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5ー7

「貴方は、レスター王の何なの?」

「闇の左手だ。ガルシア国王は四人の手足を持つ。俺はそのうちの最年少の一人だ。王だけの為に隠密に王の行けない所へ行き、見聞きし、動く。」


頭がクラクラしてきた。

私は額を軽く押さえながら、兎に角自分を落ち着かせようと溜め息をついてみた。

キースとレスター王ーーーアルがつながっていたなんて、俄かには信じ難い。

脳裏にイライアスの事が浮かぶ。


「ねえ………イライアスは貴方が本物のキースさんじゃないって事…」

「ご存知無いと長年たかを括っていたよ。あんたを妻にすると仰るまでは。だがあの方は全てご存知だった。恐らく子爵家を調べたんだろう。五年前、瀕死のあの方を助けた俺を首には出来なかったのかも知れない。あの方はそういうところがおありだから。」


血の気が引いていくのが分かった。指先が冷え、ジンジンと痛み出す。

私の寝室に忍び込んで来た時の二人の様子を思い出す。


「まさか、レスター王に私を引き渡せと、イライアスが?」

「そうだ。これはあの方のご意向だ。」

「そんな!どうして。」

「はじめから最悪の場合はレスター王にあんたをお返しするおつもりだったんだろう。あの方はレスター王に負い目をお感じだったから。」


レスター王に対する負い目?

それは昔アルを守れなかった事と、キースを結果的に奪った事実からくるものだろうか。


「………私の気持ちなんてどうでも良かったんですね。」

「それは違う。………俺は、あんたがイライアス様を誤解したままになるのが嫌だから言うが、このご決断は………、あんたの気持ちがご自分には無く、ずっとレスター王にあったとお分かりになったからだろう。」


私の気持ち?

それこそ違う。私の気持ちは、イライアスに向けられていたものだったのに。

これでは彼に捨てられた様なものだ。


「そんな事で………。」

「そんな事?イライアス様はあんたを盾に戦をするなんて、どうしても出来なかったんだろう。まあ、俺なら他の男に自分の女を渡すくらいなら、最期まで手元に置きたいがな。」


自分の女?

そんな認識が果たして彼にあったのか甚だ疑問だ。


「………私はれっきとしたイリリアの人間だし、家族も仕事も皆イリリアにあるんです。ガルシア王国軍の所へ行くなんて出来ません。」

「本来俺も、もうガルシアに戻るつもりはなかった。俺は第一の使命を果たした後、ガルシアとの連絡を断ち、立場を捨てていたから今戻れば、恐らく裏切り者の誹りを受けて罰せられる。だがイライアス様たっての願いに背くわけにはいかない。」

「それでは死にに行く、というの?そんな無茶な。」

「イリリア軍と行動を共にしたいというあんたこそ、死ににいく様なもんだ。」


キースは……、いや、闇の左手とやらは視線を私から外し、考え事でもするかの様に視線を彷徨わせて数回瞬きをした。

次に発せられた声はどこか感傷的だった。


「ドーンでの夜、あんたは名を変えて逃げる事を拒否した。あれは正しかった。他人の名で生きるには限界があるんだ。キースはこの世から消滅した。こうなった今、俺はせめて使命を全うしたい。」


罪無く眠る王女を見ると背筋がゾッとした。イリリアの最も重要な地位にある王女を、敵対するガルシア王国軍の下に連れて行くわけには断じていかない。まさかアルがメリディアン王女を人質に使おうなんて、考えるはずは無いと思うけれど。


「王女様をデメルの屋敷の近くまで帰してあげて。お願い。王女様は関係無いんだから。」


するとキースは口を歪めて笑った。


「優しいこった。それを言うならあんたも本来、この戦争に関係無いじゃないか。あんたこそが利用されているじゃないか。」

「………そう。みんな、自分勝手過ぎます。」


キースは一度夜空を眺め、不機嫌そうに顔を曇らせた。時間が分からない、と彼は呟いた。つられて私も見上げると、空は星一つ見えない漆黒の闇だった。もしやキースは星があれば時間が分かるのだろうか。

