5ー8
話中に残酷描写があります。苦手な方はご注意下さい。
「王女様。お怪我は?」
いつまでも座り込んでいる王女に声を掛けると、彼女はふるふると首を横に振った。その白い顔は茫然としていたが、声は震えながらもしっかりしていた。
「立てないの。足をくじいたみたい。」
えっ、と驚きながら王女に手を貸そうとすると、キースが私の二の腕を掴んで止めた。
「あんた人の心配している場合か!」
不審に思ってキースを振りかえると、今度は王女が短く叫んだ。
「セーラ!血がっ、背中から凄い血が出ているわよ!」
血?
その途端、思い出したかの様に背中が痛み出した。痛いと同時に、異常に熱く、冷たい。
さっき剣を持っていた時に、後ろにいた兵に斬られたに違いない。手を回すと背中は血で濡れそぼり、切れた服の間から素肌に指先が触れてヌルりと滑った。
慌てて手を引っ込めると、それは鮮やかな赤に染まっていた。
「脱げ。」
「えっ!?」
「服を脱げ。………念の為言うが、手当てをさせろという意味だ。」
「いえ………。あの、お気持ちだけで十分です。」
「気持ちで傷が塞がるか!!さっさと脱げ!」
そんな事言ったって!
服は上下に繋がっているんだから、背中を出すには全部脱がなきゃいけない。しかも上は下着も取らないといけないわけだし………。こんな所で……!
「セーラ!わたくしも見ているから大丈夫よ。安心して脱いで。」
王女まで、何の足しになるというのか分からないフォローをする。
キースは苛立った声色で言った。
「脱がされたくなきゃ、脱げ!」
そこまで言われたら脱ぐしか無い。
半ば怒りながら服を脱ぎ、腰回りと胸に脱いだ服を巻き付けて背中だけ露出してから、後ろを向いてくれていたキースに声を掛ける。もう、自暴自棄な気分だ。
彼は私の背中を流れる血液を拭いながら悪態をついた。
「くそっ。大きいな。イライアス様や陛下にこれでは顔向けができない。」
痛いのか熱いのか恥ずかしいのか、もうあらゆる感覚がごちゃ混ぜになり、おかしくなりそうだ。
キースは腰にぶら下げていた袋から何やら小瓶や、布にくるまれていた工具の様な物を出して、手当てを始めた。消毒なのか、濡れた布きれが私の背中にあてがわれ、キースは溜め息をついた。
あろう事か、彼は私の剥き出しの肩に手を置いてきた。
「あんた本当に肌が綺麗だな。」
悩まし気に囁かないで欲しい。身震いしそうになる。こんな時に何をする。
「それって、だ、誰かと比べているんですか!?」
「色んな女だよ。………宮廷騎士団長の補佐官ってやつは、かなりモテたよ。」
自慢か。そんな話をこんな所でするな、と反論しようとした矢先、強烈な痛みが私の肩を襲った。
何かが突き刺さる様な痛みに、驚きながらキースを振り返ろうとすると、片手で抑えられた。
「動くな。今縫っている。」
縫う!?
そんな大事な事は、予め宣言してからやって欲しい。
慣れているから暴れるな、とキースが呟くと、再び針で刺す様な痛みが有り、続いて糸状の物が皮膚を通されていく生々しい感覚が襲う。
自分の背中の傷をキースが夜の森で縫っている、という事実は受け入れ難いが、この傷を放置する事もできないのは分かっている。首席で卒業しているキースの技術は確かだろう、と信じるしか無い。
次々と刺されていく痛みに、歯を食いしばるが、痛い、痛いと声が漏れてしまう。何か別の事を考えなければ到底耐えられそうに無い。
昼間見た兵たちの傷を思い出すんだ……。彼等はもっと酷かった。これくらい、我慢出来るはず………!
「ああ、見ていられないわ……。」
呻きながらメリディアン王女は白い顔を歪めて背け、両手で顔面を覆った。
見ているから安心して、って言っていたじゃないの………。
「包帯を巻く。両手を上げて。」
渋々従う。
なけなしの胸を隠していた服を膝上に下ろし、両腕を肩の高さまで上げた。背中が引きつれて痛む。傷が開くんじゃないかと怖くて仕方が無い。
キースが後ろから手を回し、白い布を私の上半身に巻き始めた。
人の耳元で溜め息をつくのはやめて欲しい。素肌にたまに当たるキースの手に、なんだか落ち着かない気分にさせられる。
「本当はもっと巻きたいんだが、足りない。多分じきに高熱が出るぞ。傷は20針程度だが、もう一度ちゃんと縫い直した方が良い。」
もう一度縫うの!?
