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6ー1

ガルシアの王城はイリリアのそれとは異なり、平地に建っていた。縦に高さはあまり無く、平面的な形の幾つもの棟が渡り廊でつながって一つの王城を構成しているようだった。低い建築物群の間から、四つの六角形の高い尖塔が空に突き刺す様に聳えていて、その高低の対比が美しく印象的だった。レスター王の前説の通り、純白なのであろう城は、夕刻の赤い陽光を受けて、鮮やかな橙色に染め上げられていた。

凱旋するガルシア軍は大国イリリアを下した勝利に酔いしれる人々に出迎えられ、沿道に溢れる人々の熱気は馬車の中まで伝わり、こちらまで興奮してしまうくらいのものだった。

レスター様、レスター様、と叫ぶ歓喜の声に包まれながら、レスター王が馬上から群衆に手を振る。

私と王女はその勇ましい光景を複雑な心境で見つめていた。私たちは声援に応える様に、王都の街の中をゆっくりと進んだ。

王城は近付くと、外壁に触れば崩れそうな程非常に細かな彫刻がされており、砂糖菓子の様な印象を持った。私と王女は馬車を降りると、前庭にズラリと勢揃いした、黒い制服を着用した女官たちに出迎えられ、王城の中へと案内された。

メリディアン王女はまだしも、私までが恭しい対応をされ、ソワソワしてしまう。まずは旅の疲れを湯で流し、用意したドレスに着替えてくれ、と指示をされた時、私は当然なから王女の入浴を手伝おうとした。しかしながらそれを伝えると女官たちは一斉に、とんでもない、と首を横に振り私の自由にはさせてくれなかった。郷に入っては郷に従えと言うので、渋々彼女たちの言う通り有難く入浴をさせて貰う事にした。

案内されたのは大変大きな浴室で、水色と青と白のタイルがモザイク模様に組み合わされ、床を掘り下げた所に作られた浴槽は円形をしており、それを取り巻く形に白い石の柱が天井まで伸びていた。

久々の湯船に浸かると心が解きほぐされていく気持ちになった。

湯船を出て、身体を拭いていると何故かぞろぞろと四人も女官たちが入ってきた。

なんだなんだ?

彼女たちが出て行くのを待っていても、一向にその気配が無い。

どういう事だろうか、とタオルを身体に巻き付けたままモジモジ困っていると、女官の一人が突如として私の為に用意された新しい衣服に手を掛けた。


「お手伝い致します。」


それを合図の様に、わらわらと他の女官たちが私の周りに寄ってきて、髪を拭いたり下着を勝手に押し付けたりしてきた。


「じ、自分で全部できますから!」

「私共にお任せ下さいませ。お身支度に手抜かりがあってはなりません。」


一分の隙も無く完璧な化粧と制服を着こなし、妙に毅然とした女官たちに囲まれてそう言われると、説得力が半端ない。貧相な身体を懸命にタオルでもう一度隠そうとすると、いかにも気の強そうな女官が私に手を伸ばしてきてタオルを引ったくられた。そのまま女官は傷に包帯を新しく巻き始めた。その間にも別の女官が私の顔に花の様な良い香りがする正体不明な液体を塗りたくる。

最初は羞恥心が優っていたが、そのうち、立っているだけで良いなんて、なんて楽なんだろう、と思い直しだした。

あれよあれよと言う間に新しいドレスを着せられ、隣の部屋に移された。そこには鏡台が置かれ、椅子に座らされると、髪をバリバリと梳かれた。流石に王宮に勤めている女官はショアフィールド家の侍女とは違うのか、櫛が折れそうだ、などとは口が裂けても言われなかった。一人が私の髪を結い上げて、もう一人は私の爪を整え、更に一人は素早い手さばきて私の顔に化粧を施していった。


