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5ー11

傷を負った背中は時間の経過と共に疼く様に痛みが増していき、遂にはキースの予言通りに高熱にうなされる羽目になった。

朦朧とした頭で何度か眠りに堕ち、天幕の外の喧騒を聞いた。兵たちが走り回る音や怒鳴り声、武器具の作る金属音を意識の片隅に聞きながら、ガルシアの兵たちがイリリア軍と戦う為に出陣していくのだ、と膜の中を漂う意識で考えた。地をも揺らす騒音と張り詰めた空気が堪らず、天幕を這い出て外の様子を見たいと思ったが、全身が鉛の様に重くて起き上がる事が出来ず、私はただ眠りの世界を彷徨っていた。

目がはっきりと覚めた時、辺りは既に静かになっていた。雨は上がり、遠くの空は茜色になりつつあり、いかに長く寝ていたかと思うと怖くなった。

天幕の外に出ると、入口の脇に若い兵が一人立っていた。彼は私に付けられた見張りか何かの様だったが、私に行動の制限はされていないらしく、王女の所に案内をしてくれないかと頼むと、快く引き受けてくれた。キースに会わせて貰えるかを聞いてみたところ、それはにべも無く拒否された。

いよいよ彼の安否が不安になってきた。

外をウロつくと、ほとんどの兵たちが出払っている為に、たくさんの天幕が張られているにも関わらず、静寂に包まれていた。

案内された天幕に入ると、出入口には兵たちが二人並んでおり、中ではメリディアン王女が座って何やら縫い物をしていた。

ああ良かった………。王女は足に包帯を巻いてはいるものの、清潔そうな服に着替えていた。しかし、王女の表情は、酷く険しい。


「王女様……。ご無事な上にお元気そうで何よりです。あの、……何をなさっているのですか?」

「裁縫よ。見ればわかるでしょう!セーラこそ、思ったより元気そうじゃないの。わたくしはここに監禁されているのに、貴方は違ったのねえ。心配して損したわ。」


どうやら王女はこの天幕から出られないらしい。

それにしてもものすごい量の衣服が彼女の周りに置かれていた。


「何故裁縫を。まさかレスター王に命じられたんですか?」


すると王女は表情を一層険しくしてまくし立てた。


「レスター王に聞かれたのよ。特技は何かって。それでわたくし、裁縫ですわと答えたのよ。そしたらあの男、兵たちの破れた服を縫えと命じてきたのよ!治療代がわりですって!相変わらず目に悪いほど綺麗な王だと思ったら、性格も悪かったわ!」


言った後で王女は気まずそうにチラリと私の顔色を窺った。そのまま小さな声で、あら、セーラの弟だったわね、と目を逸らした。

レスター王の命令にも驚かされたが、彼らしいと言えば彼らしかった。王女は天井を見上げて溜息をついた。


「天幕の中が暗いのよ。手元が見えやしないわ。なのにこの兵たちは、ここから出してくれないのよ。縫い目がガタガタになったら、わたくしの腕が疑われるでしょう。」


それにしても丁重にもてなしている、とシアは言ったのに、この扱いはどうだろう。天幕は私が使わせて貰っているものよりは大きいが、服が散乱していて足の踏み場もない。

これではキースの扱いが一層危ぶまれる。王女にキースの行方を尋ねると、彼女も知らないと首を横に振った。森の中でガルシア軍に救助して貰って野営地迄連れて来られた後、二人は引き離されたのだという。


「わたくし、どうなるのかしら。」

「すみません。私のせいで。」

「やり甲斐はあったじゃないの。謝らないで。でもお兄様はきっとわたくしを見捨てるわ。」


そうだろうか。

私はデメルの屋敷にメリディアン王女が戻って来た時の事を思い出した。フィリップ王子はとても怒っていた。あれは自分の作戦を邪魔されたくないという不安からではなく、王女を危険な場所に変わるかも知れない屋敷に置いておきたくない、という心配から怒っていたのではないだろうか。何と無く私はそう感じた。