彼は焦れた様子で早口に説明を始めた。

ガルシア王国軍はイリリアの補給部隊を急襲した後デメルの河岸に駐屯している前線部隊と、後ろに控える本隊の二つに分かれているのだという。レスター王は本隊に今おり、私たちはその近くにいるらしかった。ここから先は道が細く、荷馬車が使えない。


その時王女が身じろぎ、眠りから覚めるこどもの様に無邪気に瞳を開けた。

ここはどこ、と高い声を上げた王女の口を、キースが押さえた。


「静かに。囲まれている。」


突然神経を張り詰めて辺りに目を走らせるキースの様子に、私と王女も緊張する。耳を澄ますと、枯れ枝を踏む乾いた音が近くから聞こえた。

誰かいるーーーー!!

キースが王女の口元からゆっくりと手を離しながら、低い声で呟く。


「四人。いやーーー、六人か。」


微かに彼の舌打ちが聞こえた。

木立の間からワラワラと男たちが現れた。

私と王女は我知らず抱き合っていた。

私たちを取り囲む様にして近づいて来た彼らは皆、黒い軍服らしき物に銀色の甲冑を身に付け、剣を手にこちらに向けていた。

イリリアの歩兵や騎兵は皆青っぽい軍服だった。見覚えの無い黒い軍服は、私たちが今ガルシア軍の兵たちに囲まれている事を意味していた。

キースの予言通り、そこには六人の兵たちがいた。


「お前たち何者だ。こんな時間に森の中で何をしている。」


荷台にいる私たちを庇う様に立ちはだかりながらキースが答えた。


「下級兵に名乗る名は無い。」


なかなかカッコいい台詞だ。一度は言ってみたいものだ。だが空気を読んで欲しいところだった。

馬鹿にされたと、明らかに兵たちは腹を立て、形相を変えて距離を縮めた。


「誰か話の分かる奴に引き継げ。ここにガルシア国王の闇の左手がいる、と。」


闇の左手だと、と兵たちの間に動揺が走った。だが間も無く一人が叫んだ。


「下手な嘘をつくな。真偽をお前の腕に聞いてやろう!」

「望むところだ!」

それを合図にキースは一番近くにいた若い兵に殴りかかった。身を引いたその兵は手にしていた剣の柄でキースの側頭部を打った。横へキースがよろめいたところへ、兵は飛び蹴りの様にして彼の胸を蹴り上げ、鈍い音と共にキースは後方へ倒れた。彼が動く前に、兵は激しく胸を踏んだ。

そんな阿呆な。

王立補佐官養成所を首席で卒業したうちの前の補佐官が、そんなに弱いはずが無い………。


「何が闇の左手だ!笑わせてくれるぜ。」


口を歪めて笑いながら、兵は尚も転がったままのキースを蹴った。だが暫くすると沈黙が支配した。倒れたキースがまるで動かないのだ。兵に起きろ、と蹴られても彼は目を覚まさないどころかビクリともしなかった。私の隣に座る王女が、私の腕を痛いほど掴んでいる。

キースを蹴っていた兵は屈むと慎重にキースの左手を手に取り、脈を探る様にその手首に触れた。少しの沈黙の後、彼は口を開いた。


「死んでいる。」


王女は金切声をあげて私にしがみ付いた。

彼女を抱きしめながら私も叫びたい気持ちを必死に抑える。

キースがこんな所で、しかもこれ程呆気なく死んでしまうなんて……!この状況で残された私たちはどうしたら良いと言うのか。私も王女も、ガルシア王国軍に捕まるつもりなどまるで無かったのに。

怯える私たちを見て、一人の兵が下卑た笑いを浮かべた。


「へへ。こんな若い女たちは久しぶりだなぁ。しかもこの辺りじゃ見かけないくらい、綺麗な髪と肌じゃないか。」


そう言いながら彼は唇を舐めた。その下品な仕草に、悪寒が走った。


「よせ。そういう真似は陛下が最も嫌われる。処罰の対象になるぞ。細事も漏らさず報告せよ、とのお達しだ。それに女手は常に役立つ。二人には野営地まで来て貰おう。」


一番年かさの兵が宥める口調で言った。

この六人の中でどうやら彼が一応リーダー格にあるらしい。兵たちは皆、軍服の胸元に銀色に輝く長方形の小さな胸章を付けていた。そこには星と棒の模様が刻まれていた。

胸章の模様が意味する位の上下は、国によって様々だ。星や棒が多い方が地位が高い事を表す国もあれば、逆の場合もある。それを私に夕食を食べながら教えてくれたのはイライアスだった。

