5ー12
イライアスが死んだ!?
そんな馬鹿な。
「嘘。そんなはず…」
頭の中が動揺のあまりまとまらず、言葉を継げない。
あの自信に溢れたイライアスが?私の目の奥には、馬に跨り隊列に戻って行くあの後ろ姿が焼き付いている。彼は宮廷騎士団長なんだから。いつだってうざったいほど自分には自信を持っていたじゃない。それなのに、戦いで命を落とすなんて、信じられない。
困惑する私をレスター王は抱える様にして支えた。そのまま親切にも近くにある天幕まで連れて行ってくれた。兵の一人が私たちの為に入口の垂れ布を捲り上げ、道を開ける。レスター王と私が天幕に入ると外から再び垂れ布が閉められた。私はそのまま中にあった膝程の高さの腰掛けに座らされ、軽く見渡してからその天幕の内装に瞠目させられた。
繊細な絵柄が丹念に織り込まれた厚地の布が天井から壁に掛けられ、少ないながらも置かれた調度品は揃って七色に鈍光する乳白色の貝が埋め込まれていた。目を下に向ければ私が座っている腰掛けは白い毛皮の上に置かれていて、軽く撫でてみれば絹の様に柔らかく滑らかな触り心地だった。
レスター王の天幕の一つだーーー誰かに教えられずとも、そう分かった。
視線を戻せば、立膝をついて私の正面に座るレスター王の淡い青が私をじっと見ていた。
「そんなにもショックだったの?」
「当たり前です。彼はいつだって…」
ああ、そうだ。何故今さらこんなにもはっきりと分かるのだろう。イライアスはいつだって結果的に私を守ろうとしていてくれたではないか。
「嘘だよ。あいつが簡単に死ぬ訳がないだろう。」
「えっ?嘘………?!」
「あいつが好き?」
「生きてるの?!イライアスは無事なんですか?」
「動体視力が異常なんじゃないか?雨あられの如く集中的に射られた矢を、腹立たしい程華麗にかわしていたよ。」
イライアスは無事なんだ!
胸の奥底から安堵の光みたいなものがみるみる広がり、凍りついていた気持ちを溶かしていく。その一方で怒りが込み上げる。
「そんな嘘をつかないで下さい。」
「形ばかりの夫婦だったんじゃないの?」
あいつの無事が随分嬉しそうだね、と呟きながら、レスター王は顎を逸らしながら斜め上から私を見下ろす。その輝くばかりに美しい容貌はまるで値踏みをしている様で、それでいて幾らかの軽蔑の色が浮かんでいる気がした。
そんな目で見ないで欲しい………。
自分が惨めに思えてきてしまう。
「イライアスは、彼は私を助けてくれたんです。戦場に行かなくて済む様に、手立てを打ってくれたんです。………多分。」
その方法が凡人には思いつきもしない斬新過ぎるものだったけど。
「私が知る限り力を貸したのはメリディアン王女と、闇の左手だ。何よりもセーラは自分の足でここへ来たのだから。」
言い終えたレスター王はその白く滑らかな眉間に僅かに影を作った。
ひょっとすると、彼はイライアスが嫌いなのかもしれない………。イライアスはレスター王子の話をする時にそんな様子は見せなかったけれど。
「陛下。私は…」
「そんな他人行儀な話し方は二人きりの時にはしないで欲しいな。昔の様に話したい。」
他の人に私たちの会話を聞かれていないのなら、そうしても良いのかもしれない。本音をいえば私もレスター王と昔の様に話したかった。
「あの……シアさんから聞いたんだけど………メリディアン王女様をガルシアに連れて行くというのは本気なの?」
「悪いけどお願いは聞けないよ。せいぜいガルシアでの滞在を楽しんで頂くよ。」
私は深い溜め息をついた。
私の選択は間違っていただろうか?王女だけは荷馬車に残して置いて来るべきだったのだろうか?
