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6ー2

宴が終わり、案内された部屋の寝台に身体を横たえても、眠気は一向に訪れてはくれなかった。慣れない国の慣れない部屋。四角い室内には寝台と机、ソファや物入れ等の通り一遍の家具が置かれていて、いかにも客用の部屋だった。部屋の壁上部一面に絵画が描かれており、その細長い絵をぼんやりと眺めた。絵の左端から観ると、ある男性が狩りに出かけ、鹿を仕留め、帰りに嫁を見つけ、最後は城で結婚式を挙げる、というやや急展開な物語が一枚に描かれているようだった。やる事がなさすぎて寝具の模様を指でなぞっていると、部屋の扉がノックされた。

隣室はメリディアン王女の部屋だったので、私はてっきり王女が訪ねて来たのかと思ったのだが、扉を開けるとそこにいたのはレスター王だった。


「こんな時間にごめん。忙しくて夜くらいしか時間が無いんだ。」


そう言うとレスター王は部屋に入って来て、後ろ手で扉をしめた。


「わ、私の寝室なんかに来て大丈夫?」

「なるべく人目に付かないよう注意をしたし、シアと口裏を合わせてあるから大丈夫だよ。母さんたちがどうしているか、教えて。」


ヨーデル村の家族を心配するレスター王の姿に、アルの姿が重なった。人前では毅然としているのに、二人でいる時はレスター王が酷く繊細に見えた。

身長は私よりずっと高いし、あの頃より体格もずっと良いけれど、儚い青の瞳と白い顔に不安そうに尋ねられると、頼りなく思えて母性というか、姉性本能を掻き立てられるから不思議だ。

私は寝台の横のソファに彼を座らせて自分もその横に座り、互いが別れてからヨーデル村で何があったのかを話した。家族の事。村人たちの些細な、けれどヨーデル村では大事件だったあれやこれやを。

レスター王は姉の結婚を伝えると大層喜んでくれ、子どもが誕生したらいつか必ず顔を見たい、と感慨深く言った。


「母親に似て、美人な子が生まれて来るんだろうな。」

「そうだねぇ。羨ましいねぇ。」


レスター王は低く喉を鳴らして笑った。彼は手を上げると私の頬に触れた。


「セーラはマーニーに似ていないよね。あの頃、成長すればマーニーに似るのかな、といつも思ってた。」

「悪かったわね、似るのに失敗して。こっちはレスター王様が相変わらず神話の世界から飛び出たみたいにお綺麗で安心しました!」


レスター王は腰を折って笑った。

大笑いすると眉間に皺が寄るのは昔から変わらないらしい。


「………それはどういたしまして。」

「随分余裕じゃないの。褒められ慣れてるみたいで、何よりだわ……。」

「正直周りのお世辞にはウンザリしているよ。この地位についた途端、だからね。」


お世辞じゃないのだ。

本当に綺麗なのだ、と思う。


「セーラの方が綺麗だ。」

「目が悪くなったの?」


私たちはソファの上に胡座を組んで左右の肘掛けに寄り掛かり、向かい合ってお喋りをした。そうしていると、レスター王は本当に楽しそうで、離れていた年月は嘘の様に思え、けれどたまに私に向けられる彼の物言いたげな視線が妙に異性を感じさせ、どきりとした。


「あのね、天空宮でレスター王子がヨーデル村を描いた絵を見たよ。凄くうまかった………というか、なんか嬉しかったよ。私たち家族を想ってくれていたんだなって気がして。」

「忘れた事なんて無かった。本当に。」


急にレスター王は真面目な顔つきになり、私の両手を握りしめた。


「セーラ。どれほど、君が大事かきっと分からないだろう。セーラと初めて出会った時、森の中に唐突に現れた君を見て、私はついに天の迎えがーーー天使が来たのだと思ったんだよ。セーラの手は暖かかった。絶望に沈み死を待つしかなかった私を、救ってくれた天使だ。」


レスター王の大きな手に包み込まれた自分の手を見下ろしながら、恥ずかしさで胸が一杯になった。森の中ーーー。私とアルの出会いは、私の尿意によって引き起こされたものなんだけど。


「ガルシアに帰国してからはもう二度と会えないと思っていた。でも、今セーラはここにいる。私はセーラの為なら何でもするよ。」


本当に?

私は最後の言葉にピクリと反応をした。それならば、一つお願い事をしても構わないだろうか。

私は出来るだけ甘えた声色で発声してみた。


「じゃあ、お言葉に甘えて、お願いがあるんだけど…」

「何でも言って。」

「キースを助けて上げてくれない?」


僅かな沈黙の後、レスター王は長々と息を吐きながら後方へ倒れ、肘掛けに深くもたれた。


「何を言うのかと思えば…。」


私は拳を握り締めて、キースがいかに私の窮地を救ってくれたのか、それに彼の腕が掃いて捨てるには惜し過ぎるくらい良いということを必死に訴えた。


「セーラ。こんな前例は無い。だいたいコロコロ気が変わる奴を信用出来ない。」

「こう考えたら?キースも主を裏切ったのに許しを貰えたら、その懐の深さに感激して改悛して、二度と背いたりはしないんじゃないかな!?」


私の力一杯の説得を、レスター王は半ば呆れた表情で見ていた。

マズイ。キースを助けてくれる気はこれっぽっちも無いんだろうか?


