表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/72

5ー9

私を囲む兵たちの数が増えていく。

血が足りないせいか、身体の芯が絞られる様な感覚だけが顕著で、頭の中は景色が揺れるみたいに霞んでいきながら、視界が狭まっていく。痛いのか寒いのか真剣に分からない。もう、立っていられない。

私はその場に座り込んだ。

私を立たせようとする黒服の兵を横目に見ながら、ふと思った。

私はキースの描いたシナリオ通りに動いたのではないだろうか。もし皆が怪我を負わなければ、私は何としても王女をデメルの屋敷に帰そうとしただろうし、ガルシア軍の野営地になどノコノコ歩いて来ようとは思わなかった。

馬車が使えない以上、女二人を意に反してここまで連れてくる事はキースにも難しかっただろう。ーーーーそう考えると、まさか………?という疑念が首をもたげた。

ひょっとすると、私たちが怪我をしたのはキースの計画の内だったのではないだろうか。そうなのだとしたら、もう、怒りを通り越して物が言えない。


「女、どこから来た?!近くの村の者か?」

「闇の左手と言ったか?」


口々に様々な質問が飛んで来た。

既に答えるのすら辛い。

私を立たせようとしていた兵が、血に濡れた服に驚き、救護班を呼べ、と叫んだ。

私は自分が来た方向を震える手で指差し、メリディアン王女の名と闇の左手という単語を只管繰り返した。

私はさぞや不審な女に見えた事だろう。

背中に血をつけた女が、突然現れてうわ言の様に奇天烈な事を訴えるのだから。

アヤしいよ、私。怪し過ぎるよ。こんな状況だけれど自分に自分で突っ込みを入れざるを得ない。


騒然としていたその場の空気が急に変わった。

なんだろう、と思っていると俄かに兵たちが慌てだし、さざ波の如く地に膝をついて頭を下げ始めたではないか。

私を支えてくれていた兵は速やかに私を地面に座らせ、そのまま私は彼に後頭部を押されて、周りの兵たちと同じく頭を下げさせられた。


「何の騒ぎだ。」


若い男性の毅然とした声がした。

それに対して近くにいた兵の一人が答える。


「副連隊長。申し訳ありません。村娘が戯言を申しておりまして。怪我をしておりますので、治療を施し直ぐに追い払います。」

「その娘か。」


声と共に、二人分の足音がきこえる。

地面近くまで下げさせられている頭は、兵の手が置かれていて上げる事が出来ない為、視線だけを動かして周囲を確認した。良く磨かれた黒いブーツと、茶色のブーツが私の側まで歩いて来て、立ちどまった。どちらかがガルシア軍の副連隊長なのだろう。

私は早々に大物を呼んでしまったらしい。その時、近くにいた兵の一人が言った。


「陛下。お目汚しを…。」


陛下ーーー!?

確かに今、そう聞こえた。

ガルシア軍の兵に陛下と呼ばれる存在は一人しかいない。ガルシアの国王、レスター王ただ一人だ。

目の前の黒と茶のブーツの爪先を、食い入る様に交互に見た。このどちらかが、レスター……アルだと言うの!?

私は傷の痛みも寒さも忘れて、全神経に意識を集中させ、二組の足を凝視していた。


「その娘はどうやってここまで来たのだ。警備を恥じよ。」


全身にビリビリとした衝撃が走った。

間違いない!今のはアルの声だった!