私には平気で出来た事を、彼はとても王女には出来ないだろう。そう思うとふつふつと怒りが湧いた。あの時感じた怒りの正体はこれだったのだ。


私と王女は、イリリアとガルシアの軍が今どうしているのか、考えては心を乱されながら、けれども考えてもどうにもならない事を、裁縫をしながら兵たちの帰りを待った。何かしないではとてもその時間に耐えられなかっただろう。







レスター王が率いる軍隊が大挙して野営地に戻って来たのは日没後であった。

先頭を陣取り、胴体部に飾り綱が施されて一際目立つ黒い馬を繰り、大軍を統率するレスター王ーーーー。馬の頭からは首までを覆う銀色の甲冑がつけられている。その勇壮な姿に、暫し別人を見る思いがした。細かな指示を馬上から出すレスター王を見上げる兵たちの顔には、尊敬と信頼の念がみてとれ、彼がこれまでガルシアで努力を以て築いた地位が推し量られた。

野営地は再び密集地隊と化し、兵たちの声と物音に飲み込まれた。兵たちは例外無く泥まみれになっており、負傷者も少なくは無かったが、皆前を向きどこか生気に溢れていた。デメルの屋敷で見ていたイリリア軍が帰還した時の有様と、落差を感じずにはいられず、不安が胸を侵食していく。果たして対峙していたイリリア軍はどうなったのだろう?

メリディアン王女と私が誰に聞く事も出来ず、立ち尽くしていると、シアが馬をこちらに進めて来た。汗で髪が顔の周りに貼りついていて、血と泥の飛沫が身体中に散っていてもなお、彼の顔は晴れやかだった。


「危ないところでしたが我々が勝利しましたよ。」


私と王女は口を開ける事さえ出来無かった。ただ、これから恐らく厳しい報告を受けなければならないのだという認識だけが確かだった。


「イリリア軍は二手に別れていたのですが、昨夜からの雨で河が増水し、合流に遅れた兵たちが我々の挟み撃ちに失敗したらしい。」


静かな口調でそう告げ、シアは黒い瞳で私たちを見下ろしていた。

口を動かすのはこんなに大変な作業だっただろうか?

私はどうにか続きを知ろうと、報告を催促した。


「それで、イリリア軍は……?」

「………加えてイリリア軍の総司令官は我らの矢を受けて落馬しました。下級兵が動揺しきってしまったところを混乱に乗じて我等が攻め立て、イリリアは大敗しましたよ。」


嘘よ、お兄様が、と呟くと王女は膝から崩れ落ちた。イリリアの総司令官はフィリップ王子だ。

彼女を支えようとしてあまりの背中の痛みに絶句しながら、私も膝をついた。雨を受けてまだ湿った地面が、服を濡らしていく。

イライアスは………?

彼は無事なのだろうか。大敗という言葉が頭の中をぐるぐると回る。

どうしてこんなにも苦しいんだろう。こんな事になるのなら、何と思われ様とも怯まずに手巾を渡していれば良かったのだ………!!今振り返れば、私を躊躇わせた理由はなんとちっぽけだったのだろう。

シアは私を見て言った。


「これ以上の戦いは無用だ。ガルシアとイリリアは今後講和条約を結ぶ事になったよ。明日、早速イリリア側の使者が来る事になっている。新たな国境線について話し合う事になるだろう。それ以後はこんな所に留まる理由は無いからね。我々本隊は使者を迎えたら条約締結を待たずして明日、ガルシア王国へ帰国するよ。勿論君たちも一緒にね。」


ガルシアへーーー。

アルの祖国に行く?イリリアを出なければいけない!?