しかしながら、その場にいる兵たちの胸章の模様は全て同じだった。つまり私と王女の扱いを決める権利をその年かさの兵が持つ訳ではない、という事だ。

彼が良識がありそうだからといって、安心は出来ない。


「硬い事言うなよ。相棒。」

「そうだ。ちょっとくらい手を出したって、ばれやしないさ。」


年かさの兵は不機嫌な表情を浮かべはしたが、黙ってしまった。

案の定、である。


「二人まとめて可愛がってやるよ。」


三人の兵たちが荷台に手を伸ばし、私と王女を引き摺り下ろそうと腕を掴んだ。その目が卑猥に歪んで見える。

怖い。胃が上へと持ち上がり、口から出てしまいそうな程、恐ろしかった。

だがこのまま連行される訳にはいかない。私を助けようとしてくれた王女が巻き添えを食うのだけは避けたかった。私はイリリア軍だろうが、ガルシア軍だろうがどちらにいてもたいした差は無いが、王女にとっては天と地ほども違うのだ。こうなったら一か八か切り札を使うしか無い。


「この方は、イリリアの王女様よ!無礼を働いたら…」

「はははは!闇の左手の次は姫様かぁ?」

「凄い凄い。姫様にお会い出来るなんて光栄だぜ。」


明らかに本気にされていない。

仕方が無い。

私は荷台に置いてあった麻布を広げながら、王女に叫んだ。


「逃げて!!」


荷台から飛びおりながら麻布を大きく広げて、兵たちの頭に被せた。視界を遮られた彼等は慌てふためき暴れたが、布ごと彼等に懸命にしがみ付いた。王女が荷台から飛び降り、走り出す姿が視界の端にうつる。

なんでそっちに走るの!

兵たちに身体を振られて、頭を荷台に打ち付けながらも、王女に舌打ちしたい気分になった。

彼女は荷馬車の進行方向に逃げたのだ。逆でなければ、元居た場所から遠ざかるだけなのに!

私を振り払った兵たちは直ぐに王女を追う為に走り出した。急いでその一人の腰に抱き付いてそれを阻止しようとすると、勢い余って兵はもつれながら転倒した。腕に当たった硬い物に気付き、私は考えるより早くそれを抜き、剣を振り回しながら、前を行く二人の兵たちを目指した。走る王女に見る間に兵が追い付き、彼女の衣服を背後から掴んで引きずり倒した。兵がそのまま王女の頬に平手打ちを浴びせ始め、私は怒りで我を忘れて剣を振りかざした。

剣を振り下ろす事は出来なかった。その直後、肩から背中に熱が走った感覚があり、何故か剣をうまく持てなくなった私はそれを取り落としてしまったのだ。

背中が燃える様に痛い。火でもつけられたみたいだ。尚も落とした剣を拾おうとしたが、後ろにいた兵に横取りされ、仕方なく素手で兵を突き飛ばして王女から離した。


「舐めた真似しやがって!」


突き飛ばされた兵は私を睨みつけ、だがその瞳は直ぐに見開かれた。何に驚いているのか、とその視線を辿って後ろを振り向くと、そこには血に染まる剣を握るキースがいた。

誰もが驚愕に声も出なかった。

キースは音も無くこちらに踏み込み、一人の兵に剣を浴びせると、もう一人が立ち上がる間すらなくその頭上に剣を振り下ろした。

絶命する兵たちから視線を引き剥がし、キースを頭からつま先まで確認する。そこにいるのは、紛れもなくキースだった。


「し、死んだんじゃ…」

「多勢に無勢過ぎたんでね。出方を見たくて死んだフリをしただけだ。」

「そんな。だって、脈は……?」

「手首の下に岩があってね。それに押し付けていた。そうすると、暫くの間脈を分からなくさせる事が出来るんだ。覚えておくと良いぜ。」


いつ使えば良いの、そんな豆知識………。

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