「ありがとうございます。」


一応お礼を言うと、女官たちは謙虚に首を振り、廊下で待つ別の女官に私は手渡された。

廊下にいた女官は目がびっくりするくらい大きな若い女性だった。目を取り巻く睫毛はまるで扇みたいに長く、瞬きするたびに風が起こせそうだった。外を歩くだけで直ぐに砂埃が入って痛いのではないかと、つい要らぬ心配をしてしまう。

二人で廊下で待っていると、メリディアン王女も現れた。風呂上りのツヤツヤの頬が眩しい。やはり十代は違うな、と自分の顔を触ってしまった。王女はイリリアの王宮でそうしていた様に、美しい金色の髪を太い縦巻きロールにしてもらっていた。この状況でも女官にヘアスタイルの注文をつけられるのだから、ある意味感嘆に値する。


「こちらです。」


扇睫毛の女官に先導されて、私たちは広い王宮内を歩いた。幾つもの建物と渡り廊を歩く。どこへ連れて行かれているのか分からないが、ガルシアの王宮内部は私たち二人には物珍しく、都会にはじめて来た田舎者といった風情で、口をあんぐり開けてキョロキョロ辺りを見物して歩いた。そのやたら白い内装や、外壁と同じく繊細な装飾がされた天井や柱は、私たちには大層見応えがあったのだ。

これ程の彫刻を完成させるには、一体どれくらい時間がかかるのだろう。


「いかがです?ガルシアの王宮は。」


勝ち誇った様に振り返る扇睫毛の女官に声を掛けられ、私と王女は慌てて半開きの口を閉じて視線を前にもどした。女官のやたら挑戦的な表情に見事に挑発されたのか、王女はツンと顎を逸らした。


「イリリアとは随分様式が違いますわ。」


扇睫毛の女官は少し物足りなさそうにしていた。だがそれ以上私たちに聞いて来る事は無く、黙って長い廊下を歩いた。


「宴の準備ができております。」


そう言って女官が扉を開けるなり、私たちは唐突に多くの人々の視線を浴びる状況に放り込まれていた。扉の先は、大広間になっていて、既にガルシア風の派手さが無い衣服で着飾った男性や女官たちで溢れていたのだ。

ちょうど夕食の宴の最中だったのだろう。だがイリリアとは異なり、そこにテーブルや椅子といった家具があるのではなく、真ん中に膝の高さ程の石造りの大きな台があり、肉や魚などの料理や果物の入った皿が並べられていた。更にその両側を取り巻く形で長く大きな台があり、上には毛皮が掛けられて、クッションがあちこちに置かれていた。人々はその両側の台を背もたれがわりに寄りかかる様にして、中央の台を囲んでいた。


「地面に座っているわ。なんて野蛮な…」


王女がその光景を目の当たりにして、息を飲みながら私に囁いた。ガルシアの正式な宴会では古代からの風習にならい、あまり椅子を使わない、と聞いた事はあったが、実際それを目撃すると、生活様式の差にかなりの衝撃があった。中には、端の台に腰掛けている人もおり、背もたれなのか椅子なのか、どちらとしても使って良い物なのか、釈然としない。誰も周囲の人間が彼に注意をしない様子なので、マナー違反でもないらしい。

全員が等しく私と王女を見ていた。徐々にお喋りがやみ、好奇の眼差しと囁きが私たちに突き刺さる。

視線を彷徨わせていると、奥の方にレスター王がいる事に気が付いた。彼は黒地に紫色の模様が入った、重たげな上下を纏っていた。方肩には足元まである長いショールが掛けられ、額には黄金の飾りがぶら下がり、赤く輝く大きな貴石が埋め込まれている。ガルシア人が着ている衣服は全体的に暗い色が多いが、色の白いレスター王にはそういう色合いが実に良く映えた。それまで私が見た様な、汚れたり幾らか砕けていた軍服ではなく、正装を豪奢に着飾ったレスター王はいかにも王者然とした風格を漂わせていて、いっそ近寄り難いほどだった。

