎになっているらしかった。
「約束をしていた旅行を、イリリアにお帰りになる前に果たしたいのですが、如何でしょうか?」
土壇場でキャンセルになっていたお菓子の街への旅について問われ、私と王女は二つ返事で行かせて貰う事にした。
「では明日早速出かけましょう。今日は街中が大変な騒ぎになっていますので、外出は危険かもしれませんから。」
ガルシアの国旗を持ち、高々と振る人々が目抜け通りに押し寄せ、商店では講和条約を記念して大安売りが行われているーーーそう私たちに教えてくれるレスター王の語り口は淡々として落ち着いていたが、逆にそこに彼の経験の豊富さから来る自信を垣間見た気がした。
翌日は天を高く感じるほどの抜ける様な快晴だった。お出かけ日和、という言葉が実に相応しい。
国王が同行する為か、前回出発しようとしていた時よりも人員が割かれ、私たちは結構な大所帯となっていた。
お菓子の街まではさほど遠くなく、馬車の中で王女とお喋りをしているうちに着いてしまった。
お菓子の街はその名の通り、小さくて可愛らしい建物がたくさん並び、こどものおもちゃ箱を私は連想した。ガルシアに来て以来、白い建物ばかり見ていた私たちは、その色鮮やかな街並みにすっかり興奮して、目を輝かせて窓の外を眺めた。薄いピンクや水色、黄色など、実に様々な色の建物があり、形も可愛く、窓枠にも凝った装飾がされていて、建物ごとに個性を主張している。屋根の上には風見鶏が置かれ、それも又建物ごとに形が違い、眺めているだけで飽きない。いかにも観光で栄えている街らしいことに、道もきちんと整備されていて、地面にはゴミもほとんど落ちていなかった。
「昔は宿場町として栄えたのですってね。旅行者の目を引く為に、色鮮やかな建物が多くなって行ったのですって。」
王女は手の中の資料を読みながら私に説明してくれた。昨日は一日中二人でお菓子の街について調べ物をしていたのだ。旅行前に入念な情報収集をする事は、王族の嗜みの一つらしかった。ーーーー私はこの時まだよくその理由が分かっていなかったが、間も無くそれは判明することになる。
私たちは灰色の外壁をした、一際立派な大きい建物の前で降ろされた。そこは市庁舎で、私たちを出迎える為に市長自らが正面入口で待っていてくれた。
市長と十人余りの役人たち、それに私たちの警備兵や近衛兵が加わり、さらにそれを取り巻く様に観光客や街の人々が私たちを観察していた。かくして、小さな街の市庁舎前の広場はかなりの人口密度になっていた。
私たちは市長自らの案内で街中の中心部を歩いて散策した。市長は非常に緊張した様子で、けれども一方では人生の大一番といった気合いの入れ方で私たちに街の歴史や概況を説明してくれた。
王女はそんな張り切る市長の説明を丁寧に聞き、彼に要所要所で上手に質問もしていた。予めお菓子の街について下調べをしていたのは、この為だったのか、とようやく私にも合点が行った。
天空宮にいた時も、私は王女と王都内のあちこちに視察や訪問へ行ったが、王族にとっての旅行というものは、それらと実質的には何らの違いも無いのだ、と良く分かった。
おまけにレスター王が何か動作をするたびに、観衆たちから黄色い悲鳴が上がるので、私は気持ちがすっかり落ち着かなくなってしまった。一歩王宮を出れば常に万人に見られている事を意識しなければならない、というのは普通に育った私にはとても慣れなく、疲れる状況であった。レスター王はこの環境と立場にどうやって慣れたのだろう?ーーーー尤も彼は子供の頃からその無駄に綺麗すぎる顔立ちの為に、道端で通り過ぎる人は皆彼を食い入る勢いで見てくる状況にあったから、別の意味では観察対象でいる事には慣れているのかもしれないが。
お菓子の街はお菓子を売る街としても、訪問者を呼び込んでいるらしく、歩いていると飴や焼き菓子を売るお店が次々と目に飛び込んできた。お菓子に目が無い私には、たまらない。通りに出ている屋台からも、美味しそうな甘い香りが漂ってきて、行列の中で市長の薀蓄をただ聞いていると、欲求不満になりそうだった。
今すぐこの一団を飛び出して、お店巡りをしたい………!!
