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6ー9

キースに私とメリディアン王女の近況を話していると、彼の昼食が運ばれてきた。

若い兵が運んで来たトレイは結構な大きさがあり、白い皿には縦長のパンや野菜沢山のスープ、太い肉の腸詰と豆の付け合わせ、それに柑橘系の果物の盛り合わせがのっていた。

随分な量と内容ではないか。デザートまでつくなんて、申し分無い。

そう思ってキースを見ていると、彼はその眼差しを兵士の腰にささる剣に向けていた。ーーー思わずこちらがビビッて椅子から腰を上げてしまいそうになるほどの、物騒な目つきで。

まだいるのか、と言いたげな表情で私を一瞥してから兵士が去って行くと、キースは閉められた鉄の扉をジッと見ていた。


「キースさん、あのう、もしかしてキースさんにとって、今の状況ならあの若い兵から剣を奪取してぶちのめして、ここから脱走するなんて事は、朝飯前ですかね?」


キースはまだ剣呑な焦げ茶の瞳を顔に乗せ、扉に向けたまま答えた。


「ああ。そう思ってくれて構わない。」


私は思わずキースさん!と驚きの声を上げて椅子から立ち上がった。キースは鋭い目を漸く私に戻し、薄っすらと口の端を上げた。


「だがそれを実行しようとは思わない。逃げ回るのはもう疲れたからな。それに、あんたに折角助けて貰ったこの機会は大切にしないといけないだろう?」


そんな風にこのキースが思ってくれるなんて、意外だ。

人間関係の進歩は諦めてはいけなかったらしい。

私は目を瞬いて正面に座るキースを見た。感激で胸がいっぱいの私を他所に、彼はテーブルに置かれていた料理に手を伸ばす。


「悪いが先に食べるぞ。」

「あっ、どうぞ………。」


素晴らしい速度で食べ進めて行くキースを見つめていると、彼はその手を止めた。


「食うか?」


私は力一杯首を横に振った。

私はそんなに物欲しそうに見ていただろうか?育ちが卑しいと無意識に表れてしまうから困る。

見られているとキースも食事に集中出来ないだろうから、そろそろおいとました方が良さそうだ。

私はよいしょ、とババくさく呟きながら離席した。


「キースさん。そろそろ失礼しますね。また、来ます。」

「そんなにしょっ中俺に会いに来て大丈夫なのか?」

「はい。………だってキースさん、ここにずっとお一人で一日中居て、退屈じゃないですか?」


キースは一瞬何故か軽い衝撃を受けた様な反応を見せた。だがそれは直ぐ様掻き消え、彼はいつもの鋭く無愛想な雰囲気を纏い直した。


「………好きにしてくれ。」


冷静に考えれば歓迎も肯定もされたわけではないが、彼にしては非常に好意的な返答に思えた。

私はニヤつく顔を止められずに、満面の笑みで別れの挨拶をした。

キースは食事の手を止めて、私が鉄の扉の向こうに行ってしまうまで、ただ私をジッと見ていた。









翌日、陽が良く当たる窓辺で王女と遊戯板を出して遊んでいると、王女が女官に呼ばれた。レスター王が呼んでいるのだという。

何やら緊張した面持ちの女官を不審に思いながら、私もいつもの様に王女と行動を共にしようと立ち上がると、女官が言いにくそうに口を開いた。


「メリディアン様お一人で結構です。私が王女様をご案内致しますので。」

「でも…」

「セーラ様はこちらでお待ちいただく様にと陛下からお言葉がありましたので。」


そういわれたら仕方ない。

珍しいなと思いながら、私は王女が女官と出て行くのを一人見送った。

暫く窓辺に座り、遊戯板に並べられた、クリーム色の石を彫った駒をいじった。この後王女がどの駒を、どう動かすか、そしてその後私はどうすれば勝てるか。パターン分けした状況別に入念に勝利方を研究する。

