6ー10
「そうか。」
そうか、って何だろうなそのつれない感想は。
私はあまりにも定説通りなキースの反応に落胆と若干の苛立ちを隠せなかった。知りたがっているだろうと思ってわざわざ報告にきたのに。
「そんなに睨むな。」
「別に睨んでません。元々目つきが悪いんです。」
「明らかに睨んでるじゃないか。………良かったな、と言えば満足か?講和会議が成功に終わりそうで。」
違う。
いや、レイモンド王子がもう一戦構えるつもりでデメルまで来ているんじゃないのが分かったのは、それ自体は喜ばしい。だけど、…………。
「イライアスさんが使者に選ばれるのは、普通なんですか………?」
キースは私からすうっと目を逸らし、机の上についていた頬杖をつき直した。
「基本的に使者というのは、状況に応じて交渉が出来る必要がある。加えてある程度の裁量も要求される。そういった人物で、相応の地位が無いとつとまらない。一方で、立場ある人間を長年の敵対国に乗り込ませるというのは、かなりの危険もあり得る。知っているか?過去イリリアは、ガルシアからの使者をかえさなかった事もある。………まあ、表向きはどうあれ、今回の人選は一種の報復人事だろうな。」
私は机の上で流線を描く木目に視線を落とした。それはつまり、イライアスは私が逃げた責任を取らされたという意味だろうか。
「そう気に病むな。警護をしていたフィリップ王子の怪我の責任も含まれているんだろうからな。」
優しいんですね、と力無く言うのが精一杯だった。キースは、なんだ今ごろ気付いたのか、と粗く笑った。
なんだかモヤモヤとした物が胸の中にわだかまっていた。
この正体は何だろう?
ーーー私がキースに聞いて欲しかったのは、多分、もう一つあった。それは、イライアスが私をまるで気にかけてくれなかった事実だった。
私が口を噤んでいるとキースはただ黙って私を焦げ茶色の鋭い目つきで見ているだけなので、恥をしのんで言ってみる事にした。
「イライアスさんが、私をーーー。あの、分からないんです。イライアスさんは私をどう思ってたんでしょうか?」
一念発起して聞いてみた。とてつもなく恥ずかしい質問を、あり得ない相手に。
私の一大決心にもかかわらず、キースは驚いて一瞬目を見開いた直後、呆れた様な、ウンザリする溜め息を吐いて宙を睨んだ。
「あんた、俺はあんたの女友達じゃないぞ。」
「そんな事分かってます!でも、…」
「イライアス様はあんたを大事にしていた。ここ最近は多分あんたの事しか考えていなかったよ。だけど、他人の女になったそんなあんたを敢えて見たいとは思わないだろう。以上だ。」
他人の女だなんて、勝手な思い込みだ。ここでふと私は疑念を抱いた。まさか、………本当にそんな風に今イライアスに思われているんだろうか?彼は私がこの王宮にいること事態を、どう考えているのだろう?確かに私はイライアスとの別れ際に、アルが好きだ、などと腹いせに近い形で言い放ちはしたけれど。
ああ、何故、今更イライアスにどう思われているのかが、こんなにも気になって仕方が無いのだ。
「私はまさかこのままガルシアにいなければならないなんて、無いですよね?」
窓を叩く風の音だけが辺りを支配した。まるで二人で風の音を鑑賞しているみたいだ。
まだ……立場上はイライアスの妻だけれど、捨てられた以上、彼の所に戻れるとは思わない。
レイモンド王子がメリディアン王女を迎えに来てくれても、その馬車に私を乗せてくれたりはしないだろう。レスター王に国境まで送ってもらうしか無い。
「なあ、聞いても良いか?あんたはまだ陛下に抱かれていないのか?」
大真面目な顔でとんでもない質問をされ、自分の頭に瞬時に血がのぼるのが分かった。
「そ、そんな関係にはなっていません!」
「そうなのか?それは良かった。だが果たしてイライアス様はそう思っているかな。隣の国の王の子を宿しているかもしれない女は、妻だとしても引き取らないだろうな。」
今度は全身の血が引いて行く。
そんな恐ろしい誤解をイライアスが?いやそれ以上に、その勘違いをレイモンド王子たちもしているのだとしたら、それこそ私の危うい立場はどうなるのだ。
まずい。
「俺を見ろ。」
思い悩んでいると不意にキッパリとした低い声音でキースに命じられ、反射の様に彼を見た。鋭い視線が私を射抜く。
「俺が、あんたをここから逃がしてイリリアに連れて帰ってやろうか?」
「何を………言うんですか。私はキースさんを悪の道に引きずり混みたくありません。」
「悪の道って、あんた…」
「逃亡劇はたくさんです。」
キースは両腕を机の上に乗せ、身を乗り出す形で私を更にしっかりと見据えた。
「物事の選択に正誤など無いぞ。後から自分が満足しているかどうか、しかない。幸福度など己の気の持ち様なのだから。あんたは、正しくある事に囚われ過ぎていないか?」
それはとてもキースらしい言い分だと感じた。価値観は人それぞれだが、私には受け入れ難い。
私はどうしたいのだろう?