もう一つ、聞かなければいけない事を思い出した。
「お願いついでにもう一つお願いがあるんだけど。キースに会わせて貰えない?」
「キース。私の闇の左手か。どうも闇の左手とは因縁が良くないらしい。私が九歳の時に私を天空宮から連れ帰ろうとして失敗したのも、先代の闇の左手だった。」
そうか、フィリップ王子が以前そんな話をしていた。スパイは捕らえられ、王子は逃げたと。そうして王子は…。
「因縁が悪くなんてないよ!だって、アルがうちに来たのはその闇の左手さんのおかげなんだから。」
一生懸命笑顔を浮かべて説得をしてみるものの、レスター王の朝靄の中の湖面の瞳からは彼の感情を窺う事が出来なかった。昔からこうだっただろうか?それともやはり、今や国王である彼に分かりやすい喜怒哀楽を期待するのが誤りだろうか。
レスター王は長い睫毛を物憂げに動かし、宙に視線を投げた。ーーーー当時を思い出しているのだろうか?天空宮を出てからあの森に辿り着くまでの、彼しか知らないであろう、その道程を。
「でも私はアルと出会えて、その闇の左手さんに感謝しているよ。」
「…………仕事に失敗して敵方に捕らえられた闇の手足に未来は無い。彼は捕らえられた直後に自害したと聞いた。」
言葉を失ってしまった。イリリア側に情報を漏らす事が無いように、敢えて早々と自害したのだろうか。だとすると、やはり長く裏切っていたキースが許されるのは難しいのだろうか。
私は良い返事を殆ど諦めつつも、もう一度尋ねた。
「キースに会わせては貰えないの?」
「今は尋問の最中だから出来無いよ。」
レスター王はやはりそう簡単には折れてくれなかった。
それにしても随分長い尋問だ。キースの事だから、イライアスの話は頑固に黙秘でもしているんだろうか?
一体どんな尋問が敢行されているのか。ここへ来てから全然キースを見る事が出来無い為に、妄想に拍車がかかり、不安が増長する。
今夜皆が寝静まったら、目ぼしい天幕を物色してみるべきだろうか。愛すべき片鱗も無いが結果論的には私の恩人であるキースには出来れば五体満足でいて欲しい。場合によっては捨て身の芝居を混じえての命乞いが必要になるのかも知れない。何よりガルシア側に救助を要請したのは私なのだから。
そう思案していると、レスター王の声が掛かった。
「今夜はこの天幕を使うと良いよ。私は別の所で休むから。」
こんな立派な天幕を使わせて貰うなんて、出来無い、とお断りするとレスター王はただ笑った。
帰り際に王女の様子を一度見ておこう、と彼女の天幕を覗くと、彼女は寝台に腰掛けてまだ起きていた。無理はない。眠れないのだろう。王女は私に気がつくと、細い指を膝上で組みポツリと呟いた。
「わたくし何故あの時セーラを追って窓から飛び降りたのか、ずっと考えていたの。何故だと思う?」
「………私が好きだからですか?」
「真面目に聞いているのよ!」
「これでも真面目に答えました。」
「あ、あら、そう……。」
モジモジと自分の髪をいじると王女は視線を泳がせた。暫しの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「わたくしずっと役立たずで身内から浮いた、要らない存在だと思っていたわ。けれど、あの時今何か出来るかもしれない、と感じたの。」
私は王女が立派に勤めを果たしている、誇らしい主だ、と飾らない言葉で思った事を伝えた。すると王女は照れ臭そうに一瞬笑ったあと、何故かむくれた。実に複雑な感情表現をする王女だ。
「イライアスは無事なのかしら。」
「レスター王によれば、幸い無事みたいです。」
「そう。良かったわね。………落馬なさったと言っていたけれど、お兄様はご無事かしら。きっとわたくしを怒っていらっしゃるわね。お前を逃がした挙句捕まったりして。」
王女の視線が心配そうに揺れていた。
強がってはいたけれど、本当は兄王子の事を慕っているのに違いない。ガルシアにいかねばなら無い事は、彼女にとって、私とは比較にならないくらい恐怖だろう。
「後でレスター王に聞いてみます。きっとちょっとお怪我なさった程度ですよ。」
私は王女の腕にそっと触れた。メリディアン王女の処遇についても、レスター王に確認しておこう。私は重い責任を痛感していた。
王女の寝台を整えると、お休みの挨拶を交わして退出した。