王女はなかなか帰って来なかった。

少し様子を見に行ってみようか……。

私と王女は王宮の建物群の真ん中あたりに居住していたが、王宮にとって外向きの公務を目的とした区画は、手前に位置する建物群に割り当てられていた。今レスター王がいるのも、その辺りだろう。

部屋を出て別の棟へと移動すると、どこと無くいつもより静かで、空気が違った。

これはどうした事か。

廊下を曲がった所に女官がいるのか、彼女たちの話し声が高い天井に反響していた。


「見た?使者様、凄く素敵な方だったわよ。」

「一挙手一投足が絵になってたわね。」

「イリリア人があんなに格好良いなんて知らなかったわ。悔しいけど。どきどきしちゃった。」


ぎくりと私に動揺が走り、足を止めようとした矢先、女官たちは私の登場に漸く気づいたらしく、急に口を噤んで、バタバタと離れて行ってしまった。待って、と声を掛けても、まるで鬼ごっこで鬼から逃げるみたいに脇目も振らずに逃げて行った。

目を丸くしながらも、考えた。

イリリアの使者が、ガルシアに今来ているのだろうか……?

王宮の表の区画は私の様な居候の身の上があまり堂々と歩くのはやはり憚られる。やきもきしながら行けるギリギリのエリアで王女を待ち伏せした。

行ったり来たりを繰り返して時間を潰していると、王女は先ほど彼女を案内してくれた女官と共に戻って来た。待ち切れずに駆け寄りながら話しかける。


「イリリアから使者が来ているって本当ですか?」

「……ええ。そうよ。その件でわたくしは呼ばれたの。」


王女は歩きながら話し出した。


「イリリアとガルシアの講和条約に粗方の道筋が出来て、国境警備隊は西方に撤退したそうよ。」

「ですが、デメルにレイモンドが…、レイモンド殿下が率いる兵たちが進んで来ているというのは?」

「わたくしを迎えに来る準備なのですって。今日来た使者は、迎えの一行の具体的な日程や通る道について話し合いに来たのだそうよ。レイモンドお兄様の率いる軍勢は、イリリアが警備隊を含めて一切の軍備を東方から撤退させたから、王都から連れて来たそうよ。レイモンドお兄様はお父様からの書簡をお持ちで、わたくしを迎えに来たら会談をするらしいわ。」

「レイモンド殿下がメリディアン様をお迎えに来るのですか?」

「嬉し過ぎて帰りたくなくなるわね。まあ、どうせ誰も行きたがらなくて、押し付けられたのでしょう。不名誉な仕事だものね。」


そうなのか。だとすれば良かった。また両国が剣を向け合う事態にはならないのなら、安心だ。

メリディアン王女はレイモンド王子が自分を迎えに来ただけだと信じている様だったが、私はやはり、キースの見解に一理ある気がした。和平交渉の最後の詰めを少しでも有利にする為に、レイモンド王子が使われたのではないだろうか。イリリアは、戦勝してはいたが全力投球だった為に疲弊もしていたガルシア側とは異なり、まだ余力はあるのだと示して脅す意図があったのだろう。

ここへ来て私はレイモンド王子に流石に同情を禁じ得なかった。しかし私が王女にレイモンド王子が少しお気の毒に感じます、と言うと、王女は鼻をフン、と鳴らした。


「王宮が居づらいのなら、庶子の第一王子がそうしたように、街に出て商売でも始めて自分の力で生きれば良いのよ。資金には恵まれているのだから。」


王女は部屋に入り、扉を閉めると急に静かになった。何やらもの言いたげな瞳で私をじっと見てくる。

どうかしたのか、と声を掛けると、彼女は再び口を開いた。


「ねえセーラ。レスター王に口止めされたのだけれど、…………今イリリアから来ている使者は、イライアスなの。」


イライアスがーーーー今この王宮に!?


