1ー5
ドンドンドン、と力強く玄関の扉が叩かれる音がした。
私達は怯えた様に固く抱き合った。
家の窓と扉を閉めていなさいーーーイライアスの美声が脳裏にこだました。他の家ならばそうしていた事だろう。だが、大軍に狙われているのが自分の家な場合は、どうしたら良い。
やがて扉が破られるのではないかと思う程の力で叩かれると、母さんは震える声で言った。
「ここにいなさいね?」
そう言うと母さんは私達をそっと放し、部屋に残して一人玄関に向かった。
残された私達三人は体を寄せ合って恐怖に耐えた。
玄関の方向からは、何やら押し問答が聞こえ、やがて母さんが招き入れたのか、数人の足音と声が家の中に入って来て、それは居間の方向に向かった。
暫くの後、母さんが私達の所に戻って来た。
「……王都から宮廷騎士団の団長がうちに聞きたい事があって、来たのですって。……マーニー、お茶をお出しするから手伝って。」
姉が母さんを助けるために私達から離れて姿を消すと、私とアルは強く抱き合った。アルは猛烈な力で私を抱きしめ、私は押し潰されるんじゃないかと思った。
どれくらいそうしていただろう。
身体がくっつくんじゃないかと思えるほどずっと抱き合っていると、姉さんが部屋に帰ってきた。
「アル、居間に来て。騎士団長がアルに会いたいって。」
アルが長い溜め息をはいた。私達は身を寄せ合って部屋を出て、短い廊下を渡り居間に行った。
居間のソファには騎士達が三人腰掛けていた。
イライアス……!!
ソファの一番手前にいたのは彼だった。
澄んだ緑の双眸は一瞬大きく見開かれ、次いで僅かに非難がましい感情がそこに浮かんだーーーなぜこの家に貴方がいるのかーーーイライアスはそう言いたげだった。
イライアスの隣に座っていた中年の騎士が立ち上がると、大股で私達の前までやって来た。アルがぎゅっと私の服を握りしめる。
中年の騎士は濃い口髭に覆われた厚みのある唇を開き、おずおずと笑顔を作った。大きな丸い瞳はどこかギラついていた。
「ずっとお捜し申し上げておりました。この様な場所にいらしたとは………王子様、お迎えに参りました。」
聞き間違いをしたのかと思った。
だが中年の騎士はそのまま床に膝をつくと、胸に手を当てお辞儀をした。残る二人の騎士たちも次々とアルと、彼とぴったりくっ付いている私の前にやって来て、流れる様な仕草で膝をつき、同じ様に頭を垂れた。
痛いほどの沈黙の後、アルは言った。
「何の話か、分からない。」
すると三人は顔を上げた。
二人がひたとアルを見上げる横で、イライアスだけは私の顔を凝視してきた。その視線に耐えられず、私は目を逸らす。
中年の騎士が諭す様に言った。
「王子様。この私を覚えていらっしゃるでしょう。ディディエでございますよ。王子様付きの宮廷騎士として警護をさせて頂いておりましたこの私を、お忘れになったなどと仰いますな。今は昇進致しまして、こうして宮廷騎士団長になっております。」
王子様ーーーアルが、この弟が王子様………!?
私は信じ難い気持ちでいっぱいになった。
我が家が拾ったアルを、いつか彼の裕福な両親が迎えに来るーーー私はそんな夢物語みたいな展開を昔はしばしば想像したりもした。だが、まさか本当にこんな日が来ようとは、思いもしなかった。
隣に立つアルの白い顔は、いつもに増して白く、騎士団長を見つめ返す瞳は不快そうで、強い憎悪すら感じられた。
私は一連のこのアルの反応に幾分の違和感を抱いた。
アルは、記憶を失っていて、私達に拾われる前の事は一切覚えていない筈だった。しかし、初対面の筈の宮廷騎士たちを見下ろす彼は、はっきりと、私には理由がわからない嫌悪の表情を浮かべていた。
「ディディエ。貴様が団長か。宮廷騎士団は余程の人材不足なんだな。」
吐き捨てるように冷たく言い放つアルの発言に、居間にいた私達家族は皆一様に瞠目した。
彼の今の発言はどう考えても、昔の記憶があるとしか思えなかった。
………アルは、記憶が無いとずっとこの六年間私達に嘘をついていたのだろうか。
「僕は帰らない。ここにいる。」
「なりません。貴方のいらっしゃるべき場所は、王宮です。何としてもお連れします。」
騎士団長とアルは無言で睨み合っていた。
そこには私達には分からない、目には見えない火花が散る壮絶な感情のぶつけ合いが存在した。
私は金髪の美形がいまだひたと私を睨めつけている事に気が付いた。怖くてイライアスの顔を見る事が出来ない。
イライアスは小遣い欲しさに、まんまとホルガー家の人間ではないと嘘をついた私を、軽蔑を込めて見ているのだろうか。
よくも騙したな、という彼の声が聞こえてくる気がした。
「騎士団長様、あの、息子は本当に王子様なのですか?この子は記憶が無いとずっと言っておりましたもので…」
母さんが話している途中で騎士団長は豪快に笑いだした。
「ははははは!ご記憶が無いフリをなさればお立場を放棄出来るとお考えに?殿下のお立場はそんなに安いものではありませんよ。」
こちらの鼓膜をビリビリと振動させる勢いで笑った騎士団長に呼応する様に、アルの赤い唇は微かに震えていた。
