6ー12
その日は朝から王宮が華やかで明るい雰囲気に包まれた。
遠方に嫁いでいたレスター王の妹が、兄の凱旋を祝いに嫁ぎ先から王宮に遊びに来たのだという。
私とメリディアン王女は身綺麗に支度を整えると、レスター王の妹と対面させて貰う為に、広間に案内された。
「とてもお優しくて、気さくな方ですよ!」
私たちを別の棟に案内する女官は本当に嬉しそうにそう言った。レスター王の両親と、レスター王より先に王太子になっていた彼の兄は既に亡くなっていたから、アルにとっての実の肉親と会えるのは、私にとってこれが初めてだった。身寄りがいなかったアルが、ガルシアに戻ってからは自分の、それも人柄の良さそうな妹と一緒に暮らしてきたのだ、と知る事が出来るのは義姉として素直に嬉しかった。
女官の先導で広間に入ると、白く明るい部屋には濃い青地に金色の星が描かれた大きな絨毯が中央に敷かれており、その上にレスター王と一人の女性が立っていた。
一瞬私は二人がまるで空の上に立っている様な錯覚を起こした。
「はじめまして。アイリスです。ガルシアにいらして下さって、嬉しいですわ。メリディアン王女様。」
長い黒髪を後ろに編み込んで流したアイリスは、兄であるレスター王ほどではないものの、淡い青色の瞳の持ち主で、色白で華奢な女性であった。儚な気な美しさはレスター王に似通っており、私はずっと前から知っていたような、不思議な気持ちになった。
アイリスは膝を折ってメリディアン王女に挨拶を終えると、私に向き直った。
「セーラですね!あなたの話は、兄からずっと聞いていました。会えて本当に嬉しいわ!」
そのまま女官たちが隣室に茶の用意を始めてくれ、私たちはそちらの席に落ちついた。
アイリスは私たちが王宮からほぼ一歩も出ていないと耳にし、心を痛めていた。
「ぜひ、ガルシアの美しい所をご覧になって頂きたいわ。」
アイリスはイリリアの人が滅多にガルシアを訪問してくれないのを常日頃残念に感じていたのだと言う。ガルシアの王族として、もっと他の国の人々にガルシアを知って欲しい、という切実な思いが彼女からは伝わってきた。
アイリスの嘆願を受けてレスター王がメリディアン王女に言った。
「お菓子の街への旅行が延期になっていましたね。講和会議も落ち着きましたから、次こそはご案内しましょう。今度は私もご一緒しますよ。」
「陛下もいらっしゃるのですか!」
メリディアン王女がパッと表情を明るくさせた。アイリスは良かった、と心から嬉しそうに頷いた。
ひとしきりお菓子の街についての話が終わると、カップから立ち昇る熱そうな湯気を物ともせず、アイリスは滑らかに茶を飲んだ。いつも思うのだが、カップ自体が温められている様な、熱くてたまらない茶をどうやって貴婦人たちはこんなに上品に淀みなく飲むのだろう。私には熱過ぎて、皆が飲み干す頃にようやく口をつけられるというのに。
「それにしても戦が思ったより早く終わって心から安堵しました。わたくしの周りでは、もっと快進撃を続けて、西進すべきだ、などという意見も多く聞かれたのですけれど。」
メリディアン王女の存在を気にしつつも、アイリスがレスター王にそう言った。
レスター王は焼菓子を摘まんで口にいれた。
「続けるだけが能じゃない。戦争は泥沼化する前に手を引く方が良い時の方が多いんだよ。それにそろそろ内政に目を戻すべきだからね。」
「ええ、勿論よ。お兄様のご決断をわたくしはいつだって信じていますもの。この国をここまで立て直したのは、他ならぬお兄様ですもの。」
そう言うとアイリスは愛らしくわらった。自慢の兄なのです。と。
見ているこちらの胸が暖かくなるほどの笑顔だった。こんなに素敵な妹がいたのに、レスター王は良く私なんぞの事を忘れないでいられたものだ。私なら過去の遺物として忘却してしまいそうだ。
ジュースの量を巡って喧嘩をしていたかつての自分とアルの姿が妙に恥ずかしい。
「講和条約のお話し合いは順調なのでしょう?これからはもう戦争など、無いようになると良いですわ。ガルシアとイリリアはもっとお互いを高め合えるはずですもの。」
