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6ー6

寝台に体を横たえると、今日一日に起きた色々な出来事が頭の中を回った。

女官たちから受けた誤解をメリディアン王女に話すと、彼女は大ウケした。私のどこを観察すればスパイに見えるのか、と。


「女官たちは噂話を食べて生きている様なものなのよ。放っておきなさい。お前はなぜ、下々の下世話な争いに口を挟むの。」


そう言われても、私は下々とやらの女官より本来育ちがよろしく無いので、よくわからない。

………それにしても、私のどこが女スパイなんだ。睫毛女官に言われた事を考えると腹が立ってきて、悶々としながら寝返りを打つと、扉が外から叩かれる音がした。

誰だろう。

まさかのレスター王だろうか?

レスター王が私の部屋の前でこんな時間に立っているところを、女官にでも目撃されたらたまったもんじゃない。私は弾かれた様に扉へ向かい、外を確かめんと扉を薄く開けた。私が外に立つ人物を目視できるより早く、開けかけた扉が急に勢い良く内側に開き、私の額を直撃した。一瞬真っ白になった視野と割れるかと思った額を摩りながら、睨む様に顔をあげると、果たせるかなそこにはレスター王がいた。

彼は部屋の中に入ると額を押さえる私を凝視した。


「ぶつかった?ごめん。」

「こんな夜分に、どうしたの?」

「セーラが女官たちと喧嘩をしていたと聞いて、心配になったんだ。」


喧嘩?

私は寧ろ女官たちに詫びただけであって、喧嘩なんてしていない。誰だ、そんなデマを流したのは。


「………もしかしてその話、シアさんから聞いたの?」

「ご明察。」


やっぱり。

さしずめあの睫毛女官が兄にある事ない事、ない事ない事、告げ口したのだろう。今度風が強い日に彼女の前で砂でもまいてやろう。あの硝子玉みたいにデカい目に入ってたいそう痛かろう。その場を想像するだけで胸がスカッとした。というか、実現不可能な光景で憂さ晴らしする私も大概悲しいのだが、そこに気付いてはいけない。

レスター王がひたと私を見ているので、プイと顔を逸らして言った。


「そんな、下々の言い争いに、国王陛下が口を挟んだりご興味を持つなんて意外です。」


するとレスター王は声を立てて笑った。動きに合わせて彼のサラサラとした黒髪が動く。


「どうせキアの誇張だろう?分かっているよ。セーラは無駄に敵を作ったりはしない。本当は、ただセーラに会いに来たんだ。」


そんな事を何のてらいも無く、真顔で言われると追い出しにくいではないか。私がまごついているとレスター王は大股で部屋を横切り、流れる様な仕草で寝台に腰掛けた。次いで自分の横を叩き、私にそこへ座る様合図する。

せめてソファなら良いのだが、夜に寝間着で異性と寝台に乗る気には流石にならない。例え義理の弟であっても。

私が棒立ちのままでも、構わずレスター王は寛ぎ始めた。彼は手に手の平より少し大きなくらいの薄い本を一冊持っており、寝台の上でそれを開いた。


「非常識なのは重々承知だよ。けれど本当に日中は時間が無いんだ。忙しくてね。セーラは、いつまでもここにいられるわけでは無いから………。」

「レスター王………。」


切なそうにそう言われると、堪えた。確かに十年振りに会えたのに、私たちはガルシアとイリリアの講和条約が結ばれたら又お別れになるのだ。

そう思うと辛くなり、私はおずおずとレスター王の横に腰掛けた。


「セーラ。君が近くにいたら、とずっと思っていたよ。」


レスター王から真っ直ぐに向けられる瞳が少し怖い。

淡く美しい青に熱心に見つめられると、脳内が痺れてくる感覚に襲われるのだ。暫く無言で見つめ合っていると、レスター王は少し甘い声で囁いてきた。


「キスしても良い?」

「駄目。」

「なぜ?」

「だ、だって…もう、したでしょ!!昼間馬の上で。」

「じゃあ、唇に唇で触れて良い?」


それ、言い方変えただけじゃないか。

それとも舌は遠慮しときます、という意味だろうか。

首を力強く横に振ると、レスター王は探る目付きになった。


「イライアスに義理立てしているつもり?もう、あの男とより私との方がキスしているんだから、何回しても同じだよ。」


なんて理屈だ。

反論しようとすると、素早く伸ばされたレスター王の左手で右頬にそっと触れられ、胸がドキンとした。


「セーラ。世界で一番可愛いよ。」


うわ、もう反則でしょ!!

その綺麗な顔を狂おしげな表情に歪めて、歯が浮く台詞を言われてしまったら………!こちらは口説かれなれていないんだから、困るよ、ズルいよ。

ちょっと抵抗しようと足掻いたものの、私の両手はレスター王の片手であっさり抑えられ、私たちは又唇を重ねていた。

そっと唇を離しては又近づけて、互いの唇の柔らかさを確認する様に幾度もレスター王の唇が私の唇に当てられた。それはなんだか濃厚なキス以上に、ふわふわと気持ちを蕩けさせ、不甲斐なくも私はいくらかの陶酔を覚えた。

よくない、こんなのは大変よろしく無い!