「あいつが何も話さないのだから仕方が無い。」

「私が、聞き出すから!何を知りたいの?何を聞けばキースを許してあげて貰える?」

「ダメだよ。今はまだ会わせたくない。危険が無いと確信を持ててからだ。」


レスター王はキースが私に危害を加える可能性を疑っているのだろうか?キースはそんな事はしない。彼はもう、疲れているのだ。そんな気がした。あと一踏ん張りだ。大胆不敵にも更なる猫撫で声で一押しを繰り出す。


「お願い。上手く聞き出すから。ね?」


ね?と小首を傾けてみる。

レスター王は妙な表情を浮かべて黙ってしまった。淡い双眸が不可思議な物体を見るみたいに泳いでいる。

しまった。似合わない事をやり過ぎただろうか?


「…………ね?、なんて何年振りに言われただろう………。」

「ご、ごめん。王様に「ね?」なんて言う奴、いないよね?!」


あまりにいたたまれなくなって、ソファから降りようとすると、レスター王の長い腕が私に伸ばされた。

降りるのを制止され、両腕を掴まれて強く引き寄せられる。踏ん張ろうとしたが、引かれた動きに背中の皮膚が突っ張り、傷が痛んで力が入らなかった。私は体勢を崩してレスター王の腕の中に倒れ込んでいた。

起き上がろうとするが、腕を抑えられたままなので、それが出来ない。


「陛下、ちょ…」

「キスしてくれたら考え直しても良い。」


どこかで聞いた台詞だ。冗談、と流そうかと思ったが見上げたレスター王の眼差しは真剣だった。間近に映る造形美に意識が吸い込まれてしまいそうになり、慌てて瞬きをした。


「どうしてキスしなきゃいけないの。」

「命乞いをしたいんじゃないの?良いの?」


身をよじろうとしても、私を掴むレスター王の腕の力はちっとも緩まない。歴然とした力の差を改めて思い知らされる。相手は最高の訓練を受けて鍛えられているのだから、ズルい。

こうなったらもう、伝家の宝刀を抜くしかない。


「私、人妻なんだよ……!」


そう、何を隠そう既婚者なのだ。……って隠すどころか何度か既出の話題だけれども。

故に、懐かしの弟だろうが王様だろうが、キスを強請られて良い身分ではない。


「だから何?」


えっ!?

いや、少しは考え直してよ。だいたいなんでこんな事になっているんだ。私のことをかつてアルが好きだったのかもしれない、ということは分かっていたけれど、十年も離れていた間にもっとずっと魅力的な女性が彼の前に現れて、気持ちを変えているはずだと思っていたのに………。

人生最大のモテ期か?

あまりに非生産的なモテ方で、ありがたく無い。


「イライアスとは何回キスしたの?」

「二回…、って、なんでそんなの言わなきゃいけないの……!?」


バカ真面目に答えかけてしまったではないか。しかも余りの回数の少なさに、言った自分が切なくなる。これで良くも人妻だなどと胸を張れたもんだ。自分でツッコミを入れるのさえ虚しい。


「二回、か。すぐに勝てそうだ。」


笑いを含んだ声でレスター王が呟き、私は思わず目を逸らした。艶然としたレスター王の瞳が、怖かった。


「さあどうする?私の気が変わらない内に決めたら?」


他人事の様にそう言うとレスター王は、十、九、八、七、と逆算を開始した。

十秒しかないのか………。

キースの可愛い命がかかっている。

宣告される残り少ない秒数に背中を押される形で首をそらし、レスター王を見上げて彼の薄く赤味の強い唇に自分の唇を押し当てた。接触後直ぐに唇を離すと、レスター王は私の腕を掴む手に、何故か更に強く力を入れた。


「こどもじゃないんだから。」


レスター王はそう言うなり顔を近付けて再度私に唇を重ねてきた。

………胸の奥に疼くこの罪悪感はなんだろう?イライアスと結婚しているから?だけど彼は私を捨てたし、彼こそが私をレスター王に渡そうとしていたというのに。イライアスに、仮の夫に義務感を感じるなんて、お笑いだ。

胸が痛い。あの自信に溢れた笑顔と、私にフィオナの話をした冷徹な緑の瞳が交互にチラつき、身体の内を引っかかれる様な痛みを感じる。


「………何を考えてるの?セーラ。」

「キースに何を聞けば良いの?」


レスター王は脱力した様に首を振った。溜め息をついてから私の両腕を離す。

次に発せられた言葉には、それまでの甘さは一切無かった。


「五年前の事件の経緯と、私に背いた理由だ。」





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