レスター王は私と目が合うと、微かに笑みを見せた。彼の隣が空席となっており、私たちはそこに座るよう、案内された。レスター王の隣に王女が座り、その横に私が座り、私の隣はシアだった。ぎこちなく座っていると、女官にゴツイ形をしたグラスを手渡され、大きな陶器の器から、酒らしき物を注がれた。

メリディアン王女も同じ様に酒の満たされたグラスを持たされると、レスター王が自分のグラスを高く掲げながら私たちを見た。周囲が一瞬で静まり返るその堂々とした様は圧巻でもあった。


「ガルシア王国へようこそいらっしゃいました。イリリアの王族にご滞在頂くのは初めての事です。堅苦しい事はお考えにならず、どうかお寛ぎ下さい。」


この歴史的な日に、と声を張り上げるとレスター王がグラスをあおり、続けて席についていた他の人々も一斉に酒を飲み始めた。


「ガルシア名物だよ。」


そう言いながらシアが私の前に、野菜と肉の入ったスープを大皿からとりわけて置いてくれた。勧められるまま食べてみると、肉だと思っていた塊は、ブニョブニョと妙な歯ごたえがあり、正体不明でちょっと気持ちが悪かった。どうにか飲み込むと、レスター王が私を笑いを含んだ目で見ていた。


「それは牛の腸だよ。」


牛の腸!?

今更の様に口元をおさえた。ガルシア人はそんな部位まで食用にするのか。皿に残るスープを凝視してしまう。急速に食欲が衰え、正直なところ同じスープに浮いている野菜すら食べる気が失せてしまった。

私たちの向かいに座るのは、白髪頭で笑顔を絶やさない高齢の男性であった。上品な物腰から察するに、地位の高い貴族の一人なのだろう。彼は王女にイリリアやガルシアについて、当たり障りのない話を振り、私たちが気まずくならない様配慮をしてくれた。

誰かのグラスがカラになると間を置かずに女官がやって来ては、酒を注ぎ足した。レスター王の酒が無くなると、数人の女官たちが先を競って一斉に歩き出したのだが、彼女たちを押し退けて睫毛女官が酒瓶片手に駆けつけた。レスター王の傍らに膝をついて酒を満たす。グラスを一杯にし終えた時

、彼女は立ち上がりかけてバランスを崩し、咄嗟にレスター王の膝に右手をついた。


「も、申し訳ありません!!」


慌てて低頭し詫びる彼女に、レスター王は苦笑して手をひらひらと振り、気にするなと言った。顔をあげた睫毛女官の頬は熟れた桃みたいに赤くそまっていた。

広間の入り口付近には楽隊が座り、宴を邪魔しない程度の音楽を奏でていて、宴もたけなわと言った頃、色とりどりの衣装に身を包んだ若く美しい踊り子たちが現れ、舞を披露してくれた。

目の前に並ぶ食事はどれも食材から味付けまで、総じてイリリアとは違った。とりわけふんわりと柔らかなパンが多いイリリアと異なり、籠に高く積まれた数種類のガルシアのパンはどれも色が黒っぽく、固かった。ショアフィールド家のパンは噛めば甘い味が仄かにしたが、ガルシアのパンは噛むほどになぜか酸味を感じた。何が入っているんだろう。自宅の食卓なら開き直った主婦が失敗作を出すのは日常茶飯事だが、まさかここでそんな筈は無いだろうから、これがガルシア風のパンなのだろう。

固い。黒い。酸っぱい。

私は自分の皿に次々色んな種類のパンを並べ、それを観察していた。


「凄い表情でパンを睨むね。」


弾かれた様に顔をあげると、いつの間にか私の隣にはレスター王が座っていた。どうやらシアと場所を変わったらしい。ここでは席次まで自由なのか。

眉間に寄せていた皺を解除しながら私はレスター王にイリリアのパンとの差を力説した。

レスター王は何故かウケた。彼は肩を揺らしてひとしきり笑うと酒を楽しそうにたくさん飲んだ。真面目な考察だったのに……。

不意にレスター王の腕が私の腰に回されて、私は彼に引き寄せられた。丁度パンにバターを塗ろうとしていた私はその拍子に、バターの塊を下に敷いてある毛皮の上に落としてしまった。