私は震える声で馬上の人物に向かって声を上げた。


「どうぞ、私たち二人はお見捨て下さい。食いぶちの無駄でしょうし。女手としても何の役にも立ちません。特に王女様は。」

「拒否権はないのだよ。まだ怪我も治っていないからね。ガルシア王国は君たちをここで放り出す様な非人道的な国家ではないよ。………とりわけ、新たな国境線からイリリア兵が全員撤退するまで、王女様には我らといて頂く。」


何だかんだと理由をつけてはいるが、最後の一言が本心だろう。王女を条約の履行の担保にするつもりか。次から次へとどうしてこうも事態がこじれて行くのだ。

茶で満たされた器の中に溺れ、スプーンでぐるぐると混ぜられていてそこから抜け出せない………。私はそんな気分で一杯になった。






ガルシア軍の兵たちに私たちの事は既に知れ渡っている様だった。どうやら私がレスター王と一緒に育ち、イリリア軍によって人質にされ、王女の助けで逃げ出した、との逸話が広まっており、次第に兵たちは口々に私たちを讃え始めた。王女に対する態度も急に変わり、彼女の為に新たに豪華な天幕が用意され、監禁状態も解かれた。

夕食の後、王女の天幕には湯浴み用の樽と湯が運ばれて来て、漸く王女は入浴にありつけた。彼女は王宮では常に侍女に身体を洗わせていたため、私が手伝って彼女の背中や髪の毛を泡立てた柔らかい布で洗った。

王族の習慣とはそういう物なのか、彼女は一人ではどうしても入浴が出来ないらしかった。

全身を洗い終え、王女の身体を拭いて上げて、与えられた簡素な衣装に着替えさせる。

いつもは口から生まれたのではないかと思うほど私といると良く話す王女が、口数少なく静かにしているのが苦しかった。

王女をここから逃がす手立ては無いだろうかと考えたが、監禁状態は解かれたものの、常に複数の兵たちに見張られているのは変わり無くましてや怪我を考えれば難しいように思われた。

レスター王に会い、私と王女の今後について彼の意思を確認しておきたかったが、彼は奥の方にある豪華な天幕に入ってしまい、私は近づく事が出来なかった。外にいてもレスター王は高位の軍人たちや護衛に囲まれ、話しかける隙など無かった。あらためて彼はもうガルシアの国王なのだ、と立場の違いを思い知らされた。

あの頃よりずっと精悍になった凛々しいアルの姿は、頼もしく嬉しく感じられる一方で、こうして遠くから眺めるしか出来ないでいると、彼を遠い存在に感じた。

王女を休ませると、私も欠伸を噛み殺しながら自分の天幕に向かう。

どんな状況でも人は眠くなるんだから、不思議だ………。

王女の天幕を離れ、外を歩いていると偶然レスター王と鉢合わせした。慌てて膝を地面につく。

レスター王は軍服の上衣だけは脱いでいて、清潔そうな白いシャツを着てはいたが、下は未だ銀色の膝当てが当てられた、血の付着した戦場の名残りそのものだ。レスター王は私の方を向くと、声をかけてくれた。


「セーラ。明日私たちはガルシアに向けてここを発つ。」

「聞いています。あの、陛下。…」

「そんなに畏まらなくて良いよ。セーラは私の恩人なのだから。」


そんなわけには行かない。

折角他の兵たちが親切にしてくれているのに、口のきき方を知らない、と思われてはたまらない。レスター王を守る兵は彼の直ぐそばに付き従い、何も言わないが確実に私たちの会話に聞き耳を立てている。

このままガルシアに行ったら大変だ。


「ガルシアの勝利だよ。これでガルシアに対する諸外国の見方が変わる。」

「うん。はい。………おめでとう、ございます。」


力なく適当なセリフを言うと、レスター王は苦笑した。どこか斜に構えたその笑い方は昔のままで、チクリと胸に棘が刺さる。


「私は残酷な事をしている?」

「………陛下は陛下のお仕事をされているだけです。」


それよりも、知りたい………。

私は人目を気にしてから、はやる胸を抑えてレスター王に尋ねた。


「あの……。教えて頂けませんか。宮廷騎士団長のイライアスは無事なんでしょうか?」

「彼はフィリップ王子を庇って死んだよ。」

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