膝の上でギュッと拳を閉じて、考えた。
問い直せば案外、答えは明快で直ぐそこにあった。
ヨーデル村にいる母さんの元へ、父さんを連れて帰ること。けれど一番やりたいことは…。
「帰ったら、フィリップ王子とイライアスさんに文句を言ってやりたいです。」
キースは腹を抱えて爆笑した。
そうだ。私は余りに文句をいわな過ぎたと思う。私が今まで何も感じなかったとは思わないで欲しかった。フィリップ王子は怪我を負ったが、それは私の問題ではない。
キースがあまりに愉快そうに笑うので、釘を刺すのを忘れなかった。
「でもキースさん、貴方に手を借りようなんて考えてはいませんからね。」
面会が終わり、石造りの塔の螺旋状の階段を下りきると、階段の一番下に人がいた。牢番かと思いきや、下ってきた私に気付いて顔を上げたのはレスター王だった。
手すりに寄りかかっていた身体を起こして、私の正面に来るレスター王を見ながら考えた。
何故ここに?
ここは王宮の最奥に位置する。たまたま通りかかったのではなく、目的地だったにちがいない。
私はレスター王の付き添いの人間が他に周囲にいないか目で探しながら尋ねた。
「こんな所でお会いするなんてびっくりです。」
「闇の左手に用事があって来たんだけれど。セーラが来ていると聞いたから、待っていたんだ。」
「キースに会いに来たの?」
レスター王がキースに接触するのは見たことが無く、非常に珍しく思える。だがレスター王は私が大仰に驚くと苦笑した。
「本来は私の闇の左手だからね。……でもセーラ、今は少し君と話がしたいんだ。」
塔から外に出て行こうとしていた私は、はたと歩みを止めた。
私にーーーー?
レスター王は私の背に手を回すと、私を先導した。
「こっちだ。」
レスター王は塔から出て行く為の、重たい緑色の扉を牢番に開けさせると、小雨が降り出している外へ踏み出た。
塔の裏には、木々が生い茂っており、私たちは雨を避けて手近な木の下に入った。サラサラと弱く降る雨が、木の葉を叩いて優しい音を立てていた。
「セーラは、イリリアに戻ったらどうするの?」
「父さんを、王宮からヨーデル村に連れ帰るよ。」
「その後は?まさかイライアスのもとに戻るつもりじゃないよね?」
私は力無く首を横に振った。
私とレスター王が吐く息は白くなっては空気に吸い込まれる様に消えていった。冷たい空気から身を庇おうとして、私は両腕で自分の身体を抱いた。
「元々宮廷騎士団長の妻なんて、私には務まらないし。」
「彼はもう宮廷騎士団長ではないよ。」
「えっ?」
「さっき聞いた。イリリア国王は君を命の盾にしようとしていた事が公になるのを恐れていたんだ。それを不名誉だと感じられる気概はまだあったらしいね。でも、王女が一時行方不明になり、ガルシアに来る形になった為に、君の事がイリリア国内に広く知られてしまった。」
私の事が世間に知られた?
それはゾッとする情報だった。
「民衆は君に大変同情的で、寧ろ君を頼ろうとしたばかりか弱過ぎた軍に怒りの矛先を向けているらしい。誰かの身を切らせる必要があったんだ。結果、イライアスは騎士団長を解任されて、一騎士に大降格された。領地も幾つか没収されたらしいね。相変わらず涼しい顔をしていたけれど………。」
呼吸をするのが苦しいくらい、胸が痛い。
拳を握り締め、手の平に爪を食い込ませてぶつけどころの無い自分の怒りを堪えた。
どうして私はイライアスからこうも多くの物を奪ってしまったのか………!
どれほど彼が宮廷騎士団を愛し、その長である立場に誇りを感じていたかを私は知っている。
どれほど彼がショアフィールドの栄誉を重んじていたのかも。私にその家名の綴りと由来を早々に教えてくれたのは彼自身だった。
それを、私という存在が滅茶苦茶にしたのだ。
彼に、嫌われてしまう………。憎まれてしまう。
もうそれは、恐怖にすら似ていた。
キースを助けられて少しの間満足していた自分が、とても愚かに思える。雨に打たれて頭を冷やして、そのまま雫と一緒に何処へなりと流れて消えてしまいたい。
私はイライアスをこんなにも不幸にしている。自分がーーーーーー自分が好きでたまらない男性をーーー。
なぜ、こんな時にはっきりと分かってしまったのだろう。イライアスという存在は私の心の奥深くに入り込み、離れ難い男性になってしまっていた。彼のどんな過去を聞いても、それは今更揺らぐ事が無かった。
だって彼は自分の大切な物を犠牲にしてでも、私を守ろうとしてくれたのだ。
「セーラ。どうしたの。待って。」
私の腕を掴もうとするレスター王の手を振り切り、木の下を飛び出た。空から降る冷たい雨粒が、自分を罰してくれている様に思えた。
私は馬鹿だ。注意しようとしてきたはずなのに…………いつしかイライアスが好きになっていた。そうなってはいけない、と散々自分を警告して来たにもかかわらず。
ドーンでの日々の、なんと甘美だった事だろう。
ーーーーもう永遠に、戻れない。
セーラ、と私の名を繰り返し、レスター王が私を木の下に連れ戻した。
「泣いているの?………セーラ。」
「泣いてない。雨だよ。」
既にあちこち濡れていてあまり意味はなかったが、手の平で自分の両頬を拭う。次の瞬間私はレスター王にきつく抱き寄せられていた。