こんな公衆の面前で何をするんだ、と俄かに焦りながらレスター王から身を剥がし、落としたバターを摘まむ。長い毛足にバターの油分が絡まり、悲惨な事になっていた。言わんこっちゃない。食卓の下に毛皮なんか敷くからだ。パンクズなんて落ちようものなら永遠に行方不明になるだろう。

そこへ再びレスター王の腕が私の肩にかかり、ぐいっと彼にもたれる様に動かされた。そのせいで指から滑ったバターを又しても取り落とす。

拾おうと手を伸ばして身体を起こすと、レスター王の手が私の手首を掴み、彼自身の方へ私の体ごと引き寄せた。


「陛下、バターが…」

「そんなもの放っておけば良いよ。こちらにおいで。」


彼は私の手を胡座を組んだ自分の膝上に乗せようとするので、バターの油が彼の服につかない様に私は慌てて手の平を閉じた。

………バターの問題じゃない。そうじゃなくて、私の身体に回された腕が問題なのだ。

だが冷や汗をかく思いで周囲の様子を窺うと、ある者は背もたれ兼座席の台上に座り果物を食べ、ある者は酒を注ぐ女官と楽しそうに談笑し、ある者たちは勝手に円座を組み何やら熱い討論を交わしていた。

物凄く、自由だった。イリリアでは考えられない……。


「陛下。私は陛下を背もたれにしたイリリア人として非難されたくありません。」

「されないから大丈夫だよ。セーラが私の大切な女性だというのは、皆知っている。」


レスター王の手が私の髪を撫でた。こんなに堂々とベタベタされると、対処に困ってしまう。酔っているのだろうか。

人前なので国王への断固とした抵抗が憚られるし、人前だからこそ恥ずかしい。あまりに恥ずかしく、顔が上げられない。


「アルは…、陛下にはお妃様はいらっしゃらないんですよね?変な噂が立って、余計陛下から未来のお妃様を遠ざけてしまうのではないかと、心配です。」

「そうだねぇ。確かに私は妃を迎える様せっつかれている。多忙を理由に遅くなってしまったけれど、今後は違うかな。」


さてどうしたら良いと思う?、と囁きながらレスター王は首を傾けて私の顔を覗き込んだ。間近で見る切れ長の淡く青い瞳は酔いのせいか色気を含んでおり、私の心臓は急に早鐘を打ち始めた。気まずさに視線を剥がすと彼の腕に更に力が込められ、身体が密着する。


「イリリアを下した陛下なら、縁談が降る様に来ますね、きっと。」

「そうだね。」


その時、私たちの間を割る形で誰かが細い腕を割り込ませて来た。振り返るとそれは睫毛女官で、彼女は私の右手を掴んで広げると、大仰に驚いた。


「セーラ様!まあ、お手が汚れていましてよ。」


そういいながら彼女は私の手の平に布巾を当てて拭い始めた。レスター王から解放されて思わず安堵に胸を撫で下ろした。


「キア。注いでくれ。」


レスター王がカラになったばかりのグラスを睫毛女官に差し出す。すると女官は長い睫毛をまるで蝶のように小刻みに羽ばたかせながら、どこかうっとりとした上目遣いでレスター王を見上げた。

酒瓶を傾けてレスター王のグラスを満たす彼女の口元にはうっすらと笑みが浮かべられ、これ以上素晴しい仕事は世の中に存在しない、と思っていそうなほど満足気だった。

視線を上げると王女が私を凝視していた。

目が合うなり彼女は私の腕を掴み、小声で言った。


「どうなっているの。弟に何を絡まれているのよ。ちょっとわたくしと席を変わりなさいな。」


主の命に従う為に腰を上げ、膝を進めるとズルりと滑った。

バターを踏んだ。








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