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6ー11

きつく抱きしめられた腕の中で、手を突っ張りどうにか少しでも距離をあけようと足掻いた。


「ね、ねえ、人に見られちゃうよ!」

「見られても構わない。どうせシアしか見ていないから。」


ちょっと待て、それはどういう意味だ。

シアが近くにいるという意味か。

レスター王にはもれなくいつもシアが付いてくるのだろうか。

私はシアだけだとしても、こんなところを目撃されたくはない。どこだ、どこにいるんだ?確かめたくても、レスター王自身で視界が遮られていて、出来ない。

顔面に押し付けられた胸板は、レスター王が着る分厚い衣服の上からも、大層硬かった。


「セーラ。イリリアに帰らないで、ここに残ってほしい。」

「レスター王………。」

「ここに住むと良い。昔良く言っていたよね?大きくなったら、大きな家に住むんだ、って。」


急に飛び出た懐かしい話に、幾らか私は感傷的になった。それは私が昔、お絵描き遊びをしていた時の出来事ではないか。まさかそれを覚えていたなんて。


「そうだね。ここは確かに大きいね。………寧ろ大き過ぎるね。」


笑いを誘って誤魔化そうとしたのだが、レスター王はそれには応じなかった。


「セーラ。好きなんだ。私の妃になって欲しい。」

「ええっ!?今、なんて?」

「聞こえたでしょう。」


突拍子もない申し出に、聞き返す他ない。

妃?

顔面が押し付けられている胸から、レスター王の心臓が打つ音が、いやに大きく聞こえた。レスター王も、今この瞬間とても緊張しているのだと分かり、こちらも相乗効果で動悸が収まらなくなる。


「王様の結婚ってそんな簡単なものじゃないでしょ!私なんて何の身分も無いしイリリア人だし。」


父さんは男爵のはずだったが、有って無い様な爵位だ。それに、私は既婚者だーーーもっともこれに関しては風前の灯状態にあるけれど。


「セーラは私の命の恩人だと、皆知っている。それに身分が問われるのは、正妃だけだよ。」


私の脳裏に、様々な情景が目に浮かんだ。身分も地位もある正妃からいじめられる、異国人の側妃。小説に有りがちなそんな世界に、自分が巻き込まれるのは御免だ。

そう伝えると、レスター王はただ首を横に振って真面目な顔で私を見た。


「イリリアに帰るよりも、必ず幸せにすると誓うよ。」


彼はどこまでも本気で言っていた。

その気概が怖いが、そこまで言わせている以上は私も自分の気持ちをきちんと伝えなければ、不公平だと思った。

私の後ろに回された腕の力が少し緩んだので、頭を動かして自分を見下ろすレスター王と視線を合わせた。レスター王の淡い瞳は、その地位と美貌にもかかわらず、とても不安そうに私を見ていた。


「アル…………私、貴方が大好きだよ。だけどそれは、弟としてなの。私は…」

「イライアスが好きなんだろう?………見ていれば分かったよ、そんな事は。」


気まずくなって目を合わせていられず、思わず目を逸らせた。


「私が忘れさせてみせる。あの頃のアルではなく、今の私を見て欲しい。」


レスター王の手が私の顎先にかけられ、私は上を向かされた。

そのまま白い顔が私に迫り、暖かな唇が額に押し当てられた。


「アル……、」

「弟じゃない。」


それは滑る様に下へ落ち、私の唇で止まる。


「私は、セーラの弟ではないよ。」


先ほどまで感じていた寒さは消え失せ、今は身体が熱くてたまらない。髪をかき分ける様にしてレスター王の手が私の首筋を後ろからのぼり、ぞくりとする。反動で微かに背中を仰け反らせると、レスター王は目を細めた。


「髪が弱いのは、今も変わらないんだね。」


そのままレスター王の指が私の髪を弄る様にして、頭皮を優しく滑っていく。

あまりのくすぐったさに、腰のあたりがむずむずする。レスター王は今や楽し気な表情すらしていた。わざと私を翻弄させているんだ、と思うと反発心が芽生え、胸の辺りを押して力一杯彼を押しのけようとした。

レスター王は私の左手を絡め取ると、目を閉じてその指先に唇を寄せた。


「昔ヨーデル村でセーラと離ればなれになった時、身体を二つに引き裂かれた様に辛かったよ。」


私もそうだった………。あの時、アルも同じ気持ちだったのだろうか。


「もう離さないよ。セーラは私の半身なのだから。」

「レスター王……。それでも私は、帰らなきゃいけないんだよ。」

「そんなにあの男が良かったの?」


そうじゃない。私はイライアスがいるから帰りたいんじゃない。だがそう主張しても、レスター王は譲らなかった。


「セーラは上手に絆されたんだよ。百戦錬磨のイライアスに。そんなのは、愛とは言えない。分からない?尋常じゃないんだよ。三階から飛び降りようとするなんて。」


そこを指摘されると、ぐっと答えに窮した。

でも全部今更だ。私とイライアスは完全にもつれてしまっている。最早どうする事も出来無い。

私が抱く固い決意に動じる素振りすら見せず、レスター王は宣言した。


「ーーーー賭けをしよう。二つの条件が充足したらセーラを帰してあげると約束するよ。一つには、レイモンド王子がメリディアン王女を迎えに来る時に、またイライアスが同行していること。二つには、彼にセーラと離縁する意思があるのかを確認しよう。もし彼がその提案を拒絶したら、セーラをイリリアに帰すよ。彼の気持ちを認めよう。けれどもし、一方の条件が欠けたら、セーラは私が貰う。」