どう見ても彼は、自分を迎えに来たというこの展開を喜んでなどいなかった。
「息子は、………嫌がっている様に見えます。」
震える声で母さんは騎士団長に抵抗しようと試みていた。
だが騎士団長は一転して凄みのある声で言った。
「ホルガー夫人。六年前、王子様は不届者に王宮から誘拐され、ずっと行方しれずだったのです。助けて下さった事は感謝致しますが、ここにいて良いお方ではありません。」
「ですが、こんなに急に…」
「表に待機させている騎士たちを、私も出来れば使いたくはないのですよ?」
母さんの表情に戦慄が走った。
騎士団長は、アルが抵抗する場合は武力行使を厭わない、と言ったのだった。
窓の外を埋め尽くす騎士たちの数に、私は絶望に近い思いを抱いた。
アルは掴んでいた私の服からゆっくりと手を剥がし、そっと私の身体を押し退けた。
「分かった。行くよ。」
騎士団長の顔に勝利を思わせる笑みが広がった。騎士たちは立ち上がると、アルの肩に軽く触れ、誘導しようとした。
イライアスはそれでも私を睨んでいる。張り付いたような視線が怖い。
「あの、お待ちください。せめて、夫が帰るまでは、お許し頂けませんか?………今日はセーラの、下の娘の誕生日なのです。夜には夫も帰りますから!」
「我々は待ちません。万一があれば私の首が飛びますからね。」
騎士団長は母さんの懇願をあっさりと流した。そのまま動こうとしないアルの腕を引いて、居間を出ようと歩きだす。
「アル!!アルを連れていかないで。」
私はいても立ってもいられず、アルの身体にしがみついた。
「セーラ……。僕は…」
「イライアスさん!私、お金をお返ししますから、だからアルをどこにも連れていかないで下さい!お願いします!」
私はイライアスを見た。
彼は感情の読めない瞳で私を見つめた後、言った。意外にも少し微笑んでくれながら。
「それは関係ありません。今日になるか、明日になっていたか。それくらいの差しか。」
私は騎士団長によって身体をアルから引き剥がされて、アルは玄関へ連れて行かれた。
彼は扉を開ける騎士に促され、うな垂れたまま家の外に連れ出された。
イライアスは後に続いて扉から出る直前、私に近づくと囁いた。
「誕生日を台無しにして、すみません。」
台無しなんてものじゃない。
私は母さんと姉さんと一緒に、アルを追ってもつれる様に玄関から外に出た。
我が家の前に広がる光景を見て、私達は息が止まりそうになった。
騎乗した騎士達が辺りを埋め尽くし、皆こちらを鋭い目付きで睨み据えていた。
その騎士たちの間には豪華な装飾がなされた金色の馬車があり、アルは騎士団長に導かれるようにしてそちらに向かった。
アルは一度も振り返る事なく、馬車に乗り込んだ。馬車はすぐさま騎士たちに囲まれ、車窓越しに見えるアルが、何か話そうとしたのか、車窓に向かって身を乗り出し、口を開いた時、馬車が動き出して彼の姿は馬車を囲む騎士たちで見えなくなった。
アルが連れて行かれてしまう!!
遠ざかりはじめた馬車を追いかけようと、一歩踏み出した私を、母さんが猛烈な力で抑えた。
危ないからここにいなさい、と母さんが耳元で怒鳴るが、私は必死に馬車の方へ行こうとした。
私は母さんの腕の中で、どんどん小さくなっていくアルを乗せた馬車を見ていた。まるで自分の半身をもぎ取られるような痛みと苦しみだった。
宮廷騎士団の大軍が走り去った後、辺りに砂埃が舞う中、それまで家の中で息を殺していた村人たちが次々と外に出て来た。彼等は一様に遠巻きに私たちを見ていた。
何が起きたのか、と困惑する村人たちの視線を浴びながら、私達三人は玄関先に力なく座り込んでいた。
「ただいま!父さんが帰ったぞ~!」
朗らかな帰宅宣言をしながら父さんがヨーデル村に戻って来たのは、夜だった。
パンとスープだけの質素な夕食を私達が食べているのを見て、父さんは背負っている荷物を下ろすのも忘れて尋ねてきた。
「今日はセーラの誕生日なのに、いつもと同じ夕飯なのか?………ところで、アルはどこにいるんだ?」
翌朝私が起きると、両親が居間で話し込んでいた。私は廊下の脇に立ち、居間を覗きながら二人の会話に耳をそば立てた。
父さんは頭を抱えて、言っていた。
「なあ、やっぱりこれは何か変だよ。王子様が誘拐されて行方不明だなんて話は、聞いた事がない。」
そうなのか?
私は王子様がこの国に何人いるのかも良く分かっていなかった。お世継ぎが生まれると国を挙げてのお祭り騒ぎになるらしいが、正妃が生んだ王子様は私が生まれる前に誕生していたし、そもそもヨーデル村にいるとあまり王都の情報が入って来なかった。
国王のお子が誕生しても、正妃の生む王子以外はあまり大きな話題にはならないのが常だった。
私は漠然と、アルは側室が生んだ王子様の一人なのだろうと思っていた。
父さんは狼狽える母さんに言った。
「………村長に馬を借りて、宮廷騎士団を追いかけてくるよ。大軍ならそう速く動けないだろうから、直ぐ追いつくさ。詳しく話を聞いてくる。」
父さんはその後、アルと宮廷騎士団を追ってヨーデル村を発った。
以後の父さんの行方を知る者は誰もいなかった。