こうなったら無理やり話題を出して場の雰囲気を変えよう。


「ねえ、その本、何?表紙の絵、凄く綺麗だね!」

「そう、これを渡しに来たんだ。」


レスター王はそう言うと私に本を寄越した。手に持ちパラパラとめくると、表紙にガルシアと美しい字体で書かれており、見開きの左側の頁には自然や街並みなどの景色が描かれていて、右側にはその絵の説明が書かれていた。

ガルシアの景勝地を描いた本なのだろう。


「ここにいる間に、セーラにガルシアの良い所を見せたい。その本に載っているのは王都から近い場所ばかりだから、行きたい所に連れて行ってあげるよ。」

「忙しいんじゃないの?」

「私は一緒には行けないかもしれない。どうにかしたいところだけど。メリディアン王女と一緒に案内させるよ。」


本から顔を上げると、セーラに私の国を気に入って欲しいんだ、と囁くレスター王と目があってしまった。何だか又妙な雰囲気になりそうで、私は急いで本を熱心に見るフリをした。驚異的な透明度で空を映す河が流れる山地や、切り立つ崖沿いに青い屋根を持つ白亜の家々がひしめく街並み。本の中の絵はどれも素敵だった。


「レスター王が一番好きな場所はどこなの?」


そう尋ねるとレスター王は幾分照れた様に笑った。


「残念ながらその本に載ってないんだ。私のお気に入りは、王都から北にある大草原だよ。」

「どんな所?」

「見渡す限り緑の絨毯が一面に続いていて、遠くに万年雪を被る山脈が見えるんだ。そこを馬でどこまでも走ると、風の様に自由になれる気がして、とても気持ちが良いよ。そこもいつか、セーラと行ってみたい。」


レスター王は寝台にごろりと仰向けになり、目を天井に向けた。その瞳には今、私が見た事が無い、大草原の光景が映っているのだろう。

私は寝台の柱に寄り掛かり、本の中の景色を堪能した。余り遠い場所だとわざわざ案内して貰うのはやはり申し訳ない。暫く会わない内に図々しくなったと思われても嫌だ。

自分の好みと、王都からの距離の両方を考慮しながら候補地を選んでいると、ふと気付いた。メリディアン王女も連れて行ってもらえるのだから、彼女の意見も取り入れるべきだ。

遅まきながらその事に気付いた己の気の利かなさに感服しながら、私は本から視線を上げた。

驚くべき事に、レスター王は寝ていた。胸元に乗る重たげな、服の左右を留める銀色の飾りが深い呼吸に合わせて上下し、黒く長い睫毛が縁取る瞼は、瞳を完全に隠していた。

そんなに疲れているのだろうか。

呆気にとられて数分間はその寝顔を食い入る様に眺めてしまった。

レスター王を起こさない様に細心の注意を払いながら、寝台を四つん這いでそろそろと進み、その安らかな寝顔を堪能した。

眺めていると睫毛女官の発言が脳裏によみがえり、何だか可笑しくなった。思わずニタニタと笑いながら、小声で呟く。


「………レスター様、寝首をかきますよ。」


突然レスター王の瞳が開いたかと思うと、何の前触れも無く天地が逆転し、私は寝台に仰向けに倒され、起き上がったレスター王に手首を抑えられていた。彼は私を不敵な笑みを浮かべて覗き込んでいた。


「そんな事この細い腕でどうやるのかな?」

「だ、だってあんまり無防備に寝てるから!!」

「無防備なのはそっちだよ。」


そのままのしかかって来ないでーーー!!急な形勢の逆転に、一気に冷や汗が出る。

上半身を乗せてきたレスター王をやり過ごす為に、私は敢えて苦悶の声を上げてみた。


「背中、傷が痛いっ……!」


レスター王が脱力して項垂れ、彼の真っ直ぐな黒髪が私の顎先をくすぐる。

そのままするりとほどく様にレスター王の手が私の手首から離され、彼は宙を睨んだ。


「……あいつ、まさかわざと……。」


身体を起こしながら私は何と言ったのかを聞き返した。


「何でもない。闇の左手に恩情を与えたのを少し今後悔しているだけだよ。」


この傷のせいでキースが又窮地に立たされるのではないかと、私は内心ヒヤヒヤしながら、乱れた服を直しているレスター王を見た。剣呑な表情のレスター王を見ながら、ある疑問が湧いた。

キースの本名は何と言うのだろう?

だがそれを尋ねると、思わぬ返答が寄越された。


「闇の手足は名を持たない。任務の障りになるからね。」


名前が無いーーー?

言葉を失っていると、意味深な助言がされた。


「………子どもの頃の名を教えて貰えたら、それは彼が君に心を許した証拠だよ。無論、私は既に知っているけれど。」


そう言い終えると、レスター王は不意に自分の右手首に視線を落とした。

彼の腕には、留め金が外れて、留め金をつなぐ細い鎖だけで辛うじて落下を免れている、金の腕輪がぶら下っていた。まるでレースの如く細かい模様状に黄金が編まれて腕輪を構成し、腕輪の中央には透明な石がはめまれていた。多分私の身体を反転させた時に外れてしまったのだろう。

手首を膝に当て、腕輪を固定してはめ直そうと留め金をいじるレスター王。

だがなかなかどうして、留め金は彼の指先から逃げ回り、苦労している様子だった。苛立ちの溜め息をつきながら、彼は僅かに姿勢を変える。

私はそれを見ながら、ああそうか、と気付いた。恐らくレスター王は自分で腕輪を留めた事なんて無いのだろう。メリディアン王女と同じく、身の回りの事は長らく人にさせているのに違いない。

ーーー何だか、懸命に付け直そうとしている姿が、いじらしくて可愛い………。

私は半笑い状態で手を差し伸べた。


「留めて差し上げましょうか?陛下。」


やや不本意そうに眉根を寄せながらも、レスター王はこちらに右手を差し伸べた。その腕輪の留め金を指でつまみ上げ、ものの数秒で留めてあげた。


「上手だね。ありがとう。」


微かに口角を上げると、レスター王は寝台から滑り降りた。


「用事は済んだ。もう行くよ。お休み。」



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