「用件は済んだから、ガルシアには滞在せずにもう帰るらしいわよ。」


私は弾かれた様に動いた。

驚いた王女が私の名を呼ぶのを無視し、廊下に飛び出ると、王宮の正面玄関をめざして全速力で駆けた。頭の中を、キースから地下牢で聞かされた話が目まぐるしく回る。若い女性を騙したイライアスの姿。ディディエを討つ姿。そして、ドーンで私の髪に触れた姿。何が本当なのか、嘘なのか。

走りながら私は考えた。

全部、本当の彼なのだ。

白く長い廊下と渡り廊を過ぎ、王宮の中で一際大きい建物に駆け込んだ。だが棟の入り口にいた兵に止められ、そこから先は行けない。日頃ある程度自由にさせて貰ってはいたが、やはり私たちは王宮の正面には出られない仕組みになっていたらしい。

一旦引き返してから、私は近くの棟の階段を上り、最上階である三階まで行った。そこからバルコニーに出て、王宮の正面入り口の方向を必死に見た。隣の建物の外壁に邪魔をされて視界が悪かったが、前庭に立つ木々の切れ間に、見覚えあるイリリアの青い軍服を着た男たちの姿が目に入った。バルコニーの白く冷たい手すりに身を乗り出す様にして、更に良く見ようとする。

青い軍服の兵たちが動き出した直後、波打つ金色の髪を一つに束ねた長身の男性の後ろ姿が木々の切れ間から見えた。

彼だ!

イライアスだ!

久しぶりにその姿を目にして一気に興奮が呼び起こされた。

彼だ。何も変わっていない……。

顔を、イライアスの顔をもっと良く見たい。ああ、もう、木の葉が本当に邪魔だ。

イライアスは近くにいたイリリア兵と何事か一言二言、はなしていた。ーーーああ、でももう今直ぐにでも馬に乗ってしまいそうな気配だ。そうして、又イリリアに帰国してしまう。

私を置いて………。

そう考えると黙っていられなかった。

私は大きな声で彼の名を叫んだ。

こっちを見て!

私に気付いて!

だが距離が遠過ぎるのか、若しくは風と木々の音が声を消しているのか、イライアスはこちらを振り返る事も無く、鐙に足を掛け、焦げ茶色の艶やかな馬の背の上に跨がった。どうして気づいてくれないの、何故私に会わずに帰ってしまうの!


「待って、ダメ!イライアスさん!」


もういっそ、バルコニーから飛び降りてしまおうか?

両手を手すりに乗せ、弾みを付けて体重を乗せ、片足を上げて手すりによじ登る。

冷静に考えれば大変危険な真似をしていたのだが、この時私は全く危険を感じていなかった。何故か大丈夫だ、何とかなるだろうという、根拠のない自信を勝手に抱いていた。

唐突に私の腹回りに何者かの腕が回され、私は手すりから引き摺り下ろされて羽交い締めにされた。


「セーラ、馬鹿なことを………。」


耳元でしたのはレスター王の冷静沈着な声だった。いつの間にここに……?驚きながらも私は顔の向きを変えて、私を見下ろす淡い青を見返した。


「離して!イライアスさんも私がどうしているのかくらい、知りたがっているはず…」

「セーラに会いたいかと尋ねたら、イライアスはそれを断ったんだよ。」

「えっ……?」

「イライアスは君の様子を聞いてきさえしなかった。」


ピシャリと冷水を浴びせられた思いがした。

本当に?

私の事なんてもう全く気にならないというの?

レスター王はそのまま私を背後から抱きしめ直す様にして、囁いた。


「君はイライアスを愛してなどいない。」

「アル………」

「間違えるな。イライアスを愛してなどいない。君は、愛があると信じたがっているだけだ。」


レスター王はもう一度私に耳打ちした。君はイライアスを愛してなどいない、と。

その声は私の耳から頭の奥深くへ入り、やがて毒の様に身体中をめぐりゆっくりと染み込んでいった。







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