「わ、私を賭けるってこと?!そんな条件じゃ、私が負けるに決まってるじゃない。公平じゃないよ。」

「私は負ける賭けはしないからね。それにこれは万一帰国したセーラが不幸にならない為の最低条件でもある。」

「ねえ、人生を賭けで決められないよ。それに教師は賭けをしちゃいけない事になってるんだよ。賭博は懲戒の対象だから。」

「心配要らないよ。もうとっくにクビになっているだろうから。」


軽やかに笑うレスター王とは正反対に、私はいろんな意味でもう一度泣き直したくなった。









私はキアを探した。

顔を合わせたく無くてもしょっ中会う彼女だったが、いざ合わせたいという時に限って会えないものである。日が落ち、そろそろ探すのをやめようかと思い始めた矢先、赤い水差しを黒く丸いトレイに乗せて、廊下を歩く睫毛女官を発見した。

キアさん、と声をかけると、彼女はさも意外な人物に話し掛けられた、といった風情でそのガラス玉みたいなデカい目を見開いた。


「あの、お願いしたい事があるんです。」

「私に……ですか?」

「シアさんは今どちらにいらっしゃいますか?実はシアさんに会わせて頂きたいんです。」

「兄に?」


キアは重量感溢れる睫毛を激しく上下させて瞬き、困惑を示していた。だが特段断る理由も思いつかないのか、数秒の沈黙の後、コクコクと頷いた。


「承知しました。では兄を探して参りますので、お待ち下さい。」


自室で待っていると、ほどなくしてキアが現れた。応接の間にシアが来てくれているのだと言う。


「急にお呼びたてして、すみません。」


詫びながら応接の間に入ると、シアはいつもの柔和な笑顔を浮かべた。私を案内して来たキアはまだ入り口に控えたままだったので、私はもの言いた気な視線を送ってみた。これからシアとする話は、彼女に聞かれたくなかったのだ。どうやら私の視線は通じなかったらしく、キアは動かなかった。

気の利かない女官だこと。

やや上から目線で立腹しながら、私はキアに歩み寄る。


「キアさん、お忙しいのにありがとうございました。重ね重ね申し訳ないのですけれど、シアさんと少し二人にして貰えますか?」

「で、ですが……。」


キアは動かすだけで私の何倍も筋力を要しそうな瞳を、何度も往復させた。私とシアの間で。その不安そうな顔つきを間近で見ていて、気がついた。

ああ、そうか。

彼女はどうやら私と兄を夜に二人にする事に躊躇しているらしい。そんな心配は無用だ。おまけに私に投げられる何やら疑い深い視線から察するに、多分私がシアに何かしでかすのでは、と懸念しているらしかった。それにキアが私の身を心配してくれるとは残念ながら思えない。

おそらく彼女の中では、私は希代の悪女にでも見えるのだろう。人を見る目が無いに違いない。

いつまでも見つめていると、ついにキアは折れた。わかりました、御用の際はお声を掛けて下さい、と言うと彼女は退出した。


「君と二人で会ったりしたら、私が陛下に怒られてしまうよ。」


笑いを含んだ声でシアが言った。


「シアさん、ご存知ですよね?」


シアは応接の間の真ん中で立ったまま、ゆっくりと腕を組んだ。私が何を話したくて彼を呼んだのかくらい、想像はついているだろう。ーーーー昼間、私とレスター王を見ていた筈なのだから。


「ガルシアの方々は、私なんかが妃になったら不愉快ですよね?私、こんな事でレスター王の立場を悪くしたくないんです。」

「側妃に目くじらなど誰も立てないよ。寧ろ喜ばしいと賛成する者の方が多いだろうね。陛下はお忙し過ぎたんだ。妃を取るのが、遅過ぎたくらいだから。」


シアの返事に私は少し失望した。私は彼が反対してくれる事に期待をしていたのかもしれない。


「大切なのは、我らが陛下にはお世継ぎが必要だ、という差し迫った事実なんだよ。陛下はここ数代の国王陛下の中で、群を抜いて民から敬愛されている。側近としても、私はレスター様の優れた資質を受け継いだ王子を切望しているんだ。」


何という事だ。

私はどうやら今シアに子作りを推奨されているらしい。


「それは、後ろ盾のきちんとした正妃となる女性に期待すべきではありませんか?」

「難しい問題だね。後ろ盾は時として内紛の一番の引き金にもなる。現在の国王陛下が後ろ盾を必要としているか否かを問われれば、答えは否、かな。」


木のテーブルの上におかれた燭台の灯りが、風も無いのにゆらりと揺れた。白く太い蝋燭が乗る銀色の皿を支える少年の顔は、半分が煌々と照らされ、残りの半分は完全に影になっていた。私とシアは暫くその火を無言で見つめていた。


「君の心もまた、揺れているんじゃないかい?ちょうどこの火の様に。陛下と君には、断ち難い不思議な絆を感じる。」

「私は弟としての彼を愛しているんです。」

「今はね。これからは分からない。国王は正妃に愛など求めない。それこそは側妃の役割なのだと考えてみたらどうかな。」


シアは体重を感じさせない優雅な足取りで数歩私に近づき、私の目をひたと捉えたまま声を落として言った。


「私が君なら、この幸運を逃したりはしないがね。」




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[気になる点] こんにちは。 お話、楽しく、興味深く拝読させていただいております。 ありがとうございます。 ところで… >おまけに私に投げられる何やら疑い深い視線から察するに、 >多分私がシアに何か…
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