別れた時よりも声が少し暗く、男らしくなりはしたが、やや中世的な柔らかなあたりの声は、聞き覚えのある、私の義理の弟のもの。


「本人は西南の森から歩いて来たと申しております。」

「西南の森の見張り番はどうしている。」

「ま、まだ交代の時刻ではありません故……」

「不審な怪我人を堂々と通した挙句報告も無いのか?それをおかしいと思わないのか?何故戯言と断じるのだ。」


兵たちは口々に詫び、数名が私の来た方角ーーー彼等が西南の森と呼んだ方へ、状況を確認する為に走って行った。

良かった。これで王女もキースも助かるだろう。

脱力して額がさらに下がり、草を掠めた。水に濡れた土と、青いにおいがする。

黒いブーツが一歩私に近付くのが視界の端に見えた。


「一体どんな戯言を言っていたのだ。申してみよ。」

「その娘が申すには、森の中でイリリアのメ、メリディアン王女と………闇の左手が怪我をしている、と。」

「何………?」


それは又突飛な、と呟いたのは副連隊長の方だろう。暫しの沈黙の後、レスター王の声がした。


「娘。顔を上げよ。」


それは王都に連れて来られてから、いや、そのかなり前からずっと私が思い浮かべていた瞬間だった。

既に感覚がない背中に力を入れ、顔をどうにか上げて、疎らに降る雨を瞬きで避けながら目の前に立つ人物を仰ぎ見た。

アルだーーーー。

体格はすっかり変わり、肩幅も厚みも増していたし、髪は伸びて肩先より少し長く垂らされていた。頬は年齢の為か、かつてよりも細くなっていた。

纏う黒の軍服と腰にさす剣は、記憶の中にある私の弟とは、まるで縁のない物だった。

だが、赤みの目立つ薄い唇と、吸い込まれそうなほど淡い青い瞳は、紛れも無くアルのそれだった。

懐かしさに全てを一瞬飛び越えて、微笑みかけたくなる衝動をぐっと堪えた。

十年振りに目にした弟の、時の流れを感じさせる部分と、変わらぬところ。それらが一緒くたに私の中に入って来て、胸には万感の思いが込み上げていたが、実際にレスター王と私が見つめ合っていたのは恐らくほんの数秒だった。レスター王は表情一つ動かさなかった。彼は兵たちに視線を戻すと簡潔に命じた。


「手当が済んだら見張り番が戻るまで拘束せよ。」


ええっ!?

そのまま身を翻し、マントをはためかせて歩き出しながら、隣に立つ茶色のブーツの男に言う。


「シア。尋問はお前に任せる。」


私は威風堂々とした足取りで遠ざかっていくレスター王を、茫然と見上げていた。

………私が誰だか分からなかった………?

勿論私は自分の名を名乗っていない。けれど、顔を合わせればアルは私に気付いてくれる、と信じていた。まさかの展開に、頭が真っ白になった。

兵に支えられて小さな天幕の一つに連れていかれる間、私の頭の中では今見た出来事がグルグルと回っていた。

私はそんなに変わったのだろうか。年頃の女性はサナギが蝶になる様に、化けるという。蝶になった私に、アルはそうと気がつかなかっただけかも知れない。実際、15歳からの十年というのは、人が劇的に変わる時期だろう。

そんな風に妙に前向きに考えたりもしたが、天幕に入り簡素な寝台に上げてもらい、再び傷を縫うと宣言されるに至って、私の人生はこんなものなのかも知れない、と諦めの境地に至る他なかった。

手当てが終わると、入れ替わる様に副連隊長が天幕の中に入って来た。

私がいる天幕は治療の為のものらしく、木製の小振りな寝台の他には、隅に物いれが並べられ、後は部屋の真ん中に椅子が置いてあるだけだった。

柔らかな笑みを浮かべたまま中に入って来た副連隊長は、私が傷を庇ってうつ伏せに寝ている寝台の脇に膝をついた。手当ての際に服は上半身が破られ、今は包帯の上に毛布をかけているだけだから、焦った。

彼の波を打つ茶色の髪が肩先で切り揃えられていて、彼が屈んだ時にふわりと甘い良い香りがした。黒い瞳は温かみを帯びて私に向けられていて、その気品溢れる出で立ちに、ここが戦争中の野営地だという現実を忘れそうになる。

私は寝台から身を起こそうとして、彼に制止された。


「安静にしていた方が良いよ。」


お言葉に甘えて寝台に再び身を沈め、首だけそちらへ向ける。


「あの、ご迷惑をおかけしてすみません。助けて下さってありがとうございました。」


副連隊長はただ微笑んだまま首を横に振った。謙虚な人なんだろうか。それとも………?

王女とキースが気になる。


「森の中にいる私の連れは、どうなりましたでしょうか……?」

「その話は後でゆっくりしよう。とりあえず、身体を触らせて貰うよ。」


聞き間違いだと全力で疑いたい気分になったが、直ぐにああ、そうか、と納得せざるを得なかった。私は大変不審な女なのである。


「危ない物を身につけていないか、確認させて貰おう。」


副連隊長は私が肩にかける毛布を取り去り、腰から下の服を着ている部分に手を当て、異物が無いか調べる様に滑らせ始めた。緊張しながら固まっていると、彼の手が私のポケットの所で止まった。

その中にあった手巾を無断で取り出すと、施されている刺繍を暫く見ていた。彼はチラリと私を一瞥した後、手巾を元に戻した。


「口を開けて。大きく。」


私は頤を掴まれると、口の中まで調べられた。

それが済むと副連隊長は再び地面に膝をついて、私と目線を同じ高さに揃えた。


「さてセーラ=ホルガー。何故君はここにいる?」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