なんて事。
私はウンザリしながら服をどうにか着た。
キースはどこか惚けた様に今だ地面に座り込んでいた。なぜか彼の呼吸が荒い。訝しく思って良く観察すると、彼の黒いシャツの脇腹部分が濡れたみたいに光っている。近づいて更に良くみると、シャツに裂け目があり、濡れたそれは血だと分かった。
「キースさん!貴方も怪我を!」
彼は力なく笑った。その後ろで王女がどうにか立って歩こうと試みて、だがしかし余程足に痛みがあるのか、数歩で崩れ落ちる。彼女は足首を押さえていた。
「キースさん。私が縫いますから、道具かして下さい!」
「いや、よしてくれ。変な血管を刺されそうで怖い。服を縫うのとはワケが違うんだ。それにあんた、そもそも裁縫自体あまり………。」
後半は聞かなかったフリをしてあげた。何しろ非常事態だ。
ポツポツと樹木の葉を叩く音が疎らに聞こえ始め、暗い空を見上げると顔に冷たい雨粒が当たった。雨が降り始めていた。私は反射的にぶるりと身を震わせた。
とにかくキースを荷馬車まで連れて行き、どこかで一刻も早く、手当てを受けさせなくては。私は彼の腕の下に潜り込み、彼を立たせようとした。
私もキースも、立ち上がる事すら出来なかった。激痛が意思の力を凌駕し、キースに肩をかしてはとても歩けない。
「キースさん。この道を戻れば、デメルの屋敷の近くまで行けますか?」
キースは暫く沈黙したあと、無言で首を振った。
「途中までしかいけない。そこからは舟で川を逆流する必要がある。ちなみに舟は証拠を残さない為に沈めてきたから使えない。」
余りに残念な報告に眩暈がしそうだ。私は王女の隣に屈んだ。
彼女をこの地べたに放り出しておく訳にはいかない。
キースに比べれば、自分より軽い王女に肩を貸すのは、まだしも可能だった。覚束な気に歩く王女に肩を貸し、激痛に堪えて彼女を荷馬車まで連れて行った。彼女が体重を申し訳なさそうに私にかける度、峻烈な痛みが背中に走った。最後に王女が荷馬車に乗るのを手伝った時、傷が強く引かれ、開いた気がしてならなかったが、耐えた。馬の手綱を引っ張り、葉を広げる木の近くまで荷馬車を動かした。雨を防ぐ為もあるが、荷馬車の周辺には四人の兵たちの遺体が転がっていた。なるべくそれを王女の視界から離してあげたかった。多分キースが一人でやったのだろう。あの僅かな時間に、たいしたものだ。
「良いですね?今度不届き者が来たら、私たちを置いてでも行けるところまで馬を走らせて下さい。」
「………セーラ?」
荷馬車の上から不安そうに王女は私を見下ろしていた。
盛大な溜め息と共に、王女とキースを見た。
この三人のうち、歩けるのは私だけだ。
王女を一人には絶対にできない。手負いでも、実はキースじゃなかろうが、闇の左手だろうが、彼といて欲しい。そしてキースは放って置いたら、命に関わりそうだ。
残された道は、これしかない。
ここから歩いて行ける距離にあるのたから、ガルシア王国軍の野営地に行こう。キースかメリディアン王女の名を出せば、必ず人を寄越して助けに来てくれるだろう。
それを告げるとキースは、神妙な面持ちで頷いた。
「斜面を只管下って行けば、じきたくさんの明かりが見えるはずだ。そこ目指して歩いてくれ。それがガルシアの野営地だ。」
「王女様を宜しくお願いします。」
「分かっている。あんたも気をつけてくれ。ーーーー色々すまない。」
彼の血の作り出す染みは、一見してさっきよりも広がっていた。もう猶予が無い。
私は荷馬車の上で震えている王女に軽く手を振ってから、彼等に背を向けて斜面を下り始めた。
月のお陰で真っ暗ではなかったが、私の行く手は道があるわけでは無く、時に膝上までの藪を掻き分けて進まねばならず、又時に岩状の斜面を両手を使ってしがみ付きながら下る必要もあった。雨で地面はぬかるみ、時に滑りそうになる。靴は泥水で濡れ、冷たいを通り越して気持ちが悪かった。
道無き道は着実に私の体力を奪う。
背中の感覚は今や麻痺していた。
本当にこの方向で正しいのだろうか?ーーー私はもしや遭難してはいないだろうか。ここで倒れたら、三人とも終わるだろう。
不安が胸を押し潰しそうになった時、漸く木々の隙間から明かりがチラチラと見えた。
あそこだ。
そこはまるで別世界に見えた。今、唯一私が縋れる所。
既に疲労と恐らくは出血で朦朧としながらも、気力だけで足を動かし、視界に入る明かりの数がどんどん増え、それは篝火となり、大小様々な天幕が現れ、上下左右に揺れる霞がかかった視界に、唐突に剣を構えた兵が割り込んだ。
「止まれ!何者だ?どこへ行く。」
黒い軍服の兵たちが次々に集まって来て、私を囲んだ。遂に着いたらしい。
私は這々の体で頭を下げながら答えていた。
「闇の左手と、イリリアのメリディアン王女様が怪我を負っています。彼等を助けて下さい、慈悲深いガルシア国王陛下の兵の皆様。」