私とメリディアン王女は少し意外な気分でアイリスを見た。イリリアでは、王族の女性は政治には介入出来ないことから、意見を表明することは、滅多にしなかった。寧ろそれははした無い行為だとみなされがちであったし、王宮の女性たちは文学や流行を語るのが洗練された王族なのだ、と考えているフシがあった。
私はそれが嬉しくなり、思わず口を開いた。
「きっと出来ます。戦いを始めるのは人ですけど、終わらせるのも人の筈ですから。」
するとメリディアン王女が急に瞳を輝かせて弾んだ声を上げた。
「それでしたら、古来から続くもっと確実な和平の手段がありますわ!両国の王族どうしが、和平の為に婚姻関係を結ぶという…。」
私は後頭部を鋼鉄の鍋で打たれた様な衝撃を感じた。どうしたのだ、王女は。アイリスの政治的発言に感化されちゃったのか。
レスター王は一瞬の沈黙の後、深い吐息を吐いた。それを受けてメリディアン王女が小首を傾げる。
「あら、こんな名案を思いつかなかったご自分に驚いていらっしゃる?それとも古くさい手段だと呆れてしまわれたかしら?」
「いいえ。今一瞬でもその提案を考察してしまった自分を恥じています。」
「まあ、なん……!?」
横から女官が現れて、絶妙のタイミングでメリディアン王女のカップに茶を注ぐ。危ない危ない。若干前のめりになっている王女にかかるかと思った。カップから溢れそうになっているそれを訝しく感じて何気無く顔を上げると、そこにいたのは、誰あろう睫毛女官だった。
いたのか。
注がれ過ぎた茶にメリディアン王女が閉口していると、レスター王が言った。
「イリリア王国では、長年ガルシア人を蛮族と呼称しているとか。そんな気高い国の王女様がたが、果たして嫁ぎになどいらして下さるか甚だ疑問ですね。」
「あら、女性として王族に生まれたからには、結婚は心ではなく政策で行われる覚悟を持っているべきですわ。さもなければ王族に女など何の役にも立ちませんわ。継承権が無いのですもの。わたくしなら、夫となる男性に愛など夢を見ませんわ。ただその方が、立派で尊敬できて、尚且つ愛すべきお方だったら、それ以上望む事はありませんわ。」
まず、蛮族ってところを否定してはどうだろうか。私はいろんなところに焦りを感じた。
ーーーこれは、一体どういう状況なのかしら?
アイリスの顔全体にそう書かれている様だった。彼女が説明を求めて私の顔を凝視していたが、私も同感だった。
メリディアン王女のこれまでの行動を読むに、平たく言えば、王女は今レスター王に、「私を妃にしてはどうか」と売り出している様なものだった。
「例えばその国王が、側妃も設けても?」
「勿論ですわ。イリリア国王も常に何人かの側妃を抱えますもの。」
するとレスター王はさも愉快そうに笑った。その笑い方が少し嘲笑を含んでいたので、メリディアン王女は目を瞬いてから、カップを持ち上げて口に寄せた。
ゆっくりと時間をかけて彼女はそれを飲み干したが、空になったカップを見ても睫毛女官は茶を注ぎには来なかった。
おかわりは一杯までと決まっているらしい。
「貴方は実に愉快な王女様ですね。じきに、お帰りいただくと思うと今から寂しく感じます。」
何らの感情も籠らない平板な声調でレスター王はそう言った。
「ほほほほ!それなら直ぐにまた戻って来るかもしれませんわね。」
目を点にする私とアイリスをよそに、メリディアン王女とレスター王は声を立てて笑い続けた。両者の目がちっとも笑っていないのが、空恐ろしかった。
「一体どういうおつもりですか?!」
二人きりになると私は王女に迫った。
「あら、そんな怖い顔をしないで。ちょっと冗談を言ってみただけよ。………まあ、半分本気だけれど。」
本気だったのか。
私はガックリとうな垂れた。
「わ、わたくしだって子どもじゃないのよ。レスター王がセーラしか見ていないのは、知っているわ。」
急に真面目な顔つきでそんな事を言われ、戸惑った。レスター王からガルシアにとどまる様、そして妃になってと言われた事は、王女には話さなかったが、思っていたより王女が色々と勘付いているのでは、と思うと、気が気じゃなかった。
「けれど、わたくしなりに考えた和平のあり方の一つなのよ。わたくしなりの平和の形よ。わたくしにも役割があるのかもしれない、と思えるでしょう?」
イリリアに帰国したら、そう国王にも言うのだろうか。国王は激怒するのだろうか。それとも………?