国王と王女と一緒だという、あまりに不自由な身の上が心底口惜しい。ああ、これが旅行だなんて。
レスター王とメリディアン王女は市長と熱心な会話を交わしながら歩いていたので、私はワザとゆっくり歩き、彼等を尻目にジリジリとこっそり後退してみた。サッと手近な店に飛び込んで戻れば少しの間くらいバレないかもしれない。私の視線の先には、実に可愛らしい砂糖菓子を店頭のガラスケースに並べているお店があり、目が釘付けになってしまった。
どうにか、ちょっと抜け出せないかなーーーーそう思って警備兵の列近くまで後退していると、やにわに両肩を力強く掴まれ、元いた場所まで押し戻された。
驚いて顔をあげると、物言わずただ柔らかく笑うシアがいた。口元は笑みを披露しているが、目が怒っている。
ここの名物なのだろうか?細いテープ状の長いクッキーを、球状に丸くして白い粉糖を振り掛けた、手の平ほどの大きさの菓子があちこちで売られていた。イリリアでは見た事がない。実に美味しそうだ。これを逃したら一生食べられないかもしれない。なんて良い香りをさせているんだろう。もう、拷問だ……。
「シアさん、あの丸いクッキーはこの街の……」
「言いたい事はもう良〜く分かっているから、自分の身の上をもう少し理解してくれないかな。君が迷子になりでもしたら、誰かの首が飛ぶんだよ。空高くね。」
まるで幼児に言い聞かせるみたいな優しい口調と優しくない中味のミスマッチが、不気味だ。シアらしいこと。
散策が終わると私たちは街の資料館に入った。又しても緊張し切った館長が出迎えてくれて、館内では途切れる事のない説明を延々としてくれた。館長は王族に対する沈黙は無礼だとでも思い込んでいるのだろう。良くも水も飲まずにこんなに長く話せるものだ、とある種の驚きを隠せなかった。
途中でシアに手招きをされ、その場を離れると彼は秘密でも打ち明ける様に小声で言ってきた。
「少し抜け出さないかい?」
えっ、とびっくりして私は思わず王女の方を見た。彼女はレスター王と一緒に館長から話を聞きながら、展示物の一つである何かの模型を手に取っていた。
「抜け出すなら今しかないよ。さっきの菓子を買いたくないかい?連れて行ってあげるよ。」
まるで、食べ物でこどもを釣って誘拐する犯人みたいな台詞だ。だいたい私を連れ出そうとするなんて全然シアらしくない。
柔和で嘘くさい笑顔に、何故か身の危険を感じる。
「結構です。王女様を置いていけませんし。」
二人のもとに戻ろうとする私の手首を、シアが掴んだ。
シアに手首を掴まれたのは初めてだったし、私を引き止めようとする明瞭な意思が感じられて僅かに怯んでしまう。
「少し大事な話があるんだ。それに本当に菓子を買うなら今しかない。王女様にも土産に買えば喜ばれるんじゃないかな?」
「話って、キースの話ですか?それとも私の?」
「どちらもだよ。今の君にとってとても重要だろう?さあ、おいで。悪いようにはしない。好きなだけ、たくさん買ってあげるからね。」
最後の一言がどうにも気になる。私は菓子欲しさについて行くのではない。大事な話とやらが気になるからだ。シアは、レスター王の一番の側近なんだから………。
シアは私の細い手首に自分の指をしっかりと巻き付けたまま、廊下まで私を引っ張って行った。そこから、来た時とは違う、狭く簡素な階段から私たちは階下へ降りた。兵を一人もつけずに二人で喧騒の中の明るい街中に出ると、近くにあった菓子屋にシアは飛び込んだ。
店内には客が随分といて、私たちの会計になるまでにかなり待たされ、その間シアは腕を組んでいかにも苛立っていた。
順番が回ってくるとシアは私に聞いてきた。
「いくつ欲しい?」
「あ、ええと、よ、四つお願いします。」
奢りなのに図々しい、思われないか内心ドキドキした。
シアはガラスケースの向こうに立つ店主らしき男性に声を掛けた。
「これを八つ頼む。」
何故倍になる。それとも自分の分だろうか。妹のキアにでもお土産として持って帰ってあげるのかもしれない。
シアは店主から菓子が入った箱を受け取ると、私の手首を再び掴んだ。店を出ると彼は店の横の路地裏に入っていく。これでは来た方向とは逆ではないか。いくら方向音痴な私ですら間違えない。建物と建物の間の細く薄暗い道を、シアは結構な速さで突き進んだ。
「シアさん、逆ですよ。資料館は…」
「話があるといったでしょう。」
こんなに資料館と距離をとったら、直ぐに戻れない。それに路地裏である必要性はないはずだ。止まらないシアに不安を覚え、私が彼の手を引き剥がそうとしたそのとき。路地の途切れる先に、騎乗した一人の男が見えた。日の光が後ろからさし、逆光となって良く見えないが、まるで私とシアを待ち構える様にそこにいる。異様な光景に恐くなり、足を止めようと踏ん張ったが、シアが進み続けるので止まらない。もし私が地面に座り込んだとしても、シアは私を引きずっていきそうだ。
「シアさん、手を離して下さい。」
「……私はね、もたもたしないで決めて欲しいんだよ。これ以上待たされると色々と不穏な材料になりかね無いからね。」
今一番不穏な男が何を言う。不穏の中でも最も不穏な男だ。
シアに対する自分の警戒心を軽く見た事を一瞬後悔した。