6ー3
翌日、メリディアン王女はガルシア王族の女性たちが集うお茶会に呼ばれて行ってしまった。何の身分も無い私がその場に招待される事は勿論なく、その代わり私はシアに王宮の地下牢に招待されていた。
シアと並んで王城の薄暗い地下を歩く。ガルシアはイリリアより確かに寒かったが、地下は輪をかけて気温が低い。ひんやりと冷えた指先を手の平でこすり合わせながら、隣を進むシアを横目で盗み見る。
彼は波打つ茶の髪を頭の後ろ高い位置で一つに括り、毛皮の縁取りがされたドッシリとした生地の、足首近くまである長衣を羽織っていた。イリリアでは祭典等の機会を除いてはあまり毛皮を着用したり使用する事はなかったが、ガルシアでは頻繁に見た。こういったちょっとした違いに気付くたび、違う国なのだ、と実感した。
それにしても実に優雅に歩く男だ。どこで覚えるのだろう。貴族の男性というのは、「上品な身のこなし教室」にでも通っているのだろうか。けれどこんなに品良く歩いていても、服の下に実は鞭を隠し持っているかもしれないから、油断は禁物だ。
シアは私の視線に気付いたのか、前を見据えたまま口を開いた。
「私は闇の左手が捕らえられている牢の中には入らず、外にいるよ。気配を消して、君たちの会話を一言一句聞き漏らさぬつもりだから、君は自由に話を聞き出してくれ。」
気配ってどうやって消すんだろう。素朴な疑問が湧いたが、それは聞かずに素直に分かった、と頷いた。
灰色の石畳みが延々続く寒々しい廊下を歩くと、その先は大きな鉄製の扉があり、行き止まりになっていた。扉の左右には兵たちが立ち、その鉄の重たげな扉の先に、四角い狭い部屋があった。当初の予定通り一人で中に入ると、部屋の一隅には銀色の杭が地面に打ち込まれ、そこから伸びる太くて重そうな鎖がキースの足首に繋がれていた。
キースは壁に寄り掛かって座っていた。彼は目だけを動かし、私を見た。
「キースさん、大丈夫ですか?」
「イリリアの王立補佐官養成所を思い出したよ。牢で何晚か過ごす課題があったな。はは。」
私はキースの正面に膝をついて座った。地下が薄暗いせいだけではなく、キースは顔色が悪かった。元々細い頬は更にこけ、身体を動かす体力はもう無い様に見えた。
時間が無い……。早く手当てをきちんとした場所で行わなければ、本当に危ないかもしれない。
「キースさん、頑張って一緒にイリリアに帰りましょう?講和条約が成立すれば皆で帰れるんですから。」
「メリディアン王女はともかく、あんた帰れるのか?」
「えっ?私は………戦争が終わればもうイリリアの人質じゃないから、王女様の帰国が無事分かれば堂々と帰ります。」
きっぱり言い切ってから考えた。もしや敗戦の責任を取らされたりするんだろうか?私は何も悪い事はしていないのに………。
「………ヨーデル村には何としても帰らないといけないですから。」
「そういう意味で言ったんじゃない。まあ、いい。俺は少なくとも帰れないからな。裏切り者の闇の手足には一切の恩情は与えられないのが鉄則だ。」
「レスター王はそんな人じゃないよ!」
どんよりとしたキースの表情が更に曇る。彼は呆れた様な口調で言った。あんたレスター王の何を知っているんだ、と。
確かに私が知っているのは国王であるレスター王ではない。けれど、人間の本質なんてそう変わる物ではないと思うのだ。
何よりも、キースはレスター王に背いたりはしていない。彼がイリリアにガルシアの情報を流したりしていたのだとしたら、イリリアだってガルシア軍にそう簡単に負けたりはしなかったはずだ。
彼はただ、勝手に長期の休養をとってしまっただけだとも言える。そうだ。これだ。
まあ、それはそれで大問題かもしれないが、裏切り者よりはマシかもしれない。
私は気合いをいれようと座り直した。
「死ぬ気満々なところを申し訳ないですけど、私は貴方を助ける気満々なんですよ。あの、ずっと聞きたかったんですけど、五年前一体何があったんですか?」
キースは深く長いため息を吐いた。一度閉じられた目は再び開くと、私を通り越して背後の鉄製扉に投げられていた。
「シア。見ての通り、彼女に取調べの才能は無い。」
どきりと心臓が跳ねるのを自覚しながら振り返ると、ゆっくりと鉄の扉が開き、額を押さえたシアが入って来た。
参ったな、と言う心の声がいかにも聞こえて来そうな仕草であったが、それは自分が気配をちっとも消せなかったからだろうか。それとも私の尋問が余りに下手過ぎたからだろうか。回りくどい聞き方は苦手なのだ。第一、キースは頭が回る。上手に尋ねたとしても、何を私が彼に言わせようとしているのかなど、直ぐにバレてしまうだろう。
シアは長衣の下で腕を組むと、悠然とキースを見下ろした。
「彼女は陛下に命乞いをしたんだよ。陛下はお前がすべて話すことを条件にあげられた。」
「まさか。背いた闇の手足を許すはずがない。悪い前例になるからな。」
嘘じゃないのに。
キースは信じられないらしい。
「キースさん、シアさんは本当の事を言っています。レスター王は確かに私に…」
「だから陛下こそが嘘を仰せなんだよ。」
レスター王が嘘を?!
思ってもいなかった点を指摘され
、私は目を白黒させた。
「そんな筈ありません。」
「だからなんでそう断言出来る。」
苛立たし気にそう吐き捨てると、キースは軽く息を吐いて脱力した。後頭部を石の壁にもたれさせ、両目を閉じた。少し間を置いてから開いた焦げ茶の双眸は今度は投げやりだった。
「セーラ。あんたは、どうなんだ。知りたいのか?五年前に何があったのかを。」
私は考える時間もなく首を力強く縦に振っていた。やる気の無さを固めた様なキースの目に、少しだけ光が戻る。
「私はあの人の事を結局何も分かっていなかったんです。全部五年前に原因があるのなら、知っている事を教えて下さい。お願いします。」
そう、私が知りたいのだ。イライアスが何をし、されたのかをーーー。
キースは辛そうに顔を引きつらせながらも、寄り掛かっていた壁から身体を離した。私を見上げた目は、射る様な力があり、いつもの目つきが急速に蘇った気がした。
「話そう。だがこれは自分の命の為じゃない。あんたに自分で考えて欲しいからだ。あんた自身の為に。」
話の区切り上、短くなってしまいました。すみません。
次話が三人称な上に、かなり長いので……。




